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7 高地の攻防戦

 レナ高地の将兵たちは、逆襲部隊の挙げたささやかな勝利に歓声を上げる暇もなかった。

 高地の砲兵観測所は、地平線から顔を出し切った朝日によって敵の砲陣地が昨日よりも増強されていることを確認したのである。恐らく、他の部隊から夜の内に配置転換を行ったのだろう。

 幸いであったのは、敵は砲車の移動に手間取っているらしく、朝になってもまだ布陣が完了していないことであった。

 敵前であるために篝火を焚けず、暗闇の中での作業だったので配置転換が思うように進まなかったに違いない。

 当然、敵砲兵の布陣が完了するまで待つほど、ライガー大佐もマッケンジー少佐も甘くはない。

 残弾に不安があったが、即座に展開中の敵砲兵を叩くことを決意。

 夜明けと共に彼らは砲撃を開始した。

 ただし、その砲撃は残弾を気にしながらのため、いささか緩慢であるともいえた。砲弾を節約するため、照準が慎重になっているのだ。

 威力を発揮したのは、やはり後装式旋条砲であった。高初速のため弾道が安定し、命中率が他の砲に比して高いのである。四門の新型砲は、敵の砲兵を確実に潰していく。

 だが、砲門数では圧倒的に北ブルグンディア軍は有利であった。

 レナ高地からの砲撃を受けたと知った彼らは、すでに展開を完了した部隊を以て、高地への反撃を開始したのである。

 レナ高地攻防戦の二日目は、両軍ともにその火力を敵軍に叩きつけつつ、早くも佳境を迎えつつあった。






 陣地へと戻ったエルフリードら逆襲部隊も、休息の暇などなかった。

 馬を陣地背面の壕に繋げると、ただちに砲撃で破壊された陣地の修理と強化、そして負傷者の移送に駆り出されたのである。

 そして、昨日に引き続く砲撃によって、塹壕に籠る将兵の中には精神の均衡を崩しつつある者もいた。特にそれは敗走の末に第十一連隊の指揮下に組み込まれた者たちの間で顕著であり、敵前逃亡を図る者は将校であろうと容赦なく射殺せよとライガー大佐は全部隊に布達していた。

 敵や砲撃への恐怖よりも、指揮官への恐怖によって部下を統率しようとしていたのである。

 陣地そのものはまだ健在であるのだろうが、そこに拠る人間たちの中にはすでに限界を迎えつつある者もいたのである。

 エルフリードは砲弾の弾着によって振動する塹壕の中を、少数の部下と共に弾薬箱を背負って駆けていた。斉発砲の陣地に、次々と弾薬箱を運び込んでいく。

 昨日の防衛戦闘で近接防御火器として威力を発揮した斉発砲は、今や砲兵と並ぶ陣地の守り神であった。

二十五発の銃弾を連続して発射出来、人力装填ながら一分間に五度の斉射(つまり、一二五発)が可能なこの兵器は、十数年後に実用化されることになる多銃身機関銃、そして後世一般的となる機関銃の先駆けといえる存在なのである。

 斉発砲陣地も他の砲兵陣地と同じく、敵から観測されにくい位置に配置されている。

 騎兵将校だというのに、ライガー大佐の野戦築城は完璧に近かった。そのことに、エルフリードは素直に感銘を覚える。

 ただ、彼女もライガー大佐と同じことを感じていた。

 それは、弾薬の消耗が予想よりも早いのではないか、ということだ。小隊を率いる立場である彼女は小隊先任曹長から、昨日の弾薬の消費弾数について報告を受けていた。

 昨日の段階で、小隊は一人平均一三二発の銃弾を消費していた。

 兵士一人が携行する弾数は二〇〇発であり、これまでの会戦では一度の戦闘で消費される弾数は一人平均五十六発。携行する弾数をすべて撃ち尽くすようなことはほとんどなかった。

