2 陣地強襲
五月十六日。
北ブルグンディア軍は、まったく教範通りの陣地強襲攻撃を開始した。
布陣を完了した北ブルグンディア軍砲兵隊による一斉射撃により、レナ高地を巡る攻防戦は幕を開けた。
すでにライガーら陣地に籠る将兵たちは塹壕や掩体壕に身を潜ませている。
正直、彼ら騎兵は敵の砲撃が収まるまではひたすらに耐えるしかない。壕を直撃されて吹き飛ばされる不運な人間も出てくるだろうが、それは想定された被害として許容するしかないのだ。
「マッケンジー少佐より伝令。射撃開始命令、未ダナリヤ」
「おう、そっちは存分にやってくれ」
指揮壕に籠りながら、ライガーはいっそ朗らかな調子で命令を伝達した。
途端に、腹の底に響く砲声が陣地各所で生じた。
マッケンジー少佐率いる砲兵大隊が、敵砲兵隊陣地に対して砲兵戦を挑み始めたのだ。
「初弾、弾着! 近!」
「一番砲、増せ、ふたぁつ!」
砲弾を発射するたび、砲兵たちは忙しく動き回る。砲身内部の煤を払い、発射の反動によって後退した砲を元の位置に戻し、再び装填して照準を付ける。
さらに敵砲兵に位置を悟られぬよう、不規則に砲陣地を移動させていく。
「撃てぇ!」
再び、轟音と共に砲弾が放たれる。
「砲弾に遠慮するな、ドンドン撃て!」
それは、ちょっとした火山の噴火にも似た光景であった。
レナ高地の各所に配置された野砲が次々に砲弾を放っていく。
砲兵隊を指揮するマッケンジー少佐には自信があった。何しろ、こちらは高地に陣取り、向こうは平地に陣取っている。砲兵戦において有利を確立しているのは、こちらである。
そして何より、部隊には四門だけではあるが、最新鋭の後装式旋条砲が配備されている。
砲身内部に螺旋状の溝を掘り、尖頭型の砲弾を高初速で撃ち出すことの出来るこの鋼鉄製の砲は、ロンダリア連合王国でも配備が始まったばかりの最新兵器であった。
従来の前装式青銅製旋条砲に比べれば、装填速度、初速とそれに伴う威力は段違いである。
双方の陣地で、弾着が続発する。
轟音と共に、地面が振動した。ライガーやエルフリードの籠る壕で埃が立ち込め、土が崩れる。しかし、被害は限定的だった。敵が使用しているのは、一般的な円弾だったからだ。これならば貫通力は低く、本当に壕を直撃されない限りは大きな被害は出ないだろう。
「我、敵砲兵隊ニ猛攻ヲ加エツツアリ。弾着良好」
指揮壕に控える水晶球を抱えた兵、魔導兵がマッケンジー少佐からの報告を伝達する。
「よし、少佐は上手くやってくれているようだ」
ライガーは弾着が続く陣地の中で満足げに頷いた。
地表では、高地の地面が盛大に掘り返されている一方、北ブルグンディア側の砲陣地に次々と弾着が生じ、並べられた砲列を砲兵の肉体と共に吹き飛ばしている。
問題は、とライガーは指揮壕から移動した掩体壕の銃眼から平地をのぞいた。敵歩兵の隊列は、彼我の砲兵隊同士の砲戦の合間に前進を続け、陣地と一定の距離を保って停止している。
砲兵隊による一定時間の準備砲撃が終了したら、突撃を開始するだろう。
まったく、敵は教範通りの動きを見せてくれる。
いくら砲の性能はこちらが上とはいえ、砲門数も兵員数も向こうが上だ。最終的には物量で押し切られてしまう。
何しろこちらは壊乱した他の部隊の兵員を無理矢理指揮下に加えて二〇〇〇名程度の将兵をようやく確保しているに過ぎない。
幸いであったのは、騎兵第十一連隊が純粋な騎兵部隊ではなく、騎兵を中心に歩兵、砲兵、工兵を加えた部隊であったことだろう。これは、上部組織である騎兵第一旅団が諸兵科連合部隊を目指して編成されたことによる。
