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王女殿下の初陣  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第二部 敵中横断編

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36 人質

 濛々たる土煙が上がり、それを吸い込んだエルフリードが咳き込んだ。


「大丈夫?」


「……ああ、心配するな」それでも不快そうに、エルフリードは答える。「それにしても、あの娘、本当にどれだけ撃つ気なのだ?」


 走るリュシアンの腕に抱えられたまま、彼女は後ろを見た。


「魔力だって、無尽蔵ではあるまい?」


「多分、魔力が尽きるまで追ってくるだろうね」


 淡々と、冷徹なまでの敵意を滲ませて、リュシアンが応じる。

 刹那、夜の丘陵地帯を、薄赤の魔力光線が貫く。王女を抱える黒衣の魔術師は跳躍して、それを避けた。


「ホント、しつこいね」


「奴をロンダリア領内に入れるわけにはいかん」


「同感」


 リュシアンはちらりと、自分の目でリリアーヌ・ド・ロタリンギアという少女魔剣士を確認する。

 魔術を乱発している影響か、彼女の顔には疲労が滲んでいるようにも見えた。だが、それでも彼女の自分に対する激烈な敵意は収まりを見せていないようだ。

 彼らの後方から伸びる薄赤の魔力の波動が、何度となく地面を抉っていく。

 連続する爆炎と土煙。

 それをリュシアンは横や上空に跳ぶことで回避し、ひたすらにレーヌス河を目指して進む。


「リュシアン!」


 後ろを確認していたエルフリードが警告の声を上げた。


「はああああっ!」


 身体強化(エンチャント)の術を強化して加速した少女魔剣士が、裂帛の叫びと共に大上段に構えた剣を振り下ろそうとしていた。


「―――っ!?」


 相手の加速によって、距離が縮まっている。避けられない。

 咄嗟にそう判断したリュシアンは、靴底で地面を抉るようにして走る勢いを殺す。


「エル!」


「私に構うな!」


 それだけでの遣り取りで、リュシアンは乱暴にエルフリードを地面に降ろす。彼女は慣性のまま着地し、その衝撃と慣性を殺すために地面を転がった。

 そして、一瞬で両手を自由にしたリュシアンは体を反転。

 交差させた〈ベガルタ〉と〈モラルタ〉で、相手の剣戟を受け止める。両手に重い衝撃。


「……」


「……」


 押し切れないことに歯噛みするリリアーヌ・ド・ロタリンギアと、醒め切った表情の中に一滴の剣呑さを宿らせるリュシアン・エスタークス。

 両者の表情は対照的であった。

 そして、その鍔迫り合いは長くは続かなかった。

 リュシアンの持つ双剣の一方が破魔の効果を持つと気付いているリリアーヌは、後ろに跳び退く。リュシアンもまた、エルフリードを背後に庇うように引き下がった。

 と、少女魔剣士は剣を刺突の形に構えた。リュシアンの魔眼は、その刀身に流れる魔力が見えている。

 刹那、魔導剣から魔力の奔流が放たれた。


「……」


 リュシアンは無言のまま片手を突き出し、防御魔法を展開。広げた手の平を中心にして幾何学模様の魔法陣が形勢される。互いの魔力が正面からぶつかり合った。

 そして、少年魔術師はぎゅっとその手を握り込む。

 爆発。

 濛々とした土煙が両者の間を遮る。


「―――っ!」


 鋭い魔力反応に、リリアーヌは咄嗟に剣を振るった。

 手に軽い衝撃。

 キン、と刀身が甲高い音と共に何かを弾いたのだ。

 それは、魔力で編まれた矢であった。


「くっ!」


 そしてその瞬間、己が失態を犯したことを少女魔剣士は察した。

 土煙を飛び越えるようにして、リュシアンが跳躍。その手には双剣が握られていた。

 すでにリリアーヌは剣を横に振り切っていた。一瞬の隙を晒してしまっていたのだ。


「はぁっ!」


 落下の勢いのままに、赤剣〈ベガルタ〉、黄剣〈モラルタ〉が振り下ろされる。


「ちぃっ!?」


 怒りと屈辱の声と共に、リリアーヌは身を捩った。だが、左肩に熱が走る。斬り付けられたのだ。


「このっ!」


 彼女は剣を振り切った姿勢のまま着地したリュシアンに、右手一本で剣を振るった。

 リュシアンは上体を反らして、そのまま倒立回転の要領で後方に跳ぶ。

 その瞬間を狙って、リリアーヌが踏み込んだ。身体強化(エンチャント)の術式による、疾風のような踏み込み。

 だが、リュシアンもまた地を蹴っていた。相手の体が加速し切る前に、その剣を受け止める。

 二人の目の前で、金属同士が火花を散らす。

 交差して自らの斬撃を受け止めた双剣を薙ぐようにリリアーヌが剣を振るえば、リュシアンはそれを受け流すように、〈モラルタ〉と〈ベガルタ〉を左右に振っていく。

 打ち響く剣戟の音と、舞い散る火花。

 交差させた双剣で左に斬撃を流したリュシアンが右に回り込もうとすれば、リリアーヌが退いて再び魔導剣を振るう。それをリュシアンは姿勢を低くして受け止め、足払いを掛けた。だが、リリアーヌは後方に跳んでリュシアンの目論見を許さない。