 すでに弾薬の補充は受けたものの、同様の事例は各隊で生じているらしく、小隊各員の弾薬盒には一五〇発の弾丸しか入っていない。つまり、携行弾薬の定数を満たせていないのである。


「伝令ー! 伝令ー! ベイリオル少尉殿に伝令ー!」


 と、塹壕内を連隊司令部付きであることを示す腕章を付けた伝令兵が駆けてきた。砲声と弾着の爆音に負けじと怒鳴っている。


「何事だ!?」


「はっ、総員戦闘配置に付けとのことです! 敵歩兵が前進を開始した模様です!」


「判った! 先任曹長、全員をただちに配置に付かせろ!」


「了解です!」


 恐らくは娘ほども歳の離れているであろう上官の言葉に、小隊先任曹長はニヤリとした笑みで応じた。この古参の下士官に、自分は新米ながらも将校として認めてもらえているらしい。

 弾雨の中で震えもせずに弾薬を担いで動き回っていれば誰だってそうなるだろうと、いささか冷めた思いでエルフリードは部下の敬意を受け取った。

 正直、砲弾の炸裂や爆風、衝撃に恐怖を覚えないかといえば、そんなことはない。彼女にも人並みの恐怖は存在する。そうでなければ、昨夜、お守りを握りしめたりはしない。

 だが、エルフリードにとって軍人は自ら望んでなったものなのだ。

そこで醜態を晒すつもりはないし、何よりもそれは初めて自分を“王女”ではなく、エルフリードという一人の人間として見てくれた少年への裏切りとなるような気がしていた。胸元のお守りを託してくれた彼にだけは、失望されたくない。

 だからエルフリードは、幼馴染たる少年への見栄と意地、そして矜持だけで弾雨のもたらす恐怖を克服していた。それは一種の狂気じみた精神性なのだろうが、彼女にとってそのようなことはどうでもよかった。

 ある意味で、彼女は軍人となったことが間違いではなかったと少年に証明するために、戦っているようなものだった。


  ◇◇◇


 払暁に行われた逆襲から一時間と経たずに、北ブルグンディア軍によるレナ高地への強襲は開始された。


「奴ら、だいぶ焦っているな」


 掩体壕の銃眼から前進を続ける敵歩兵の隊列を観察しながら、エルフリードは呟いた。

 時刻は未だ午前七時を回っていない。

 逆襲の効果が現れているのか、それとも何か別の事情があるのかどうか、彼女には判らない。あるいは、こちらの増援が接近しており、それ故に敵は高地の攻略を急いでいるのかもしれない。

 とはいえ、楽観的な気分にはなれなかった。

 敵兵の数は昨日から減っているようには見えない。恐らく、夜の内に増援を受けたのだろう。

 塹壕内には、人体に由来する鼻を突くような臭気が充満していたが、エルフリードは気にならなかった。どうせ、自分の体も汗と泥にまみれているのだ。

 敵の軍靴が地面を踏みしめる音が聞こえてくる。陣地を揺るがす弾着の間隔も開いてきており、敵の白兵突撃が近いことを知らせてくれる。


「総員、白兵戦に備え!」


 払暁に続いて二度目の戦闘であったが、彼女は疲労感を覚えなかった。

 エルフリードは鋭剣(サーベル)を抜き、兵士たちがメイフィールド銃の銃口に紙薬莢に包まれた弾丸を突っ込んでいく。

 彼女たちの周囲に弾着があったのは、その時であった。

 エルフリードの耳は爆発の轟音を捉えたが、それが何を意味するものであったのかは咄嗟に理解が追いつかなかった。ただ一瞬、自分の眼前に魔法陣のような光が現れるのを視認しただけだった。

