成長
王都を離れてからの日々は、驚くほど静かだった。
あの夜の追手も、王城も、シバの存在も。
すべてが夢だったかのように、俺たちは元の街での生活に戻った。
朝は決まった時間に起きて、
父の訓練を眺め、母の手伝いをして、
時々、街の子どもたちと遊ぶ。
普通の毎日。
少なくとも――表面上は。
俺が四歳になった頃、初めて気づいた。
魔法の詠唱を聞くと、
「音」より先に「構造」が頭に入ってくる。
ヨハンが使う初級魔法。
詠唱の短い、誰でも使えるもの。
それを聞いた瞬間、
脳内で勝手に“整理”されてしまう。
(……ああ、こう書き込んでるのか)
気づいた時には、背筋が冷えた。
誰にも言わなかった。
言えば、戻れなくなる気がしたから。
五歳。
クレアから、時々手紙が届くようになった。
短い文。
王城の生活。
堅苦しい日常への小さな愚痴。
そこに、名前は書かれていない。
でも、字を見れば分かる。
(……元気そうだ)
それだけで、十分だった。
六歳。
街の外れで、小規模なタペストの群れが出た。
討伐に出るヨハンを、
シオンと一緒に見送る。
その背中を見ていると、
世界が、ほんの一瞬だけ“ズレた”。
距離。
位置。
時間。
説明できない違和感。
でも次の瞬間には、何事もなかったように戻る。
(……気のせい、だよな)
そう思い込むしかなかった。
七歳。
街の子どもたちの中で、
俺は少しだけ浮いていた。
力が強いわけじゃない。
足が速いわけでもない。
ただ、危ない場所に入る前に、
「分かってしまう」。
嫌な予感が、外れない。
それが原因で、
「怖がり」と言われることもあった。
(……別に、間違ってないんだけどな)
八歳。
シバが、再び現れた。
といっても、堂々とではない。
ある日、ふと気づくと、
街の高い建物の影に立っている。
目が合うと、軽くうなずくだけ。
話しかけてはこない。
でも、確実に“見ている”。
(……観察対象、続行中ってやつか)
なぜか、それが嫌じゃなかった。
九歳。
魔法の階級制度を、きちんと教わる。
初級。
一種級。
二種級。
詠唱の節が増えるほど、
世界式に書き込まれる量が増える。
(……溜まるよな、これ)
誰も口にしないことを、
俺だけが意識していた。
その考えを、すぐに頭の奥へ押し込める。
まだ、触れてはいけない。
十歳。
クレアと、久しぶりに王都で会った。
護衛付き。
短時間。
でも、目が合った瞬間に分かった。
(……変わってない)
彼女は王女らしくなっていたが、
笑い方は、あの頃のままだった。
「大きくなったね」
「そっちこそ」
他愛ない会話。
でも、別れ際に言われた一言が、胸に残る。
「……もうすぐ、だね」
何が、とは聞かなかった。
十一歳。
俺は、自分が“普通ではない”と確信し始めていた。
魔法を使っていないのに、
世界の綻びが見える瞬間がある。
誰も気づかないズレ。
誰も疑問に思わない違和感。
(……これ、いつまで誤魔化せる?)
そして、十二歳になる年。
王都から、正式な通知が届いた。
王都学園。
入学許可。
それは、未来への扉であり、
同時に――逃げ場のない場所でもあった。
「……行くのか」
ヨハンが、静かに言う。
「行くよ」
答えは、最初から決まっていた。
世界が俺を見始めているなら、
俺も、世界を見返すしかない。
こうして、
静かな幼少期は終わる。
これはまだ、始まりの前。
王都学園という舞台で、
俺の“役割”が、はっきりと輪郭を持ち始める――。




