一章 凍てついた記憶
「……ん……」
身体に何かがのしかかっているように感じ、パチパチと瞬きをする。……寒い。
周囲は真っ暗でよく見えないが、どうやら私の身体は瓦礫に埋もれているらしい。
「ぐう……!」
手足に力を込めて瓦礫の中でもがく。しばらくそうしていると、僅かに光が見えた。
「あ……」
光を目印に一心不乱に手を動かす。両手が尖った瓦礫に触れ、血が滲む。
「ぐ……!」
痛みに顔を歪めながら光の方へと手を動かし続ける。
時間にすれば数分のことだったはずだが、私にはそこに至るまでの時間が数時間のように感じられた。私の両目に、地上の光景が映る。
「はぁ、はぁ……ふぅ」
瓦礫の山から這い出た私は、身体を叩いて周囲を見回した。あたりは闇に包まれている。時間帯としては夜だろうか。
「此処は……どこ?お母さん……?」
無意識のうちにそう呟いた。そしてハッと気付く。
「お母さん……どこにいるの?」
自分が何をしていたのか覚えていないが、母のことだけは覚えていた。
だが周囲には母はおろか、人っ子ひとり見当たらない。一緒にいたはずの母は、忽然と姿を消していた。
見知らぬ土地で1人。母は見当たらない。心が折れそうになり下を向いた時、街灯に照らされた私の衣服がふと目に入る。
「――」
絶句した。
身に纏う衣服はボロボロで、あちこちが焼け跡のように黒くなって破れており肌が露出している。
反射的に周囲を見回すがやはり人の気配は無い。幸か不幸か。
何とも言えない気持ちで私は立ち上がった。此処に居ても状況は変わらないだろう。そう考え裏路地を出て歩き出した。
首筋にじわりと汗が滲む。瓦礫の中にいた時は気付かなかったが、外はかなり暑い。ということは今の季節は夏なのだろう。
だが、先ほど確かに寒さを感じた。疑問を抱きながら、街灯が照らす先へと歩く。
歩を進めながら周りを見回す。殆どの建物は暗く鎮まりかえっているが、灯りがついているものもちらほらと目に入る。
どこかの建物の中に入ることは出来ないだろうか。今はまず、どうして自分があのような場所にいたのか知りたい。そして母親のことも。
……お母さんは私を置いて何処かに行ってしまったのではないか。
ふとそんな考えが頭に浮かび、立ち止まる。
お母さんが私を置いていくなどあり得ない。絶対に。
すぐにそう考え直して歩みを進める。前方に灯りが見えた。
暗くて見えづらいが、灯りの起点となっている建物の横には旗が立ててあった。
近づいてみるとその旗には「駄菓子屋 金平堂」と記されていた。
旗から目を離し、扉が開いている駄菓子屋の中を覗き込む。明るい店内の中に人は見られない。
「……」
此処に来るまでの道に時計は無かったため正確な時刻は分からないが、人が全く出歩いていないのを見るに既に夜は更けているはずだ。
当然、目の前の小さな駄菓子屋に来る客などいるはずもない。
しかし、私の目の前にある店の扉は開け放たれ灯りがついている。この辺りは治安が良いのかもしれないが、いくらなんでも不用心に感じられた。
少しの間迷った後、少々の罪悪感を感じながら店内に入る。
外から見た限り、店は二階建てのようだ。灯りが付いているくらいだし、二階になら人がいるかもしれない。
少しでも自分と母のことを知るために、誰かと話がしたかった。そしてもう一つ。――嫌な予感がする。
ざっと見渡した店の中は、ところどころ荒らされた跡があった。
傍の棚に並べられていたであろうドロップ缶やおはじきが床に乱雑に落ちている。
会計と思われる箇所の周りの床ですラムネの瓶が割れて中身がぶちまけられている。
外から見た時は気付かなかったが窓もいくつか割れていた。
それらの風景を見た私の頭の中で一つの結論が生まれる。
――誰かが侵入して、この店を荒らしまわった。
「……何の為に?」
そう結論付けたものの、すぐに私の口からそんな言葉が出た。
申し訳ないがさほど儲かってもいないだろう小さな駄菓子屋に侵入して何になるというのか――。
――ドンッ!!
