1-1 船の国
全22話完結済みです!ぜひ最後までよろしくおねがいします!
「それ、地上の図鑑か何か?」
リベルトに話しかけられた。嬉しくて満面の笑みでぱっと顔を上げる。目が合うと、何だか面倒くさそうに目を細められた。何故だ。
本当はその深い青色の目に優しく情熱的に見つめられたい……のだけど。それが叶ったことは、残念ながら、無い。むしろウザいキモいメンドクサイ、という不機嫌なビームが出ていそうな眼差し。
話しかけてきたのはそっちなのに、どういうことよ。
でも、なんだかんだ隣に座ってくれて、またテンションが上がる。私は単純だ。ウキウキと手元の絵柄を見せる。
「そう、地上の図鑑だよ。これは……ツタの一種だって。変な形だよね」
「……何でそんなん見てるの」
「何でって……気になるから?今地上ってどうなってるのかなーって、気にならない?」
「まぁ……」
「ハッハッハ、モネは好奇心旺盛だな!」
私達の会話を聞いていた店のオーナー、マッチョなザッカスさんが、ドンっと今日のオススメ定食をカウンター越しに出してくれた。
「おまち〜!エビはサービスな」
「エビ!!いいの!!?」
「おうよ。まぁもちろんフェイクのエビカマだけどな」
「十分!!」
大喜びでエビ……のように成形したカマボコ風のものを食べる。もちろん十分に美味しい。というか、本物のエビなんて食べたこと無いんだけど。
「地上ねぇ……今は異形だらけっていうだろ?怖くねぇのかモネは」
どしりと後ろの席に座ったおでこの広いケイドスさんが、グビグビと泡だらけのお酒を飲み干しながら、私を小さい子のように見た。イラッとして口をとがらせる。これでも成人女性なんですけど。チビだけど。チビだけれども。
「みんな異形が怖いって言うけどさ。誰もちゃんと見たことないじゃん。本当にあんな絵に書いたお化けみたいなやつなのかな。必ずヒトが怖いと思うような外見で異形になるなんて、天敵でもないのにメカニズムとしておかしくない?絶対妄想でしょ」
「出た。モネ、案外理系脳のリアリストだよね。さすがシステム修理担当」
幼馴染みのジャンティが、笑いながらリベルトとは逆側の、私の隣に座った。
そう、私達は修理屋だ。
ここは、空の上にある巨大な船の国。ヒトが異界の空気と異形に侵された地上から逃げるように空で暮らすようになってから、150年ほどが経った。
地上を知るものはいなくなり、船で生まれ育った者ばかりになった。地上で生きていけない私達は、日々この古い船を修理しながら暮らしている。私は、その船の外壁関連の修理屋だ。
遥か上空、超高度での外壁修理は、ただの壁の修理からエネルギー炉や太陽電池の修理、換気システムやそれらを繋ぐ諸々のシステムの整備まで多岐にわたる。だから、色んな技能を持つ人が集まって、一つのチームになって修理にあたっている。ジャンティもケイドスさんも、同じ修理チームで働いている古株だ。リベルトは一年ぐらい前から同じチームで働いているんだけど、根性と筋がいいとかでケイドスさんに重宝されている。
危険な船の外壁工事の仕事。
落下したら命はない――その代わり、ちょっとお給料がいい。
そんな仕事をしているチームのみんなは、何かしら事情をかかえた者たちだ。詮索するのはご法度だからあまり詳しくは知らないけど、私とジャンティは孤児で、同じ施設で育った幼馴染みだ。
そんな私達は今日も仕事を終え、船の下町と呼ばれる下層の、馴染みの酒場兼定食屋にやってきている。
私は最後のエビカマを味わってから、もう一度地上への思いを馳せた。
「せめて毒の霧さえなければ望遠鏡で地上が見えるのに」
「どうせ霧の切れ目があっても見えないんでしょ?モネ、前によく分からない磁力だか何だかに妨害されるって言ってたじゃない」
店のセクシー担当メリノさんが、ケイドスさんと、その向かいに座る無精髭の常連さん、ヘイズさんにおかわりのお酒を渡しながら、色っぽい表情で笑った。プリプリの谷間が見えそうだが……私が見たいのは谷間ではなく地上だ。
「そう……結局見えないんだよね、地上……気になる……」
「ちょっとモネ、うっかり地上への夢にさそわれて、落っこちないでよ?」
ジャンティが可笑しそうにクスクスと笑って私の顔をいたずらっぽく覗き込む。
「そんなへましません〜」
「ほんとに?」
この幼馴染みはふわふわしてていつも優しいんだけど、よく私のことをイジるのが玉にキズだ。なにを、と思ったら、逆側からもっと失礼な声が聞こえてきた。
「モネ、どんくさいからな」
「リベルト酷くない!?」
いつもつれないリベルトが、余計に不機嫌そうな顔をしている。せっかく隣に座ってくれたんだから、もうちょい楽しそうな顔をしてほしいのに。