基幹兵力は、騎兵四個中隊約八〇〇名、砲兵一個大隊野砲十六門(内、一個中隊が最新鋭の後装式旋条砲を装備)、歩兵一個大隊約六〇〇名、工兵一個中隊約一二〇名である。これに、潰走した他の部隊の残存兵力を加えた兵数が、レナ高地を守備するロンダリア陸軍のすべてであった。
ただ、マッケンジー少佐が言ったように数日は粘れる。これは希望的観測ではなく、綿密な野戦築城、そして砲兵隊が高低差を活かして寡兵ながら敵砲兵と互角以上の戦いをしている現実から導き出された結論だ。
ただし、三日、四日の内に大規模な増援が到着するか、友軍の反攻が開始されなければ、最終的な結果は、ライガーにとって面白からざるものになるだろう。
その点が、不満と言えば不満であった。
それまで頻発していた炸裂音と地鳴りが徐々に収まってくる。弾着が緩慢になりつつあった。
その代り、千単位の人間が地面を踏みしめる音、喇叭の音、装具の鳴る音が陣地へと届く。
時間だな、とライガーは思った。
敵の準備砲撃開始から一時間が経過した。ここまで教範通りの敵軍ならば、ここから先も教範通りに進めるに違いない。
北ブルグンディア軍の教範では、陣地攻撃の際に三十分、ないし一時間の準備砲撃を加えた後、突撃すべしと定めている。北ブルグンディア軍の白兵決戦主義は周辺諸国でも有名であったし、それがこの時代の多くの国家での常識であった。
ライガーは銃眼から敵の隊列を確認した。やはり敵は教範通り、突撃に移ろうとしている。
「連隊、防御配置につけ! 馬は出すな! 別命あるまで、発砲はするな!」
ライガーは矢継ぎ早に命令を下す。
「騎兵砲、斉発砲、射撃用意!」
射程の短さから、砲兵戦に参加できなかった連隊直轄の砲兵部隊に砲撃の準備を命令する。
「白兵戦用意!」
まったく、騎兵指揮官の出すべき命令ではないな。そんな違和感を覚えつつ、ライガーはすべての迎撃命令を滞りなく発した。
掩体壕の下で砲撃を耐え忍んでいた将兵が塹壕の淵にへばりつき、小銃や騎銃に銃剣を装着し、弾薬盒から紙薬莢に包まれた実包を取り出す。そして、装填動作。
ロンダリア連合王国の主力銃たるメイフィールド銃は、この時代一般的な前装式旋条銃であった。雷管と撃発式発射装置の開発により、十年、二十年前には主力であった燧石銃と比べて射程、装填速度共に大幅に向上している。
装填を終えた兵士たちが、塹壕の淵から銃口を突き出す。
ライガーは掩体壕の銃眼から、前進してくる敵の隊列との距離を測っていた。
「敵先頭集団、間もなく射撃開始線」
同じように距離を測っていた幕僚が報告する。
「騎兵砲、撃ち方始め!」
八門の騎兵砲が、砲兵戦に参加出来なかった恨みを晴らすかのように、猛然と射撃を開始した。
距離が近いので、すぐに弾着は生じた。炸裂音と共に破片が飛び散り、付近の敵兵を切り刻み、吹き飛ばしてゆく。
爆発音と敵兵の悲鳴。本当の意味での、戦場音楽が鳴り響く。
ライガーは満足感と共に唇を湿らせた。うん、やはり戦場音楽は敵の悲鳴を聞くに限る。自陣地で炸裂する砲弾の音や味方の悲鳴など、聞きたくもない。
しかし同時に、緊張も覚えている。
敵兵の数は少なく見積もっても旅団規模。四〇〇〇名はいるだろう。八門の騎兵砲程度で押しとどめられる相手ではない。
敵部隊との距離は、二〇〇メートルを切った。
「各中隊、撃ち方始め!」
「てぇっ!」
号令が伝達され、張り巡らされた塹壕の端から端まで銃声が連続し、白煙が上がる。
