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Bright  作者: 中山洋平
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懲役と、頭の逝かれた愉快ななかまたち


「クレヨンしんちゃんに回してください」


俺は、その男が何を言ってるのか理解できず、自分の耳を疑った。


何の話かというと、刑務所の自由時間の中で、2時間だけテレビを視聴する時間が許可されていて、刑務所によってはチャンネルを自由に変えることができる刑務所もあるのだが(務所用語で自由チャンネルと呼ばれる)その貴重な時間を使って、犯罪者でもある大の大人がよりによってクレヨンしんちゃんを見せろというのだ。


雑居房の中にテレビは1台しかない。


みんなそれぞれ見たい番組があるだろうが、一番長く雑居房で生活している受刑者は「房長」と呼ばれ、大抵の決定権は房長にある。もちろんテレビ番組の決定権も然りだ。


房長が「クレヨンしんちゃん」を見たいといえば、チャンネルを変える権利はほかの受刑者にはない。


俺は元々自由時間はすべて読書や勉強、囲碁、と楽しみが多く自由時間は趣味を楽しむ時間に充てていたので問題ないが、これといって趣味のない受刑者はテレビしか楽しみがないから、がっかりのしょんぼりだ。


小指のないおっさんが、胡坐をかき腕組みをして眉間にしわを寄せ、じっと「クレヨンしんちゃん」のケツを凝視してる姿は異様で、サイコパスの趣を感じさせる。


刑務所での集団生活は、本当に理解できない特殊なルールが多い。


房長が便所に入ったら、一番下っ端の新入りは石鹸をもって便所の前で待っていなければならないといったルールの存在する部屋もあった。


 まぁ、当然俺は


「は?なんで俺がお前のために石鹸もって便所の前で待ってなきゃいけないの?今すぐお前を殺してやろうか?」


 と、そのルールの受け入れを拒否したが、犯罪者にも色々なタイプの犯罪者がいて、例えば初犯の受刑者でもピンク(性犯罪)や窃盗の受刑者などは、普段から暴力団などの犯罪組織と関係が有るわけではないので怖い大人に免疫がなく、言われたら言われっぱなし、やられたらやられっぱなしの大人しい受刑者が多い。


その点でいうと、刑務所の中では暴力団組織に加入してる受刑者は「現役」と呼ばれ、様々なルールから除外特典を受けることができる。


なので、やくざでも何でもないやつが、「自分は現役です」と現役を語る素人も多いが、嘘がばれたら、えらい目に合う。


どこの工場、どこの舎房に移動しても「○○は語り」と話が回り、シカトされ追い込みをかけられ工場からも舎房からも追い出される。


当然のことだが、受刑生活には楽しみなんてものはない。

そのうえで話し相手を奪われ、励まし合う仲間の一人も作れないことは辛いことだ。


自分の立場を確保したければ、ハッタリなんかで立場を作り上げようとせず、度胸と腕っぷしでのし上がり確保するしかない。


俺は、拘置所の食っちゃ寝暮らしが祟り、半年で体重が30kg増加し、90kgまで体重が増えてしまったが、刑務所に入ってからは時間が許される限り筋トレに励み、一日30分の運動時間はひたすら走りこんだおかげで、肉体改造に成功し、外国人受刑者から「ランボー」と呼ばれる様になっていったことから「俺がこの刑務所で一番強ぇ!!」と思っていたので、理不尽なルールを押し付けられることはなかった。



不思議なもので、そうなると刑務所のなかで名の売れてる受刑者とも仲良くなったりする。仲間を通じて他の工場や舎房にも話が伝わり、俺自身も刑務所で名前が広がっていく。


おかげで、仲間を作ることには苦労がなかった。



 雑居房や工場での集団生活は、ありきたりな言い方をすると社会の縮図と言えるだろう。


政治があり、力関係があり、組織が作られ、煩わしい人間関係があり、時に仲間のありがたみを思い知る。


刑務所っていうのは学校みたいなもんだ。


 俺は28歳で刑務所に入った。


元々子供のころから「お前は目立つんだから気を付けて生活しなさい」と折に触れいろいろな人から注意を受けていたが、受刑者となったとき、まだ若かったこともあり生意気の塊だった。



