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永遠と哀悼

作者: 東雲白雨

 生まれてきて、死んでいく。それが変えられぬ理だというならば、死んだ後の自分はいったい誰なのだろう。

 百鬼刹那。その青年は双子として生を受けた。百鬼の家ではそれは珍しく、しかしその時誰もがこの子は長く生きないだろうと思っていた。

 百鬼の一族は古くより御神と交流のある一族だが、財貨にとんと興味が無くただひたすらに自分たちの研究に注力しているような一族だった。後見人としての御神の一族とも最低限の関わりしか持たなかったが、彼らの術式はとても有用で、御神家としてはそれだけで関わる価値があった。その術式が何故こんなにも正確に影響するのか、そのために何が為されているのか知っていながら、御神家は外れ者とされるこの一族の研究を黙認してきた。

 百鬼刹那も、その一族の直系として生まれたひとりだった。母親の体に宿った時は双子の命として生まれてきたが、出産ひと月前にその片割れが亡くなってしまった。それを知った医者は慌てて切開の準備をしようと思ったが、母親がそれを止めた。

「嗚呼、なんと良い子なのでしょう。自分の運命を分かっているのですね。聡く優しい私の子。その命でこの子を導いておくれ」

 御神に関わる医者は、大概のことには動じない自負があった。けれどその時だけは、母親の深い愛情に似た底知れない暗闇を感じ、全身が凍り付いたように動かなかったという。

 医者の危惧していたことは、ものの一週間で全てが解決した。

 胎に宿っていたはずの死んだひとりは、その頃には影も形も無くなっていた。その代わり、残ったひとりである刹那は、以前より遥かに強く大きくなっていた。感じられる力が外にいる者ですら分かるような、歪に肥大化した不安定なそれに母親は喜び、父親は大願が成就したとばかりに妻を褒めたたえた。

「今でも、よく覚えているよ。狭間が消えたその時。つまり、僕が狭間の死を食った時なんだけどね」

 龍慶の数少ない友人である刹那は、出されたお茶を飲み干しながらそう言った。縁側からぷらぷらと足を伸ばして、池の鯉を眺めている。

 刹那が一番初めに話した言葉は、知らされてもいない生まれてこなかった兄弟の名前だった。母様、狭間はここにおります。教えてくださいませ、我らにはどのような術式が使われたのでしょうか。子供らしく無邪気に、母親にじゃれつきながら刹那はそう言った。

 教えられたのは永遠の命のための術式。未完成のそれを何度も何度も他の胎児に試したのだという。それでも失敗した彼らは思った。生まれてからでは決まってしまう、理の形、運命の輪が。それならば生まれる前に試そう。そしてその運命の到達点を破壊し、終わりを始まりに繋げる。精神と魂は媒介であり、肉体は結果のみ影響させる。つまり、術式が壊れない限り精神と魂は繋がり続け、肉体がその負荷で何度死のうとも、再び始まりの状態まで回帰する。それだけでは肉体が耐えきれないので、肉体にも術式を施した。それは最早生命というよりは、高度で複雑な術式によって構築された成長し複製され続ける空の器に近い。それは、百鬼の一族でも多くの犠牲を出すほどの術式であり、禁術だった。多くの死者を出すほどの反動と力の消耗。たったひとりに仕掛ける術式にしてはあまりに強大すぎるそれを刹那は受け続け、そして受け入れた。

 その時の誰もが知ることは無かったのだが、刹那だけは知っていた。それを生き残れたのは、片割れの愛情であり、憐憫であり、百鬼に対する嫌悪と否定故の結果だと。

「そんな場所に兄弟を放り込まなくてもねえ、ほら私も繊細な性質だし、生き残れなかったかも」

 2人分の人格を一手に背負っているからか、時折刹那の一人称が混じることがある。龍慶は特に相槌も打たず頬杖をついた。

 死、というものを経験するには、人はあまりにも卑小だ。そして他人がそれを経験し間接的に伝えたとしても、本来の死に触れれば耐えられない人間の、本能的な自己防衛により、死の形を理解することなく記憶から消し去っていく。

 しかし、彼らは別だった。本来ひとつで生まれる筈の同一の魂。それが分離しお互いを観測し合うことで存在を定義し、生命という輪をお互いだけで完結させる筈だった彼らは、片割れの死を取り込むことでその死を受け入れた。死の形を限りなく真理に近い形で。

 術式の全てが成功したわけではない。だからこそ、刹那は定期的に死を迎え、そしてまた生まれてくる。数年前までは1年に1度の周期で、肉体は滅び、大地に返っていた。そしてまた、その死んで崩れた場所に新たな器は戻ってくる。人の成長速度を超える速さで成長し、再び以前と変わらない生活をして、また死へと向かっていく。