 衝撃と爆風によって塹壕の盛り土の一部が崩れ、彼女の体は塹壕の背面に叩き付けられた。


「ぐっ……!」


 塹壕の壁の木材に、背中を(したた)かに打ち付けた。


「小隊長殿!」


 小隊先任曹長が叫びを上げるが、エルフリードはそれを手で制した。背中の痛み以外、体に異常はない。

口の中に入った泥を、ぺっと吐き出す。そして、ほとんど反射的に軍服の胸元を握り込んだ。

 お守りの、堅い感触を確かめる。


「……感謝するぞ、リュシアン」


 お守りをくれた魔術師の少年に対して、エルフリードは囁くように言った。


「は、何か?」


「……いや、何でもない」


 不用意な言葉を発したことに気付いて、汚れた軍服姿の王女は固い声で否定した。ある種の照れ隠しだった。


「それよりも、被害は?」


「爆風で数名が倒れたようですが、死者はいません。ただ、塹壕の一部が崩れました」


「修復している暇がない。そのまま射撃準備を整えろ」


「了解です」


 倒れた兵士たちも、一瞬の自失から回復すると即座に塹壕の淵にへばり付いた。ある意味で王女のお()りをするための小隊であるために、その練度は高かった。

 すでに、敵の砲撃は止んでいた。


「敵先頭集団、まもなく陣前二〇〇メートルの地点に到達します!」


「小隊、撃ち方用意!」


 塹壕からわずかに顔を覗かせたエルフリードが怒鳴る。


「敵、射撃開始線に到達!」


「てぇっ!」


 塹壕の淵に並んだメイフィールド銃が、一斉に火を噴いた。それはこの瞬間、レナ高地の随所で見られた光景であった。


  ◇◇◇


 昨日の攻防戦と違うのは、陣地背面にも注意を払わなければならないということだろう。

 そのため、連隊直轄の六門の騎兵砲は陣地背面に布陣したまま、動かしていない。

 陣地前面に向けられる火力が低下するが、ライガー大佐はやむを得ないことと割り切っていた。

 喊声と共に高地の斜面を駆け上ろうとする敵兵を銃眼から確認しながら、彼は渋面を作っていた。四門の斉発砲が次々と敵兵を薙ぎ倒し、連続した小銃の射撃も敵兵を撃ち倒しているが、やはり限界はあった。

 一部は昨日と同じく、確実に陣地内に侵入してくるだろう。


「……連隊長殿」


 疲れ切った声音の魔導兵の声が、ライガーの耳に届く。夜は休ませたとはいえ、この状況下で安眠など出来るはずがない。彼らの魔力は限界であろうし、通信用の水晶球も術者の限界に合わせて濁り始めていた。

 西部方面軍司令部との通信は出来ず、辛うじて陣地内の通信網を維持する程度の力しか、彼らには残されていない。


「背面の観測所より緊急連絡です」


 嫌な予感が、ライガーの脳裏を過ぎる。


「右岸に展開する北王国軍、大隊規模の敵歩兵部隊が陣地背面への強行渡河を開始した模様です」


 その報告を聞いた瞬間、ライガーは獣のような唸り声を発した。

 南翼の歩兵第七十二連隊が潰走してから、恐れていたことであった。

 南翼を撃破した敵兵力は、騎兵を中心とした兵力。今朝の逆襲もあり、まだ重装備の渡河は間に合っていないはずであった。それでも白兵突撃をかけてきたということは、敵の焦りの表れであると共に、こちらの陣地の弱点を正確に見抜かれている証左でもあった。

 人的損害を省みないのであれば、陣地全周からの飽和攻撃はこちらの処理能力を確実に超える戦術であった。


「予備隊を投入して渡河を阻止させろ!」


「しかし連隊長」


 幕僚の一人が、反射的に反論を口にしようとした。

 無理もなかった。予備隊の投入は、最終手段に等しいのだ。それを投入してしまえば、戦力にまったく余裕がなくなってしまう。だからこそ、指揮官たる者は予備隊を出来る限り温存しなければならないのだ。