何度も喧嘩騒ぎを起こしたり、刑務官に逆らって懲罰房送りになり、工場も転々とさせられていたが、そんな問題児だった俺のことを目にかけてくれる刑務官も多かった。


そんな刑務官たちの熱い思いが俺の意識を変えるきっかけになったことは疑いようのない事実と言える。


 ちょうど、当時「ルーキーズ」というテレビドラマが放映されていて、そのドラマを見るたびに「こんな先生が身近にいたら俺も違った人生を生きてたのかもなぁ」と思ったもんだ。


正しい教育を受けることは大事なことだと思う。


 それはマニュアルに沿った正解のある教科書通りの教育ではなく。


血の通った言葉、その人のことを思いやり信念を貫き、大事なものは何かと教えてくれる。

そんな教育が今の教育社会に欠如してるのではないかと俺は勝手に考える。



俺は娑婆に出てきて数年経った今でも、人に立派だと言われるような生き方をしているわけではない。


でも、こんなことしてて良いのかなと思うたび刑務所で出会った刑務官たちの顔が浮かぶ


「洋平っっ!!やるべきことをやれよぉっっ!!」


目をつむると、刑務所の中で一番厳しいことで知られる工場担当刑務官『おかピー』が顔を真っ赤にして唾を飛ばしながら俺の顔の目の前で怒鳴ってら。


刑務官は、刑務所の中では『オヤジ』と呼ばれ、慕われる刑務官もいれば、嫌われる刑務官もいる。


厳しい刑務官は大抵嫌われ、受刑者に甘い刑務官は慕われる傾向にあるが、出所後務所仲間に再会したりすると記憶に残ってるのは大抵厳しい刑務官だ。


厳しい刑務官は、受刑者にはもちろん、自分にも、ほかの刑務官にも厳しい。


まだニキビの跡が目立つような若い刑務官が、おかピーに怒鳴られてる姿をよく目にしたっけ。

若い刑務官たちも、甘い親父の前では受刑者と世間話しながらニヤニヤしてたりする。

そりゃぁ、人間なんだからそれくらいはする。



しかし、厳しい親父の前だと背筋がピシッとし、顔つきも変わる。


そうして厳しい刑務官としての教育を後輩に引き継いでいくのだ。

生半可な気持ちでは刑務官は勤められない。


油断していると受刑者から刃物で刺されたりする。


刑務所の外で、逆恨みを持った元受刑者に刺された刑務官もいる。その刑務官は足を刺され生涯足を引きずって生活することを余儀なくされた。


厳しい教育は必要なのだ。


暑い夏の日は制服をびしょびしょにし、眉一つ動かさず、寒い冬の日も制帽の下の眼光は厳しい威厳に満ちている。


そんなオヤジが俺のことを思いやり、血の通った言葉で俺を叱ってくれたり、時に優しい笑顔を向けてくれたことは俺の思い出の中で死ぬまで色褪せることはないだろう。


今もオヤジの言葉がきこえてくる


「洋平、信じてるぞ」


俺のことを信じていると言ってくれたのはオヤジだけかもしれない。


両親と離れて、養護施設で育った俺を信じてくれた奴なんていなかったと思う。







 「なんでこんなことになっちまったんかなぁ・・」



刑務所の天井を見上げて、横になっているとこんな考えが頭に浮かぶ


好きな彼女がいた。


数年間一緒に暮らし、そろそろ結婚しないとな、なんて二人で考えていた時期だ。

飼っていた愛犬を彼女はとても可愛がり、彼女と愛犬がそばにいる暮らしは、今まで生きてきた人生で唯一「幸せ」を感じた貴重で大切な時間だった。



俺は当時覚せい剤中毒者で、そんな貴重で大切な時間を、大事にすることができなかったのだと思う。


彼女に見つかると、怒ったり泣いたりされるのが煩わしく、一人でホテルにこもって覚せい剤を使用したり、彼女や愛犬を自分から遠ざけるようにしていた。


 当時から俺は料理が趣味で、休みの日に彼女と弁当を作り、愛犬と公園に散歩しに行ったりした時期があったが、俺の人生の幸せのピークはそこだったのかもしれない。



 都内でも閑静な住宅地に広いマンションを借りて、彼女と愛犬と暮らしていた。



ちょうど、数週間前に彼女の実家に挨拶に行ったのだったが、後から聞いた話ではお母さんは俺のことを気に入ってくれていたそうで、「結婚はいつになるのか」と気を揉んでくれていたらしい。


