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王女殿下の初陣  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第二部 敵中横断編

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37 禁忌

「―――っ!」


 リュシアン・エスタークスが指で弾いた物体。それが何なのか、小さすぎてオリヴィエ・ベルトランには一瞬、判らなかった。

 だが、月明かりの反射でそれが光った瞬間、その正体を理解した。

 銃弾。


「答えは『火』、だ」


 リュシアンの言葉と共に、銃声が鳴り響いた。銃弾が、ベルトランの頬をかすめる。

 そして、その銃声が合図となった。

 最初に動いたのは、リリアーヌだった。

 リュシアンの背に向けて、刺突を放った。だが、瞬時に真上に跳躍したリュシアンに躱されてしまう。そして、彼の回転蹴りに吹き飛ばされた。

 最初からリリアーヌがどのような行動を取るのかが判っていたかのような対応の早さ。彼女の、ある種の愚直さを突かれたか。


「くそっ!」


 罵声と共に、ベルトランは突き出した手を握り込んだ。エルフリード王女を取り巻くように浮遊していた水を操り、王女の口と鼻を塞ぐ。

 水を操っている方の手には、しっかりと水の感触が伝わっていた。だが、魔術的な抵抗感も伝わってきた。

 思わず、ベルトランは舌打ちをする。リュシアン・エスタークスは、王女に魔術的な守護を施していたらしい。完全に王女の呼吸を止めることが出来ない。

 そして、一時的に少女魔剣士を無力化したリュシアンは、そのまま足に身体強化(エンチャント)の術式を掛けたのだろう。一直線に王女の下に駆けつけようとしていた。

 大した忠誠心だと、ベルトランは思う。もっとも、その気持ちも判るような気がした。

 エルフリード王女は拘束術式によって身動きを封じられ、水で呼吸を止められようとしていながらも、いささかも臆した様子がない。敵地に墜とされながらも毅然としている少女の姿は、確かに臣下として畏敬の念を抱かずにはいられないだろう。

 しかし、ベルトランにとってその感情は単なる感傷に過ぎない。このままでは、あの少年の持つ魔剣によって王女の拘束が解かれてしまう。


「ならば……!」


 王女に掛けられた守護を逆手に取る。

 足から地面に魔力を流し、地下水を操る。かすかな地鳴りと共に、地中から水柱が立ち上った。

 手を振り下ろし、水流をリュシアン・エスタークスとエルフリード王女に向ける。

 大量の水という膨大な質量で、一気に相手を押し流す。王女を巻き添えにしようと構わなかった。王女はリュシアン・エスタークスの掛けた守護の術式によって守られている。溺死することはないだろう。

 火焔魔法に対して、水魔法は優位に立てる。

 いかに相手が高位魔術師であろうと、この膨大な質量の奔流には抗えまい。こちらも水の制御で相当に魔力を消費してしまうが、防御魔法を使う相手もかなりの魔力を消耗するはずだ。

 ベルトランは未だ勝利を確信していたわけではなかったが、それでも自身が優位を確立していると考えていた。


  ◇◇◇


 金属薬莢に火焔魔術を流し、火薬を発火。

 薬莢には予め風魔術の術式を刻んでおり、銃身を通さずともジャイロ効果を持たせられる。

 だが、リュシアンは命中など期待していなかった。照準もまともにつけられない、勘を頼りにした銃弾など、当たるはずがない。

 だからこれは、相手への牽制。

 愚直に背後から突きを放ってきた少女魔剣士を蹴り飛ばし、リュシアンはエルフリードの下に向かった。


「エル!」


 リュシアンは破魔の魔剣〈ベガルタ〉でエルフリードの鼻と口を覆う水を斬り付けた。途端、水に宿っていた魔術が消滅し、水が地面にぶちまけられる。返す刀で、彼はエルフリードの四肢を拘束する魔法陣を断ち切った。


