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王女殿下の初陣  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第二部 敵中横断編

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35 魔剣士の憤怒

 空間跳躍魔術の使用によって全身を負傷していたリリアーヌ・ド・ロタリンギア宮廷魔導師が、用意されていた天幕から姿を消したのは二日前のことであった。

 オリヴィエ・ベルトラン宮廷魔導師はその報告を受けたとき、思い切り舌打ちをしてしまった。

 そうまでして、あのリュシアン・エスタークスという魔導師を討ち取りたいというのか。

 確かに、あの少年は危険だ。

 まだ年若い内に殺してしまった方が、北ブルグンディアのためでもあろう。だが、個人的な感情だけで軽率な行動を起こしたロタリンギア魔導師にも疑問を覚える。

 すでにこちら側はアルベール魔導師を失っている。

 これ以上、宮廷魔導師という貴重な人的資源を消費する危険性を冒してまで追撃すべきなのか?

 もちろん、ベルトランはそれが命令であるならば内心はどうであれ従うべきであると考えているし、別に自らの命を惜しんでいるわけでもない。

 だが、現状での命令はエルフリード王女の身柄確保であり、エスタークスという少年の殺害ではない。もちろん、王女の身柄を確保する過程であの少年と交戦することになるだろうが、それ自体を目的とすることは出来ない。

 そして現在、あのエスタークス少年の呪詛発言により、捜索隊の活動は停頓してしまっている。

 ただし、王都からの命令は変わっていない。

 いや、変わっていないというよりも、追加の指令が全くないのだ。

 これはいよいよ、現地部隊である第五軍司令部の暴走という形にして北ブルグンディア政府はロンダリア側の追及を逃げ切ろうとしているな、とベルトランは感じていた。

 国王も政府高官もエルフリード王女の身柄確保を諦めたわけではないのだろうが、恐らく今は責任回避の方向に意識が向いているはずだ。

 宮廷魔導団に引き揚げ命令が出ていないのは、最終的には第五軍司令部の口封じを行わせたいからだろう。幻術などを使い、司令部の人間たちにエルフリード王女撃墜事件に国王を始めとした北ブルグンディア政府が関わっていたという記憶を失わせる。

 恐らく、最終的にはそのように事態を収拾しようとするはずだ。

 まったく、このような事態となるのならば最初から自分たちを戦場に投入するよう、明確に命令を出しておけばよかっただろうに。

 ベルトランは愚にも付かない思いを抱く。

 いや、それはそれで難しかったか。

 高位魔術師を戦場に投入することに対して、自分、アルベール魔導師、ロタリンギア魔導師の三人の間ですら意見統一が出来ていなかったのだ。

 宮廷魔導団内部ですら、今回の宮廷魔導師派遣の当たっては紆余曲折があったという。結局、魔導団としては箔付け程度の覚悟で、自分たちを派遣したに過ぎないのだ。

 最初から戦場への投入をする覚悟も、それを許容するだけの価値観も、魔導団の長老的位置にいる宮廷魔導師連中にはなかったというわけだ。

 ある意味では、オリヴィエ・ベルトランという魔術師はリュシアンとは違った意味で、伝統的魔術観に囚われない人物であったのかもしれない。

 彼の価値観の根底にあるのは、この時代に勃興しつつあった国民意識、つまりはナショナリズムであるといえた。

 だからこそ、ベルトランはリリアーヌ・ド・ロタリンギア魔導師の行方を追うことに決めた。

 別に、彼女を心配しているわけではない。彼女が死ぬことによる国家としての損失、そして彼女の不用意な行動によって引き起こされるかもしれない紛争の再開とそれによる国家が蒙るであろう損害。

 それらを阻止するために、オリヴィエ・ベルトランはエルフリード王女とリュシアン・エスタークス魔導官が向かっているであろうレーヌス河へと急ぐことになった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 暗い夜の大地を、リュシアンは駆けていた。

