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王女殿下の初陣  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第二部 敵中横断編

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34 正気と狂気の狭間

 人間の死に方というのは、様々だ。

 老衰による死や病死、事故死などというのは日常的な「死」だろう。そのようなもの、この世界では毎日起こっていることだ。

 そしてそれは、ある意味で人間的な死ともいえる。

 もちろん、当人やその家族、親しい者にとっては悲劇でしかないのだろうが、少なくとも人間的に死ねただけ幸福だったのではないかとリュシアンは思う。

 人間を単なる「モノ」に貶め、そして消費して憚らない魔術師など、この世には腐るほどいるのだから。

 では、戦場での死はどうなのだろう、と魔術師の少年は思う。

 戦争も人の営みの一つとして歴史上、飽くことなく繰り返されてきたのならば、それは人間的な死といえるのだろうか?

 それとも、無機質な銃弾や砲弾にすり潰されて死んでいく兵士たちは、国家に「モノ」として消費されたのだろうか?

 だが少なくとも、国家は戦場での死を「英雄的な死」として美化するのが常だ。ならばそれは、人としての死だと国家が認めていることになるのだろうか?

 しかし一方で、国家は兵士を召集令状一つで引っ張り出してくる。それはやはり、兵士を「モノ」として認識しているからではないだろうか?

 いや、まともな精神の持ち主ならば戦場での死を人の死と認識していては狂ってしまうだろう。やはり、国家は戦場での死を人の死とは認識していないのだ。

 でもそれは、死んだ人間にとってはどうなのだろう?

 ましてや、戦場での死など様々だ。銃弾に斃れる者、砲弾に切り刻まれる者、銃剣に突かれる者、戦傷が悪化して死に至る者。

 では、目の前にある死体は、どうなのだろう?

 そんなことを冷静に考えてしまうあたり、自分の精神は十分に異常なのだろう。

 人間の死というものを、分析して分類しようとする。それは、人間の所業ではない。死神の所業だろう。

 その意味では、エルフリード・ティリエル・ラ・ベイリオルという少女は十分に人間だった。自分と違って。そう、リュシアンは思った。


「なぁ……これは何なのだ……?」


 黒髪の少女の声は、現実から浮遊したかのように虚ろであった。


「なぁ、リュシアン……」


 救いを求めるように、油の切れた機械のようなぎこちない動作でエルフリードはリュシアンを見る。


「別に、戦場じゃ珍しい光景でもないと思うけど」


 一方のリュシアンは、平然を通り越して無関心さすら感じさせる口調で、それに答えた。それが少女の望む反応ではないことを判っていながらも、彼はそう言うしかないのだ。

 目の前の光景には、何ら幻想を挟む余地のないものなのだから。


「彼らは、我が軍の兵士だ……。何故、このような所に……」


 彼女の目に映っているのは、二つの遺体だった。

 一人は後ろ手に縛られたまま木の枝から吊され、もう一人は木の幹に縛り付けられたまま刃物で全身を滅多刺しにされていた。

 着ているのは、ロンダリア陸軍の軍服である。将校ではなく、兵卒のものだ。


「そりゃ戦争していたんだし、お互い、捕虜だって大勢いるだろうね」


 今さら、リュシアンはこの程度の光景を見せられたところで心は動かない。

 自分たちの戦友を殺した憎い敵兵がいれば、例えそれが捕虜であろうと殺したくもなるだろう。リュシアンだってそうした行為に納得はしていないが、少なくとも理解は出来る。胸くそ悪くはあるが、激昂するほどのことでもない。

 ある意味で、リュシアンにとっては見飽きた光景ではあった。

 恐らく、同じような光景はロンダリア軍内部でも探せば見つかるだろう。


「こんなところで立ち止まっている場合じゃないでしょ? 行くよ」


 二人が自国軍の兵士の虐殺遺体を発見してしまったのは、完全なる偶然だった。

 畑の間の細い農道を、大麦に隠れるようにして歩いている最中に腐臭に気付いたのだが、リュシアンもエルフリードも戦死者の遺体の処理が追いついていないのだろうといった程度の認識でしかなかった。

 それに、死体であればわざわざ避けて通る必要もない。

 怖いのは生きている人間なのだ。

 だが、ことエルフリードにとって、その認識は間違っていたといえよう。死体であっても、人間を害することは可能なのだ。衛生面という意味ではなく、精神的な意味で。

 それをリュシアンは、エルフリードよりも先に理解しているはずであった。だが。気付けなかった。ある意味でそれは、彼にとってはあまりに当たり前すぎるものに成り果てていたからだ。

