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恋と知りせば  作者:
1/1

序章1

艶めかしい香りが部屋に立ち込め、女の白い素足が男の無骨な足に絡められる。

「お前は本当に美しいな」

 男の赤い舌が女の絹のような白くきめ細かい肌を伝い、朱の花弁を散らしていく。

「早うわしのものにならんか」

 襦袢の帯をするりと解き、男は囁いた。露わになった女の白い裸体が、ぼんやりと照らされた部屋に浮かび上がる。

「のぅ、梅香?」

そう女の名を呼びながら、太ももを厭らしくがさつに撫でまわす男の手をそっと制し、女はくすくすと鈴を転がすような笑い声を洩らした。なにがおかしい、と男が問えば、女はなおも笑い続ける。しどけなくはだけた襦袢がかろうじて胸のあたりを隠しているのが逆に艶めかしかった。その袖でそっと口元を隠し、その艶やかな雰囲気を踏みにじるような高くしなやかな声で笑う女。その笑い声は上品なそれから、だんだんと男を嘲るような高笑いへと変わっていった。

「すんまへん。けんど、なんやもう、旦那はんがおもろくて……」

 笑いが止まらへん、と女はくつくつと喉の奥で笑った。

「わしが何か変なことでも申したか」

「へぇ。ほんま、おもろいこと言わはるお人どすなぁ、旦那はんは」

「一体わたしが何を言ったというのだ」

眉根を寄せる男の首に、女はするりと白い腕を回した。ゆっくりと、男の体に自らを引き寄せるようにして、耳に唇を寄せた。真っ赤な紅の引かれた唇が、艶めかしく濃厚に言葉を紡ぐ。

「……うちが旦那はんのもんになるなんて、ありえへんし?」

 男は瞳を静かに見開き、いらついたような声音で低く唸った。

「何が足りんのだ。金か」

「なんにも。うちにはなぁんにも、いらへん」

「それならわしは何を……、っ!」

 どっという鈍い音とともに、腹部に感じる燃えるような痛みに、男は目を見開いた。咄嗟に腹に手をやると、熱く、どろりとした赤い液体がべっとりと手にこびりついた。

 思わず息を呑んだ刹那、ぐらりと視界が揺れ、男が布団に手をついて倒れこむと、いつの間にか目の前の女の手に握られていた小刀の刃が怪しく輝くのが目に入った。霞む視界でようやく見上げた女の、赤い唇が、すっと弧を描く。

「――左様なら」

ざんと、白刃が空を裂き、血しぶきが女の白い頬に跳ねた。漆黒の瞳は死に行く男の姿をとらえても、動揺さえ見せない。ただ、たゆたう深い海のように滔々と揺れているだけ。

女は懐紙で刀についた血をさっと拭うと、男の上にはらりとその紙を捨てた。白い懐紙に、じわりと紅が広がっていく。鉄錆のような嫌な臭いが、鼻をつく。

刀を鞘に収め、一息ついた時、

「いやはや、見事じゃな」

部屋に響いた、拍手と下卑た低い声に再び女の背筋に雷鳴の如く緊張が走った。先ほどとは比べようもないくらいの、張り詰めた糸のような緊張だった。

「以蔵……」

女はゆっくりと背後を振り返り、唸るように男の名を呼んだ。

襖に寄りかかるようにして余裕綽々の顔で微笑んでいたのは、まだ年若い、それでいて齢に似つかわしくない瞳をした青年だった。つり上がった目と、少しこけた頬、下卑た笑みをたたえる薄い唇。細く鋭い瞳が放つ眼光は、年相応の青年のそれではない。人斬りの鬼となった男のものだ。

くつくつと喉の奥を鳴らして笑い、青年は癖のある足取りで女に歩み寄ってくる。手には、すでに抜き放たれた刀が月光に煌めいた。

女も一旦しまいかけた刀を再び構えた。

「女が物騒なもんぶらさげて、何をほがにカッカしゆう?」

 ゆっくりと焦らすように距離を縮めてくる男に、女の息が上がる。

「あんたこそ、ここで何をしてるの。彼はどこ」

「彼?なんのことだか、さっぱりわからんのぅ」

 以蔵が歯を見せてにやりと笑う。下品な笑みに女は眉を顰め、あからさまに嫌悪を示した。すっと構えられた以蔵の刀が、白刃が女をとらえる。

女はそれを取り乱すことなく見つめ、自らも刀を構えた。

「この仕事を終えたら、彼に会わせてくれるって……、武市さんはそう言ったわ!あれは、嘘だったの?」

 女の言葉に、男はわざとらしく肩をすくめて見せた。

「さぁ、武市さんはほげな約束はしとらんと言うちょったが」

「――っ!」

 男はにやりと笑い、まるで小動物を追い詰める狼のように、なぶるかのごとくその周囲をゆっくりと巡った。

「おまんはほんに使える奴じゃった。奴に捨てられてもなお、奴に会わせてやると言われ勤皇党に入り、わしと人を斬った。じゃがもう、それも仕舞いじゃ」

「わたしは、彼に会いたかっただけ……。攘夷とか、開国とか、倒幕とか佐幕とか、そんなのどっちでもいいの!それができないなら、あんたたちの言いなりになって人殺しをするのは、もう御免だわ!」

