1-2 地上
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「――――ぅ、ん………」
慣れない感触に身じろぐ。
湿った、ザラザラと、でも瑞々しい感触。
目を開けると、緑色の葉がさわさわと揺れていた。
むっとするような、不思議な香り。
起き上がると、信じられないぐらい雑然とした配置で、しかも複雑に絡み合うように植物が育っている。ここは、どこの植物育成室だろうか。奇妙な穴の空いた葉と、不規則に曲がった枝。どこから持ってきたのか分からない、大きな岩。
手元を見ると、そこにもかなり乱雑に複数種類の草が生えていた。誰がこんな風に植えたんだろう。その下は土のようだが、これまた不規則に小枝なのか石なのか分からないものが混ざっている。しかも、驚いたことに、足の小指ぐらいのサイズの大きな黒い虫が、私の近くを歩いていた。
「あ……あり………?」
船で飼育しているものとは違う妙な大きさ。蟻ってこんなに大きかったっけ?
ハッとして、空を見上げた。
橙色に透けてキラキラと光るものが、高い空の上に見える。
「――毒の、霧」
「あぁ、起きた?」
声のする方を見ると、リベルトが気だるげにこちらに歩いてきていた。おかしな世界の中にいるのに、変わらない、面倒くさそうな表情。船の中では珍しい青みがかった暗い色の髪の毛が、妙にこの景色に馴染んで見えた。
「リベルト……ここ……」
「うん、ここ。地上ね」
「ちじょう…………」
もう一度あたりを見回して、ハッと口をふさぐ。
「っ、わ、私たち、何で、生きて……!?」
「あぁ。俺、運良くパラシュート持ってたから」
「パラ……?いや、何かで助かったのだとしても、地上で生きられるわけないでしょう!?」
「……まぁ、ちょっと説明が必要だよね」
リベルトはなんだか困ったように苦笑いしながら、私の近くにどさっと腰を下ろした。
「隠してたんだけど……俺、実は前は地上探索班の人間だったんだよね」
キョトンとしてリベルトの顔を見る。
地上探索班……?
「あぁ、基本は公になってないから知らなくて当然だけど。なんやかんや、地上で生きる術を見つけて、時々こうやって探索してたんだよ」
「ち、地上を、探索……?」
「そう。だから毒の霧もうまいことスルーして、地上でも生きれてるってわけ。あぁ、毒の霧のスルー方法は聞かないでね。トップシークレットだから」
そう言うと、リベルトは少し伺うように私をじっと見つめた。
「……具合、悪くない?」
「うん、だ、大丈夫……その、よくわからないけど……そのトップシークレットで、今私は地上でも生きられてるっていうこと?」
「いや……それはまた別」
そう言うと、リベルトはなんだか気まずいような緊張したような顔で、私に問いかけた。
「……薬、みたいなの、飲ませたんだけど。覚えてない?」
「え?くすり??」
「うん。落ちながら、地上で生きられる薬……を、飲ませた」
そう言われてみれば。
「リベルトが空で私を捕まえて、薬飲ませてくれたのね。うん、なんとなく覚えてるよ!ものすごーくぼんやりとだけど」
「っ、そう」
そう言うと、リベルトは狼狽えるような顔をした。
「い、やじゃ、なかった……?」
「え?お薬飲まなきゃ死んじゃうんでしょ?嫌とかないから。目が回っててどんな薬なのかも、飲ませてくれたのがリベルトだったのかも分からなかったけど。なんか優しく飲ませてくれたなーという気はする」
「……そう………じゃあ、ほとんど、気を失ってたんだ」
「うん。なんとなくガッとだき……かかえてもらってたなってことぐらいで」
危ない。抱きしめてもらったって口走るところだった。さっきまで死ぬ前の幸せな幻だったと思ってたのだ。慌てて脳みそを引き締める。
「あの、助けていただき、ありがとうございました!!」
「うん、まぁ……生きててよかった」
なんだか妙にホッとした様子のリベルトは、少し息を吐き出すと、不思議な袋を差し出した。
「水。とりあえずちょっとだけ確保したから。飲みな」
「え、うん……ありがとう………ええと、どうやって飲むの?」
「ここに口つけて、くびぐびっと」
不思議な柔かい袋状の水筒から水を飲む。なんの素材だろう、とても不思議な肌触りだ。昔資料館で見た動物の皮を使った製品に似ている気がした。