「お前運動とかできるの?」
「できるわよ!いつも命綱一本で立派に外壁渡り歩いてるの見てるでしょ!?」
「……あれって運動?」
「……………たぶん?」
そう言われてみると。よくわからなくて怪訝な顔をしながら首を傾げた。
「まぁモネも昔に比べるとかなり外壁渡り上手くなったよな!明日も頼むぜ。明日は最下層の古い区画の外壁だ。ちょっと老朽化もしてきてるし、しっかり修理が必要だ。今日はきっちり食って休んで、明日もよろしくたのむ!」
「はーいケイドスさん!」
ケイドスさんはもう酔っ払ったのか、広いおでこを赤く上気させながら、仲良しのヘイズさんと一緒に上機嫌で帰っていった。
「最下層かぁ……1番古い区画だよな。修理大変なのか?」
「私も久々に行くからわかんないな」
「まぁ、どっちにしろ気をつけて行ってこいよ。外壁修理の落下事故は、本当に多いからな」
ザッカスさんが私達を気遣うような言葉を吐きながら、本日のオススメ料理の丼ぶりをドン!とリベルトの前に豪快に置いた。
「リベルトのエビのほうが多い!!ザッカスさんえこひいきじゃない!?」
「リベルトのほうが身体でかいだろ?」
「えー!!そんな理由!?」
「………ガキか」
リベルトはうんざりした顔で、1番大きなエビカマを私のお皿にポイと入れた。
「くれるの!?」
「……今日はあんまエビの気分じゃないから」
「ぃやったぁぁぁ!!ありがとうリベルト!!大好き!!!」
大喜びしてエビカマにかぶりつく私を見て、ジャンティが可笑しそうに笑った。
「なにリベルト、モネのこと餌付けしてんの?」
「子豚は食い物で黙らせるのが一番楽」
「はぁ!?私は子供でも子豚でもペットでもないからね!?」
このチームの人たち、いつも私の扱いが酷い。ジャンティがまた優しい顔で可笑しそうに笑いながら、スラリとした指でフォークに刺さったエビをプラプラさせた。
「まぁまぁモネ。僕のエビも一個いる?」
「いいの!?」
パァ、と顔を輝かせるが、やっぱり反対側のリベルトから横槍が入る。
「ほんと単純。あぁ、豚だからか」
「リベルト今日暴言多くない!?」
「食いすぎるとそのエビカマみたいにまん丸になるぞ」
「なりません!!!」
「あ、これやるよ。飴玉」
「えっありがとう!美味しそう〜!」
喜んでリベルトからキャンディを受け取る。そして、ハッとした。
恐る恐るリベルトを見る。
俯いたリベルトの青みがかったツヤツヤの髪の毛が、笑いを堪えるように震えていた。
「謀ったなリベルト!!」
「いやお前食い意地張りすぎだろ」
そうして笑いながら顔を上げたリベルトの表情が、何だか無邪気で柔らかくてキラキラして見えて。
やっぱり好きだなぁと、顔が熱くなる。
……顔が熱いのは、食い意地張ってると言われて恥ずかしくなったのもあるけれど。
「ほらほら、お前ら早く食ってくれよ。そろそろ店じまいだ」
「はーい!」
ザッカスさんに苦笑いされながら、慌てて残りのご飯を食べる。明日の朝も早い。確かに早く寝て疲れを癒やしたほうが良さそうだ。
私はその日、リベルトにもらったキャンディをニヤニヤしながら眺めて、幸せな気持ちで眠りについた。
チビな私は、いつもおこちゃまかペットの子豚のようにしか扱われないけど。
いつか、リベルトに好きだよって言えるときが、くるだろうか。
――なんでそんな風に、のんびり片思いなんて、してたんだろう。
次の日、私は激しく後悔することになった。
それは、船の外壁の最下層の、システムの修理コードを確認している時だった。古い外壁に沿って慎重に命綱を垂らして降り、作業を開始して暫く経った頃だった。
「………あれ?」
「どうした?」
「何か………コードがおかしい?」
今日の作業のペアはリベルトだった。リベルトは私の少し上で作業していた。ガチャガチャと手元の機械をいじりながら、私の方を見下ろす。
「お前昨日確認してただろ」
「したんだけど……昨日のと、ちょっと違う……?」
『どうしたモネ?』
通信機からケイドスさんの声が聞こえる。ポチリとスイッチを押して、ケイドスさんと話す。
「何か修理コードがおかしいみたいなんです。他の部分もおかしくないか確認お願いします」
『修理コードがおかしい?昨日確認しただろ。見間違いじゃないのか、モネ』
ジャンティの訝しがる声が通信機から聞えた。
「うん、そうなんだけど、この部分が……」
具体的な箇所を読み上げ、改めて首を傾げる。
「……このコード……この部分だけじゃなくて、全体的におかしい……」
「間違ってんの?」
リベルトが手元の修理を終えたのか、ガチャガチャと外壁カバーのネジを締めながら私の方を覗き込むように見下ろした。