「健気なことじゃのう。奴はとっくにおまんを捨てたがじゃぞ」

「関係ないわ。わたしをここまで生かしてくれたのは、彼だもの。もうあんたたちに支配されるいわれはないわ!」

「そうはいかん。わしらにはおまんの力が必要じゃ。武市さんはおまんの力を随分と信頼しちょる」

「わたしの身体を、でしょう。わたしが密偵として、あなたたちにはできないことをできるから」

「たとえそうだとしても、おまんには十分すぎる存在意義じゃろう。それに、今やおまんの名前は京に知れ渡っちょる。狼たちが血眼でおまんを探しちゅうぞ?なんちゅう名前じゃったか、壬生の田舎者どもじゃ。たとえ今勤皇党を抜けても、おまんのしてきたことはなんちゃ変わらん。それをわかってて言うちょるなら、好きにしぃや。まぁ、わしらも敵に回したらおまんは一度に二つの勢力から追われることになるがやけどな」

「以蔵、あんた……っ!」

 女が叫ぶように言うと、以蔵と呼ばれた男の白刃がすぅと女の喉を捕えた。黙れ、無言の白刃と以蔵の瞳がそう告げている。冷や汗が、すぅと額を伝った。

「つまりな、おまんがわしらを裏切るならわしらには後始末っちゅう義務がある」

「わたしを、殺すの……?」

 にっと笑った以蔵の白刃に、月明かりがきらめく。

「さぁ、こげな仕事は早う済ませにゃ」

「……っ」

 月明かりが、不気味に光を放つ中、女はぎゅっと唇を噛みしめ、背中を伝う冷たい汗に身を震わせた。


艶めかしい香りが部屋に立ち込め、女の白い素足が男の無骨な足に絡められる。

「お前は本当に美しいな」

 男の赤い舌が女の絹のような白くきめ細かい肌を伝い、朱の花弁を散らしていく。

「早うわしのものにならんか」

 襦袢の帯をするりと解き、男は囁いた。露わになった女の白い裸体が、ぼんやりと照らされた部屋に浮かび上がる。

「のぅ、梅香?」

そう女の名を呼びながら、太ももを厭らしくがさつに撫でまわす男の手をそっと制し、女はくすくすと鈴を転がすような笑い声を洩らした。なにがおかしい、と男が問えば、女はなおも笑い続ける。しどけなくはだけた襦袢がかろうじて胸のあたりを隠しているのが逆に艶めかしかった。その袖でそっと口元を隠し、その艶やかな雰囲気を踏みにじるような高くしなやかな声で笑う女。その笑い声は上品なそれから、だんだんと男を嘲るような高笑いへと変わっていった。

「すんまへん。けんど、なんやもう、旦那はんがおもろくて……」

 笑いが止まらへん、と女はくつくつと喉の奥で笑った。

「わしが何か変なことでも申したか」

「へぇ。ほんま、おもろいこと言わはるお人どすなぁ、旦那はんは」

「一体わたしが何を言ったというのだ」

眉根を寄せる男の首に、女はするりと白い腕を回した。ゆっくりと、男の体に自らを引き寄せるようにして、耳に唇を寄せた。真っ赤な紅の引かれた唇が、艶めかしく濃厚に言葉を紡ぐ。

「……うちが旦那はんのもんになるなんて、ありえへんし?」

 男は瞳を静かに見開き、いらついたような声音で低く唸った。

「何が足りんのだ。金か」

「なんにも。うちにはなぁんにも、いらへん」

「それならわしは何を……、っ!」

 どっという鈍い音とともに、腹部に感じる燃えるような痛みに、男は目を見開いた。咄嗟に腹に手をやると、熱く、どろりとした赤い液体がべっとりと手にこびりついた。

 思わず息を呑んだ刹那、ぐらりと視界が揺れ、男が布団に手をついて倒れこむと、いつの間にか目の前の女の手に握られていた小刀の刃が怪しく輝くのが目に入った。霞む視界でようやく見上げた女の、赤い唇が、すっと弧を描く。

