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コメディ短編集

めっちゃトイレ行きたい魔王とここまで137社断られた女勇者

作者: 堂道形人

 荘厳な魔王城の最奥、玉座の間は重厚な石造りの壁と、禍々しい装飾が施された柱に囲まれていた。

 天井は高く、巨大な魔石が怪しげな光を放ち、部屋全体に不穏な雰囲気を醸し出している。中央に鎮座する玉座は、見る者を圧倒する威圧感を放っていた。


 本来であれば、ここに座る魔王が世界征服の計画を練り、配下の魔物たちに指令を下す場所である。

 だが今、玉座に深々と腰掛ける魔王の思考の大半は、世界征服でも、迫りくる勇者への対策でもなかった。彼の脳内を占拠しているのは、差し迫った生理現象への切実な希求だった。


「むぅ……」


 魔王は微かに唸った。腹の奥で蠢く不快感は、もはや無視できるレベルを遥かに超えている。しかし、こんな時に限って、である。


 両開きの扉が勢いよく開き、魔王軍の幹部の一人、魔導師ヴォルグが血相を変えて飛び込んできた。


「魔王様、人間がここに、玉座の間に迫っております!」


 魔王は内心舌打ちした。よりによって今か。便意は既に最終段階に近い。一刻も早く玉座を離れ、目的の場所へ駆け込みたい。しかし、勇者はよりにもよってトイレのある下の階から攻め上ってくるのだ。今この場で玉座を立つわけにはいかない。もし勇者と廊下で鉢合わせでもしたら、威厳もへったくれもない。


「……落ち着け。来るべきものが来ただけの事だ」


 努めて冷静を装う魔王の声は、しかし微かに上ずっていた。魔導師はその声の異変に気づく余裕もないらしい。


「ですが相手はたった一人で我が軍の結界を破り幾重もの防衛線を突破してきた、あの厄介な伝説の勇者です、並の相手ではありません!」


「フン、所詮は人間、ドラーン将軍と暗黒騎士団には敵うまい」


 魔王は虚勢を張った。本音では、将軍とその部下がこの女勇者を足止めし、自分が無事にトイレにたどり着ける時間を稼いでくれる事を、魔王のくせに密かに神に祈っていた。

 しかし、魔王の淡い期待はすぐに打ち砕かれた。玉座の間の扉が吹き飛ばされ、ボロボロになった将軍が転がり込んできたのだ。鎧はひしゃげ、兜は失われ、顔にはいくつもの傷がある。彼の背後には、無数の魔物たちの残骸が積み重なっていた。


「ま、魔王様……申し訳ありませぬ……ぐふぅ」


 ドラーン将軍はそれだけ言い残して気絶した。魔王は思わず玉座から立ち上がりかける。その瞬間、腹の底から突き上げるような強烈な便意が襲来する。


「うぐっ…!」


 魔王は咄嗟に尻を抑えた。脂汗がこめかみを伝う。危ない、今のは本当に危なかった。

 そこに、玉座の間の壊れた扉の前に、一人の女性が立った。金色の髪をなびかせ、白い鎧に身を包み、腰には聖剣らしきものを下げている……女勇者だ。


「失礼致します」


 女勇者は玉座の間に入るなり、ぺこり、と頭を下げた。まるで面接にでも来たかのような態度に、魔王は思わず目を丸くする。


「わたくし、この度世界を救う為に参りました、女勇者のジャンヌと申します」


 名乗りはどうでもいい、早く終わらせてくれ! 魔王は一刻も早くこの状況から脱出し、個室に駆け込みたかった。

 しかし、女勇者はそんな魔王の切羽詰まった状況など露知らず、話を続ける。


「これまでドラゴンを3匹、動く石像を6体、キラーマシンを12台、スライムは1000匹以上討伐して参りました。その過程で、困っている村人の方々を助け、荒廃した土地を復興させ、多くの人々を笑顔にして参りました!」


