1-9 鱗(sideリベルト)
「この、お肉……」
「ただ腐らせるの勿体ないだろ?逆に食ってやるのもいいじゃん」
「えぇ……」
モネの足の怪我の回復を優先して、同じ場所に留まって野営を続ける。
焚き火の上には、あの憎たらしい雛鳥の肉。八つ裂きにして火炙りの刑だ。モネに怪我をさせた罪は重い。
「お、美味しいのかな………」
モネが顔を引きつらせて肉が焼けていくのを見ている。もうあの雛鳥の原形はないと思うのだが。
「こいつの肉、割と狩りで人気だよ。凶暴だから狩るの面倒だけど」
「そ、うなの、ね……?」
向こう側には、親鳥の肉も干してみたけど。
モネはあんまり好きじゃないだろうか。とりあえず、一番美味しい雛鳥の肉で様子を見るか。そんなことを思いながら、薪を追加して、またモネを膝に乗せた。
小柄な身体が、俺の胸元にすっぽりと収まる。
そんなモネの身体にまた尻尾が巻き付いてしまって、うんざりした気持ちで、宙を見上げた。
分かってる。俺がモネにしている事……膝に乗せたり、尻尾を巻き付けたり、せっせと食事の世話をするのは……全部求愛行動だ。竜種の異形は特に食べ物を与える事で相手の興味を引こうとする。
薄々気付いていた。船にいるときからそうだった。
でも、自重しようと思っても、できなくて。
みんなも気付いてた。だから、早く地上に帰れと、言われていたんだろう。
俺とモネは違うニンゲンだ。俺は、役目を終えたら地上へ帰らなければならない。
モネは、地上へ連れていけない。
わかってるから。だから、あとちょっとだけ。
そうして、船に残る日をだらだらと伸ばし続けていた。
モネが、落下した時。本当は、見捨てなきゃいけなかった。自分たちの正体を明かすわけにはいかない。だけど。
俺の命綱も危ないことを悟ったモネは、微笑んで、伸ばした手を引き戻し、確かに呟いた。
――大好き、って。
そう、口が動いていた。
同時に手摺りごと命綱が外れ、落ちていくモネ。俺には、そのまま見捨てるなんて、出来なかった。
気づいたら、自分も宙に飛び出していた。間一髪モネを捕まえ毒の霧をやり過ごし、視覚を阻害する層を超えてパラシュートを開く。
悩んでいる時間はなかった。橙に輝く毒の霧は、実は電波や上空からの視界を阻害し、近づいたシステムを攻撃するのが主な働きだ。だから、キカイが身体の中に入っている船の国の人には毒となるが、ハイスピードで抜ければ認識される前に通過するため問題はない。
どちらかというと、問題はその先だ。地上は連結者の――キカイ達のネットワークの監視が常に働いている。ヒトであれば、あっという間に淘汰されるだろう。
今すぐに、連結者がモネをヒトであると認識できないようにするためには。
ごめん、と謝ったのは、本来は恋人同士の行為だとわかっていたから。
自分で自分の首を絞めることになるのも分かっていた。でも、迷いはなかった。
モネの口を自分のそれで塞いで、自分の中にある異分子を注ぎ込む。
それは、思ったよりもずっと、幸せで満たされる行為だった。
そこから先は、なし崩し的にここまで来てしまった。雨の夜、食べ物では異分子が足りずに、しっかりと意識のあるモネにキスをした時。
もうズブズブと、沼に沈んでいく自分が分かった。
唇を重ねるごとに、もっと欲しいと欲があふれる。
地上と戯れるモネを見て、希望を持ってしまう。
みんなが、早く帰れといった理由。それは、竜種の異形の後戻りできない性質を、熟知しているからだった。
極小のキカイでできた、毒の霧を見上げる。風に乗り一定の高度で、地上と空を分断するそれは、時々大きな風の流れに合わせて途切れることがある。
あれが途切れたら、モネの迎えが来るだろう。
色々と問題はあるけど、あいつがきっと、なんとかしてくれるはずだ。
でも、もし迎えが来なかったら。
俺がモネを、このまま貰ってもいいだろうか。
俺の膝にすっぽりと納まって座る、柔らかくてちいさなモネ。
モネは、俺が差し出した大きなフルーツを食べるために、柔らかそうな白い指で、耳に赤い髪の毛をかけていた。
肩の上で揺れる、明るくて優しげな赤い髪の毛。
その間からのぞく、小ぶりな、かわいい、白い耳。
――――おいしそう
俺は吸い寄せられるように、その小さな耳をカプリと噛んだ。
「ひゃあ!!!リリリリベルト!?」
「……うまい」
「っちょ、わ、わたしはっっ食料じゃありません!!」
食料……モネを齧っていいなら、食事はもうこれでいいかもしれない。逃げ出そうとするモネを羽交い締めにして、頬や首や肩をカプカプと齧る。
「こここ子豚ちゃんは太らせて美味しくなってから食べて!!」
「もう十分だろ」
「っっっ最低!!!」
頭突きされた。なんでだ。こんなに美味しいのに……
と思ったところでハッとした。
俺は何をしている?