「――左様なら」

ざんと、白刃が空を裂き、血しぶきが女の白い頬に跳ねた。漆黒の瞳は死に行く男の姿をとらえても、動揺さえ見せない。ただ、たゆたう深い海のように滔々と揺れているだけ。

女は懐紙で刀についた血をさっと拭うと、男の上にはらりとその紙を捨てた。白い懐紙に、じわりと紅が広がっていく。鉄錆のような嫌な臭いが、鼻をつく。

刀を鞘に収め、一息ついた時、

「いやはや、見事じゃな」

部屋に響いた、拍手と下卑た低い声に再び女の背筋に雷鳴の如く緊張が走った。先ほどとは比べようもないくらいの、張り詰めた糸のような緊張だった。

「以蔵……」

女はゆっくりと背後を振り返り、唸るように男の名を呼んだ。

襖に寄りかかるようにして余裕綽々の顔で微笑んでいたのは、まだ年若い、それでいて齢に似つかわしくない瞳をした青年だった。つり上がった目と、少しこけた頬、下卑た笑みをたたえる薄い唇。細く鋭い瞳が放つ眼光は、年相応の青年のそれではない。人斬りの鬼となった男のものだ。

くつくつと喉の奥を鳴らして笑い、青年は癖のある足取りで女に歩み寄ってくる。手には、すでに抜き放たれた刀が月光に煌めいた。

女も一旦しまいかけた刀を再び構えた。

「女が物騒なもんぶらさげて、何をほがにカッカしゆう?」

 ゆっくりと焦らすように距離を縮めてくる男に、女の息が上がる。

「あんたこそ、ここで何をしてるの。彼はどこ」

「彼?なんのことだか、さっぱりわからんのぅ」

 以蔵が歯を見せてにやりと笑う。下品な笑みに女は眉を顰め、あからさまに嫌悪を示した。すっと構えられた以蔵の刀が、白刃が女をとらえる。

女はそれを取り乱すことなく見つめ、自らも刀を構えた。

「この仕事を終えたら、彼に会わせてくれるって……、武市さんはそう言ったわ!あれは、嘘だったの?」

 女の言葉に、男はわざとらしく肩をすくめて見せた。

「さぁ、武市さんはほげな約束はしとらんと言うちょったが」

「――っ!」

 男はにやりと笑い、まるで小動物を追い詰める狼のように、なぶるかのごとくその周囲をゆっくりと巡った。

「おまんはほんに使える奴じゃった。奴に捨てられてもなお、奴に会わせてやると言われ勤皇党に入り、わしと人を斬った。じゃがもう、それも仕舞いじゃ」

「わたしは、彼に会いたかっただけ……。攘夷とか、開国とか、倒幕とか佐幕とか、そんなのどっちでもいいの!それができないなら、あんたたちの言いなりになって人殺しをするのは、もう御免だわ!」

「健気なことじゃのう。奴はとっくにおまんを捨てたがじゃぞ」

「関係ないわ。わたしをここまで生かしてくれたのは、彼だもの。もうあんたたちに支配されるいわれはないわ!」

「そうはいかん。わしらにはおまんの力が必要じゃ。武市さんはおまんの力を随分と信頼しちょる」

「わたしの身体を、でしょう。わたしが密偵として、あなたたちにはできないことをできるから」

「たとえそうだとしても、おまんには十分すぎる存在意義じゃろう。それに、今やおまんの名前は京に知れ渡っちょる。狼たちが血眼でおまんを探しちゅうぞ?なんちゅう名前じゃったか、壬生の田舎者どもじゃ。たとえ今勤皇党を抜けても、おまんのしてきたことはなんちゃ変わらん。それをわかってて言うちょるなら、好きにしぃや。まぁ、わしらも敵に回したらおまんは一度に二つの勢力から追われることになるがやけどな」

「以蔵、あんた……っ!」

 女が叫ぶように言うと、以蔵と呼ばれた男の白刃がすぅと女の喉を捕えた。黙れ、無言の白刃と以蔵の瞳がそう告げている。冷や汗が、すぅと額を伝った。

「つまりな、おまんがわしらを裏切るならわしらには後始末っちゅう義務がある」

「わたしを、殺すの……?」

 にっと笑った以蔵の白刃に、月明かりがきらめく。

「さぁ、こげな仕事は早う済ませにゃ」

「……っ」

 月明かりが、不気味に光を放つ中、女はぎゅっと唇を噛みしめ、背中を伝う冷たい汗に身を震わせた。


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