プロローグ -りんりんとアキバ-
――火曜のアキバは割と静かだ。
週末と比べてご主人様の入りは少なく、一息つく時間も取れる。そう思いつつも、生真面目な性分からか何かしら動いていないとばつが悪かった。
仕事を探してキッチンホールにあるごみ袋を見に行くと、9割方埋まっている……火曜日は毎週こうだ。壁に張られたチェック表を遡る。火、金、火、土、火、木、日……たまには月曜出勤の誰かがごみをまとめてくれても良いんじゃないの?頭の中で愚痴りながら、フリルたっぷりのカフスを外して、ぐいぐいと中身を押し込む。押さえつけないと縛れないくらい詰め込む前に、次のビニールを用意してくれればいいのに。
週明けってそんなに忙しいわけ?大きなごみ袋を抱えてコンクリートの階段を下り、みつあみツインテールを揺らしながらまたそんなことを思う。月曜休みの彼女には知る由もないけれど。
がっちゃん、と大きな音を立てて扉を開ける。裏口に置かれた灰色のペールに目をやると、その傍に一瞬何かが見えた気がした。
見間違いか、と目を細める。ここ半年、若干コンタクトの度が合わなくなっていた。人の気配もないな、とごみ箱の蓋に手を掛けたとき、はっきりとその陰に“異質な布”が見えた。
「おっ、だ、誰!?」
誰かが膝を抱えてしゃがみこんでいる。
思わず大きなごみ袋を抱きしめてしまった。
……誰か、と形容するにはいささか個性が強すぎる。透き通るような金髪は、綺麗ではあるが櫛を通したくなる荒れ方だ。ビルの隙間から差し込む日差しによって、オーロラのように色味が変わって見える。ひときわ目立つのは、体操座りをしても隠し切れないその真っ赤なドレスだ。何層にも重なったレースは、彼女の足元をすっぽりと覆い隠している。膝に顔を伏したその姿は、明らかにこんな薄汚い路地にあっていいものではなかった。
驚いた声に気付いたのか、少しその顔が傾けられる。
「ねぇちょっと……大丈夫ですか?」
続けて声を掛けると、さっきよりも顔が上がって、ゆっくりと目が合う。
内心ぎょっとした。日本人離れした、珍しいほど整った顔立ちだったからだ。
「体調悪いんですか?えっと、レイヤーさん……とか?」
ドレスの美少女は1度だけ首を横に振った。それは前者に対してなのか、後者に対してなのか。
「大丈夫ですか?救急車とか呼びます?」
「……きゅうきゅう……?」
初めて口を開いた。やはり外国人なのか、日本語が分からないのか。
「えっと、病院!痛いところがあるなら、医者に、えっとドクターに、ゴー??」
申し訳ないが、私は超・純・日本人なのだ、と苦笑いをする。
どのワードに聞き覚えがあったのか、美少女ははっとしてまた首を振った。
「わたし、大丈夫です!」
問題ないことをアピールするようにふらつきながらも立ち上がる。流暢な日本語だった。よく見ると、ドレスの裾は千切れたようにガタガタで、エナメルが輝くストラップシューズの先も傷だらけだった。
未だごみ袋を抱えたまま一つの結論に辿り着く。……やっぱりこの人、コスプレイヤーで間違いないでしょ。この辺りで撮影してたけど変なカメラマンから逃げて来たとかそういう事情がありそう。何にせよ、このまま放っておく気にもなれない。
「わかった、救急車は呼ばないから!でもそんな恰好でこんなとこにいたなんて、見なかったことにできないよ」
やっとペールの中にごみ袋を詰め込み、二段だけの階段を下りて路地に立つ。
「よかったらだけど、うちの休憩室で休んでいく?お店……あ、普通のカフェだから!変な所じゃないから!」
理解したのかしていないのか、10センチほど高い目線から、じっと見つめられる。視線の先は、頭の少し上と、お尻にある。
「それ、ティムの人の……」
「えっ?あ……えっと……」
ティム、という単語に聞き覚えは無かったが、彼女が気になっているのは“コレ”のことで間違いなさそうだ。
「カフェって言っても、うち、コンカフェなの。わかる?猫耳としっぽ……」
へらへらと笑いながらそれを撫でると、ナチュラルなエメラルドグリーンの瞳がすっと逸らされる。
「やっぱり違うんだ……」
漏れたつぶやきを聞き返す前に、あの大きな音を立てて扉が開く。
「りんりーん!?あ、いた!」
扉の音より数倍大きな声で“りんりん”を呼んだのは、彼女の同僚だ。
「チェキ呼ばれたけど、その子誰?」
「ごみ捨てに来たらここにしゃがんでて……多分訳ありレイヤー、ってとこ」
こっそりと耳打ちするが、直後に放たれたその相槌の大きさにりんりんは顔をしかめる。
「えーっなんかヤバそうだけど上がってったら!?てかめちゃめちゃ可愛いじゃん!それなんのキャラ?コスアカとか持ってるん?」
「ちょっと、みおち!」
背の高い“みおち”はその前髪の奥を覗き込む。金髪がひらりと逃げるたびに、ヘッドフォンのようにまとめた茶髪が追いかける。りんりんの気遣いも空しく、その怒涛の圧に背中を押されるようにして、真っ赤なドレスをたなびかせ美少女は逃げ去っていった。一瞬振り返ったその表情は、りんりんにはぼやけてよく見えない。それでも彼女が「大丈夫」であるとは到底思えず、その背中を見つめていた。
「うわ、びびらせちゃったか……大丈夫なんかな?」
「多分あんまり大丈夫じゃないと思う……」
「マジか。って、りんりんも大丈夫じゃないから、早く上がってきて!」
バシバシと尻を叩かれると、括りつけられた真っ白なしっぽがふにゃんと揺れる。
「え?……あっ、チェキ!」
「お待たせ中だにゃ~」
接客業モードに切り替えながら店内に戻る。再び大きな音をたて、扉が閉まった。
なんにもないはずの火曜日。今日のアキバはちょっとだけ、いつもと違った。