その数週間後、俺は逮捕され、もう二度と彼女と再会することはなかった。

愛犬に触れる機会も二度と訪れることはなかった。





 よく晴れた日の公園に散歩に行ったとき、愛犬と彼女が仲良く楽しそうに歩いてる姿が、今もうっすらと心に浮かぶ。穏やかな光に包まれて。


 だが、そんな幸せな時間を俺は俺自身の手で壊してしまった。


時間を巻き戻すことはできない。

失ったものを、取り戻すこともできない。


それが、刑務所に収監されたものの負う、「罰」の正しい姿なのだ。


罪を犯した者の罰とは、刑務所の中で過ごす受刑期間だけを指すものではない。


その受刑期間の間も、世間では時が流れていて、その流れから取り残された受刑者は様々なものを失う。


 それが「受刑」なのだ。


時間の流れは誰にも等しく、時に残酷である。


出所後、失った時の重みに耐えきれず正気を失ってしまい薬物に依存したり、自らの人生に自ら幕を引いちまう悲しい受刑者も多い。


 俺も一時期正気を失い「妄想型統合失調症」に悩まされていた時期が数年も続いた。


自殺しなかった自分をほめてやりたい。



精神病院の隔離病棟に拘束されたりもした。


悪魔が俺に憑依していると思い込んでいた俺は、子供のころお世話になっていた教会の牧師に迷惑をかけてしまったり、今も親交のある親友にもだいぶ迷惑をかけてしまった。


それほど症状は重いものだった。


今は全快したが、当時のことを振り返ると恐ろしい。





「なんで、俺の人生こんな風になっちまったんかなぁ・・・」






 まだ、ガキだったころ、住む家も失い所持金も数百円しかなく、冬の冷たい風が吹きすさぶ渋谷の宮下公園で野宿していた時、知らないおっさんが


「にいちゃん、腹減ってんだろ飯食わせてやるからついてこい。」


と言って、もつ煮込みが有名な居酒屋でたらふく飯を食わせてくれた。


その日から、そのおっさんの事務所の一角に布団だけ敷かせてもらい生活を始めたのがきっかけだったのかもな。


 その事務所ってのが暴力団事務所だったから。


そのおっさんは俺のこと可愛がってくれて、そのおっさんの兄貴分も優しい人だったが、人工透析が必要な病気を抱えていたから、今はもう生きてるかわからない。



 その後も、おっさんのところから生活の拠点を新宿歌舞伎町に移し、まだ20代前半の時期に歌舞伎町で生活を始めたもんだから、毎日楽しいことが多く、そのまま数年間も歌舞伎町に居座っちまったのが良くなかった。


 当時歌舞伎町には、外国人もたくさんいた。


中国、韓国、タイ、イラン、南米、ロシアにウクライナ。


黒人以外は大抵いた。


 ウクライナパブっていうのが流行っていて、一見普通のラウンジパブでウクライナの綺麗なお姉さんがお酒の相手をしてくれるんだけど、お金を払うとお店の女の子がずらっと並び、好みの女の子をホテルに連れ出すというシステムのお店だ。


 一度、上の人に連れて行っもらったことがある。


が、当時俺はまだ21歳で、若く外人の綺麗なお姉さんとエッチなことをすることに現実感がなく結局何もせずに逃げ出してしまった。


今思うと、経験しておけばよかった。



 歌舞伎町では、同世代の仲間も多くでき、毎日仲の良い数人のグループでつるんで遊んでいた。


 本当に当時の歌舞伎町はめくちゃだった。


 まだ歌舞伎町に中華街があったころ、青龍刀をもった中国人がウロウロしているのを見たこともある。


 すっぽんぽんの若いシャブ中女が、股に大人のおもちゃを刺して歩いているのはたまに見かけた。



 暴力団の男が20人くらいの男たちから、金属バットやらゴルフクラブで滅多打ちにされているし、車ではねられた男は、まだ生きていたからバックでもう一度轢かれた後にもう一度念のため今度は前進で轢かれた。丁寧な仕事をするもんだ。


