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王女殿下の初陣  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第二部 敵中横断編

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27 魔力逆探知

 敵地での逃走が始まってから二日目の夜を迎えていた。

 リュシアンは樹木の陰に隠れるようにして、慎重に森の切れた先を観察していた。

 篝火の明かりに照らされた、村落。

 アルデュイナの森の開けた場所に、十軒にも満たない小規模な集落が存在していた。小さな丘と丘の間、谷底平野のような細長い平地の部分だけ森が途切れ、村落が形成されている。

 数少ない平地の部分を開墾したらしく、小規模ながら畑らしきものが見えた。風の流れによって獣臭さも漂ってくることから、家畜も狩っているのだろう。

 豚はどんぐりなどの木の実を食べるので、森の近いこの場所は豚を飼育するには適しているはずだ(牛より豚の方が成長が早いので、食肉用家畜として多くの農家が飼っている)。

 あるいは、林業を中心とする村なのか。

 実際のところは、完全な部外者であるリュシアンには判らない。

 問題は、と彼は思う。篝火に照らされた村には、自警団らしき人間が数名、猟銃らしきものを構えて交代で歩き回っていた。

 リュシアンの脳裏には、奇妙な納得があった。

 ただこちらを追いかけるだけでは、追跡部隊の指揮官は無能の誹りを免れないだろう。こちらはロンダリア国境線を目指しているのだから、当然、先回りしてしまえばいい。

 そして、相手はこちらの食糧事情を正確に把握してはいないだろうが、それほど食糧を持っていないだろうとは推測出来る。

 ならば、周辺の村落から食糧を略奪する可能性に思い至るのは必然の帰結だろう。

 だからこそ、アルデュイナの森近郊に位置する村々に触れを出して、自警団による夜警を行わせているのだろう。

 リュシアンは溜息をつきたくなった。

 明日辺りで、手持ちの食糧は尽きるだろう。今日の昼間は森の中で見つけた野苺を昼食代わりにして、手持ちの糧食の消費を少しでも抑えようとしたのだが、限界がある。

 最悪、相手が常人(ただびと)であるならば幻術魔法を使って騙せばいい。こちらを北ブルグンディア兵士であると認識させ、食糧を徴発する。

 だがそれは同時に、敵魔導師にこちらの位置を逆探知される危険性を孕むことになる。

 出来れば、最後の手段としておきたい。

 しかし一方で、体力に余裕のある内にとるべき方法だとも思う。飢えて体力がなくなった段階では、逆探知された後の逃走が覚束なくなる危険性があった。

 それに、飢えているときに都合良く村落が見つかるという幸運に恵まれるとも限らない。

 リュシアンは迷った挙げ句、一旦、エルフリードの待つ夜営場所に戻ることにした。






 以前、雨か何かで土が崩れたのか、丘の斜面の一部が垂直になって土が剥き出しになっている崖のような箇所があった。

 その小さな崖下を、二日目の夜営場所としていた。

 夜営場所にリュシアンが近付くと、エルフリードがびくりとして反射的にエッカート銃を向けてきた。

 一旦、足を止める。


「俺だよ、エル」


「……あ、ああ、すまん」


 緊張で上ずった声で、エルフリードが謝ってきた。夜、不意に人影が近付いてくれば嫌でも警戒するというもの。リュシアンは特に気にしていなかった。


「それで、どうだった?」


「村は自警団みたいな連中が篝火を焚いて警戒していた。猟銃で武装している」


「……」


 空からのかすかな明かりの下で、エルフリードの顔が目に見えて強ばった。彼女も、事態の深刻さを理解しているのだ。

 逃げる先を、先回りされている。

 自分たちは、追っ手と待ち伏せによって、森の東西から追い詰められつつあるのかもしれない。

 昼間、森を歩いている上空を、一度だけ翼竜が通過したことがあった。翼竜乗りでもあるリュシアンとしては、高速で飛ぶ竜兵が上空から地表の見えにくいこの森で自分たちを発見出来るか大いに疑問であったが、心理的圧力にはなる。

 実際、エルフリードに対しては一定の心理的効果を与えているようだった。

 強ばった表情のまま、エッカート銃をきつく握りしめている。


「エル、落ち着いて。まだ、俺たちが見つかったわけじゃない」


「ああ。ああ、そうだな」


 その言葉には、自分自身を無理に納得させようとする響きがあった。何とか、自分を強く保とうとしているのだろう。


「で、エル、相談がある」


「何だ?」


「手持ちの食糧は、どんなに節約しても明日か明後日の朝には尽きる。その前に、出来れば相応の食糧を確保したい」


「だが、あの村は自警団がいるのだろう?」


「幻術魔法を使って俺を北ブルグンディア兵と認識させて、食糧を徴発する」


「……」


 エルフリードは黙ってリュシアンの言葉を聞いていた。


「飢えてから丁度良く食糧を確保出来る村が見つかるとも限らない。余裕のある内に食糧を確保しておいた方がいい。ただし、北の宮廷魔導師に逆探知される危険性がある。飢える危険性か、逆探知される危険性か、どちらをとるべきか迷ってる」