 その腕には、エルフリードを抱えている。彼女は足に身体強化(エンチャント)の術を掛けて疾走するリュシアンに振り落とされないよう、両腕を彼の首に回していた。


「……」


 ちらりとリュシアンは後方を確認する。

 リリアーヌ・ド・ロタリンギアという名の少女魔剣士は、馬を駆りながらこちらを追ってきていた。

ここまで自分たちを追ってきたのだ。今さら、退くという選択肢はないのだろう。その執念深さが、今のリュシアンには鬱陶しかった。

 あれほどまでの敵意を魔剣士の少女から向けられる理由が、彼には判らない。もっとも、判ろうとも思っていないが。

 リリアーヌ・ド・ロタリンギアという少女は敵なのだ。

 敵を慮るほどリュシアンは寛大な人間ではないし、またそこまでの余裕もない。


「……エル、しっかり掴まってて」


 後方から膨れ上がる魔力反応。

 リュシアンは即座に反応した。片足を軸にして体の向きを反転。左手一本でエルフリードの腰を支えるようにして、空けた右手で破魔の魔剣〈ベガルタ〉を抜き放つ。

 魔力を“視る”ことの出来るリュシアンの魔眼が、迫り来る薄赤の波動をより鮮明に捉える。

 二人の少年少女を呑み込むように放たれた魔力光線を、〈ベガルタ〉で一閃。

 薄赤の光は砕けたガラス片のように周囲に拡散し、大気中の霊子(エーテル)に溶けて消滅した。

 それを確認することもなく、リュシアンは再び走り出す。


「逃げるのですか! この臆病者!」


 背後から憎悪じみた叫びが聞こえるが、リュシアンは意に介さない。


「何なのだ、あの女は!?」


 抱えられている体勢の所為でリュシアンの背後が見えるエルフリードは、説明を求めるように声を上げる。


「さあね、俺が知るか」走りながら、リュシアンは投げやりに答えた。「それより、ちょうどいいから、後ろ見てて。あと、舌、噛まないように」


「う、うむ」


 リュシアンの腕の中で揺られながら、それでもエルフリードは彼に言われた役目を果たそうとする。


「まだ追ってくるぞ!」


「だろうね」


 レーヌス河まであと何キロだろうか?

 身体強化(エンチャント)の術は便利ではあるが、万能ではない。体に負荷をかける魔術であるため、長時間使用すれば筋が断裂したり、血管が切れたりする。

 その点、馬に乗ってこちらを追撃する向こうの方が有利だ。

 どこまで持つか。

 リュシアンは馬の蹄が地面を叩く音を背後に聞きながら、そう思った。


「リュシアン!」


 エルフリードが警告の叫びを発する。魔剣士の少女が剣を構えたのが判ったのだろう。


「跳ぶよ」


 言葉と行動は同時であった。

 横に逸れるように、リュシアンは跳んだ。一瞬前までリュシアンの走っていた場所を、薄赤の魔力の波動が地面を抉りながら伸びていった。

 爆炎と土煙。


「また来るぞ!」


「了解」


 魔剣士の少女は何本もの魔力光線を放ってきた。まるで、リュシアンに逃れる場所を与えないとでもいうように、次々に薄赤の波動が大気を貫いていく。

 そのたびに、地面は抉られ、爆発が起き、土煙が上がる。

 リュシアンは避けられるものは避け、そうでないものは〈ベガルタ〉で無力化していく。

 一際大きな爆発が起き、土煙がリュシアンと少女魔剣士の間を遮る。


「ったく、どれだけ撃つ気だ……。下手をすれば味方を吹き飛ばすってのに……」


 相手の考えが理解出来ずに、リュシアンは呟く。

 あるいはそもそも、味方のことなど考えていないのか。

 もう一人の宮廷魔導師、オリヴィエ・ベルトランの姿が見えないことを考えると、あのリリアーヌ・ド・ロタリンギアは自分を討つためだけに追撃を強行しているのかもしれない。


「―――っ!?」


 刹那、土煙を飛び越えるようにして、単身となった少女が上空で大上段に魔導剣を振りかぶっていた。


「ちっ……!」


 自分たちに向けて放たれた魔力波動。それを〈ベガルタ〉で受け止め、消滅させる。その時にはもう、目の前に着地したリリアーヌがリュシアンに剣を突き出していた。

 ギィン、と二つの刃がぶつかり合う金属音が響き渡る。


「くそっ……!」


 両手で剣を構える少女に対して、リュシアンは片手。それもエルフリードを抱えたままの不安定な体勢である。

 右手に相手の圧力すべてが掛かる。


「あんた、自分が何をやっているのか判っているのか!?」


 押されながら、リュシアンは問う。殺し合いの最中の問答など自分らしくないと思いつつも、問いかけずにはいられなかったのだ。


「味方の兵士を巻き込んで、紛争を再開させたいのか!?」


 エルフリードの身の安全の次にリュシアンが懸念しているのは、そのことなのだ。

 自分とエルフリードが原因で国境紛争が拡大するなど、考えたくもない。自分はエルフリードを守るため、そしてその広域破壊魔法によってロンダリア軍有利の停戦協定を結ぶことを目的としてこの地に派遣されたのである。

 あれだけ自分は人を殺して、それで単に泥沼の紛争に拡大しただけとなれば、一体、自分は何のために人を殺したのか判らなくなってしまう。


「また我が軍の兵士を人質に取る気ですか!?」


 だが、相手の反応はリュシアンの予想にないものだった。


「やはり、あなたを生かしておくわけには参りませんわ!」


 烈火のごとき激しい敵意を込めた視線が、白髪の少年を貫く。

 リリアーヌにとって、リュシアンの発言は呪詛の時と同じく、自分たちを脅すための卑怯な戯れ言に過ぎないのだ。


「我が同胞たちの仇、ここで討たせてもらいます!」


 ぐっとリュシアンの剣が押し込まれる。

 停戦合意を無視してエルフリードを襲撃したことといい、つくづく北ブルグンディアの人間とは相容れないなと、リュシアンは妙に醒めた思考の中でそう思う。それはきっと、彼が北ブルグンディアの人々への関心を抱いていないからだろう。

