再会と疑惑
ドアを開くと、スパイスの効いた独特な香りが漂ってきた。ルルにとってそれは初めて感じる匂いだったが、空っぽの胃が反応して音が鳴りそうで、とっさに腹を押さえた。
「カレー、好き?」
「カレー?」
鳴道は、ぽかんと言葉を飲み込むルルに微笑んだ。恐らくルルにとって初めてのカレー体験は良いものになるだろう、そう思えるくらいには家のカレーライスを気に入っていた。
「鳴道ー?美鈴ー?帰ったの?」
リビングとの扉越しに声がして、すりガラスに映る影が近づいてくる。
「あ、俺。ただいま……」
「おかえり……えっ、なになに誰?」
いまだ靴を履いたまま玄関先に立つ2人を見て、母親はお手本のように慌てだした。
「お、おと、お父さん呼ぶ?」
「あー多分母さんが思ってるヤツじゃないけど、母さんと父さんにお願いがあって」
「ていうかいつまでそんなとこ立ってるの、早く上がって!えっと……」
「オーフォンテ・ルル・ベリットです」
胸に手を当て軽く礼をする異国の美少女と母親の対峙というシュールさに鳴道は笑いをこらえていた。
リビングルームに顔を出すと、廊下のざわつきに気付いていたらしい父親と目が合う。
「おかえり。どうしたの?」
「えっと、ちょっとご説明したいことがありまして……」
扉が完全に開くと同時に見えたルルの姿に、ソファーに深く腰掛けていた父親が背筋を伸ばした。
「なになに、誰?」
「再放送かよ」
一般家庭のリビングではおよそ飾る機会も無いであろう、真っ赤なドレスの美少女を前に、鳴道の両親は驚きとちょっとの期待を胸に抱いていた……そして鳴道はその期待を捨てさせるため、さっそく本題へと入るのだった。
両親ともに揃い、咳ばらいをひとつする。
「えー、まずこの子は恋人とかじゃなくて、日本語学校の生徒さんなんだけど」
「なあんだ」
「鳴道には可愛すぎるって思ったのよね」
「はいはい……こちら、ルルさん。ちょっと訳アリで家に帰れなくなっちゃってて、うちが代わりにホストファミリーになれないかなっていう、お願い……です」
紹介されている間も、ルルは鳴道の自信を信用できなかった。
断られた後にどこに行って夜を明かそうかと考えている間にも話は進んでいたようで、肩をやさしく叩かれてハッと顔を上げる。
「今日からよろしくね、ルルちゃん!」
「……えっ」
「色々あったみたいだけど、うちはこれまでも何回か留学生の子を迎えたことがあるの。安心してね」
鳴道と目を合わせる。
彼は軽くうなずいた。
ルルは自らを守るように両手をぎゅっと握っている。
「私のことを、信じてくださるんですか……?」
聞いた母親の微笑みは、先ほどの鳴道とよく似ていた。
「息子が真面目な顔でお願いするんだもん、信じるも何も疑うことなんて何もないわよ。ちょっとは反対した方が良かった?小芝居しちゃおうか?」
その優しさに、気付くと一粒涙がこぼれていた。
ありがとうございます、そう深くお辞儀すると、緊張のゆるみからか間抜けに腹の虫が鳴いた。
ルルはそそくさと逃げるように鳴道に助けを求めた。
「……コグレさま」
その声に、3人分の返事がする。
困り顔で笑いながら、鳴道は手を挙げて名乗り出た。
「鳴道、でお願いします」
「では、ナルミチさま」
ルルの呼応を聞いた両親は、自分の事のように照れ笑いを隠さない。
「いやっ、『様』はいりません……鳴道でいいから」
ルルが呼び捨てを練習していると、小暮家の玄関が再び開く。ただいまの声と共に、にぎやかなリビングへ入ってくる人物がいた。
「うわっなになに誰……」
鳴道がツッコむ間もなく、帰宅した彼女が声を上げる。
「あなた、昼間の……!」
長く垂れるそのみつあみを見て、ルルもあっと口元を押さえた。
身に着けているものは変わっているが、その特徴的なツインテールには確かに見覚えがある。
「あら、どこかで会ったの?」
「う、うん……びっくりした。今日バイト先の路地裏でしゃがみ込んでて……」
アキバで放浪していたのか、とその足元を見た。鳴道が考えるよりもずっと、彼女は必死にもがいていたのかもしれない。
「俺の妹の、美鈴。うちは4人家族だから、これで全員です」
ミスズ、と小さく呟いたルルに、兄妹揃ってぺこっとお辞儀をした。
「こちら、事情があって、今日からうちに住むことになった留学生のルルさん」
そのお辞儀に返すように、ルルは頭を下げる。
「オーフォンテ・ルル・ベリットです。本日から……」
「オーフォンテ?」
目を細めた美鈴に、ルルは挨拶を中断して答える。それは彼女にとって何度目かの説明だったが、美鈴から流暢に発せられた“オーフォンテ”という言葉が一瞬だけ違和感を覚えさせた。
「はい。オーフォンテという国から来ました。ルル・ベリットです。ルルとお呼びください」
「わかった。うちには泊めてあげらんない。今すぐ帰って」
そう言い放つと、美鈴は一歩ルルから離れる。
「おい、何言ってんだよ」
「兄ちゃんが連れて来たの?本気で留学生だと思ってる?」
留学生と思っているかどうかの問いにはすぐに頷けなかった。何しろその設定は鳴道自身が作り出したものだからだ。
顔を見た段階ではここまで強く拒否していなかったが、ルルが名乗ってからこの態度……聞き覚えのない国名に不信感を抱いたのか。
「日本語学校に通い出した生徒だよ。オーフォンテって知らないと思うけど……」
「知ってる。ルルはオーフォンテの王女様でしょ」
「私をご存じなのですか!?」
思わず会話に入ったルルに、美鈴は呆れながら答える。
「知ってるから今すぐ出てって。やっぱりただのレイヤーじゃんっ」
しんと静まった部屋のなかで、美鈴は再び口を開いた。
「『ディス・デスティニー』のヒロイン、ルル・ベリット。コスプレしてるあなたは誰なわけ?」
水彩で描かれた“ルル・ベリット”が浮かび上がるスマートフォンを突き付ける。それはまるで、沈黙するルルを鏡に映したようだった。