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1-5 森

「きれい……」


 大きな岩と苔の間を清流がサラサラと流れている。


 気持ちのいいせせらぎの音。流れが緩やかな場所は透明な池のようで、時折大きな魚の影が見える。


 樹齢が死ぬほど高そうな、何十人かで手を繋いでやっと幹を一周できそうな大きな木ばかりが生えている。地面から飛び出す木の根の下は、私の背丈よりずっと高いアーチを描いていた。その木々は伸び伸びと天に向かって太い幹と枝を伸ばし、その間から太陽の光が線になって森の中を照らしている。


 その中を、朱色とオレンジの不思議な色合いの大きな鳥が、群れをなして飛んでいる。向こう側には牛とイノシシを足したような不思議な生き物。揺れる葉と、苔と、水草の揺れる清流。


 生命が息づく、緑の空間。


 吸い込む空気まで、緑色なんじゃないかな。


 ずっと憧れていた地上の景色。船の中とは違う、広々とした、瑞々しい景色。古い図鑑で見るよりも、ずっと壮大だ。そうリベルトに言ったら、ここは特に異界と強く混じった森だから、と言っていた。木や鳥も異界と混じって、過去の姿から少し変わっているんだそうだ。


 本当は、もっと景色を楽しみたいんだけど。手慣れた様子で清流に沿って進むリベルトの背中を追う。


 私はゴツゴツした岩と石の河原を歩くだけで精一杯だ。時々大きな岩によじ登れなくて悪戦苦闘する。そんな時、リベルトはなんとも言えない顔で、私に手を差し出した。一応、助けてくれる気はあるみたいだ。


「……辛い?」


「え?」


 リベルトが何か気遣うように私に問いかけた。


「辛いって、この道のりのこと?」


「まぁ……そう、かな。船と違うし。……早く、帰りたいのかなって。辛そうな顔してるから」


「あぁ……まぁ、辛いといえば辛いけど」


 私は辺りを見回した。


「体力的には辛いけど……ずっと来てみたかった地上に、生きて来れるなんて思わなかったからさ。どっちかって言うと……不謹慎だけど、楽しい」


「……たの、しい?」


「うん。地上っていいなって思うよ?」


「怖くない?この異界と混じってる森とか、見慣れない生き物とか」


 まぁ確かに……と思いながらあたりを見回す。


 水の中には見慣れない大きな魚が泳ぎ、変な形の鳥なのか虫なのか分からないものが飛んでいて、大きく枝分かれした角を持つシカがいて、死ぬほどジャンプ力が高いネズミのような尾の太い生き物が、木の上に向かってジャンプしている。


「まぁ……シュリープの見た目にはビックリしたけど、美味しかったし。木も鳥も魚も動物も、図鑑で見たのよりずっと大きくて変わってるし、昨日も雨の音にはびっくりしたけど……なんか全部ひっくるめて、いいなと思うよ」


 金属やプラスチックで囲まれた、安全で暮らし慣れた船の上もいいけど。


 生きている感じがする。素直にそう思った。


 何だか自分で言っていて妙に納得して、気持ちよく深呼吸をしてみる。


 清々しい、緑の香り。


 リベルトはそんな私を、何だか眩しいものを見るような顔で、じっと見ていた。


「……なによ」


「いや………」


 ふぃ、と顔をそらしたリベルトは、次いで何かを見つけたように、顔を上に向けた。


「あ、あれ」


 見ると、少し低い枝に、いくつか赤い実がなっている。リベルトは大きな岩に登って器用にいくつかもぎ取ると、私のところに持ってきた。


「ほら。これ、食べれるよ」


「かわいい!食べていいの?」


「はい、どうぞ」


 リベルトが優しい。


 私はウキウキと可愛らしい赤い実を口に入れた。


「すっっっっっぱ!!!!」


「っはは、さすが、食いしん坊」


「ちょっと!!わかってて食べさせたわね!!」


「栄誉価高いし、疲れにも効くから」


「……それで、食べさせてくれたの?」


「俺は食べないけどね」


「クソリベルト」


 酸っぱさとムカつきで顔をしかめる。するとリベルトはなんだかすごく楽しそうに、私の鼻をつまんだ。


「ふぐ!」


「そんな奴が渡した得体のしれない地上の赤い実を、躊躇なく食べるのはなんでだよ」


「ぶぇ!?」


「危ないなとか思わないの?」


「!?」


「ほんとモネってバカだよね」


 何だかリベルトの目がギラリと獣のような何かを宿したように見えて、目を見開く。


 何!?何なの!?