 再び力強い踏み込みと共に斬撃を繰り出すリリアーヌ。

 それを交差させた双剣で受け止めたリュシアンは、むしろ振り抜かれた斬撃の勢いを借りるように跳躍した。空中で、双剣〈ベガルタ〉〈モラルタ〉と魔弓〈フェイルノート〉を持ち変える。

 指の間一つ一つに魔力で編んだ矢を形成し、放つ。

 リリアーヌが横へ走りながら避けると、魔矢は赤髪の少女を追いかけていく。だが、その矢は少女の放った斬撃に消し飛ばされてしまった。

 すとん、とリュシアンが着地する。ふわりと大外套の裾が揺れた。

 その視線の先では、リリアーヌが右手で魔導剣を構えていた。


「……」


 剣術の腕は、あの少女魔剣士の方が上。リュシアンは数度の斬り合いを経て、そう感じていた。左肩を負傷させておきながら、自分はまだあの魔導師を倒せていないのだ。

 〈モラルタ〉と〈ベガルタ〉を構えながら、リュシアンは慎重に少女魔剣士と対峙していた。






「……」


 彼らの戦いから少し離れた場所で、エルフリードは周囲を警戒しつつリュシアンの戦いを見守っていた。


「くっ……駄目だ……」


 黒髪の王女は一度だけ魔剣士の少女に拳銃の照準を合わせようとしたが、即座にそれが無理だと悟った。

 リュシアンと少女魔剣士の動きが激しく、下手に撃てば流れ弾となってリュシアンの集中を乱すことになるだろう。

 幼い頃から剣術を習っていたエルフリードは、あの少女魔剣士の技量がリュシアンを上回っていることが見ていて判った。リュシアンは双剣を霊装として常に身に付けているが、彼はどちらかといえば遠距離戦を得意とする部類の魔術師なのだ。

 エルフリードと剣術で勝負しても、十回に七、八回はエルフリードが勝つ。魔術も含めた総合戦になればまた別なのだろうが、今回は相手も同じ魔術師である。だから、リュシアンは付け入る隙を見出せずにいるのだろう。

 どうにかして、彼を助けることが出来ないか?

 相変わらず、魔術のことになると自分は無力だった。歯噛みと共に、恨めしげに手の中にある回転式銃を見つめてしまう。

 それにしても、あの少女魔剣士はまるで自分に意識を向けていないようだった。執拗なまでに、リュシアンを狙っている。本来であれば、彼ら北ブルグンディアの宮廷魔導師たちは王女たる自分の身柄を確保することを命ぜられているはずであろうに。

 憎悪、か……。

 あの少女を駆り立てている感情を、エルフリードはそう推測する。

 彼女はリュシアンを「同胞たちの仇」と呼んだ。リュシアンが戦場で多くの人を殺したことを、あの剣士の少女は憎んでいるのだろう。

 だが、それはリュシアンが背負うべき憎悪ではない。それは、国家が背負うべき憎悪だろう。

 だがそれでも、リュシアンが北ブルグンディアの将兵を大勢殺したという事実には変わりない。

 高位魔術師は、戦場においては一個師団、あるいは野砲一〇〇〇門にも匹敵するだけの能力を持っているのかもしれない。それはつまり、戦場において“敵国の軍隊”へと向かうはずの憎悪が、“一個人”にだけ向けられることになるのだ。

 あの小柄な少年にそれだけのものを背負わせている我が祖国。

 自分が王女である以上、それは同罪だろう。

 エルフリードはそっと唇を噛んだ。

 そんな彼女の視線の先で、リュシアンと少女魔剣士は互いに剣を構えたまま対峙していた。


「……」


 今ならば、とエルフリードは再び回転式銃を構えた。

 だが―――。


「跳び退け、エル!」


 エルフリードの方を見ないまま、突然、リュシアンが叫んだ。疑問を覚える前に、エルフリードの体は反射的に動いていた。


「っ―――!?」


 そして、リュシアンの警告を理解した。一瞬前まで自分が立っていた地面がぬかるんでいたのだ。リュシアンも使っていた足場崩しの術式。


「エル!」


 切羽詰まったようなリュシアンの叫び。彼は少女魔剣士に背を向けて、エルフリードの元に駆けつけようとしていた。


「馬鹿者!」


 思わず、エルフリードは怒鳴りつけていた。彼の背後で、赤茶色の髪をした少女魔剣士が剣を振りかぶっていたのだ。

 リュシアンの背に向けて、斬撃の形に薄赤の波動が放たれる。

 彼の自動防御霊装たる〈黒の法衣(ブラック・ローブ)〉が即座に展開、黒い緞帳となって持ち主を守ろうとする。だが、エルフリードが見届けることが出来たのはそこまでだった。