呆然としてモネを見る。モネは、真っ赤な顔でプルプルと怒っていた。
かわいい。
……かわいい。
そのまま今度はカプリと口づける。そう、モネが死なないように。ちゃんと、異分子を入れないと。だから、しょうがない。もう、モネしかいらない。
「おいおい……本能剥き出しになるの早過ぎるぞ、リベルト」
突然男の声がして、血が湧き上がるような感覚になった。モネを抱き込んで、鉤爪を伸ばす。木の裏側にいるのか、姿が見えない。グルルル、と音が聞こえる。俺の全身が男を威嚇しているのを、頭の片隅に残ったまともな頭で感じとる。
「まじか、モネ、ちょっとそいつ落ち着かせて」
「えっっ………え!?え!??この声ザッカスさん!??」
「おうよ。とりあえず話は後だ。そうだな……リベルト頭でも撫でてやって」
モネが他の男と話してる。許せない。
そんな憎しみにも似た感情が溢れ返ってきたとき、不意に頬に柔らかい、すこし小さな手のひらの感触が滑った。
モネの手だ。
気持ちよくなって頬ずりする。
柔らかい。いい匂い。
「あ……あの…………リベルト……」
うっとりと目を開くと、モネが潤んだ赤い顔で俺を見上げていた。
かわい――――
「はいおしまい」
グイッと顔を捕まれ、視界いっぱいに浅黒のマッチョな男の顔が広がる。
「…………ザッカス」
「喜べ。お前は俺の顔で正気に戻った」
「…………最悪な目覚めをありがとう」
「まぁ、感謝は受け取ってやるよ」
ザッカスは尊大な感じで笑うと、身体を起こした。がっちりとしたその身体は、森の中で見ても強そうだ。
「……降りてきたの」
「おうよ。急いできたんだぜ?かわいい甥っ子のためにな」
「まさかお兄ちゃんのこんな野生味あふれる姿が見れると思わなかったよ」
その小さな声にハッとしてザッカスの足元を見ると、小柄で生意気そうなガキがニヤつきながら俺を見ていた。
「……メルまで来たのかよ」
「うん!おかえりお兄ちゃん!」
「お兄ちゃんじゃない」
「いいのー!一応親戚でしょ!!」
「…………ええと?」
状況を読み込めないモネが呆けた顔でキョロキョロとしている。
かわいい。
「……モネ、状況が掴めてないところで悪いが。とりあえず、俺もリベルトも地上のニンゲンで、そして親戚だ。色々話したいこともあるが……先にリベルトと二人で話してもいいか?」
「えぇと、はい……」
「悪いな。メル、モネについてやってくれ。足を怪我してる」
「わーーー!痛そう!!分かった、優しくするねモネお姉ちゃん!!」
「あ、ありがとう……?」
戯れ始めたふたりを置いて、ザッカスにズルズルと離れたところに引きずられて行く。
離れたら、少し正気に戻ってきた。やばい、完全にやりすぎた気がする。モネ、引いてなかったかな。
「お前な……リベルト、ちょっとモネから目離せ」
グイッと顔の向きを変えられる。また視界がマッチョな親父でいっぱいになって顔をしかめる。
「それ、やめてくんない?」
「一気に冷静になるだろ?とにかくお前、ちょっと落ち着け」
「…………」
落ち着いてなかった自信は、ある。ザッカスが止めてくれて良かったかもしれない。自分を宥めるようにため息を吐いて、頭を掻く。
「こんなこったろうとは思ったけどな。あんなかわいいお嬢さんを森の中で甘噛みしまくるのはやりすぎだ」
「……ごめん」
「気持ちはわかるけどな」
ザッカスは、しょうがないなぁという風に、ふぅとため息を吐いた。ザッカスもかなりの愛妻家だ。まぁ、竜種の異形はみんなそうなんだけど。自分もやっぱり同じ竜種なのかと、うんざりしながら顔を上げた。
ザッカスは、思っていたよりも、真面目な顔をしていた。
「――お前、モネをどうする気だ?」
ザッカスの淡々とした声が、静かに響いた。
ヒヤリとしたものが胃に流れ込んで来るようだった。
「毒の霧が晴れれば、モネが生きていることが船の奴らにもはっきりとわかる。……多分、モネを連れ戻しに来るだろう。なんで生きてるんだってな」
知ってる。
だけど、突きつけられた現実に、身体が鉛の中に沈んでいくようだった。
空を覆う毒の霧。
地上のすべてを覆い隠すそれは、もうしばらくしたら、少しの晴れ間を見せるだろう。
