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測量士・浦島太郎物語 〜山の現場で谷に滑り落ちたら竜宮城だった〜

作者: KAMIMURA
掲載日:2026/02/27

本作は、測量士という職業を題材に、「もし浦島太郎が現代の技術者だったら」という発想から生まれました。

文章制作には生成AIを活用し、構成・推敲は人の手で行っています。

 四十歳、バツイチ。現場歴十八年。

それが、測量士・浦島太郎の現在地だった。


 梅雨明け直後の山は、ぬめるように湿っていた。公共工事の事前測量。三脚を据え、トータルステーションを覗き込みながら、太郎はひとり愚痴をこぼす。


「人生も、こんな斜面だったらな」


 角度も距離も、数値で出せる。どこで間違えたか、座標で示せる。だが現実は、誤差だらけだ。


 そのとき、足元の土が崩れた。


「うわっ——!」


 視界が反転し、身体は谷へと滑り落ちる。木の枝を掴もうとしても空を切る。やがて、水音とともに衝撃が全身を打った。


 冷たいはずの水は、なぜか温かかった。


 目を開けると、そこは青く透き通る水中だった。だが苦しくない。泡の向こうから、色鮮やかな魚たちが群れをなして泳いでくる。


「ようこそ、浦島太郎様」


 鈴のような声。振り向くと、長い黒髪の美女が立っていた。作業着の泥は消え、代わりに絹の衣をまとっている。


「ここは、竜宮城」


 美女は微笑み、太郎の手を取った。


 そこは豪奢な宮殿だった。床は貝殻のように光り、天井には揺らめく水の紋様。疲れも、痛みも、不安も消えていく。酒は甘く、料理は海の香りをまとい、笑い声が絶えない。


女は太郎を、広間の奥にある回廊へと連れていった。水の膜のような壁の向こうで、光る魚群が星座のように巡っている。


「ここでは、重さがありません」


 女はそう言って、太郎のヘルメットの跡が残る額に、そっと指先を触れた。


 その瞬間、胸の奥に沈んでいた疲労が溶けていく。毎朝の通勤渋滞も、現場での叱責も、養育費の振込通知も、すべてが遠ざかる。


「あなたは、ずっと何かを背負っていました」


 図星だった。

 太郎は笑おうとしたが、うまく笑えなかった。


「測量士ですからね。重い機材を担ぐのは慣れてます」


「いいえ」


 女は首を振る。


「機材ではなく、後悔を」


 その言葉に、太郎の喉が詰まる。


 女は彼の手を取り、掌をひらいた。荒れた皮膚。節くれだった指。


「この手は、たくさんの距離を測ってきた手です。でも——」


 彼女は、そっと自分の胸にその手を当てた。


「自分と誰かとの距離は、測れなかったのですね」


 鼓動が伝わる。

 温かく、ゆっくりとしたリズム。


 太郎の目尻が熱を帯びる。


「……ここにいれば、測らなくていいのか」


「はい」


 女は微笑んだ。


「ここでは、失敗も誤差もありません。あなたは、ただ在るだけでいい」


 その夜、太郎は初めて深く眠った。

 夢も見なかった。

 責める声も、催促の通知音もない、空白の眠りだった。


 翌朝、目覚めると、女はすでに彼の隣に座っていた。


「おはようございます、太郎様」


 その呼び方が、胸の奥をくすぐる。


 誰かに「様」と呼ばれることなど、現実では一度もなかった。


 彼は、知らぬ間に思っていた。


 ——帰らなくてもいいのではないか。


 日々の離婚調停も、養育費の振込日も、誰にも必要とされない夜も、遠い泡のように消えた。


 どれほど過ごしたのか分からない。数日か、数か月か。


 だがある日、太郎はふと胸の奥に引っかかるものを感じた。


「現場……」


 あの山。途中で終わった測量。上司の怒鳴り声。未提出のデータ。


「帰らなくては」


 女は一瞬だけ寂しげな顔をし、小さな箱を差し出した。


「決して、開けてはなりません」


 太郎は頷き、水面へと押し上げられた。


 次の瞬間、彼は谷底に横たわっていた。濡れた作業着。砕けた機材。上空には、見慣れた空。


 助かったのだ。


 だが、山道に見覚えがなかった。舗装され、見知らぬ標識が立っている。スマートフォンの電源を入れると、表示された日付に息が止まった。


 二〇四六年。


 二十年、経っていた。


 会社はとっくに倒産し、実家は売却され、元妻は再婚。娘は海外に移住し、連絡先も分からない。戸籍上、彼は「失踪者」だった。


 アパートも、貯金も、人間関係も、何もかも消えている。


 夜の公園で、太郎はベンチに腰掛けた。膝の上には、あの箱。


「開けるな、か……」


 失うものなど、もうない。


 蓋を開けた瞬間、白い煙が溢れ出した。身体が熱を帯び、視界が霞む。手の甲はしわだらけになり、背が曲がる。


 鏡のような水たまりに映ったのは、八十を超えた老人だった。


 測量士は、正確に距離を測る。


 だが、自分が失った時間の長さだけは、どうしても測れなかった。


 山の風が吹く。


 それは、竜宮城の潮の香りに、少しだけ似ていた。

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