第一話 塀の中の漫画のような世界へようこそ、一名様ですか?おタバコ吸われますか?
「連続歩調!!数えぇっ!!」
「いち!!にぃっ!!いち、に!!いち、に!!」
真夏の太陽がじりじりと、俺の五分刈りの頭頂部に照り付ける中、俺たちは黄緑色の作業服姿で、かれこれ3時間ほど行進の練習をさせられていた。
見渡してみると年齢もまちまち、俺より若い20代の兄ちゃんもいれば、すぐにでもお迎えの来そうな爺さんまでいる。
刑務所に収監されると、新入工場というところに配置されて、まず歩き方の訓練などの動作訓練から叩き込まれる。
収監されてくる連中も、様々な罪で収監されてくるため、シャブ中の半分ゾンビみたいなやつも一緒に混じって訓練を受けるので、本人も大変だと思うが、そいつが足を引っ張ったりすると周りも大変だし、刑務官も大変だ。
「おい!!893番!!何回言ったらわかるんだよっ!!左足を上げるときは右腕を上げるんだよっ!!そっちじゃないんだよ!!お箸を持つ方の手だよ!!」
なんて漫画でしか見たことのないようなやりとりが、本当に目の前で繰り返される。
「くるくる回るな!!みんなと一緒にまっすぐ歩いていくんだよっ!!」
シャブ中も、重度の中毒者になると認知症の徘徊老人と変わらない。
くそを漏らしても自分ではわからず、目は光を失い、口からいつもよだれをたらし、しゃべる言葉もよくわからない。その姿はゾンビそのものだ。
この刑務所に収監されて、もうすぐ2週間。
毎日、この動作訓練と、内職のような紙袋折を延々と続けてきた。
「おいおい、俺こんなところで何年もこんなことして過ごすんかよ。きついなぁ・・」
と感じていたが、どうやら2週間の訓練が終わると訓練工場から、一般工場に配置されるらしい。
一般工場では、『木工工場』『縫製工場』『洗濯工場』『調理工場』など、各々の能力にあった仕事を割り当てられて、それぞれ背負った刑期を「お務め」するのだ。
人気があるのは、やはり『調理工場』だ。
刑務所の飯は、はっきり言って不味い。量も少ない。
どんなに太ったやつも、3年も暮らしていれば20kgは体重が落ちる。
実際、俺も90kg近く体重があったが収監されて1年ほどで68kgまで体重が落ち、毎日の筋トレの成果もあってか、出所するころには外国人収監者たちから「ランボー」と呼ばれるほどムキムキマッチョになった。
若い懲役は腹が減る。
何故、『調理工場』が人気があるかというと、早出、残業の多い『調理工場』では『延長食』といった夜食が配布されることが多いのだ。
刑務所によっても違うが、丼で作ったプリンだとか、夏場だとアイスだとか。およそほかの工場務めでは口にすることができないようなご馳走にありつける機会が多いのだ。
俺は素行が悪く、そういったエリート工場に配置される機会はなかったが、たまに調理工場の前を通りかかったときにごみ袋から覗いている『アイス最中』の袋などを目にしては羨ましい気持ちになったものだ。
基本的には自分から配置先を選ぶことはできない。
刑務所側が、それぞれの能力を見極め、懲役側は適性する工場へ配属指示されるのを待つのみだ。
当時の俺ときたら、裁判が終わるまでの1年間を東京拘置所の独居房で過ごしていたためストレスでお菓子を食べまくり、半年で体重が25kgも増えて90kg近くもあり。窓も開かない、外の景色も見ることができない。誰も話し相手がいない。コンクリートの3畳ほどの独居房で暮らすうち、半年ほどで正気を失いそうになり、医務診察で処方してもらった通称『悪魔の粉薬』(※睡眠薬と精神安定剤) を毎日飲んでいたことが祟って、ゾンビ化一歩手前というところまでゾンビ化が進んでしまった酷い状況にあった。
その、悪魔の粉薬は粉末状の飲み薬なのだが、就寝前に刑務官が持ってきて備え付けのプラスチックコップで水に溶き、すべて飲み干すまで刑務官が見張っているのだ。
飲むと10分ほどで体がしびれてきて、頭がぼんやりしてくる。
15分ほどすると立ち上がることもできなくなってきて、無理に立ち上がって転んで肋骨を折って病院に運ばれた懲役もいるほどの、えげつない効き目の不思議な粉だ。
俺も逮捕されるまで、覚せい剤、大麻、ケタミン、コカインとありとあらゆる薬物を使用していたが、こんなにラリパッパになる魔法の粉ははじめてだった。
昼間は独居で食いまくり、夜は薬でラリパッパ
言葉で聞くと天国のようなフレーズだが、実際この暮らしを続けてみれば、どれほどの地獄かということをご理解いただけることだろう。
色々な妄想や幻覚に悩まされた。
夜、布団でじっとしていると左右から壁が徐々に迫ってくるのだ。
娑婆だったら、電気をつけるなどして気を紛らわせることもできるが、ムショの中ではそうはいかない。
自分で電気をつけたり消したりなんてできないし。ナースコールなんて洒落たものもない。
報知器というものがあるのだが、ボタンを押すと「カシャーン」と音を立てて、扉に備え付けてある木札が落ちるという、なんとも原始的なシステムが備え付けられているのみだ。
当然、夜間巡回の刑務官が通りかかるまで誰も来ない。
その間、薄暗な闇の中で、妄想と幻覚がもたらす恐怖に怯え、発狂しそうになる自分を押さえつけるしかない。
そんなことも続き、俺は悪魔の粉薬で正気を封印する道を選んだ。
が、どんなことも安易な道を選ぶということが、良い結果をもたらすということは少ない。
拘置所から、刑務所に移管されて新入工場に配属になったころには、『ラリパッパのゾンビ予備軍二等兵閣下』といった感じに仕上がっていた。
その結果が、新入工場から一般工場への転属する際に大きな影響をもたらした。
新入工場の担当刑務官から「おい、中山。おまえにぴったりの工場を俺が選んだやったからありがたく思えよ」と言われていたのでなんとなく嫌な予感がしてはいたが、配置になった先の工場は通称『もた工場』と呼ばれる、一般工場の中でも配属されるのが不名誉な工場だった。
工場での作業内容は、電子ライターの組み立てだ。
と、聞くと「なんだ、ちゃんとした仕事もらえるんじゃん」と誤解される方も多いかもしれないが、能力に応じて作業内容が分けられる分業制のため、組み立てができるものもいれば、出来上がった製品についた指紋を8時間ひたすら拭くだけの者もいれば、部品として使う15センチほどのエナメル線を輪ゴムで束ねて、束ね終わったらバラシて、再び束ねる、そして束ね終わったら再びバラシて・・なんていう、よくわからないエンドレスループをさせられている奴もいる。
当然工場を占めるゾンビの人数も多い。
どうやら、俺も刑務官の目から見ると同じゾンビに分類されていたらしい。
ともあれ、俺もゾンビ軍団の一員として今日からこの工場で何年もお務めしなければならない。
工場がきまると、今度は舎房と言って普段生活する居室が割り当てられる。
ここからは、大部屋で雑居生活が始まる。
刑務所の中は、はっきり言っていじめも多い。
そういったこともあるし、不安もなくはなかったが、ようやく人と話ができると思うとうれしい思いの方が大きかった。
かくして、俺の長い懲役生活はこうして幕を開けた。