「うん……やっぱり、違うし…………それになんだか……」
手元の画面に映る、おかしな配列のコードをもう一度上からなぞる。
「…………敢えて、壊そうとしている……?」
「モネ?」
なにかヒヤリとしたものが胃に流れ込んできた。
見慣れない保護コード。意図的に間違った配列。
まさか、これは。
「っ待って、昨日確認したコードと比較する。私の部屋のシステムに転送して確認したら、すぐだから――」
そうして、自分の部屋のシステムに繋いで転送し、照合をかけようとした時だった。
ガァァァン!!と、外壁の一部が弾け飛んだ。
あ、と思った時には、爆風に煽られて、私の身体は宙に浮いていた。命綱一本で、宙にぶら下がる。
危なかった、と命綱を見上げると。
命綱を繋いでいた手すりが、壁から外れかけていた。
ギィ……という音を立て、ゆっくりと、手すりがしなる。
―――落ちる。
直感で、そう悟った。
「モネ!!!」
リベルトの切羽詰まった声が聞こえてはっと見上げた。
命綱を限界まで伸ばしたリベルトの表情が、今までに見たことないぐらい、必死だった。
差し出された手。
あとちょっと、届かない。
ギィ、と私の命綱を繋いだ古い手すりが、嫌な音を立てて歪む。ゴゥと吹く上空の強い風が、私の身体を強く揺する。
「リ、ベルト……」
「バカ!諦めるな!!早くもっと手伸ばせ!!」
「だ、って……リベルトの、方も……」
老朽化した船の最下層の外壁は、爆発の負担に耐えきれず、上空の強い風に煽られてあちこちで嫌な音を立てていた。いくつか外壁が剥がれ、遥か遠く、地上へと落ちていく。
リベルトの命綱と繋がる外壁は、まだなんとか耐えているけれど。
多分、私の身体までささえる強度は、もう残っていない。
がくんと、また一段自分の身体が下がる。リベルトの命綱を繋ぐすぐ横の外壁が、嫌な音を立てて剥がれ落ちた。
リベルトが伸ばしてくれた、なんだかんだ、優しい手。
今じゃなければ、喜んでその手を取れたのに。
大好きな所は沢山あるけど、なんで好きなの?と聞かれると、分からない。
分からないけど、好きだった。
身寄りのない船での暮らしが、色づいて明日が楽しみになるぐらいには。
船の下層の住人の、外壁工事の仕事。この仕事を選んでいる時点で、ある程度、覚悟はできていた。
私は少し悩んで、リベルトに伸ばした手を引っ込めた。
「……二人一緒に、死ぬことないでしょ?」
「アホな事言ってないで早く――」
ガギィィ、と手すりが大きく歪み、ガクンと身体が揺れる。遠く上の方のテラスの作業場で、同じ修理チームのみんなが大慌てで何か叫んでいるのが、妙に遠くに響いて聞こえた。ケイドスさんがロープを投げ、ジャンティが必死でこちらに降りてきている。
「モネ!!」
「……リベルト」
――大好き
そう、最後に言いたかったんだけど。その言葉はガギィィン、という嫌な金属音にかき消された。
私の命綱を繋いでいた古い手すりが、船から外れた。
一瞬時が止まったように、ふわりと身体が浮かんだ気がした。
リベルトの見開いた青い目。
それと同じぐらい青い空。
真横に見える、流れるような白い雲と、その少し下に見える、橙に煌めく毒の霧。
そうか、このまま、私は地上へ――
妙に客観的に思う自分がいた。多分、地上につく前に、毒の霧で命を落とすのだろうけど。
瞬間、酷く乱暴な、体が芯から叫ぶような落下の感覚が襲ってきた。あ、と何かに掴まろうとしたけど、もちろんそこには何もなくて。急に、死の恐怖が湧き上がってきて。
猛スピードで耳元を過ぎ去る風の音だったのかもしれないけど。多分、叫んでいたんだと思う。
遠くなる意識の中。不意に、しっかりと抱きしめられたような気がした。それから、ごめん、という声と、何かが柔らかく口を塞ぐ感触。
なぜか、リベルトの優しい香りがした気がした。
こんな、超高度の船から落下してるところに、リベルトがいるわけないのに。最後の最後に、何も伝えられなかった後悔が見せた幻だろうか。
もっと早く、玉砕覚悟で、好きって言えばよかったな。あぁ、リベルトにもらったキャンディも、食べそこねちゃった………
私は人生最後の幸せな幻の中で、後悔と共に、意識を手放した。
読んでいただいてありがとうございます!
今回は今までとちょっと趣向を変えてSFチックなお話です。
「っていきなりヒロイン大ピンチじゃん!?」とハラハラしてくださった素敵な読者様も、
「ふ、私にはわかる」と完ぺきな先読みをしてくださった玄人読者様も、
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