 ダメだ、長い! そして聞きたくない、魔王は勇者の話を遮ろうと口を開く。


「だっ、黙れ! 貴様は、」

「あっ! あの、あとですね、わたくしの強みとしましては、どのような困難な状況でも決して諦めない粘り強さと、相手の気持ちに寄り添う共感力がございます! 特に、以前参加したボランティア活動では、お年寄りの方々から大変喜ばれ、」


 しかし勇者は魔王の言葉を被せるようにさらに必死の形相で自己PRを続ける、その目は若干据わっており、半ば錯乱しているように見える。魔王は当惑する。自分は一体何を見せられているのか? この切羽詰まった時に……

 壁際で倒れていた将軍が、震えた声と共に顔を上げる。


「うう、魔王様……申し訳ありませぬ、どうかその小娘を黙らせてください」

「わっ、我々には無理でした、ですが魔王様ならひと捻りに違いありませぬ」


 壁際に張り付いて震えている魔導師も、卑屈な笑みを浮かべる。

 魔王は内心二人の無能ぶりに激怒していた。お前たちがしっかりしていれば、私は今頃、爽快感に震えていたのだろうに。


「役立たず共め! この場でもう一度この女と戦え、それが貴様らの使命だ」


 少しだけ便意の収まった魔王は、努めて威厳を保ちながら、将軍と魔導師に再び勇者と戦うよう命じる。そして、玉座にどっしりと座り直す。


 将軍は大きな目を固く閉じる。魔導師は細い目を限界まで見開く。この上で魔王の言葉に逆らおうものなら、自分達幹部と言えど一瞬で、跡形もなく吹き飛ばされてしまうかもしれない。


 将軍は歯を食いしばり、巨大な剣を拾い上げ咆哮を上げて、謎のアピールを続ける勇者に斬りかかる。


「学生時代はサークルの幹事を務め、」

「う……うオオオッ!!」

「会員数を倍増させました!」


 勇者は剣も抜かず、涼しい顔でそう言いながら、飛んできた将軍とその剣を軽々と受け流し、投げ飛ばす。玉座の間の反対側の壁に逆さまに叩きつけられた将軍は、目を見開いたまま床に崩れ落ちた。

 それを隙と見た魔導師は勇者に駆け寄り、渾身の力を込めて凄まじい闇の魔法を放つ。


「喰らえぇ!」

「チームワークを大切にし、潤滑油のような存在としてグループの中で貢献できます!」


 勇者はサークル時代のエピソードを語りながら、魔法をいとも容易く弾き返す。跳ね返された魔法は魔導師自身に命中し、彼もまた将軍の隣で気絶した。


 トイレに行く時間を稼ぐどころか、10秒ともたなかった。魔王はその光景に絶望する。

 何という役立たずだろう。何故私の部下はこんな無能しか居ないのか……神よ、私がどんな罪を犯したというのだ。魔王は内心、魔王のくせに神に抗議する。


 一方、呼吸を整えた勇者は、ようやく本来の使命を思い出す。


「はあ、はあ……はあ。そういう訳で、この勇者ジャンヌがこの世に光を取り戻す……魔王、覚悟……!」


 彼女は腰の聖剣に手をかけ、ゆっくりと引き抜いた。清廉な光を放つ聖剣が、玉座に座る魔王に向けられる。


 魔王は脂汗を流していた。便意の波が今まさにクライマックスを迎えている。今この瞬間に立ち上がったり、ましてや戦闘で衝撃を受けたりすれば、最悪の事態は免れない。


 勇者は一歩踏み出し、魔王に斬りかかろうと剣を構えた。


「……貴様」


 魔王は必死の思いで、絞り出すように言葉を発した。


「髪が乱れている。長髪は束ねて来るのがマナーではないのか」


 女勇者の動きが、ぴたりと止まった。両手で剣を振り上げる寸前で、まるで金縛りに遭ったかのように固まる、そして左手で後ろ髪を探る。


「か、髪止めが!? 違う、これはその、ここに来た時にはちゃんとまとめていたのだ、だけど激しい戦闘の中で髪留めをどこかで落として、」


 効いた……? 予想外の効果に魔王は内心驚いた。まさか、こんな言葉で勇者の動きを止められるとは。この隙に……いや、まだだ。敵はまだ完全には気を抜いていない。


「その鎧も手入れが行き届いていないな……清潔感がない! そしてその喋り方、一方的にまくし立てるばかりで相手に配慮がない、思いやりというものが、致命的に欠如している!」