唐突に大きな音が響いた。
あまりにも突然の轟音に肩が跳ね上がる。震える身体を必死に押さえつけるのにしばらくかかった。
少しの時間を空けて再び大きな音が響く。
同時、誰かの悲鳴のような声が耳に入る。声からして子供だろうか。
その声を聞いた瞬間、私は奥に見える階段に向かって走った。
店内は広くない。一瞬で階段の下に辿り着き、駆け上がる。
階段を駆け上がった先に狭い通路があった。通路は3つに分かれそれぞれ正面、右、左の扉に続いている。
右の扉だけが開いていることを確認し、部屋の中に入った。
「大丈夫ですか!?」
そう叫びながら部屋に飛び込んだ私の目に入ったのは。
「うう……痛いよぉ……」
血が滲む腕を押さえて部屋の隅にうずくまる男の子。そして。
「グルルルル……」
犬、だった。うずくまる男の子を見据えて唸り声をあげている。
体毛は黒。赤い目が爛爛と輝きを放っている。大きさは男の子よりひとまわり小さいといったところか。
――犬が駄菓子屋を荒らし、子供を襲った?何の為に?
一瞬、戸惑いが浮かぶ。だが、すぐにその考えを振り払った。
今はとにかく目の前の男の子を助けなければ。
「グウウウウ……」
唸り声をあげていた犬は、泣きじゃくる男の子に飛びかかろうとした。
「やめなさい!!」
その直前、私の両腕が犬の身体を押さえ込んだ。
私の腕の中で犬が激しく暴れる。
「早く!階段を降りて外に!」
「え……?お、お姉ちゃん誰?」
「とにかく!!外に出なさい!!」
私の必死な声を聞き、泣きじゃくっていた男の子が立ち上がり走り出した。部屋を出て、そのまま階段を駆け降りる。
「ガルルルル!!」
「ぐ!!」
右腕に鋭い牙が突き立てられる。痛みに顔を歪めて私は犬を放った。
「はぁ、はぁっ……」
細い腕に激痛が走り赤い血が滲む。
瓦礫の中から出た時に付いた傷も相まって痛みで腕が震えていた。
「ウウウ……ガルルルル!!」
牙を光らせた犬が私を正面に見据え、一直線に走ってきた。
犬が私に迫り足首に噛みつこうとしたその瞬間、軽く床を蹴って宙に飛んだ。鋭い牙が空を切る。
「ごめんね。……ちょっと痛くするよ」
着地した勢いのまま、首筋に左手で手刀を落とす。
人間が本気を出せば犬一匹の意識を刈り取ることなど造作もない――はずだった。
「……は?」
目に映った光景に口から間抜けな声が漏れる。
振り下ろした手は、小さな身体の首筋をすり抜けて床を叩いた。鈍い音が響き、左手に痛みが伝わる。
目の前の相手は何事もなかったかのように呆然とする私に飛びかかった。凶暴性を張り付けた顔が眼前に迫る。
「……っ!」
私は最早なりふり構わず、近づいてきた顔面に向かって右足で蹴りを繰り出した。
「……っ……何で」
だが、その足先は先程と同じく小さな身体をすり抜け虚空を蹴った。刹那、伸びきった足首に強く噛みつかれる。
「ぐぁっ……」
必死に足を振って振りほどく。激しく動かした右足から鮮血が飛び散った。息を荒らげながら壁に寄りかかる。
激しい痛みが目の前の存在に対する恐怖を煽る。
私の戦意はとっくに喪失していた。
(何なの……こいつは……!!)
