天秤
アバンは、相変わらず柔らかい笑みを浮かべたまま口を開いた。
「ねえ、ソラ」
静かな声。
「君はなんでここに来たんだっけ?」
ソラは少しだけ視線を落とす。
そして答えた。
「……世界を知るためだ」
短く。
だが迷いのない声だった。
アバンは満足そうに頷く。
「じゃあさ」
「どうすれば“知れる”と思う?」
その問いに。
ソラは言葉を失った。
考える。
だが――
答えが出ない。
しばらくして、ソラは正直に言った。
「……わからない」
その言葉に。
アバンは小さく笑った。
「いいね」
「それでいい」
そして、ゆっくりと語り始める。
「この世界はね」
「まず“世界式”っていう構造が前提で作られている」
部屋の空気が、わずかに張り詰める。
「物理、化学、地理、生物、魔法――」
「この世のすべては、その世界式によって構成されている」
ソラは黙って聞く。
それは知っている。
学園でも習った、基礎中の基礎だ。
アバンは続ける。
「ここまでは、ほとんどの人間が知ってる」
一拍。
その笑みが、ほんの少しだけ深くなる。
「でもね」
「ここから先は――違う」
空気が変わる。
「世界式には」
「“管理している存在”がいる」
――沈黙。
ソラの目が見開かれる。
「……は?」
アイネも息を呑む。
だが。
秘書だけは、表情一つ変えない。
アバンは気にせず続ける。
「普通に考えればさ」
「世界式を管理できる存在なんて、全知全能でしょ?」
肩をすくめる。
「でも違う」
「そいつには“管理する権限”しかない」
「手を加える権限はないんだ」
ソラの眉が寄る。
「……どういうことだ」
アバンは指を立てる。
「簡単に言うと」
「“見ることしかできない”」
静かな声。
「世界の行く末をね」
その言葉に。
部屋の温度が下がったような気がした。
アバンは続ける。
「じゃあ、その存在が見てる“終わり”って何だと思う?」
ソラとアイネは答えられない。
ただ。
嫌な予感だけが、胸に広がる。
アバンは、はっきりと言った。
「――世界式の負荷崩壊」
その瞬間。
空気が凍った。
「な……」
ソラは言葉を失う。
アイネも目を見開いたまま動かない。
アバンは淡々と説明を続ける。
「世界式っていうのはね」
「例えるなら“ノート”みたいなものなんだ」
机を軽く叩く。
「そこに文字を書いて、世界を構築している」
「魔法式も、その“文字”の一つ」
ソラは息を飲む。
アバンは続ける。
「でもノートってさ」
「無限じゃないよね?」
「1ページに書ける量には限界がある」
その言葉が、ゆっくりと染み込む。
「それと同じで」
「この世界にも“限界”がある」
「世界式に書き込める魔法式の量には、上限があるんだ」
ソラの鼓動が早くなる。
「……じゃあ」
かすれた声。
アバンは頷く。
「限界まで来たらどうなると思う?」
その問いに。
ソラは考える。
そして――
一つの答えに辿り着いた。
「……ページが、めくられる」
アバンの目が細まる。
「正解」
ソラは続ける。
「つまり――」
喉が乾く。
「世界が、作り変えられる」
アバンは笑った。
「そう」
「今まで書かれていたものは消える」
「全部ね」
その言葉の重さ。
「僕たちも」
「存在ごと、消える」
沈黙。
誰も、言葉を発せない。
アバンだけが、静かに立っている。
ソラは、ゆっくりと顔を上げた。
「……じゃあ」
その目に、確かな意志が宿る。
「なんでタペストを作ったりしたんだ?」
ソラの問いに。
アバンは、少しだけ間を置いた。
そして、あっさりと答えた。
「タペストはね」
「元々は“バグ”なんだ」
「世界式に書かれた魔法式の“異常な集まり”」
ソラの眉が動く。
アバンは続ける。
「本来、魔法式は世界式の中に収まる」
「でもタペストは違う」
指を軽く振る。
「世界式の“外側”で存在を保っている」
アイネが静かに補足する。
「だから」
「容量には直接影響しない」
ソラは黙って聞く。
だが。
次の言葉で、空気が変わった。
「その代わりに」
アバンが言う。
「タペストは“正常な魔法式”を破壊する」
一瞬、理解が遅れる。
「……壊す?」
アバンは頷く。
「そう」
「世界式に書き込まれている式を削る」
「つまり――」
少しだけ笑う。
「容量が減る」
ソラの表情が固まる。
アバンは淡々と続ける。
「もちろん最初は微々たるものだよ」
「自然発生するタペスト程度じゃ、焼け石に水」
机に指をトンと当てる。
「だから作った」
「“強力なタペスト”をね」
その言葉の重さ。
ソラは無意識に拳を握っていた。
「……それって」
「人が死ぬってことだろ」
低い声。
アバンは否定しない。
「うん」
あまりにも軽い肯定。
「多くの犠牲が出る」
「国も滅ぶかもしれない」
部屋の空気が重く沈む。
「でも」
アバンは言う。
「それでもやる価値がある」
「世界が消えるよりはね」
沈黙。
アイネが口を開いた。
「クレアレスを選んだのは」
「魔法式が密集してるから」
「効果が一番わかりやすい場所だった」
視線を少し落とす。
「……人を殺したくてやったわけじゃない」
静かな声だった。
だが。
ソラの胸の中は、ざわついていた。
(……わかる)
理屈は理解できる。
世界のため。
全体のため。
だが――
クレアの顔が浮かぶ。
ユイの叫び。
ルカの不安そうな目。
レオンの怒り。
壊れた街。
傷ついた人たち。
「……」
ソラは歯を食いしばる。
(それでも)
納得できない。
心が、拒否している。
正しいのかもしれない。
でも。
「……違うだろ」
小さく呟いた。
その感情を。
アバンは見逃さなかった。
ふっと、笑う。
「いいね」
楽しそうに言う。
「その顔」
ソラが顔を上げる。
アバンは軽く手を叩いた。
「じゃあさ」
「ちょっと気分転換しようか」
空気が少し変わる。
「魔法、教えてみる?」
ソラは眉をひそめる。
「……は?」
アバンは楽しそうに続ける。
「この街にはさ」
「魔法を学びたい子がいっぱいいる」
ニコッと笑う。
「君、行ってみなよ」
その提案は。
あまりにも唐突で。
そして――
どこか試すようだった。