 魔王は便意と戦いながら、女勇者の、いやジャンヌの欠点を次々と指摘する。ジャンヌの顔が、青ざめて行く。


 彼女は神の使命に従い、世界にたった一人の勇者として艱難辛苦を乗り越えここまでやって来た。魔王討伐の悲願はもはや目前に迫っている。

 けれども二十歳そこそこの若者であるジャンヌの人生は、魔王を倒し神の使命を果たした後も続く、むしろその後の方がずっと長い。

 彼女は魔王討伐の冒険と平行して、同世代のライバル達との就職戦線を戦う事も余儀なくされていた。勇者だからといって特別扱いされるほど、現実は甘くない。


 そして魔王の言葉は、幾多の面接試験で敗北を重ねてきた彼女の、痛いところを的確に突いていた。


「それに貴様には個性がない、まるでマニュアル通りのロボットのようだ……得意なスキル? 潤滑油? そんなものは誰にでも言える、貴様自身のオリジナリティはどこにあるんだ? 平凡で、面白味がない!」


 魔王の言葉はまるで敏腕人事担当者のようだった。的確で、それでいて心を抉るような指摘に、勇者、いやジャンヌは構えていた聖剣を取り落してしまう。


―― ガシャン、カン、カン……


「……そ、そんな、私は……」


 乾いた金属音が玉座の間に鳴り響く。ジャンヌは膝をつき、がっくりと肩を落として俯く。

 少しの間、辺りは静かになった。

 俯いたジャンヌの黄金の髪は垂れさがり、その間から、ぽつり、ぽつりと。透明な液体が、魔王城の玉座の間の、大理石の床の上に落ちる。


 よし……今だ。聖剣は床の上に落ち、鈍く光っている。これを拾い上げ勇者を倒せば、晴れてトイレへ行ける……魔王は便意と戦いながら、慎重に玉座から腰を浮かせて行く。


 しかし、次の瞬間。


「ちーくしょおぉーぉお!!」


 狂乱した女勇者は稲妻のように立ち上がり、剣を拾い上げて振りかざす。その涙に濡れた瞳には、激しい怒りの炎が燃え盛っていた。


「ぬおおっ!?」

「何が清潔感だこのヤロー!!」


 勇者は猛然と魔王に斬りかかってきた。魔王は焦る、限界の便意と狂乱した勇者の撃剣が、同時に襲い掛かって来たのだ。


「人を何だと思ってるんだ、何で、どうしてアタシばかり、こんな思いを、ざけんな、ふざけんな、ふざけんなぁぁ!」

「ひっ、まっ、待てッ……」


 魔王は闇の杖を構え、紙一重で勇者の剣を受け流す、前からは狂乱の勇者、後ろからは爆発寸前の便意、魔王は過去最大の窮地に陥る。勇者の攻撃を防ぐ毎にその重い衝撃が腸を揺さぶり、全身の筋肉にかかる負荷が、全力運転中の括約筋からエネルギーを奪おうとする。


 そんな魔王の気持ちも知らず、勇者は疾風のように速く雷鳴のように重い、嵐のような四重、五重の連撃を立て続けに見舞う。


「どいつも、こいつも、圧迫面接なんか仕掛けやがって、だったらお前らが魔王倒せ畜生、こっちは毎日2時間しか寝てねえんだ人の気持ちなんか慮ってられるか」


 壁際に追い詰められた魔王の首に、聖剣の刃が迫る。


「ええい、見苦しい!」


 魔王は杖でその凄まじい一撃を弾き返し、闇の魔法で吹き飛ばす。勇者は聖剣を掴んだままね反対側の壁まで吹き飛ばされる。


「個性とか弊社の求める人材とか知るかクソがぁあ!」


 しかし女勇者はすぐに立ち上がり滑るように高速接近して来る。その瞬間、魔王の腹の奥に新たな衝撃が響く。便意の波が、終末の大津波となって押し寄せて来たのだ。もう無理だ、あと一回、軽くでも衝撃を受けたら決壊する。