どうして攻撃が当たらない。この犬は、犬の見た目をしたこの化け物は一体何だ。
腕を押さえながら目の前の相手を必死に睨みつける。……全力で走れば逃げることはできる。――だが。
襲われていた男の子は、階段を降りて一人で遠くに行ってはいないはずだ。
私がこの部屋を出て店の外に出た場合、再び彼が襲われる可能性が無いとは言い切れない。
ここで逃げ出した結果、自分よりも幼いであろうあの子が襲われる。
――私にはそんな選択肢を選ぶことはできない。
その時、階段の方から音が聞こえた。足音だ。誰かが此処にやって来る。
もしや、さっきの男の子が。逃げ出したものの、心配になって戻ってきたのだとしたら。
最悪の展開を想像して、顔が青ざめるのが分かった。
階段の方へ声を張ろうとしたその時、私の目に飛び込んで来た人物。
それは、幼い男の子ではなく男性だった。
年齢は30代といったところだろうか。逞しい、とまでは言えなくとも鍛えられているのが分かる六尺(180㎝)はありそうな身体。
短く切り揃えられた髪を揺らして入ってきた男性は化け物との距離を一気に詰める。
そして、腰から引き抜いた小刀をその小さな身体に深く突き刺した。瞬時に上から下に引き裂く。
「ウウ?…………オオオオオ!!」
断末魔の大きな叫びが遅れて響くほどの手際。
化け物の身体は私の眼前で真っ二つになり、風に舞う塵のように崩れて消えていった。
「君、大丈夫か?君が逃した子供は無事だ。……随分酷い怪我だな」
安堵し、そして呆気にとられてその場にへたり込む私の方へ向き直った男性は心配そうな目で私を見つめ――次の瞬間には気まずそうに目を逸らした。
「いや、すまなかった。随分と目に良い格好をしているんだな。なるべく見ないように努力しよう」
そう言われて自分がボロボロの衣服を着ていたことを思い出す。
激しく動いたこともあってか、身に纏うそれは先ほどよりも破れている箇所が増えていた。
ふと胸元に風が当たるのを感じ、目を向ける。
……胸元の部分が破け、膨らみの無い私の胸が八割ほど露出していた。
「た、助けてくれてありがとうございます!!……でも、見ないでくださいいぃぃ……!!」
「あ、ああ……!こちらこそすまなかった。……ん?ところで君、どうして」
その言葉の続きを待たず、顔を真っ赤にして彼に背を向ける。
身体の痛みも忘れ、脱兎の如くこの場を離れようと立ち上がった私の視界が――ぐらりと揺れた。
「うん……あえ?」
傷付いてあちこち出血している身体。激しい恐怖と羞恥を交互に叩きつけられた心。
その両方が、とっくに限界を迎えていた。
ふらついた身体は受け身も取れずバタリ、と床に倒れ込む。
「お、おい大丈夫か!?しっかりしろ!」
慌てた表情で駆け寄ってくる男性が、少しずつ狭まる視界に映ったのを最後に私の気力は限界を迎えた。
* * *
「……以上が彼女を此処に連れて来たあらましだ。それと、気になったのは……」
「……の血筋なのかもしれませんね。……を行うことなく……を宿しているとするなら……」
途切れ途切れの話し声を耳にして、私が目を覚ましたのは翌日の早朝だった。
「おっ。目を覚ましたな。身体は大丈夫か?どこも痛くないか?」
「右腕と右足に激しい損傷を負っておられました。措置はいたしましたが、しばらくはご安静に」
ベッドから身を起こし、ぼんやりとした頭であたりを見回す私に気付いた二人の男女。
「俺は一色悠。34歳だ。昨日、俺の前で意識を失った君を此処まで移動させてもらった」
「一色葵と申します。こちらの悠さんと夫婦の関係にあります。年齢は秘密です」
二人は、私が乗っているベッドの傍に置かれた椅子に座った。
軽く自己紹介を済ませた2人――悠さんと葵さんが私を治療してくれたらしい。ありがとうございます、と2人に頭を下げる。
私の身体はベッドに寝かされ、衣服も破れていないものに変わっていた。
「色々と聞きたいことはあると思うが、まずは一度君の名前を聞いていいか?そもそも何故あんな時間帯に1人で歩いていたんだ?」
「貴女が助けた男の子ですが、昨夜はご両親が家を離れていたそうです。ふと夜中に外に出たくなったそうでそこを襲われたと」
「そ、そうです!昨日の犬は……あれは、何なんですか?男の子はどうなったんですか?」
葵さんのその言葉で、ぼんやりしていた頭に昨夜の出来事が一気に蘇る。
興奮を隠しきれずに私は悠さんに食ってかかった。
「いや、まずは君のことを知りたいんだが……まあ気になるよな。というか、やっぱりそうか……」
彼は何かを考えるように顎に手を当て、まじまじと私を見つめる。
「分かった。まずはそこから話そう。ただ、その後で君の事情も話してもらう。此処まで連れてきて治療も施したわけだしな」
「はい、約束します。それで昨日のあれは、何なんですか?」
「ああ。まず、君は”霊”という存在を信じるか?」
悠さんは私の質問に対してこんな質問を返してきた。
一瞬戸惑ったが、真っ直ぐにこちらを見つめる悠さんに正直な返答をする。