「すまん、リュシアン」


 状況が切羽詰まっているからか、早口でエルフリードは言った。


「いい」


 リュシアンもまた、早口だった。彼は自分がエルフリードを助けることを優先したために、ベルトランに対して一瞬の隙を作ってしまったことを理解していた。

 オリヴィエ・ベルトランの周囲から、地鳴りと共に膨大な地下水が噴き出している。

 それだけで、リュシアンは即座に相手の目論見を理解した。

 あれは、拙い。

 〈ベガルタ〉が打ち破ることが出来るのは魔術だけであり、あれだけの物量を防ぐ力などない。


「エル」


「おわっ!」


 リュシアンは躊躇なくエルフリードを抱き寄せた。左手をしっかりと彼女の胴に回す。


「しっかり捕まってて」


「う、うむ」


 エルフリードもまた、リュシアンの体に両手を回した。二人の体が密着する。互いに羞恥を覚えるだけの余裕などなかった。

 噴き上がった水が、怒濤となって二人に押し寄せた。


「……」


 リュシアンは右手を掲げ、防御術式を展開。二人の前面に、魔法陣が展開する。

 魔法陣に水流が激突する。


「ぐっ……!」


 魔法陣を展開している右手に、膨大な圧力が掛かる。二人の脇を、魔法陣によって二つに割れた水が流れていく。


「ぐぉ―――っ!」


 全身の魔力を、魔法陣を維持するために投入する。そして、その魔法陣にもう一つ、魔術を重ね掛けした。


「がぁぁぁ―――っ!」


 血管が裂けそうなほどに、魔術行使の痛みがリュシアンの全身を襲う。

 二人の盾となっている魔法陣に、炎が宿る。水に消されないように、火力を限界にまで上げる。

 鼻の血管が切れた。

 鉄錆びたにおいがする。

 だが、それでもリュシアンは自らが生み出した炎に魔力を注ぎ続けた。


「おい、リュシアン!」


 案ずるエルフリードの叫びも、今は無視。


「あああぁぁぁ―――っ!」


 刹那、白い爆発が起こった。

 自動防御霊装〈黒の法衣(ブラック・ローブ)〉が二人を包み込み、彼らの姿が白い霧の中に消えていった。


  ◇◇◇


 水蒸気爆発。

 水が瞬間的に蒸発することによって生じる現象である。

 白煙に紛れるようにして、リュシアンは窪地の陰に滑り込み、腰を下ろした。

 深く、荒く、息をつく。

 身体強化(エンチャント)の術式、そして限界まで魔術を行使した所為で、魔力的にも肉体的にも限界が近付いていた。身体強化(エンチャント)の術式による肉体への過負荷だけでなく、体内の魔力循環が激しくなり、それが肉体を傷つけているのだ。


「大丈夫か、リュシアン」


 切迫した声で、エルフリードは問うた。リュシアンの腕の中から見た彼の顔は、苦渋と苦痛に歪んでいた。

 鼻から流れ出た血が、エルフリードの顔にもかかっている。だらりと力なく地に投げ出された右手は、血管が切れたのか、皮膚のあちこちから血が噴き出し、袖を濡らしていた。

 誰が見ても、少年の体が限界に近いことが判る。


「まだ、大丈夫」


 なのに、リュシアンは苦しげな声でそう答えるのだ。


「嘘をつくな」


 悲痛そうに、エルフリードは顔を歪めた。リュシアンが自分を心配させまいとして言っているのだろうが、そんなあからさまな嘘はついて欲しくなかった。このままでは、この少年は限界まで肉体を酷使して自分を守ろうとするだろう。

 そして、死ぬ。

 その思いを抱いた時、エルフリードの背に怖気が走った。

 リュシアンを死なせて、自分だけ逃げ延びたとして、それにどれだけの意味があるのか?


「……降伏、するか?」


 エルフリードは、自分の発した言葉の意味を理解していた。それは、自らに消えない政治的汚点を作る行為なのだ。自らの矜持とも、真っ向から対立する選択肢でもあった。

 それでも、彼女は言葉を続けた。


「降伏の条件に、お前の身の安全を要求する。はったりではなく、今ここで、お前が死ねば私も死ぬような魔術契約を掛けてくれ」


「馬鹿」


 リュシアンは吐き捨てるように言った。


「俺は、君を守るためにここまで来たんだ。土壇場で、エルを売るようなことが出来るわけないだろ?」


 エルフリードの言葉に逆上したかのように、少年の言葉には強い怒気が混じっていた。


「それに、エルを騙し討ちで捕らえようとする奴らに、君の身を預けられるわけがない」


「リュシアン……」


 エルフリードがリュシアンを想うように、彼もまた自分のことを想ってくれている。このような状況だというのに、それがエルフリードには堪らなく嬉しかった。

 何とも単純な女だな。

 エルフリードの冷静な部分が、自分自身を嗤った。


「まだ、手はある」


 リュシアンの瞳に、諦念らしきものは浮かんでいなかった。赤い瞳が、しっかりとエルフリードを捉えている。


「だが、その体では……」


 エルフリードが言葉を紡ぎ終わる前に、リュシアンが両肩を掴んだ。


「ごめん、エル」


 一瞬だけ、リュシアンの瞳が罪悪感に揺れた。次の瞬間、少年の唇が少女のそれに触れる。

 突然の事に、エルフリードは刹那、自失する。

 互いの唇だけでなく、舌と舌が触れ合う。リュシアンの舌が、エルフリードの舌の表面をなぞった。


「―――はぁ」


 唇が離れ、エルフリードは息を吸った。


「ごめん」


 もう一度、リュシアンが謝った。それで、エルフリードは自失から覚め、彼の行為の意図を理解する。

 少年は、エルフリードの唾液から魔力を補充したのだ。

 理解したならば、エルフリードのやることは一つだった。ガリッと、躊躇なく歯で自分の唇を噛む。そして、血の噴き出した唇で、今度はエルフリードが少年の唇を塞いだ。

 より生命に直結する体液を。

 エルフリードはリュシアンへの想いと共に、自らの血液を少年に分け与えた。


「エル……」


 唇を離すと、リュシアンは申し訳なさそうに目を伏せた。

 だが、エルフリードは気丈に、そして傲慢に、自らの魔導師へと告げる。


「私の血をくれてやったのだ、負けることは許さん」


 フッと、エルフリードは不敵な笑みを浮かべた。それが彼女なりの激励だと理解し、リュシアンの表情が柔らかい微かな笑みに変わる。


「……ありがとう、エル」


 そっと、リュシアンは指先でエルフリードの唇を一撫でした。噛み千切られた皮膚が治癒し、血が止まる。


「じゃあ、行ってくる」

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