1-8 尻尾と惑星
「あ、あの……リベルト?」
「なに」
「えぇと、もう大丈夫だよ……?」
「うるさい。早く食え」
「…………」
ずい、と目の前に枝に刺さったお魚が迫る。
もうこれは拒否させてもらえない事を悟った私は、諦めてリベルトが手づから差し出すお魚に、ぱくりと齧りついた。
視界の端に、リベルトの尻尾がパタパタと揺れているのが見える。
「リベルト……」
「ん?うまい?」
「美味しいです」
「良かった」
今はどういう状況かというと。私はリベルトの膝の上で、しっかりと抱きかかえられている。足は丁寧に手当され、目の前にはこんがり焼けた美味しそうなお魚。
そして何故か自分では食べさせてもらえず、リベルトが焼けたお魚を私の口に運んでいる。
「あの………なんで自分で食べたらいけないの?」
「嫌?」
「嫌じゃないけど………」
「じゃあ俺の手から食べて」
「はい………」
結局押し切られ、リベルトの手からまたお魚を食べる。
そして、私がぱくりと食べるごとに、リベルトの尻尾が嬉しそうに揺れる。
なんだろう、これは。
リベルトの尻尾がとても可愛いのだけど。
ちらりとリベルトを見上げる。
リベルトの目は普通に戻っていて、表情は別にいつもと変わらず飄々としている。そして、私を見る目には特に甘さの欠片もないのだけど。
代わりに尻尾がくるりと私のお腹に巻き付いてきた。
なんとなく巻き付いてきた尻尾に触ってみたら、青みがかった暗い色の鱗が、つるりとなめらかだった。なかなか良い手触りだなともう少し撫でようとしたら、ピュッと逃げてしまった。
「触んな」
「えっダメ?」
「ダメ」
巻き付けてきたくせにと不満げにリベルトを見上げる。リベルトもなんだか不満げな表情だ。……ただ、また尻尾がお腹に巻き付いてきた。
「……触ったらだめなのに、なんでお腹に巻き付いてくるの?」
「……そういうもんだから」
「えぇ……?」
よく分からない。尻尾は別の意思を持った生き物なのだろうか。
より不満な気持ちになると、尻尾が私をなだめるように、さわさわと動いた。尻尾くんは優しい。
「……ていうかさ、なんで普通に慣れてんの」
「え?」
「怖くないわけ?」
「何が?」
「俺が」
「あぁ……」
今、リベルトの足は太く頑丈な様子で、尻尾と同じ青みがかった暗い色の鱗に覆われている。どういう仕組みかわからないけど、ついさっきまで足と同じように太く鱗に覆われ鉤爪が付いていた手は、今はほとんど普通の人の手だ。腕に鱗が残ってるけど、なんだか硬いアームウォーマーをつけてるみたいだ。
私は膝の上から、私を抱くリベルトを見上げた。
「不思議だな、って思うけど。でも怖くないよ?」
「……なんで?怖いだろ、普通」
「うーん、リベルトだから?」
「なんだよそれ……」
不満そうなリベルトの声。
それなのに、何故か尻尾は嬉しそうにギュウギュウ私のお腹を締め付けてくる。
尻尾くんかわいい。
「……まぁ、怖くないなら助かるけど」
リベルトはそう言いながら、今度はフルーツの皮を剥き始めた。みかんのような、でも細長くて大きい不思議な黄色いフルーツ。爽やかな香りが広がる。
いい匂いだな、と思っていたら、はい、と口の前に差し出された。手をのばすと、フィ、と逃げられる。
「……自分で食べるよ?」
「は?何で」
「何でって……」
「さっさと食えよ」
「…………」
再び口元に差し出されたそれをぱくりと食べると、やっぱり尻尾くんが嬉しそうに揺れた。かわいい。
「……で、何で何も聞かないわけ?」
「え?」
「普通におかしいだろ?突然俺に尻尾と爪とか生えてびっくりしたんじゃないの?」
「ん?そっか、じゃあ説明して」
「…………肝が据わってんな」
リベルトははぁ、と呆れたように息を吐いた。そして、尻尾くんは少し硬い様子で、リベルトの足に巻きついた。
……緊張、してる?