 足の裏から、魔力を地面に流し込む。

 途端、少女魔剣士の姿勢がぐらついた。


「くっ……! あなた、また……!」


 彼女の立つ地面を泥濘と化し、足場を崩す。呪文の詠唱もなく、視線も下に向けないとなれば、足場崩しの術式の発動を察知するのは困難だろう。

 だが、それでも一度嵌められた策に再び嵌まるというのは、やはり警戒心が足りない。それほどまでに、自分を討つことだけが頭にあるのか。

 リュシアンは体勢を崩した少女に回転蹴りを喰らわせ、その体を跳ね飛ばす。そして、また逃走を開始した。

 この調子では、この魔剣士の少女は国境を侵犯してでも自分を追ってくるかもしれない。

 そんな懸念を抱きながら。


  ◇◇◇


 国境に近い地点でリリアーヌ・ド・ロタリンギア宮廷魔導師の魔力反応を感知した瞬間、ベルトランはすでにリュシアン・エスタークスが彼女に捕捉されたであろうことを理解した。


「……くそっ、無能な働き者め」


 馬上で味方であるはずの少女に向かって呪詛を吐きながら、彼は通信用水晶球を取り出した。


「第五軍司令部、応答され度。こちら、宮廷魔導師オリヴィエ・ベルトラン」


 苦り切った声で、ベルトランは東部国境を守備する第五軍司令部へと魔導通信を試みた。

 しばらくして、応答があった。


『こちら第五軍司令部。どうぞ』


 司令部付きの魔導兵が応答した。


「そちらにジョルジュ将軍はいらっしゃるか?」


『おられます』


「将軍と直接話したい」


『かしこまりました。少々お待ち下さい』


 水晶球の向こうでそのような応答があり、司令部内で会話がなされているのが水晶球越しに聞こえてきた。


『……ベルトラン魔導師殿、如何されたのか?』


 ピエール・ド・ジョルジュ中将の声には、不安と苛立ちが混じっていた。恐らく、未だエルフリード王女を捕縛したとの報告が届いていないことが原因だろう。


「単刀直入に申し上げます。一旦、国境付近から将兵を退避させて下さい」


『どういうことだね?』


 不審がるような調子で、ジョルジュ将軍は問うた。それはそうだろう。未だ国境付近で軍事的緊張が続いている状況で、兵を下げられるわけがない。


『現在、こちらではエルフリード王女とその護衛と思しき人間を発見し、警戒態勢を強めておるのだぞ』


「事情は理解いたします。しかし恐らく、ロタリンギア魔導師がエルフリード王女を護衛しながら逃走するロンダリア側の勅任魔導官と交戦中と思われます。付近の兵士たちが戦闘に巻き込まれる可能性があるのです」


『それは……』


 ジョルジュ将軍はしばし沈黙した。絶句したというよりも、単に決断が付かないだけなのだろう。

 高位魔術師たちの力がどれほどのものか、ジョルジュ将軍は事変における戦闘の中で理解しているはずなのだ。そこに兵士たちが巻き込まれれば、要らぬ損害を出す危険性があることも判っているだろう。

 それでも決断が出来ないのは、魔術師同士の交戦に巻き込まれないために兵を下げ、その隙にロンダリア軍が越境してきたならば、北ブルグンディア軍は対応出来ないからだ。

 その沈黙の間に、遠方で薄赤の光線が走った。


「―――っ!?」


 ベルトランは目を見開く。

 時間差で届く爆発音。これはいよいよ拙いと判断する。


「別に、全部隊を下げていただく必要はありません」決断を促すように、ベルトランは強い口調で言った。「魔導兵に交戦が行われている地点を特定させて下さい。その周辺の兵だけを下げていただければいいのです」


『……了解した。そのように、各部隊に伝達しよう』


 恐らく、爆発音は司令部でも聞こえたのだろう。将軍の返答は早口であった。


「それと、部隊にレーヌス河右岸への不用意な発砲は絶対にさせないように徹底して下さい」


 爆発音で兵士たちが殺気だち、軽率な行動に出るものがいるかもしれない。そうなれば、エルフリード王女の捕縛どころではなくなる。

 未だ不気味な沈黙を続けているロンダリア軍が動き出せば、紛争は再開され、すでに兵力の大半を失っている第五軍はロンダリア軍の侵攻を阻止出来ない。

 ジョルジュ中将もそれは判っていたのか、各部隊の指揮官に厳命すると約束してくれた。

 そうして、ベルトランは通信を切った。


「まったく、ロタリンギア魔導師も向こうの少年魔導官も、最後まで面倒事を引き起こしてくれる」


 忌々しげに呟きながら、ベルトランは二人の魔力反応がある地点へと馬を走らせた。

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