俺の胸ポケットには常に「ハシシ」が数グラム入っていたし、路上で普通にイラン人が薬物を売っている。


 俺の携帯にもイラン人から営業電話が頻繁にかかってきた。


合言葉は「キョウナニホシイ?」だ。



 そんな街で生活を続けるには金が要る。


俺は金のために、騙し、奪い、盗むを躊躇なく行って生計を立てていた。



そんなもんは仕事とは言えないが、金はジャンジャン入ってきた。


悪銭身に付かずというが、金はジャンジャン入ってくるのに出ていくときもジャブジャブ出ていくので、金に忙しくなり悪事もどんどんエスカレートしていった。



初めは賭博場で身の回りの世話係や用心棒をしていたが、カジノのオーナーと知り合い働かせてもらうようになってからはカジノのディーラーなんかもしていた。


 が、裏カジノに通い詰める客なんてものはまともな人間なんて少ない。


悪事で金を儲けている人間が大半だ。



 俺も客から声をかけられ詐欺グループに加担することになった。


かなり有名な詐欺グループだったのだが、架空請求、振り込め詐欺、特殊詐欺と詐欺と名の付くものは何でもやっていた。


グループのリーダーがとんでもない人で、六本木ヒルズや恵比寿ガーデンプレイス、お台場にマンションを幾つも所有していて、分厚いファイルブックにはビッシリとクレジットカードがホールドされていた。


 もう、金を稼ぐということには執着がなくゲーム感覚で詐欺の収益を年間数十億円も稼いでいた人だ。



 当時、遊ぶ金が欲しいということしか頭になかった俺は、すかっりその人に憧れてしまい、詐欺グループの一員として活動するようになってしまった。



 彼女と幸せになるためにも金が要る、学歴もなく家族のいない俺が幸せを掴むには金が必要なんだと思い込んでいた。




 ガキの頃、両親に捨てられ児童養護施設で過ごしていたころ金がないせいで辛い思いをしたことも影響しているかもしれない。犯罪者が犯罪者になるのは大抵幼少期の歪んだ感情がきっかけだ・



社会鍋っていって、駅前で鉄鍋もって、「恵まれない子供に救いの手を」なんてやらされていたんだ。


 金に対してゆがんだ感情も身に就く。



そうして俺は金の為なら、老人だろうが、夢見る若者だろうが、新たな命を宿す妊婦だろうがお構いなく金をだまし取っていた。



そうして「世の中弱肉強食なんだ、俺が生きてくために誰かを殺しても仕方ないことだ」と言い聞かせ、ほんの少しだけ残されていた良心の叫びに蓋をして、聞こえないふりをしながら顔も知らない善人たちから金を巻き上げていたのだ。



 今も覚えている。


若い妊婦が「どうしよう、子供のミルク代がない・・・」電話の向こうで悲しそうな鳴き声を漏らしていたことを。


 そのとき一瞬だけ

「俺は、何をしたんだ。俺と同じような不幸な子供を、俺自身が生み出しちまおうとしてるじゃねぇか」


と、思ったがもう遅かった。



鉄の扉がバーナーで焼き切られ、制服を着こんだ警察官やら私服警官やら20人ほどの捜査員がなだれ込んできた。




 60代くらいの壮年刑事が俺の手に手錠をかけ、俺の目の前で逮捕状を読み上げる。



「いやぁ、お前らアジトを転々と変えるから内偵するのに苦労したわぁ、今日からしばらく帰れないからよろしくなぁ。」


と薄い笑みの中に、鋭い眼光を覗かせている。






その時どんな気持ちだったかって?



「あ、終わっちまった」



たったそれだけしか頭に浮かばなかったな。














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