「いいえ。信じません」
自分で見た物しか信じない主義なので、と付け加える。
「そうか。なら、今この瞬間から信じてくれるわけだな。昨夜、件の駄菓子屋で暴れていた犬。あれこそが”霊”だ」
「……え?昨日のあれが、ですか?」
悠さんは無言で頷く。
「生き物は通常、その命を終えれば肉体は機能を停止し消滅する。肉体は、な」
戸惑いを隠せない私に構うことなく、説明が続く。嘘を言っているようには見えない。
「未練や怨恨……とにかく、何かしら強い感情を抱いたまま命を終えた生き物の魂が生前の姿を残してこの世を彷徨うことが多々ある。それこそが霊だ」
「昨日、私が見た……霊、は犬の姿をしていました。あれは犬が霊になったってことですか?」
「ああ。その解釈で問題無い。どういった経緯で、あれが霊としてこの世に留まったのかは謎だがな。放っておけばあのように生きている者に害を及ぼすことも少なくない」
人間の霊なら言葉で解決できることもあるんだが、と悠さんは息を吐いた。
「……」
悠さんの話を聞いた私は昨夜のことを思い出しながら情報を整理する。
昨夜、駄菓子屋で目にしたあれは犬の「霊」だったらしい。
私と駄菓子屋の男の子が襲われていたところを悠さんが助けてくれて……そこまで考えたところで思い出す。
「そういえば、悠さんはどうやってあれを倒したんですか?」
私の攻撃をものともしなかった、というか悉く当たらなかった存在。
私の攻撃は全て通り抜けるように外れたのに、悠さんの小刀によるそれは易々とあれの身体を引き裂いていた。
そこに大きな疑問を感じ、目の前の彼に尋ねる。
「簡単に言えば、君には無い力が俺の身体に宿っていたからだ。”降霊術”を行うことによって身体に宿した”霊力”。これが無ければ霊に触れることはできん」
「ただ、悠さんの話によれば昨夜の時点で貴女の身体には微弱な霊力が宿っていたそうです。一応お聞きしますが、何処かで降霊術をされた経験はありますか?」
「い、いえいえ!今初めて聞きましたし経験も勿論ありません」
初めて聞く言葉が連続で出てきで混乱したこともあり、少し強めに葵さんの言葉を否定する。
そうですよね、と葵さんは丁寧な口調で返す。
「さて、こちらが答えるのは一旦ここまでだ。約束通り、君の事情を聞かせてもらう」
レイリョク?コウレイジュツ?とやらについて質問しようとした私に釘を刺すように、悠さんはそう言った。
「君の名前は?昨夜、何故1人であんな場所にいた?ご両親はどうした?」
「え、ええと……」
「すまない。1つずつ答えてくれれば良い。まず、君の名前は何だ?」
次々と質問を投げかけられ固まってしまった私に気付いた悠さんは申し訳なさそうに言葉をかける。
少しの間沈黙した後、私は口を開いた。
「……八城巴です。1人で外を歩いていた理由は……覚えていません」
「……覚えていない?つまりはその、なんだ。記憶喪失ということか?」
そう言われて、ふと考える。
昨日、深夜の裏路地で目を覚ます前に自分が何をしていたのか。それについての記憶が一切無い。
彼の言う通り、記憶喪失……というのが正しいのかもしれ
「見たところ20歳にもなっていないだろう?あの時間に一人で外を出歩く理由は無いと思うが」
「ええと、裏路地で目を覚まして……誰かに会いたくて1人で歩いていました。目を覚ます前、何をしていたのかは覚えていません」
「裏路地で寝ていた?しかもそれまでのことを何も覚えていない、と。……うむ、何をしていたのか見当も付かんな」
「そうですね……こんな若い女の子がそのような場所で寝ているというのもおかしな話ですし……八城さん、ご両親がどちらにおられるのか分かりますか?」
「……母がいたのは覚えています。私が目を覚ました時にはいなくなっていました」
母のことを思い出し、下を向く。消えてしまった母は何処で何をしているのだろう。
「とりあえず事情については分かった。何も覚えていなければご両親が何処にいるかも分からない、と。……巴、だったか。行く宛はあるのか?」
「……ありません。知り合いもいませんし、家の場所も覚えていませんから」
「そうですか……。昨夜のうちに交番に行ってきましたが、この辺りで女の子の失踪の報告等は届いていないとのことでした」
葵さんは昨夜、私が此処に担ぎ込まれてから交番に行って話を聞いてくれたらしい。
彼女の厚意に感謝しつつも、自分のことを知るきっかけは得られないと理解して気が重くなる。
私は一体、何処で何をして……って、そうだ。
「……そういえば、此処はどこなんですか?」
最初に聞きそびれた最も純粋な疑問を2人に投げかける。
今は広い一室のベッドの上で起き上がっているけど、この部屋には他にも複数のベッドが並んでおりそのほとんどに人が乗っている。全員眠っているようだ。
窓には白いカーテンが取り付けられており、清潔な様子が感じられる。
時折、白衣に身を包んだ人物が出入りしているのを見るに病院かどこかだろうか?
