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異世界王女、日本を学ぶ  作者: 万間宮
7/7

コーンスープと決意

 目覚ましをかけない水曜日は、大概8時半に起き上がる、というのが美鈴のルーティーンだった。スマホを片手にトイレへと向かうと、これから出勤する母親が気付いて声を掛ける。

「ルルちゃんまだ起きてきてないから、朝ごはんとか出してあげて」

 何事も無いようにパートに行くものだから、彼女はとっくにこの家から出ていったと思っていた。

 玄関を覗き込むと、自宅に似合わない赤いヒールの靴が置かれたままだ。

「兄ちゃんも起きてないの」

「いつものことでしょ。行ってきます」

 ばたんと閉まったドアの音だけが響く。2階から物音は何もない。

 美鈴は誰に聞かせるでもなく大きな独り言でこのシチュエーションを嘆いた。


 昨晩、割ときついことを言った。

 それは9割方ルル・ベリットと名乗る人物のことを信用していないからで、あれくらい言ってよかったのだと美鈴は自信を納得させる。

 廊下の奥にある兄の部屋は変わらず静かで、起きて活動している様子はない。

 目の前のゲストルームも人が動いているような音はしなかった。

 意を決して扉をノックすると、中からはっきりと高い声の返事がした。

 一瞬、彼女は靴という証拠を置きっぱなしにして窓から逃げ出しているのでは、なんて思っていたのだが、その想像は外れていたようだ。

「美鈴です。入るよ」

 一声かけて扉を開けると、ルルは未だ掛け布団に包まれたまま、ベッドの上で横になっていた。

「起きてた……んだよね?」

 起き上がらず目線だけをこちらに向けてくる。先ほどの反応からして、ノックの前から目を覚ましてはいたようだったが、動き出す気配はない。

「はい。日が昇り、明るくなったので目を覚ましました」

「じゃあリビングに下りればよかったじゃん」

「ええと……起床のお世話をしてくれる方がいませんでしたので」

 困ったように笑うルルを見たまま美鈴は固まる。

「え、なんて……お世話?」

「はい。朝のご挨拶と布団を持ち上げてくださる方、髪を梳いてくださる方、お顔に魔法をかけてくれる妖精さん……誰もいらっしゃいませんでしたので、このままここにおりました」

 ジャージ姿で立ち尽くす美鈴に、なんの嫌味もなく言ってのける。

 未だにその妖精さんを待ち続けているらしいルルに、最早何を疑う気にもならなかった。

「なんで異世界転生されてきたんだか……あ、転生じゃあないのか……いやもうどっちでもいっかぁ……」

 呟きながら、隙間から陽が射しこむカーテンを全開にする。

「おはよう、ルル。言っとくけど私、“窓から日差しを取り込む方”じゃないからね」

「おはようございます。ふふ、そのようなお手伝いをしてくださる方はいらっしゃいませんよ」

 知るかい、とツッコミながら彼女を起こす。この家では誰もお世話はしてくれないものだ、と言い聞かせると、ルルはわたわたと慌てだし、朝起きてから何をすればいいのか分からず戸惑っていた。


 リビングに鳴道がやって来た時、既に女子2人は集合していた。

「やっと起きてきた。おっそい、起こしたじゃん」

「ごめん、眠くて……あ、ルルさんおはよう」

 キッチンで食器を片付けていた美鈴に、平謝りで返す。不満気な美鈴から目を逸らすように離れた窓側のソファーを見ると、そこに座っていたルルが微笑んだ。

「おはようございます。ミスズさま、私も何か……」

 ローテーブルには美鈴のものであろうスープカップが置かれっぱなしになっている。

「いいからそこ座ってて。もう終わるから」

 授業のない水曜日は夕方から日本語学校で働くだけで、朝から動き出すことは滅多にない。鳴道は大きなあくびをしながらダイニングチェアを引き出し腰かけた。

「昨日の昨日、知らない女の子を連れて来たばっかりなのによく寝てられますねぇ」

 作業を終えた美鈴は、一口スープを飲むとそう言った。

「朝から早速だけどさ……ルルがこの家に住むこと、とりあえずは見守ることにする」

「美鈴も信じるってことか?」

「信じるっつーか、この子の常識の無さ見て受け入れるしかないって思った……みたいな」

 ルルはにっこりと笑っている。恐らく会話を理解できていないだろう、と2人は顔を見合わせた。

「ホームステイだって言うんなら、兄ちゃんがルルに教えてあげてよ。家のこともだけど、この感じだとここで暮らしてくなんて到底無理だろうし」

 鳴道は頷きながらも、美鈴にここまで言わしめるルルの大物っぷりに多少身構えていた。自分が起きるまでにいったい何があったのだろう。

「で、私は『ディスデス』のこと教えてあげる」

 積み上げたコミックにそっと手を置いた。

「本気で“ここ”に帰りたいんなら、この中にヒントがあるかもしれない。逆に言えばこの中以外に、ルルが言ってる世界は存在しない」

『存在しない』、その言葉を聞いて、ルルは両手で包み込んでいたカップを、ぎゅっと強く持ち直した。

「言っとくけどホントにただのファンタジーなんだからね」

「この世界では空想でも、私は“その世界”で産まれ、生きてきました」

 ルルは立ち上がりまっすぐ美鈴を見つめた。

「ミスズさま、この世界に広まっている『オーフォンテ』の姿を教えてください」

 一礼してから鳴道の方へ向き直り、寝ぐせの残る彼に、真剣に伝える。

「ナルミチさま……いいえ、ナルミチ。ミスズさまから、あなたはこの国、日本の文化や言語にとても詳しいとお聞きしました」

「詳しいって、まぁ……」

「一晩、考えました。涙をこぼしそうになりましたが、決めました。オーフォンテに帰るまで……帰ることが叶うまで、日本で暮らしていきます」

 ルルは深く頭を下げた。

「よろしくお願いいたします。日本のことを教えてください」


 異国で、異世界で、ぽつりと一人突然歩き出すことになった彼女に、手を差し伸べたいと思ったのは他でもない鳴道だった。

 助けの求め方も分からない多くの人を知っている彼にとって、自らの境遇を受け入れ、進もうとする彼女を拒む……その選択肢は無い。

 できるだけ驚かせないようにと、そっとその目線の先に片手を差し出す。

「ぜひ、あなたが日本で暮らしていくお手伝いをさせてください」

 顔を上げたルルに、鳴道は目を細めて笑いかけた。

 漫画の表紙をなぞるように見ていた美鈴は、ふとその目線に気付いて、仕方がないようにふっと口角を上げる。

 ルルは差し出された厚い右手に両手を添えると、震えるように、小さく力を入れて握り返した。

ぬるくなったスープに日差しが届く。

3粒のコーンがゆらゆら遊ぶように浮かんでいた。

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