 狼狽える私の鼻を、リベルトは上機嫌な様子で、ペイッと弾き飛ばした。


「さ、行くよ」


 そうしてまたスタスタと歩いていく。


 よく分からないけど。私は置いていかれないように、必死でリベルトの後を追った。


 爽やかな瑞々しい緑の森の中。リベルトは迷いのない足取りで、どんどん進んでいく。


「リベルトは、この辺も探索したことあるの?」


「……まぁ、ね」


「そっか。地図もないのによく分かるね?」


「…………適当に進んでるだけだよ」


「そう?でも危なくない方向に進んでくれてるんでしょ?」


「…………」


 リベルトは急に足を止めた。


「え、何?」


「……平原って、大体川の下流の方にあるんだ。山間部より見晴らしのいい平原のほうが安心しない?」


「あー!なるほどね。確かに、図鑑で地図見たときもそんな感じだったかも。流石リベルト」


「……認めてもらえて嬉しいよ」


 何か少し困ったように笑うリベルトは、また先に進み始めた。ちょっと首を傾げる。


 何か少し変な気がする。何だろう。


「った……」


「……モネ?」


 昨日枝に引っかかって傷ついた脚が、飛び出た岩に擦れてズキリとした。見ると長い靴下が少し破れていて血が滲んでいる。


「お前……それいつ切った」


「え……昨日、シェルター張る前の、森の中で」


「早く言え」


 そう言うとリベルトは近くの岩に私を座らせると、注射器のような不思議な物に川の水を入れて持ってきた。


「なに、それ……?」


「水の濾過器。ばい菌入ると良くないだろ」


「そう、ね……?」


 そうしてリベルトは私の靴下を脱がすと、手際良く傷を洗い流した。


「いたっ」


「ごめん、滲みる?でも、我慢して。あとちょっとだから」


 びっくりするほど優しいリベルトの声に、痛みがあっという間に吹き飛んでいった。


 手付きまで優しい。リベルトが、跪いて、私の足に、優しく触れている。


 なにこれ。


 なにこれ。


 目に毒だ。


 リベルトはそんなのお構いなしに優しく手当を続け、どこに持っていたのか傷薬を取り出し、私の傷口に塗った。


 そして着ていたシャツの裾を少し破いて私の傷に巻き始めた。


「ちょ、ちょっと!リベルトの服!!」


「いいから」


 手際よく巻かれたそれが、何だか熱を持ったように感じる。


 最後にこれまた優しく靴下まで履かされた。傷口に巻いた布を覆うように、柔らかく履かされる。


「どう?」


「う、うん……ありがとう……」


「いや……気付くの遅くてごめん」


 リベルトがまた謝った。


 妙に優しくなったリベルトになんと言っていいのかわからず、ポカンとした顔でリベルトを見つめる。


「……なんだよ」


「いや……優しすぎてビックリして」


「塩でも塗り込めば良かった?」


「本当にやめて」


 ぞわっと身体を震わせた私を見て、リベルトはふっと笑った。また優しい笑顔が見えて心臓が跳ねる。


 リベルト、どうしちゃったんだろう。


 私の前に跪いたままのリベルトは、治療をし終えた私の足を、じっと見ていた。白い足に巻かれた布が、痛々しさを際立たせている。


 触れた手の暖かさが、じわりと身体に伝わっていく。


「……そういえば、今のところ息苦しくなったりはしてない?」


「え?あぁ、うん。その……昨夜、なったっきり、だよ……だ、だいじょうぶ」


「そう」


 昨晩のことを思い出して顔が熱くなる。この状況で、その話題はやめてほしい。さすがの私も恥ずかしい。


 リベルトはそんな私の様子は意に介せず、私の傷ついた足を労るようにひとなですると、何だかよく分からない、獣のような強さを宿す青い目で、私をじっと見た。


「……朝晩と、朝昼晩と……どっちがいいのかなって」


「……え?」


「一応、お前のこと、死なせる気は無いから」


「えっ……え!?」


 リベルトが私の座る岩に両手を付き、ぐっと顔を寄せてきた。


 急に接近した距離に、慌てて身を引く。


「あ、あの……リベルト!?」


「死にたくないだろ?」


「そっ……そう、だけど!でも、ちょっとまっ……」