「船に戻すなら、俺らの事を伏せながら、なぜ生きられたか、リベルトはどうしたかをうまく説明してもらわにゃいかん。船に戻さないなら……来た奴らを皆殺しにするか、遥か遠くへ逃げ続けるか、モネの腹を裂いて『キカイ』を取り出すしかない」
「…………まずは、モネが、どうしたいか聞く」
俺の答えに、ザッカスはふぅと重苦しいため息を吐いた。
「そうだな、それも大事だ。だが……一つ、大事なことが抜けている」
そう言うと、ザッカスは俺の正面に周り、しっかりと俺と目を合わせた。
「――出てきてるだろ、鱗」
ハッとして、胸元を抑える。
前よりも存在感を増すその感触が、手のひらから伝わる。
「後戻りするなら、今だ。お前がモネと離れる事を選ぶなら、今なら助けてやれる。何も障害だらけの相手を番に選ぶ必要は無い」
「……モネは、どうなる」
「竜種以外の誰かに異分子を与えてもらうか……命を落とすかだ」
ギリ、とザッカスを睨みつける。
ザッカスはそんな俺の反応に怯むことなく、強い視線で見返してきた。
「竜種の異形が一度番と認めてしまった存在と離れて生きるのは、地獄だぞ」
「モネを縛る理由にはならない」
「……モネから離れる気はないのか?」
「…………無い」
ぐっと胸の鱗を押し込むように抑える。ずっと抑えてきたそれは、押し込む俺の手の中で、逆に存在感を増したように感じだ。
「…………お前が狂ったら、俺はお前を殺さにゃいかん、リベルト」
「……分かってる。それでいいよ」
番と認める相手ができた時、一枚の特別な鱗が身体から落ちる。生涯に一度のその鱗が落ちたら、もう後戻りはできない。
残される道は、その番に愛されるか、愛されることなく、狂って死ぬか。
番が己から離れ、他の者に取られてしまった竜種の異形は、遅かれ早かれ、間違いなく、狂う。凶暴化し己を見失った狂った同族を、同じ竜種の者が手にかけ、その苦しみから救うのが竜種の異形の掟だった。
とうにその覚悟はできていた。このまま、異分子をモネに――口付けすることで、与えるしかないのなら。鱗が落ちるのが時間の問題だというのは、自分が1番よく分かっていた。
それでも。遠目に、メルと楽しそうに話すモネを見る。モネが、このまま船へ帰り、変わらずヒトとして生きたいと言うのなら。俺はモネを、船の上に返す。例え、俺が、狂って死を迎えるとしても。
「分かってる、だと?」
強い怒気を孕んだ声が聞こえて、ハッとして顔を上げる。ザッカスの普段の溌剌とした顔は、怒りと悲しみに歪んでいた。
「バカ野郎、簡単に俺にお前を殺させるな」
ザッカスは、ギリ、とその太い腕を握りしめた。鋼色の鱗が浮き出て、硬質な光を放っている。
「……俺は、他にも選択肢があると思っている」
「他にも……?」
「船の国のニンゲンたちに、俺たち異形のヒトの存在を知らせる」
「っまさか……!?」
「そんな馬鹿なってか?そう思うか?元は同じヒトなのに、こんな150年以上も『キカイ』なんぞに分断されてきて。本来は、俺たちは同種の仲間から隠れて暮らすような存在じゃねぇだろ」
そう言うと、ザッカスは元の姿――俺と同じ竜種の異形の姿になった。そして、太い右腕をバンッと下ろし、近くの大きな岩を砕いた。
「……そもそも、そろそろ限界だったんだ。俺たちの存在がバレるのも、時間の問題だ。それに、俺だってモネとお前を簡単に死なせたくない。だからこそ、俺は……モネの存在を、ヒトと俺たち異形の民を繋げる、チャンスにしたい」
モネの存在で、ヒトと異形の民を繋げる……?思ってもみなかった選択肢に、思考を巡らせながら、呆然とザッカスを見た。ザッカスは、不敵な笑みをたたえていた。
「そうだ。お前も竜種の異形なら、簡単に番を諦めるな」
そう言うと、ザッカスは、尖った八重歯を見せてガハハと笑った。そして、強い口調で、言い放った。
「――協議だ、リベルト。各里の長と方針を話し合う」
それは、長らく行われていなかった、異形の民の意思決定の場だった。
読んでいただいてありがとうございました!
まさかのリベルトは命がけでした!!!
「そんなにモネのこと大事にしてたのね...!」と感動してくれた読者様も、
「やはり筋肉は正義...」とつぶやいたザッカス派のあなたも、
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