身体にじわりと水の冷たさが染み渡る。
「………歩けそう?」
「うん?多分、大丈夫。どこも痛くないよ」
「良かった。すぐ移動するから、ついてきて」
「移動………?」
あたりを見回す。そして、さっきまで自分が暮らしていた船がある、空の上を見上げる。
「移動って、どこに……?」
「こんな森の中で夜になったら、あっという間に獣に喰われて死ぬよ」
「ヒッッ」
慌てて立ち上がる。
リベルトはすっかりいつもの調子に戻って、少し冷たい目を私に向けた。
「じゃあ、着いてきて。もうだいぶ日が傾いてきてるから、急いで」
そうしてスタスタと歩きはじめた。慌てて後を追う。
――地面の、柔かくて不均一な……でも、不思議と心地よい感触。
コツっと石に当たってつまづきながらも、リベルトの背を追う。リベルトはいつの間にか手に持っていた太めの不均一な棒で、行く手を塞ぐ珍妙なロープのようなものを寄せながら進んでいた。
「……このぶら下がってるの何?」
「蔦だよ。図鑑で見てただろ?」
「つた……!!」
ハッとして記憶を呼び起こす。
蔦。木に枝、それから土に草。
石の上に生えてるのは、苔。
時々宙を待っているのは羽虫だろうか。
「っすごい、リベルト!!ここ、本当に地上だよ!!!」
「知ってる」
「見てあれ!!実じゃない!?実がなってる!!!」
「あれ食えないから」
「わーー!!!ちょうちょ!!!」
「……うるさい。静かに着いてきて」
……怒られた。
この感動を分かち合いたかったのに。微妙にムスッとしてあとに続く。
「ねぇ、ほんとにどこに向かってるの?」
「もうちょい開けたとこ」
「場所わかるんだ?」
「……さっきちょっと見えた」
「えっすごい!こんな木が生えてるのに見えるんだね」
「チビには見えないと思うけど」
「クソリベルト」
「……置き去りにしていい?」
「申し訳ございませんでした」
よりムスッとしてリベルトに続く。さっきまでのちょっと優しいリベルトはやっぱり幻だったのかもしれない。
……ちょっとさみしい。
そうして静かになった私は、淡々とリベルトの後を追った。
ぼうぼうに生えた草、転がる石に、飛び出した木の根っこ。足をもつれさせ、つまづきながら必死で後を追う。緩やかなスロープのような、でも不均一に傾斜する道なき道を、下の方に向かって進む。
ズキリと、ふくらはぎが傷んだ。なにかの枝で傷つけてしまったんだろう。
(泣き言言っても仕方ないけどね)
ムスッとした顔に、痛みをこらえるしかめっ面が加わる。
地上。なんて大変なところなんだ。
「……もうちょっとで着くから」
リベルトがつぶやく声に顔を上げると、木と木の間に、なんとなく明るさが見えてきた。その明るさは徐々に近づいてきて、あっという間に景色が開けた。
「わぁ!!」
着いたのは、高台の上だった。
気付けば周囲は先程の場所よりも随分と木もまばらになっていて、とても見晴らしがいい。
遠く見渡せる高台の下には明るい森が広がっていて、緩やかにカーブを描く川が流れていた。
「――すごい……本当に、地上にいる」
傾いた日が、少しずつ空や森を暖かい色に染め始めていた。
風が私の肩までしかない赤い髪の毛を、さらさらと揺らして吹き抜けていく。
どこか現実味のないまま、ここまで来たけど。ここは――明らかに、船の国じゃ、ない。
ベシッと頭に何か当たった。
「いてっ」
「手伝え。これ持って」
見るとリベルトは太くて長い枝をロープでうまいこと支柱のように立てていた。そこにオリーブ色の薄い布がかけられている。
「なにこれ?」
「寝床。夜露に濡れて寝るの辛いでしょ」
支柱を支えていると、あっという間にオリーブ色の薄布が三角の屋根のようになっていった。
地面についている部分が少し内側に織り込まれている。そして更にもう一枚布を地面に敷いたら、ちょっとした部屋のようになった。
「すごい!!これどうしたの!?」
「パラシュートの布とロープで作った」
「へえぇぇ!すごい!こんなんどこで覚えたの?」
「だから……地上探索班だったから」
リベルトは面倒くさそうにはぁとため息を吐くと、今度は落ち葉や小枝を拾い始めた。
「……今度は何ごと?」
「火を起こす。少し夜は冷えるし……なにか食べないとだろ」
枯れ草や木の皮の上に小枝をパサパサと乗せ、そこに少し大きめの枝を乗せている。