「……飢えれば、お前は魔術師としての力を十分に発揮出来なくなるだろう?」


「そうだね」エルフリードの懸念に、リュシアンは正直に頷いた。「君も体力を落とすから、二人揃って歩く速度が落ちる」


「やるしか、ないのか」


 実質的な略奪に、エルフリードは一欠片の逡巡を残していた。だが、それをすぐに振り払う。

 今は自分の矜持に拘っていたり、向こうの農民の生活に気を配っているような余裕はないのだ。逃げるために、生きるために、汚いことにも手を染めなければならない。


「その代わり、食糧確保後は出来るだけ村から離れる必要性がある。今夜は多分、寝る余裕はない」


「村から距離を取って、明日の昼間にでも睡眠を取ればよかろう」


 エルフリードの声は決然としていた。それまで自分の気力・体力を持たせると、リュシアンに宣言しているのだ。


「判った」


 エルフリードの覚悟が決まっているのなら、リュシアンとしても躊躇はない。


「じゃあ、君も一緒に来て。二人で確保出来るだけの食糧を確保する。君が将校役で、俺が兵士役。行くよ」


「ああ」


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 アルデュイナの森西部の開けた場所に、複数の天幕が張られていた。

 北ブルグンディアにおける、エルフリード王女捜索部隊の指揮所である。

 捜索には軍の憲兵隊に地元の警察など、合計数百名規模の人員を投入していた。さらには、それほど数は多くないものの、竜兵や軍用犬も捜索に加わっている(なお、この当時の軍用犬の役目は伝令、警備・警戒用が主であり、後の時代と違って敵の捜索や追跡を目的とした調教は不十分であった。また、警察犬については導入はまだ始まっていない)。

 しかしながら、撃墜当日の午後に北ブルグンディアの宮廷魔導師と王女を護衛していた魔導師が交戦して以来、王女と魔術師の足取りは掴めていなかった。

 さらに悪いことに、森の中には敵魔術師が罠を仕掛けていったようで、一部の捜索隊がそれに引っかかってしまった。

 落とし穴の底に鋭く尖らせた枝が仕込まれていたというのはまだいい方で、地面が爆発して片足を吹き飛ばされた兵士もいる。

 恐らく、踏むと発動する爆裂術式が仕込まれていたのだろう。

 捜索隊の通信を統括する北ブルグンディアの魔導将校はそう思った。

 高位の魔術師は、自らの研究の秘密を守るため、自宅などを魔術陣地化するという。そうして、他の魔術を始めとする侵入者を迎撃するのである。

 恐らく、敵魔術師はそれと同じようなことをやったのだろう。流石に構築した魔術陣地に籠るような真似はしていないだろうが、罠だけは森の至る所に仕掛けていった可能性はある。

 王女の護衛はこちらの宮廷魔導師に匹敵する高位魔術師であると伝えられており、数百名の捜索体制を敷いていてもまったく楽観出来なかった。

 さらに言えば、罠による士気の低下も見過ごせない。

 常人(ただびと)では(恐らく、並みの魔術師も)相手の魔術的罠を見抜くことが出来ず、故に森の中を進むことを恐れる兵士や警察官が出ているという。

 特に、罠が殺すのではなく、負傷させるというのが悪辣であった。

 同じ捜索隊の者は、当然、足を突き飛ばされてのたうつ仲間を見ることになるし、さらにはその負傷者の治療と後送のために人員が割かれる。

 結果として、ただ殺すよりも捜索隊の人数を減らすことに成功しているのである。


「……中尉殿、微弱な魔導反応を感知いたしましたが」


 不意に、当直についていた魔導反応傍受担当の兵士がそう言った。魔導兵の座る机の上には、いくつかの水晶球が置かれている。


「その位置と方位を正確に測定しろ」


「はっ! 真方位一二八度、距離三十二キロと推定されます」


 将校はただちに地図を確認した。そこには、小さな村があった。


「ようやく尻尾を掴めたというわけか。おい、捜索隊指揮官殿と宮廷魔導師殿に報告だ。急げ」


 上手くすれば明日の昼間には、逃走中の二人を捕捉出来るかもしれない。

 彼はそう思い、ほっと安堵の息をついた。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 村から食糧を調達した後、リュシアンとエルフリードは夜通し歩き続けた。