「徳島県の美馬市だが……聞きたいのはそういうことじゃないよな。とりあえず言葉だけ教えておこう」
そこで一旦言葉を区切った悠さんは、足を組んでこう言った。
「此処は大規模な孤児院のようなものだ。表向きはな。本当の名は――陰陽省。それが此処の名前だ」
そう言って彼は意味ありげに笑った。
* * *
「陰陽省?」
またもや聞いたことがない言葉を耳にした私は目を瞬いて目の前の二人を見つめた。
「そうだ。此処は霊と戦う者達の養育施設になっている。それ以外は一般の孤児院と大差は無いと思ってくれていい」
「陰陽省は日本政府からも正式な省庁として認められています。とはいえ、その存在を知る者は国内でもごく限られていますが。此処の存在が公になった場合、国家単位で混乱が起きますからね」
葵さんは軽い口調でとんでもないことを口にする。
意識を失った状態で担ぎ込まれたこの場所は、どうやら相当に秘匿な場所らしい。……怪我をしていたとはいえ、何故そんな場所に私を連れてきたのか。そして、此処のことを教えてくれるのだろうか。
「えーと。つまり、此処は凄く大事な場所なんですよね?私を連れ込んで大丈夫なんですか?」
「大丈夫かどうかはこれから決めることだな。それともう一つ」
悠さんはふっと微笑む。
これから決める、とはどういう意味かと私が聞くより早く彼は口を開いた。
「自分以外の誰かを助けようとして傷付き倒れた。俺はそんな人間を放っておくほど薄情じゃない」
「八城さんが助けたあの子は怪我が軽かったので、悠さんがその場で処置をしてご両親に事情を説明しました。ところどころ嘘を交えて、ですが」
「貴方の子供が凶暴な犬の霊に襲われました、なんて説明しても信じないだろう。それに、霊の存在を一般人に知られるのも良いことじゃない」
こちらに向き直った彼は私を真っ直ぐに見てこう言った。
「巴。君は掛け値なしにあの子の命を救った。勇気ある者にしか出来ないことだ。誇るといい」
唐突にそんな言葉をかけられて昨夜のあの時ほどではないにしろ、顔が赤くなる。
「ん?どうした?」
「い、いえ。私は何も出来ず……助けてくれてありがとう、ございます」
はにかみながら小さく頭を下げる。
それを見て軽く笑みをこぼした悠さんは、一転して真面目な表情を作った。
「さて、ここからが本題だ。次の俺の質問には慎重に答えてほしい」
真剣な様子を感じ取り、ゴクリと喉を鳴らす。
「簡潔に聞く。――陰陽省の一員になる気はないか?」
「……え?それは、どういう?」
「言葉のままだ。陰陽省で暮らす気はないか?という意味だ。はい、と言うならより詳しく色々と教える」
「いいえ、言った場合は?」
「君を何処かの孤児院に預けるなりする。勿論、その選択も決して否定はしない。実際、そうする者も少なからずいるしな」
彼は、これまでも多くの人物を勧誘したらしい。
才能があると判断した者を勧誘することもあれば、様々な理由で行き場の無い者にそうすることもあったと。
「今回の場合、俺が君を勧誘した理由は2つ。1つ目は才能だ。2つ目は自分より弱い者を守ろうとした心、といったところか」
「ちょ、ちょっと待ってください。才能というのは、その……」
「ああ、断言する。君には才能がある。間違いない。確実に。絶対」
最後、急に雑な口調になったなと少し白けた顔を向ける私に悠さんは笑って言った。
「昨夜の犬の霊。あれが見えたんだろう?それだけで才能があるのは間違いない。この言葉に嘘は無いぞ」
あれが見えたことは、そんなに凄いことなんだろうか。
よく分からないが、結果としてあの男の子を助けることができたのは事実だ。
実感が湧かぬまま、私が持つという才能とやらに感謝する。