 足が地面に沈むような感覚。

 即座に彼女は跳んだ。一箇所に留まっていては、捕捉される。今、リュシアンの戦いの邪魔をするわけにはいかない。

 直後、リュシアンを狙った斬撃の魔力波動が爆発を起こし、土煙が舞う。

 少年の安否を確認する間もなく、片手に拳銃を握ったままエルフリードは不規則な針路で走り続ける。視線を周囲に巡らせて、相手魔術師の姿を見つけようとする。

 不意に、彼女の耳が呪文の詠唱らしきものを捉えた。


「〈見えざる鎖にて―――」


「そこか!」


 声が聞こえたのは、左斜め後ろ。エルフリードは即座に体を反転、ほとんど当てずっぽうに回転式銃の引き金を絞る。

 撃鉄が落ち、銃声。そして、腕に伝わる反動。

 一瞬、空間がねじ曲がったかのように景色が歪み、そこから一人の男が現れた。墜落当日に、エルフリードが腹部に銃剣を突き立てた、あの宮廷魔導師だ。


「―――かの者を縛れ〉」


「ぐっ!」


 だが、命中させられるほどエルフリードの運は良くなかった。

 呪文の完成と共に、両手足を掴まれたような圧迫感。見れば、手首と足首が魔法陣によって拘束されている。手足が、まったく動かなかった。


「動くな!」


 警告の声を上げた北ブルグンディアの魔導師は、エルフリードの方を向いていなかった。

 辛うじて動かせる頭を回して、エルフリードは彼の視線の先を追う。そこには、大外套を土埃にまみれさせたリュシアンがいた。






 自動防御霊装〈黒の法衣(ブラック・ローブ)〉は、魔導剣から放たれた斬撃の波動を完全に防いでくれた。

 だが、そこから生まれた爆発の衝撃だけは完全に殺し切ることが出来なかった。ためにリュシアンは、背中から爆風を受けて地面を転がる羽目になった。

 そして、立ち上がった時にはもう、エルフリードはベルトランの放った拘束術式に捕らわれてしまっていた。


「動くな!」


 それが自分に対して発せられた警告であると、リュシアンは理解していた。同時に、自分の背中に魔導剣の切っ先を向けるリリアーヌ・ド・ロタリンギアの気配。

 動いた瞬間に、少女魔剣士は刺突による魔力の波動を自分に向けて放つだろう。


「随分と無意味なことをするね、あんた」


 体を動かせないリュシアンは、だから口を動かした。


「あんたらは、姫の身柄を確保したいんだろ? 殺すわけがないって判っている人質に、どれだけの価値があるの?」


「無意味な時間稼ぎは止めて、武器を置きなさい!」


 背後から、苛立った少女の声。


「……殺さずとも、苦しめることは出来る」


 警戒感を滲ませた固い声で、ベルトランは言う。


「へぇ、俺の目の前で姫を拷問するって? 傷だらけの姫様を返されたロンダリア政府がどんな反応をするか、楽しみだね」


「貴官ならば、私の得意とする魔術系統は知っているはずだ」


 だが、ベルトランはリュシアンの軽口に付き合わなかった。パチン、と指を鳴らす。それが術式の発動だったのか、拘束されたエルフリードの周囲を水が取り巻いた。


「水責めならば、傷跡は残るまい? そして、溺死の恐怖を簡単に味わわせることが出来る。エルフリード王女が、苦しみのあまり貴官に武装解除を懇願するかもしれん。試す価値はある」


「なるほどね」一瞬にして表情から一切の感情を消し去り、リュシアンは低く呟いた。「あんた、死にたいんだ」


 周囲のすべてを、怖気で震わせるような声。

 頭の切れる敵は、厄介だ。ベルトランの表情に、嗜虐の色はない。ただリュシアンを牽制するために最も適切な手段が、エルフリードを痛めつけることだと理解しているだけなのだ。

 だからこそ、リュシアンは余計に苛立つ。


「リュシアン、私に構うな!」


 上古高位語が理解出来ずとも、自分がこれから何をされようとしているのかを察しているのだろう。 エルフリードが気丈に叫んだ。


「……」


 リュシアンは無言で、〈モラルタ〉と〈ベガルタ〉を鞘に戻す。


「リュシアン!」


 悲痛に響く、エルフリードの声。また自分が足枷になってしまったと思ったのだろう。


「あんたさ」


 だが、リュシアンはエルフリードを無視するようにして、ベルトランに話しかけた。


「俺があんたの得意とする魔術系統を知っているだろう、って言ったよね? じゃあ逆に、あんたは俺の得意とする魔術系統は知っているのか?」


「……」


 その言葉に、ベルトランは無言だった。単に警戒しているだけなのだろう。

 それはリュシアンには好都合だった。警戒心故に、相手の行動は自分に一歩出遅れる。

 ピン、とリュシアンは手の中に召喚した“何か”を指で上に弾いた。

 ()()は空中で回転しながら、重力に従って再びリュシアンの前に落ちてくる。


「答えは『火』、だ」


 瞬間、銃声が鳴り響いた。

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