 吐息がかかる距離で、ピタリと止まったリベルトの表情は、見たことがないぐらい、ギラリとした強いなにかを宿していた。


 する、とリベルトの指が頬を撫で、思わず息が止まる。


「諦めろ」


 そう言うと、リベルトはそのままがぶりと私の口を食べた。本当に、食べられるんじゃないかと、本能的な何かがぞわりとする。


 だけど、やっぱり、じわじわと幸せな気持ちが溢れてきて。これが生きる為の行為だと、忘れてしまいそうになる。


 でも、私の頬に添えられた男らしい少し硬い手の熱さは、私に向けられた愛情では、ない。


 目を瞑ると、リベルトの温もりと、優しい香りと、さわさわと流れる川の音が聞こえる。


 そうえば、お日様はまだ、真上に登っていなかった。





 *********



「……リベルトが、素性を嗅ぎ回られてる?」


「あぁ……勘のいいやつがいるっぽいね」


 壁のツギハギが多い、船の下層。今では船の最下層の店と呼ばれるその飲み屋で、無精髭をはやした男が、カウンターの中の小汚いエプロンをかけた筋肉質な男と話している。


「……偽装だとばれたのか?」


「いや……ただ昔の素性を、リアルで探られただけだ。聞いてきたやつを尾行したら身綺麗な男がいたから、多分上層の奴が絡んでる。……記録の偽装は完璧だったんだけどな」


 無精髭の男が、難しい顔でエプロン姿の男にそう答えた。カタカタという換気扇の音が、深夜の古びた店の静けさの中、妙に大きく響く。


「私のところにも探りに来たから、ちゃーんと話しておいたわよ?リベルトはちっちゃいとき、とっても可愛かったわよって」


 露出が多い服を纏った女が、その静けさを破るような明るい声を出しながら、無精髭の男の隣に座った。女は、エプロンの男がカウンター越しに渡してきた酒を受け取ると、艷やかな赤い唇から一口飲み、ほぅとため息を吐く。


「……でも、だめね。リベルトは目立ちすぎたわ。探ってる奴が切れ者すぎる。私達のことも、いずれバレるかもしれないわね」


「奴らの目的はなんだ?」


 エプロンのいかつい男が難しい顔で言った。でも、誰も答えることができず、再び沈黙が訪れる。


「……とりあえず、俺が上層に探りに行ってみるよ。身綺麗な男の顔覚えてるし。一回行ってみたかったんだよな、豪華な上層階」


 無精髭の男がのほほんとした様子でそう言うと、エプロンの男は同意を示しすように頷いたが、その表情は晴れなかった。


「……正直言って、こうして俺たちが潜んでいること自体、そろそろ限界だと思う」


「限界って……まぁ、わかるけどさ。でも、どうするんだよ」


「……協議しよう」


 エプロンの厳つい男がそう言うと、残りの二人は眉を顰めた。


「協議?どうやって地上と連絡取るのよ。今帰ったら目立つわ」


「行ったら帰って来れねぇしな」


「分かってる。だから、俺が『死のう』」


「え!!???」


「いや、店のマスターが帰ったらここがヤバいだろ!?」


 エプロンの男は不敵に笑った。


「どちらにしろもうヤバいなら、動きは早いほうがいい。リベルトだってバカじゃない。あいつなりに考えてるだろうし――今モネと地上にいるなら、もう歯止めが効かなくなってる頃じゃないのか」


「……あぁ」


「確かに」


「だろう?だからだよ」


 男は、慣れた手付きでエプロンを外すと、にやりと笑った。


「どのみち毒の霧が晴れたら、モネが生きていることがバレる。つまり、リベルトと――俺達のこともバレる事になる。船の奴らにすべてを知られる前に、なんとかしないとな」


 そう言い放った男の瞳孔は、人の目とは異なり、縦長に割れていた。


読んでいただいてありがとうございます!


ちょっとリベルトの様子が変わってきました...?

「お昼の分も必要です。えぇ三食」と真顔で合意したあなたも、

「ちょっとあの人たちも何者なの!?」と怪しい動きに続きを気にしてくださったあなたも、

いいねブクマご評価ご感想なんでもいいので応援していただけると嬉しいです!

また遊びに来てください!


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