「もうさ、僕にとっては知って言うのは日常だから、当然のように迎えるけどさ。それでも怖くない訳じゃないんだよ。ほら、だからさ、こうやって君と淡々と話してるのが物凄く丁度いいんだよ。あんまり楽しかったり、面白かったり、明日もやりたいなーなんて思っちゃうと、死ぬの、嫌になっちゃうでしょう」

「それは随分な言い草だな。付き合わされているこちらの身にもなってほしいものだが」

「なんだい、褒めてるのにさ。つまらなくて淡々として愛想も無くて、でもこれが一番日常っぽくて安心するから、わざわざこんな無駄な時間を費やしにきているんだよ」

「次からは辞退も考慮する。構わんな?」

「そういういじわる、最近流行らないよ。そうでなくても君、性格悪くて友人が少ないんだから、僕を大事にしてよ」

「断る」

「素直じゃないなあ。ああ、そうだ、面白い術式を作ったんだよ。きっと役に立つ。扱う人間は選ぶけどね。失敗すると反動で全神経使い物にならなくなるからさ」

 刹那は手持ちの布にさらさらと書き記した。それはこの世界の言語とも異なった暗号じみたもので、それは刹那の中では歴とした言語だが、それを理解できるのは殆ど本人か龍慶のみだった。術式ひとつひとつを文字化して殆ど無限に増えていくそれを、今度は新しく組み合わせて結合する。文字ひとつ分の情報量はひとつの術を構成できるほどで、分厚い書籍1冊分を凝縮したような内容になっている。それを全て理解したうえで応用の結合、編成が扱えるものでなくてはおおよそその意味が伝わらないものだ。それをこのふたりは一目で理解できるレベルで暗記し、そして今生み出される新たな術式を理解している。

「成程」

「精度はちょっと難ありかな、試してないから。ただ、この位置のこの構造は、死ぬ直前にちょっと試したんだ。私の肉体がちょっと死に対して鈍感なところがあるのを差し引いても、頑丈で死んでも死なない子になら使えると確信してる」

「そういう人材は百鬼くらいにしかあてがないがな。……いや、あちら側なら何人か。ただ、外界でどう反正作用が起きるかだが」

「やだなあ。境界ってそんなに狭苦しいの」

 刹那がふわりと笑う。

「正すなんて傲慢だ。そうやって世界が奪うなら、こちらも奪い返せばいい。正しさの形なんて、世界が決めることじゃないんだよ」

 そうでしょう、と無邪気に小石を蹴り上げる刹那に、龍慶は小さく肩を揺らして笑った。あの場所にいる多くの存在より、この目の前の人物の方がよっぽど規格外だ。なのに何故、この弱く脆い世界はその境界で、こんなものを内側に抱えているのだろう。

 龍慶はそう考えたが、すぐにその思考を止めた。自分も、紫音も含めて、この世界は弱いだけではない。何か大きな、それこそ運命じみた何かがある。何と引かれ合っているかも分からない、不気味な深淵にずっと繋がれているのだ。

「さあ龍慶との暇つぶしは終わり。次はあの子を呼んできてよ。君とだけの時間は本当につまらない。もっとコミュニケーションを学んできてほしいものだよ」

「はっ、いちいちお前に割く労力がないだけだ。付き合ってほしいならこちらも手を抜くのを止めようか。多少は俺の暇つぶしにもなれるだろう」

「嫌な言い方に嫌味な性格。僕がか弱く儚い命って知っててそういうこと言うんだから。もっと配慮して、優しくしてよ」

「気が向くことがあれば、だがな」

「何度目だろうね、それ聞くの」

 刹那は大きな声であくびをして、ぐんと背筋を伸ばした。生きているという実感がひとつひとつの動作から伝わってくる。それが刹那には何となく気持ち悪かった。

「僕の苗字、百に鬼でなきりでしょう。ねえ龍慶、僕の中に百の魂があったとして、それを使い果たしたら、僕は本当の死を迎えるのかな」

「さあ」

 龍慶は興味が無さそうに答えた。ああそうだ、それでいい。そんなに生や死を見つめなくても、人間は生きていけるから。そんなものばかりに縛られて、そこから上に積みあがる筈のものから目を逸らしてはいけないから。

 刹那は軽く手を振りながら龍慶に背を向けた。今日は帰ると言うと、そうか、とだけ返ってきたので、刹那もそうだよと答えた。

 刹那は、龍慶と別れる時、ただの一度も振り返ったことがない。今日もまた、振り返らなかった。

 もし惜しむようになったらそれはきっと。その先の言葉を刹那は飲み込む。

 まだ、明日をお互いに疑わないままでいたいと、刹那はひとり心の中で呟いた。












(僕の世界が鮮やかなのは、僕の世界が穏やかなのは、それを僕の一部として受け入れてくれる誰かがいるからなんだろうね)

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