最前列の敵兵が、一斉に倒れた。悲鳴と絶叫。頭蓋を砕かれた兵士が斃れ、体を貫かれた兵士が転げまわる。
同時に、軽快な発射音が連続した。砲架に二五の銃身を束ねて連射を可能とした、斉発砲だった。一気に敵の隊列の一つをなぎ倒してしまう。
砲架に乗せているために取り回しが難しいのが欠点ではあるのだが、陣地防衛用の兵器としては十分に機能しているようであった。
だが、激しい防御射撃にも関わらず、敵の隊列は統制を失わなかった。隊列を組んだ敵兵が、射撃姿勢に入る。
今度は、敵兵が白煙に包まれた。
塹壕から頭を出し過ぎていた何名かの兵士が、後頭部から血と脳漿を撒き散らす羽目になる。
再装填と発砲。
それを繰り返しながら、彼我の距離は徐々に縮まってきた。そして鳴り響く喇叭の音。
来るべきものが来た、とライガーは思った。
敵は銃剣を突き出しながら、喊声と共に突撃を開始した。津波のような人の群れが、高地に襲い掛かる。
四門の斉発砲が敵兵を無造作になぎ倒していくが、敵歩兵はまったく怯む様子も見せずに突撃を敢行してくる。
十分な防御火力を備えた陣地への突撃がいかに高くつくか、それを北ブルグンディアの兵士は己の命を授業料として学んでいるのだろう。そうした諧謔に満ちた思考をライガーが楽しめたのも少しの間だった。
防御射撃を乗り越えた敵の一部が、ついに塹壕へと飛び込んできたからだ。
ライガーは掩体壕から飛び出した。腰の鋭剣を抜き放つ。
泥にまみれた敵兵が、彼の近くに飛び込んできた。
ライガーはほとんど反射的に鋭剣を相手の腹部に突き刺した。そして捩じる。敵兵の絶叫は、今のライガーの耳には届かない。そのまま敵兵の腹を蹴って鋭剣を抜き、小銃を奪う。
鋭剣よりも得物の長さがある小銃の方が、白兵戦では有利になる。それは槍として使え、棍棒としても使えるのだ。
塹壕にはすぐに他の敵兵が現れた。塹壕に着地した敵兵の立ち上がりざまに銃床を振るう。頭蓋骨が陥没する生々しい感触が手に伝わるが、気持ち悪いとも感じない。銃床にはべっとりと血と脳漿がこびりついた。
ライガーはさらに二人を撲殺した。顔は返り血と泥で斑になっている。
だが、五人目への対応は遅れてしまった。その敵兵は動物的な唸り声と共に、ライガーに飛び掛かるようにして塹壕に転がり込んできたのだ。もつれ合いながら、二人は狭い通路を転がった。
ライガーは後頭部を塹壕の壁の木材に強く打ち付けた。馬乗りになった敵兵が、彼の首を万力のような力で締め上げる。ライガーも渾身の力で相手の腕に引き剥がそうとした。
と、その直後、敵兵の胸から鋭剣の切っ先が生えた。彼は納得できないような表情を浮かべながら、塹壕の中に沈んでいく。
「ご無事ですか、連隊長殿」
こんな戦況にあっても凛と響く声。
ライガーと同じように全身を返り血と泥で汚したエルフリードが立っていた。手には二振りの鋭剣。一振りは敵の将校から奪いでもしたのだろう。
「ああ、何とかな」
ライガーは彼女の助けを借りずに立ち上がった。
「敵は崩れ出しています」
エルフリードは報告した。
「でなければ困る」
ライガーは陣地前面に目を遣った。そこには、数百単位の北ブルグンディア兵の死体が転がっている。
「日没までに、まだ数度、強襲をかけてくるだろう。まだまだ楽はさせてくれんぞ」
「望むところです」
エルフリードは気負いなく言ってのけた。将校としての精神は、すでに彼女の中で完成されているのかもしれない。その早熟さは、王族という立場のもたらす圧迫感故だろうか。
もっとも、それが彼女にとって幸福なのか不幸なのかは、ライガーの知るところではなかったが。