 無残な死体というものを見過ぎて、少年から正常な感覚というものが失われていたのだろう。

 だからこその、失態。

 だがリュシアンは、それを失態とは思っていなかった。エルフリードが軍人である以上、いずれどこかで目にするであろう光景なのだ。

 戦場という極限状態の下において、確かに華々しい武勇譚のような人間の高潔さが現れる場面もあるだろう。だが、それは圧倒的な例外なのだ。むしろ、例外であるが故に誇大に後世にまで伝わっているといえよう。

 基本的に、戦場とは人間の持つ醜さが発露される場所であるのだ。


「エル」


 呆然と死体を見つめたまま動こうとしないエルフリードの腕を、リュシアンは強めに引っ張る。


「この間、君は言ったよね? 『綺麗事だけで国家や軍隊が成り立っているとは思っていない』って。まさか、本当の意味じゃ理解していなかったとでも?」


 我ながら酷い言い方だとは思ったが、リュシアンはあえて挑発的な言葉を選んだ。


「お前はっ―――!」


 途端、エルフリードはリュシアンの襟首を掴み上げた。対照的な感情を浮かべる二人の顔が、至近にあった。


「お前はっ! これを見ても何も思わんのかっ!?」


「その質問は、四年遅い」


 ピシャリと冷水を浴びせられたように、エルフリードは固まった。


「いったい、俺がクラリスの弟子になってから何人殺したと思っている? 何人の死体を見てきたと思っている? そんな俺に、今さら、何を言えと?」


 人の死を見て、冷静に分析してその死を分類しようとする人間に、少女の問いかけは無意味なのだ。


「っ……」


 エルフリードの顔が、痛ましげに歪んだ。

 遺体を見つけたときの自失も、その行為に対する激昂も、八つ当たりじみたリュシアンへの感情も、今の彼女からは抜け落ちてしまった。

 結局のところ、エルフリード・ティリエル・ラ・ベイリオルという少女は自分本位なのだ。

 見ず知らずの自国兵捕虜の虐殺遺体を見た衝撃は、近しい者の擦り切れた内面を見せつけられた衝撃に上書きされてしまった。


「俺はもう慣れた。だから、君も慣れろ。エルが軍人を目指すんだったら、こんな光景はどうせまた何度も見ることになる」


「……お前は、酷い奴だ」


 行き場のない怒りを抱えたまま、エルフリードは空いている方の拳をきつく握りしめた。


「だろうね。君が憤りを覚えるのは正しい」


 淡々と、リュシアンは応じる。それがまた、エルフリードの苛立ちを加速させる。


「くそったれがっ!」


 エルフリードは鋭剣(サーベル)を抜き放つと、周囲の大麦を一閃した。そうすることでしか、彼女は自分の中に生じた熱を発散させることが出来なかったのだ。

 捕虜を無残に殺した北ブルグンディア兵への怒り、それに一切の感情を見せないリュシアンへの悲憤、そしてそんなリュシアンの方をこそ心配してしまう自分自身の醜さへの苛立ち。

 その身勝手さはきっと、この捕虜たちを殺した者たちと大きく変わらない。ただ、エルフリードがまだ無差別的な殺戮に手を染めていないというだけの違いでしかないのだろう。

 自身の呪わしい(さが)を見つめながら、少女は剣を収めた。


「リュシアン」


 エルフリードは剣を鞘に収めた姿勢のまま、リュシアンに背を向けて言った。


「私は、このような行為をなした者を決して許せぬ」


「……」


「だが、戦争とは、いや、お前の感じている人の世の醜さとはこういうことであるのだと、理解しておく。それでも、やはり納得は出来ん」


「エルが俺みたいになられても困る。君はそれでいい。そのままでいて欲しい」


 憧憬すら感じさせる声で、リュシアンは言った。遠く隔てられた美しいものに手を伸ばそうとして届かない、そんなもどかしさすら感じさせる声だった。


「ふん」


 苛立ちを収めるように、エルフリードは鼻を鳴らす。それでも、胸の中に残る不快な感情は消えない。

 もう自分は十分身勝手に生きてきているではないか。何を今さら純情ぶる必要がある?