「あれが見えるというのはその、凄いことなんですか?」
「ああ。通常、霊体は霊力を身体に宿した者にしか視認できない。君は降霊術をやったことがないんだろう?なら、霊力は備わっていないはずなんだ」
だが、と彼は話を続ける。
「だが、稀に生まれつき微弱な霊力を宿す者がいる。所謂”霊感が強い”と言われる者がな。君もその一人だと考えている」
霊感が強いとは、つまり陰陽師としての才能が強いという意味合いになるらしい。
「既に何となく分かっているかもしれんが、此処の人間は害を及ぼす霊をどうにかすることを仕事としている。……場合によっては命の危険も付きまとうが、衣食住は保証する」
「ここまで説明しておいてなんですが、此処の一員となることをお勧めは出来ません。人の為になる仕事ではありますが、此処を去って普通の暮らしを送る方が八城さんにとって幸せかもしれません」
その上で考えてほしい、と念を押して二人は私の答えを待った。
2人の顔を見つめて考える。私には記憶が無い。母が何処にいるかも分からない。
葵さんの言うとおり、ここで2人とはお別れをして孤児院で暮らすのも良いかもしれない。――でも。
「……」
悠さんは、私には才能があると言っていた。
「……私には才能があると言っていました。此処にいれば、その……”霊”と戦えるようになるんでしょうか?」
「悪いが、必ずしもそうとは言い切れない。実際に霊体を前にして動けなくなる者もいる。君は、どうだろうな」
「そうですか。……決めました。私は、此処にいたいです」
「……ほう」
私の答えを聞いて、悠さんは真顔でそれだけ呟いた。
「先に言っておく。才能があるから、という理由で此処にいることを決めたなら後悔するかもしれんぞ」
先ほどの質問から、彼は『才能があるから』という理由で私が此処にいることを決めたと思っているようだ。
「理由としては別にそれも良い。だが、それ以外の理由があるなら言ってもらいたい」
試すように語りかけてくる悠さんに、少しの間を空けて私はこう答えた。
「私は、誰かを守りたい。だから……此処にいたいです。」
目の前で幼い子供が傷付くのを見てしまった。そしてその時、私は何もできなかった。
そして、私を助けてくれた悠さんのように誰かを助けることができる才能が私にはあると聞いた。
全てを忘れ2人とお別れして此処を去り、何処かで暮らす。……誰かが。私が助けることが出来るかもしれない誰かが、傷付くことを無視して。
――私には、そんな選択をすることは出来ない。
「悠さんが私を守ってくれたように、私も誰かを守りたい。我が身可愛さで誰かの危機を見ないふりしたくないんです。……全員ではなくても、私の手が届く距離にいる人達を守ります」
こちらを見つめる2人の顔をしっかりと見据え、私はそう答えた。
2人は何も言わずに私から視線を逸らし、顔を見合わせた。
ややあって悠さんが微笑みを浮かべる。
「……そうか。ならば俺は、君が此処にいることを認めよう」
「手の届く場所にいる誰かを守る……ですか。少し、懐かしい感じがします」
葵さんの言葉の意味は分からなかったが、ともかく2人は私が此処にいることを認めてくれたらしい。
「ありがとうございます」
笑顔で頭を下げる。
「ああ。これからよろしく頼む」
差し出された手をしっかりと握り、頷いた。
「はい!」
ふと周りを見ると、ベッドで目を覚ました数人が笑みを浮かべて私達を見ていた。
「――」
先ほど自らが発した言葉を聞かれたことに気づき、急に恥ずかしくなった。
慌てて握っていた手を離し、再びベッドに潜り込んだ私はしばらくの間顔を赤くしてそうしていた。




