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最後の新学年

 四月の初め、春の光に包まれた朝。

 新入生の山岸莉央は、重たい制服の襟を直しながら、古びた校舎の前に立っていた。

 ーーこの学校、思ったよりも古いな。

 少しだけ、不安がよぎる。

 教室前に貼られた名簿をA組から順に見ていく。

 そして最後の教室で自分の名前を見つけた。

「三年D組 山岸莉央」

 教室のドアを開けた瞬間、空気が変わった。

 埃っぽさ。古い木の匂い。だけど、それだけじゃない。

 どこかーー懐かしいような、妙に胸を締め付けるような感覚。

 教室にはすでに十数人の生徒たちがいた。

 全員、無言で席についている。誰もおしゃべりをしていない。

 そして、教壇にはひとりの教師が立っていた。

 黒髪に、静かな目元。

 白いシャツの胸ポケットには、長年使われているであろうペンがある。

 時代遅れのような雰囲気で、妙に記憶に残る風貌だった。


 そして、生徒が全員集まったとき。

「......おはようございます。今日から君たちの担任を務める、月嶋です」

 そんな挨拶を聞いた瞬間、莉央の背中に、ゾワッと鳥肌がたった。

 初めて聞く声なのに、どうしてか、

 ーー”どこかで呼ばれたことがある気がした”。

「では、出席を取ります」

 そう言って、月嶋先生が開いた二つの名簿。

 一つは今年の三年D組の名簿。

 もう一つは何度も書き込まれ、今にも破けそうな名簿。


 そして、ふと。

 莉央の斜め後ろの席に座る少女が、ポツリとつぶやいた。

「......このクラス、今年が”最後”かな」

 莉央は振り向く。

 けれど、その少女の顔は、どこか”ぼやけて”いた。


 新学年が始まって一ヶ月が経った頃の放課後。

 珍しく部活動の声も聞こえず、誰の足音も響かない。

 その静けさの中で、山岸莉央はひとり、三年D組の前に立っていた。

 理由はわからなかった。ただ、来なければいけない気がしていた。

 何かが、ここで終わる気がしていた。

 だが、教卓の上には名簿が一冊だけ、ポツンと置かれていた。

 ーーあれは、ずっと昔の、もう使われてないはずのものだ。

 けれど莉央は、それをそっと開いた。

 ペラペラとめくるごとに、微かな音が教室に響く。

 名前。たくさんの名前。もう呼ばれることのない、でも確かにここにいた誰かたちの記録。

 その名簿の最後のページには、ひときわ薄く書かれた名前があった。

「月嶋 」

 教師の名が、書きかけのまま滲んでいた。

「先生も、本当は......」

 莉央は目を伏せた。

 あの人は、生徒の名前をずっと呼んでいた。

 ただの一度も、誰からも、下の名前を呼ばれることなく。ただ”記録するもの”としてそこにいた。

 だけど、きっと。

 先生だって、誰かに名前を呼んでもらいたかったのではないか。

 そのとき、窓の外で風が吹き、桜の花びらが何枚か、教室の中に入ってくる。

 それは、まるで”誰かの返事”のように莉央の足元に舞い降りた。

 彼女は立ち上がり、黒板の前に歩いていく。

 チョークを手に取り、白い粉の感触を確かめながら、そっと書いた。

「先生、名前を呼ばせてください」

 言葉にしなかった約束を、最後に残したかった。

 もう会えないかもしれない。

 けれど、それでも。

 自分がここにいたことを、

 あの教室に、先生に、誰かに伝えとたかった。

 窓の外。春の空が、柔らかく揺れている。

 莉央は名簿をそっと閉じた。そして教室を駆け足で出る。

 まるで、誰かが背中を押してくれたように。


 ーー翌朝。

 教室に戻ってきた先生は、黒板に残されたチョークの言葉を見て、少しだけ笑った。

 それから最後のページに、自分の名前を書き足した。

「月嶋楓」

 その名は、誰かに呼ばれることをずっと待っていたのかもしれない。

 そして、先生は名簿を開いて、呼んでいく。

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