 エルフリードは内心で己自身を嗤った。


「行くよ、エル」


「ああ」


 何かを呪うような低い声で、エルフリードは応じた。結局、近しい少年すら道具として利用しようとする自分に、見ず知らずの自国兵士の無残な末路を心の底から悼む資格などないのだ。それだけの情があるのならば、それは最初にリュシアンに与えるべきだったのだ。

 だから少女は遺体に背を向けた。


「……黄泉の国から、私を呪うがいい。お前たちには、その資格があろう」


 最後にぼそりと、エルフリードはそう呟いた。きっと聞こえていたであろうリュシアンは、何も言わなかった。

 エルフリードが歩き出そうとしたリュシアンに合わせて、一歩踏み出そうとした時だった。


「誰だ、そこに居るのは!?」


 鋭い誰何(すいか)の声が、辺りに響いた。


「エル」


 リュシアンは再び、少女の腕を引っ張った。そのまま、走り出す。


「待て! 止まれ!」


「おい、リュシアン! 幻術は使わんのか!?」


 背後に怒声を聞きながら、エルフリードは問う。


「あんなに大声出されてたら、周りの人間たちも集まってくるでしょ? あいつ一人に幻術を掛けたって意味がない」


「すまん、私の所為で」


 大声を出し、そして一箇所に留まり続けていたのはエルフリードが原因だ。だから、見つかってしまった。そう思い、少女は自責の念を感じているのだろう。


「別にいいよ。むしろ、君がああいう行為に義憤を抱ける人間で安心したくらいだから」


 しかし、リュシアンはそう捉えてはいない。むしろ、エルフリードが捕虜の惨殺死体を見ても眉一つ動かさない人間であれば、失望していただろう。

 だが、エルフリードはそういう人間ではない。それが判っているから、リュシアンは彼女の傍に居続けているのだ。


「おい! 応援を呼べ! 連中がロンダリアの王女とその護衛かもしれん!」


「ちっ」


 背後の叫びの意味が判っているリュシアンは、拙いと思った。すでに国境を守る北ブルグンディア軍部隊にも、自分たちのことは通達されているらしい。この期に及んで、北王国はエルフリードの身柄確保に拘っているのか。

 あるいは、単に後には引けなくなっているだけか。

 どちらにせよ、残りの逃避行が依然として厄介であることに変わりはなかった。


  ◇◇◇


「不審な連中がレーヌス河に向かって逃走しているらしい」


「脱走した捕虜じゃないのか?」


「いや、一人は夜でも判る白い髪だったらしい」


「ってことは、警戒しておけって通達が出ているロンダリアの王女とその護衛か」


「の、可能性が高いらしい。小隊長殿からは、見つけ次第捕虜とせよだってさ」


「つまりは殺すなってことか?」


「ああ、王女の方はな」


「判ってるって。それに、生かしておけば色々と楽しめるだろ?」


「流石に王女相手にそれは拙いんじゃないのか?」


()()()()()()()()問題ないだろ? 多少怪我させたところで、拘束する時に暴れられたって言い訳しときゃいいだけだし」


「はははっ、そいつは良い考えだな。なら、俺も混ぜろよ」






「……」


 下卑た笑い声を上げている兵士の一団を見て、リュシアンはかすかに眉をひそめた。エルフリードは兵士たちの話すブルグンディア語の意味がよく理解出来ていなかったが、リュシアンの機嫌が下降傾向にあることは理解していた。