 魔王は恥も威厳も捨てた。勝ち負けなどどうでもいい。今はただ、トイレに行きたい。


「うおおおおおおお!?」


 魔王は奇声を上げながら、玉座の間から一目散に逃走する。


 ちょうどその時、将軍と魔導師は壁際で意識を取り戻していた。

 二人が見る事が出来たのは、威厳もへったくれもなく尻を抑えながら蟹股で玉座の間を飛び出して行く魔王の背中と、下品な罵声を上げながらそれを追い掛けて行く女勇者の姿だった。


「魔王様が、魔王様が逃げた!」

「そんな……我らの魔王様が……」



 狂乱の勇者はぶんぶんと頭上で聖剣を振り回しながら、激怒して魔王を追う。


「腸引きずり出してやろうか、耳の穴ァ手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ言わせてやろうか、お前みたいな大人がアタシは一番嫌いなんだ、待ちやがれこンのクソ魔王がぁぁあ!!」


 息を切らすジャンヌの罵声を背に受けながら、魔王は必死で廊下を走る。

 長い長い廊下には、女勇者が倒してきたであろう、無数のゴーレムや骸骨戦士の残骸が点々と転がっていた。

 魔王はそれらを飛び越え、階段を駆け下り、目的の場所を目指す。


「あっ、あと゛少し、あと゛少しぃぃ゛い!」


 その場所はついに見えた。魔王はその部屋へと迷わず飛び込み、さらのその奥にある個室に飛び込み扉を閉め、鍵をかける。

 安心してはいけない、ここで油断すると台無しなのだ、魔王は最後まで括約筋に力を込めたまま、慎重に闇の衣をたくしあげ、落ち着いて褌をずり降ろし、便座に座る。



♪パーラーラーラー パーッ♪ パー♪ パー……



 どこからか、パイプオルガンの調べが降り注ぐ。



「はぁ……はぁ……間に合った……」


 間一髪。奇跡的に間に合った。魔王の顔に爽やかな笑みが、脳裏に満開の花畑が広がる……しかし、安堵も束の間、外から扉を叩く音が響いた。


「ぶち殺してやる、開けろクソ魔王ォォ!」


 勇者がトイレの中まで追い掛けてきたのだ。そして個室の扉をバンバンと叩き、怒りの咆哮を上げている。

 どこまで追いかけてくるんだ、この女は……魔王は苛立ちながら、ふと気づいた。トイレットペーパーがない。


「……」


 魔王は途方に暮れた。どうする? この状況で、どうすればいい? もはや丸潰れの魔王としての面子が、さらに傷つくというのか。勇者は尚も扉を叩き、蹴り続けている。

 しばらく考え込んだ魔王は、破れかぶれでこう答えた。


「……わ、分かった……そこまで言うのなら履歴書だけでも見てやる……」


 外の怒号がぴたりと止まる。


 しばらくして、個室の扉の下の隙間から、一枚の紙が差し出されてきた。

 それは世界を救う勇者の聖剣ではなく、何度も折りたたまれて皺になった、ジャンヌの履歴書だった。




ごめんなさい

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作者が一番力を入れている作品です!
表紙
少女マリーと父の形見の帆船

舞台は大航海時代風の架空世界
不遇スタートから始まる、貧しさに負けず頑張る女の子の大冒険ファンタジー活劇サクセスストーリー!
是非是非見に来て下さい!
― 新着の感想 ―
おもろーw
これはひどい(酷い) 責任取って採用してあげて
クソワロタ
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