「構わん。大隊規模ならば何とか対処出来る。逆に今、連中に陣地背面に橋頭堡を築かれれば陣地全体が危険に晒される。急げ!」


「はっ、ただちに予備隊を投入して陣地背面の敵を迎撃いたします!」


「通信!」


「はっ」


 魔導兵の応ずる声は、やはり疲弊しきっていた。


「右岸の友軍に、支援を要請出来ないか? 今ならば、陣地背面へと渡河を試みる敵軍の側面を突けるはずだ」


「通信を試みます」


 気力だけで持たせているような声で、魔導兵は返事をした。濁った水晶球を通じて、他の部隊の魔導兵と念話を試みる。

 とはいえ、友軍からの支援は楽観できないだろうとライガー大佐は判断している。敵も馬鹿ではないのだ。渡河中の部隊の側面を襲撃される危険性は把握しているはずである。

 レーヌス河湾曲部中央では歩兵第七十一連隊が守備に就いているはずであったが、彼らは彼らで正面の北ブルグンディア軍に対処しなければならない。

 さらに彼らは、南翼の歩兵第七十二連隊を潰走させた敵騎兵部隊に側面を攻撃される危険性にも晒されているのだ。

 とても支援のための兵力を割く余裕などないだろう。

 それでも、せめて砲兵部隊による支援射撃だけでも受けられれば、とライガー大佐は思う。

 掩体壕の外からは、ひっきりなしに銃声が響いていた。恐らく、敵味方双方が激しい銃撃戦を繰り広げているのだろう。

 どこからか返信がないかと、ライガーは焦れるような気分になる。


「……応答がありました。支援可能な部隊が存在するそうです」


「何っ!?」


 疲労の中にも喜色を隠せなかったらしい魔導兵の声に、ライガーは思わず大声を上げてしまった。


「どこの部隊だ!?」


符牒名(コールサイン)は、参謀本部直属部隊を示すものです。砲撃目標の座標に変更はないかと尋ねてきておりますが」


「参謀本部直属?」


 一瞬、訝しげな表情を浮かべたライガーであったが、疑問は後ほど解決すればいいと意識を切り替える。

 敵の謀略通信の可能性もあるが、参謀本部直属部隊の符牒を使っているのならば、間違いはないだろう。少なくとも、祖国の防諜能力には一定の信頼がおける。


「向こう側に伝えてくれ。座標ニ変更ナシ。直チニ砲撃ヲ開始サレ度」


「了解です。……砲撃、開始したそうです」


 しばらく、陣地前面で繰り広げられる銃撃戦の騒音のみが掩体壕に届く。

 どこから撃ってきているのだろうか、という疑問がライガー大佐の胸中に浮かんだ次の瞬間だった。

 巨大な爆発音が陣地背面から響いてきた。衝撃波と振動が掩体壕にまで届く。空間そのものを歪ませるような、轟音であった。

 思わず、ライガー大佐は掩体壕を出て陣地背面を確認してしまった。

 レーヌス河右岸の平地で、広範囲に爆炎が上がっている。北王国の兵士らしき人影が空中に吹き上げられ、炎に燃やされていく。

 一瞬にして、強行渡河を敢行しつつあった大隊規模の敵兵が大混乱に陥っている。


「……爆裂術式です」


 呆然と、傍らの魔導兵が呟く。


「爆裂術式?」


「魔力量の多い魔術師だけしか使えない、広域破壊魔術です。これほどの規模になると、それこそ勅任魔導官(クラス)の人間だとしか……」


「なるほど」


 同じ魔術師として感銘を受けているらしい魔導兵とは対照的に、ライガーの右岸を見る視線は醒めていた。つまりは、野砲を百門だが千門だか並べて、一斉に発射したのと同じ効果が得られるということだろう。それを一人の魔術師が成し遂げたことは素直に驚嘆すべきかもしれないが、その結果にまで驚嘆する必要はない。

 所詮は、火砲でも再現可能な結果であるからだ。

 とはいえ、助かったことは確かだった。


「どんな魔術師だか知らんが、ありがたい。これで我々は、背面を気にせず戦えることになったわけだな」

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