「……」


 だが、エルフリードは彼らが何を言っているのかをリュシアンに尋ねることはしなかった。

 今は、一切の声を出すことが出来ないのだ。

 リュシアンは自身とエルフリードに幻影魔術を掛けて、光学迷彩をまとっている。向こうからはこちらが見えないが、声などを出しては術の効果はなくなってしまう。

 リュシアンはエルフリードに貸していた大外套〈黒の法衣(ブラック・ローブ)〉を羽織り、片手でエルフリードと手を繋いでいた。

 二人は農地の境だか家畜が逃げ出さないようにするためだかに設けられた低い石垣の陰に隠れて、松明を持った兵士たちをやり過ごしていた。

 やがて兵士たちの声が遠ざかると、リュシアンはエルフリードの手を引いて歩き出した。

 しばらく歩くと、何本か木々の茂った場所があった。リュシアンはその中に、一旦、身を隠すことにした。エルフリードが怪訝な顔をしていたが、そのまま黙っていてくれた。

 木立の中に隠れ、周囲を一通り確認して安全を確認すると、リュシアンは首元を抑えた。喉頭式通信用水晶球に魔力を流し込む。


「こちらリュシアン・エスタークス。西部方面軍司令部、応答され度」


 だが、応答がない。


「西部方面軍司令部、応答され度。西部方面軍司令部、応答され度」


『……エスタークス魔導官か?』


 何度か繰り返して、ようやく応答があった。オークウッド大佐の声であった。


「大佐、俺たちは今、レーヌス河まで二〇キロかそれより近い場所まで来ている」


『ああ、やはりそうだったか』納得の声が、水晶球から漏れる。『一時間ほど前から、レーヌス河対岸で北ブルグンディア軍の動きが活発化しているとの報告が各所から舞い込んでいてな。こちらも警戒態勢を強めていたところなのだ』


 応答が遅かったのは、多方面からの来る通信の処理が間に合っていなかったかららしい。

 恐らく、松明の明かりが盛大に動き回っているのが、ロンダリア側からでも確認出来たのだろう。


『突破は可能か?』


「絶対とは言い切れないけど、北王国の宮廷魔導団が出てこない限りは」


『なに? 貴官はそのような連中に追われていたのか』


 北ブルグンディアの執念を感じたのか、オークウッド大佐の案ずるような声が届く。ただし、若干の呆れも混じっているようだった。自国の勅任魔導官に匹敵するだろう魔術師の追撃を避けてきたリュシアンに対する呆れだろう。


「まあ、そいつらに追いつかれても何とかする。大佐は不用意な軍事衝突が起こらないかに気を付けて欲しいのと、前線に俺たちが数時間以内に河を渡ることを通達して欲しい。流石にここまで来て、味方に誤射されるのは面白くないから」


『判った。ただし、警戒態勢を解くわけにはいかん。いきなり撃つような真似はせんよう前線には通達を出すが、岸に上がった後は身元確認のために拘束される程度は覚悟しておいてくれ』


「まあ、それくらいは構わないけど」


『あまり長々と魔力波を出すのも拙かろう。貴官と殿下の無事の帰還を祈る』


「了解」


 そうして、リュシアンは通信を切った。


「行くよ。手、絶対に離さないで」


「うむ、判っている」


 リュシアンはエルフリードの手を握り、再び自分たちに認識阻害の幻術を掛ける。

 木立を出、月と星の位置を確認した。

 地上では、松明の光りが不気味に蠢いている。それを無視するように、リュシアンは歩き出した。






 だが、そこから三〇分も歩きもしない内に、リュシアンはその歩みを止めざるを得なくなった。


「っ!」


 一瞬にして、表情に乏しいリュシアンの顔に緊張が走る。咄嗟に、エルフリードの腕を引っ張った。


「うわっ!?」


 体勢を崩し、思わず声を上げてしまったエルフリードの背中と膝の裏に手を入れて彼女を抱え上げる。


「おい、何を!?」


 エルフリードの疑問に答えるよりも早く、リュシアンは跳んでいた。身体強化(エンチャント)の術式を足にかけての跳躍。

 高所恐怖症のエルフリードが、思わず両手でリュシアンにしがみついた。

 刹那、地表を薄赤の魔力の波動が薙いでいく。

 そして、爆発。


「正気か……?」


 風の魔術で体を包んで落下速度を和らげながら、リュシアンは呟いた。

 国境線での軍事的緊張が高まっている状態での、大規模な破壊術式。

 万が一、北ブルグンディア軍が対岸のロンダリア軍による砲撃だと認識すれば、即座に軍事衝突が始まってしまうだろう。

 そうした事態をリュシアンは恐れたからこそ、逆探知されるのを覚悟で西部方面軍司令部に通信を入れておいたのである。

 土が剥き出しになり、所々にちろちろと火が残る地表に、リュシアンはエルフリードを横抱きにしたままゆっくりと降り立った。

 抉れた地面のその先。

 周囲を圧するように魔力を発散させる、少女魔剣士がいた。馬に跨がったままこちらを見下ろす苛烈な色を湛えた瞳が、鋭くリュシアンを射貫いた。


「……なるほど、俺が狙いってわけだ」


 リュシアンの赤い瞳は、その色とは裏腹に冴え冴えと冷え切っていた。

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