リベルトは、硬い表情で口を開いた。
「……俺は、地上の人間だ」
「そうなんだ」
なるほどと頷く。
「…………………いや、『そうなんだ』じゃなくて、他にも言うことあるだろ」
「え?あぁ、だからご飯採るの上手だったり、野宿の手際がいいんだね。納得。流石リベルト!!」
「褒めて欲しいんじゃ無いんだけど……」
見上げると、不満そうなリベルトの顔。次いで尻尾くんを見ると、尻尾くんは少し嬉しそうにピコピコ揺れていた。
「あんま尻尾見んな」
「なんでよ」
「うるさい」
リベルトは私を膝に抱えていた手にぎゅっと力を入れた。すべすべの鱗が、太陽の光を反射してキラリと光る。
「地上の人間って、みんなリベルトみたいな鱗と尻尾があるの?」
「いや……人による」
少しリベルトが緊張したように息を吸い込んだ。私もなんとなくドキドキして身体を固くする。
「地上の人間は……かつての人々はそれぞれ、適合しやすかった異界の要素を取り込んだ。その中で、異界の要素を強く取り込んだ者だけが生き残った。――『連結者』に、ヒトと認識されなかったから」
「れんけつしゃ?」
「今この地上のあちこちにいる、繋がった『キカイ』たちの集まりのことだよ」
リベルトは、私を膝に乗せたまま、淡々とした声で続けた。
「それで、地上に取り残された者たちの中で特に異界の要素が強い者たちが生き残り、異形の者として子孫を残していった。そのまま、連結者にヒトと認識されないように、異界の要素――『異分子』を取り込んだまま。……地上でヒトは、排除すべきものとして認識されて、すぐに連結者に殺されるからね」
「……それが、『異界の空気』の正体?」
「そう……それから、これが『異形』の正体だ」
する、とお腹に巻き付いたリベルトの尻尾が動く。
異形。確かに、そうなのかもしれないけど。船の国の人々が思っている恐ろしいものとは、全然違うものに思えた。
リベルトは、ふぅと息を吐き出すと空を仰いだ。
「空の船で暮らす人と俺たちは、連結者と繋がる極小のキカイ――毒の霧で、分断された。俺たちは、いつか空の人達がみんな地上に降りてくるんじゃないかと思ってたんだけど。船の中で、俺たちが異形として、あんなに恐れられているとは思わなかった」
「リベルトは怖くないよ?」
「……分かってるよ」
リベルトが私を抱く手にぎゅっと力を入れた。近くなる体温と息遣いに、少し胸がどきりと跳ねる。
「船からは、毒の霧で地上はほとんど見えないじゃない?だから、怖い妄想がどんどん膨らんじゃうんだよ」
「まぁ……そうか。地上から船は丸見えだけどね」
「えっ見えるの!?」
「見えるも何も……って、そうか。山の方から来たし森の中にずっといたから、今まであまり見えなかったしね」
そう言うと、リベルトは見に行く?と問いかけて、私を抱き上げた。
わっと思ったときには、リベルトはすごい高さまでジャンプしていた。
「わぁ!??」
「暴れんな」
太い枝をトントンと渡り歩き、ガサリと高い木のてっぺんに出る。
広い広い森の上。空を見上げると、きらめく橙色の毒の霧が立ち込める空の向こうに、惑星のように空に大きく浮かぶ船があった。
増設を繰り返し、ツギハギの鉄の塊のようになった船の国は、空の上にあるのに両手を広げたぐらい大きい。高い山にかかるように空に浮かぶ大きなそれは、緑豊かな地上と嫌でも対比されて、恐ろしいほどに無機質だった。
「あんなに……大きかったの」
「場所によっては船のせいでかなり日当たり悪いぐらいデカいよね」
「日照権をすみません……」
バカみたいな会話だけど。でも、そんなバカみたいな言葉しか思い浮かばないぐらい、不思議な感覚だった。
あんな場所に、私は住んでいたんだ。
湧き出たそんな気持ちが、新鮮だった。
「あそこに、いるんだよね。ジャンティもケイドスさんも……ザッカスさんたちも」
「……そうだね」
「思ったより、ここから遠くないかな?」
「…………」
ぐっと、リベルトの腕に力が入った気がした。
「モネ」
「なに??」
「……船に戻ったら、二度と落ちるなよ」
「もうそんなヘマしません!!」
「怪しいな」
「何よ!リベルトだって次は余裕で捕まえてよね!!」
むくれてリベルトを見上げると、リベルトはびっくりするほど真面目な――寂しそうな表情をしていた。それから、少し悲しそうに笑った。
「……俺は船には戻らないよ、モネ」
「…………え?」
「俺は地上のニンゲンだ」
ざわざわと、風が吹き抜けて木の葉を揺らす。
「俺が地上探索班だったのは嘘だけど。モネのことは、本物の地上探索班が探しに来ると思うよ」
そう言うと、リベルトはまた空に浮かぶ船を見上げた。
「船で暮らすヒトの身体には、船のシステムに繋がるキカイが入ってるだろ?毒の霧が晴れたら、モネが生きていることも、モネの場所も、船の人たちには分かる」
リベルトの目には、空に浮かぶあの船は、どんな風にうつっているんだろう。そう思ってリベルトの表情をしっかり見たかったのに。
何だか目の前が霞んで、よく見えなかった。
「……大丈夫、モネが無事に帰れるまでは、ちゃんと一緒にいるから」
リベルトの、少し人のものとは違う、つるりとした感触の指が、私の頬を拭った。
「…………泣くなって」
優しいその声に、余計に涙が溢れてきて。リベルトの服を、ぎゅっと掴んだ。
「わ、たし……」
地上では、リベルトがいないと、私は生きていけない。
そして、私は船の国の人間だ。
そんなの、百も承知だ。
だけど。
空から落ちた、あの時の事を思い出す。私は、何を後悔したのだったか。
「リベルト、わたしね……」
ぎゅっと涙を払って、しっかりとリベルトを見上げた。
「私、リベルトと、一緒にいたい」
リベルトの腕に、またぎゅっと、力が入った気がした。
その表情は、何かを苦悶するような、そんな表情だった。
「…………一緒に逃げようか」
「逃げ……?」
「……冗談だよ」
そう言ったリベルトに、冗談って何と問い詰めようとして。
でも、私のその声と思考は、次いで降ってきたリベルトのぱくりと食べるような口付けに、全部溶かされて、消えていった。
読んでいただいてありがとうございます!
リベルトはもうモネと船の国に戻る気はないようです(;ω;)
「やだこれで離ればなれとかにしないでよね作者」と作者へ殺意を覚えてしまった読者様も、
「泣かないでモネちゃん~(;ω;)」と心配してくれたモネ派の神読者様も、
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