「……火を?おこす???」
説明が面倒になったのか、リベルトは何も言わず、不思議な物をポケットから取り出した。人差し指ぐらいの長さの太い棒と、もうちょっと小さい平べったい金属の板。
「なにそれ」
「メタルマッチ」
「めたるまっち……?」
そう言うとリベルトは、2つをシュッとすり合わせた。パチッ!と火花が散り、枯れ草や細かい木の皮に火がついた。
「えっっなに!?マジック!?」
「火花で火を着けただけだよ」
「火!?火ってあのメラメラするやつ!?火花で火をつけるってっっグェホゲホ」
「……煙吸い込まないように風上に行きな」
「かざ……かみ!?」
「こっち」
涙目になって移動する。リベルトはうんざりした雰囲気を醸し出しながら、ふーふーと火に息を吹きかけていた。火はどんどん大きくなって燃え上がる。
しばらくすると太い枝にも火が着いた。パチパチと乾いた、気持ちがいい音がする。
「……すごい、これが、火」
「触ったらだめだからね。ちょっと食べ物取ってくるから……大人しくこれ見てて。絶対に、触るなよ」
「わ、わかった」
突如メラメラ燃える未知の火と共に取り残される。船の中では、火は火事になるといけないと言われ、基本使用禁止だった。加熱は炉や太陽のエネルギーを使うのが通常だ。かつて地上では火を使っていたというけど……これが、火。
ゆらゆらと揺れるオレンジ色のそれは、何故か私の目を引きつけた。不思議と、しっとりとした、落ち着いた気持ちになる。
「おまたせ」
「おかえ――なにそれ!?」
「……シュリープだよ。陸にいるエビみたいなもん。エビカマなら船で食べてるでしょ」
「えっエビってこんな大きいの!?エビカマみたいに成形したやつはもっと小さいよね!?これ、わ、私の顔ぐらいない!?」
暗い森から出てきたリベルトは、折れ曲がった長い棒のような足がニョキニョキ生えた、二匹の巨大なエビらしきものを持ち帰ってきた。
触角とか言った気がするけど、これまた長いヒモっぽいものがヒュンヒュン動いてる。
怖い。
なにこれ。
「ま、まさか……食べ物って……」
「これ」
「っ嘘でしょ」
「………………」
リベルトはしばし私の顔をじっと見つめてから、真剣な表情でまた口を開いた。
「これが食べれなければ、お前は今夜死ぬ」
「死、ぬ……?」
「……ちゃんと焼いてやるから、なんとかして食べて」
そう言うとリベルトはナイフで削った枝にシュリープをグサリと突き刺し、火の近くの土に枝を突き刺した。
シュリープが火に当たり、うごめく。
「うわぁ!?」
「…………………」
ゾワッとしながら火に炙られていくのを見る。パチパチとシュリープの殻が焼けていく。それは段々と赤く色付き、シュウシュウと音を立てながら香ばしい香りを立て始めた。
「……あれ、普通にいい匂い?」
「焼けたら結構美味そうだろ」
そう言うとリベルトは焼けたシュリープを手に取り、ボグッと頭を取り、硬い殻を外した。すると、プリプリの赤と白の身が、柔らかな湯気をまとって現れる。そしてどこからともなく出してきた塩をパラパラとまぶすと、スッと私に差し出した。
恐る恐る受け取る。
「た、食べて……いいの?」
「うん」
再び手元を見る。
ふわふわの、ぷりぷり。香ばしい、いい香り。
はぐ、と一口かじりついた。
「…………ん!!!」
「……うまい?」
「んひゃい!!」
ぷりっぷりで、こんがり焼けてて、塩味に、ジューシーな旨味。
これは。
最高では!!!
「お前エビ好きだもんな」
「んん〜〜〜!!」
夢中で齧り付く。美味しい。めっちゃ美味しい。
そしてなんとなくホッとしたような、穏やかな顔してるリベルトが見れてさらに幸せな気持ちになる。
なんだか、大変なことになって、無我夢中でここまで来たけど。
悪くないかもな……と、呑気なことを……この時は、思っていた。
読んでいただいてありがとうございます!
エビって冷静になってみるとすごい見た目してますよね。
「わかる~!蟹もすごいよね」と同意いただいた仲良くなれそうな読者様も、
「シュリープは普通のエビとどう味が違うんだろう...」と興味を持ってくださった食通なあなたも、
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