 そのまま単純に国境線の方角である東へ向かうと捕捉される危険性が高いと思われたので、ある程度東へ向かった後、途中で針路を南に変えた。

 当然、南へ向かった足跡を残せば追跡されてしまうので、野生動物が逃走する際に使う止め足(バックトラック)を使った。

 村から三時間ほど東へと歩き、そこから自分たちの足跡を踏んで一時間ほど慎重に後退。そこから足跡のつかない突き出した木の根に跳躍。南へ向けて歩き出す。

 日が昇った後、足跡が発見されたとしても、一定時間、相手を欺くことが出来るだろう。さらに後退の最中、リュシアンはいくつかの魔術的な罠を仕掛けておいた。

 ただし、そのために村からの距離はほとんど稼げていない。

 直線距離で十キロも離れられていればいい方だろう。

 とはいえ、リュシアンの足取りはそれほど重くはなかった。村からそれなりの量の食糧を確保出来たからである。

 塩漬け豚肉(ハム)は肉塊で手に入り、他に酢漬け野菜(ピクルス)乾酪(チーズ)、硬く焼かれたライ麦パン(農家は竈の薪を節約するために、一度に数日分のパンを焼く。そのため、保存に適するようにパンは固く焼くことになる)。

 わずかとなった手持ちの食糧と合わせて、あと数日は凌げるだろう。

 問題は、魔術を行使したことによる逆探知である。

 流石に夜間の追撃は遭難の危険性があるので北ブルグンディア側も迅速な行動は取れないと読んでいたが、だからといって追撃がまったくないと楽観するほどリュシアンは能天気ではない。


「……」


「……」


 朝日が完全に森の木々の上にまで昇るまで、リュシアンとエルフリードは黙々と歩き続けた。

 いい加減、足が疲労で震え出しそうな辺りで、野営出来る場所を探し始める。しばらく探すと、大樹の木の根が複雑に張り出して、人間二人がすっぽりと隠れられる空間を見つけた。

 昨日から一睡もせずに歩き通しだったためか、二人ともへたり込むように地面に腰を下ろした。

 共に、肩で息をしていた。息遣いや心臓の音が五月蠅いくらいだった。


「……朝食に、しようか」


 息が落ち着いてきたあたりで、リュシアンはそう提案した。


「ああ、そうだな」


 木の根に背を預けながら、エルフリードが同意する。

 せっかくなので、リュシアンの手持ちの食糧ではなく、村で確保した食糧を食べることにした。ちょっとした気分転換も兼ねている。そうでなければ、精神が持たない。

 肉塊状態のハムを薄く削ぐ。硬いライ麦パンも食べられる大きさに切った。


「……」


 だが、エルフリードは一瞬だけ食べるのを躊躇した。


「どうしたの?」


「……いや、敵国の人間とはいえ、民草から奪ったものだと思うとな」


 王女という立場故か、罪悪感を覚えているようだった。


「軍でも民間から徴発はするでしょ? この間、ライガー大佐だって農家の備蓄していた小麦粉を徴発してパンを焼いていたし」


「いや……、徴発と略奪は何となく違う気がしてな……」


「同じだよ」リュシアンの声は、どこか突き放したような冷たさを孕んでいた。「軍が一般市民の生活基盤を破壊するって意味じゃ、徴発も略奪も同じ。ただ、味方からの略奪を“徴発”なんて言葉で濁して正当化しているだけ」


「……私も、綺麗事だけで国家や軍隊が成り立っているとは思っていない」


「じゃあ、納得すればいい」


「納得は、したくない」エルフリードは固い声で言った。「リュシアン、私は王になりたいのだ」


「知ってるよ、エルの究極的な目的だからね」


「だがな、決して暴君や暗君になりたいわけではないのだ。民草の生活を顧みない為政者などには、なりたくない。それでは、王を目指す意味がないのだ」


 エルフリードという少女は、野心家で、矜持が高く、意地っ張りで、なのにどこか理想家な面があるのかもしれない。

 きっと、だからこそリュシアンはエルフリードという存在にまで絶望せずに済んでいるのだろう。森の木々や葉、枯れ葉や土の色すら認識出来ない視界の中で、彼女だけはその色が判るのだから。


「理解はしておく。だが、納得はしない」


 エルフリードはそう言って、覚悟を決めたように削ぎ取ったハムを口に入れた。

 リュシアンも合わせるようにハムを齧った。汗で塩分を失った体に、ハムの塩味が染みた。それ以外、特に何も考えられなかった。






 朝食の後、リュシアンは自分たちの足跡を慎重に消し、さらに周辺の木々に侵入者探知用結界の術式を彫り込み、地面には踏むと発動する爆裂術式の呪符を埋めておいた。

 その頃にはすでに、朝の九時を回っていた。

 体が鉛になったような重苦しい疲労を感じている。


「リュシアン、大丈夫か?」


 エルフリードから見ても、ひどい顔をしていたのだろう。木の根元に戻ると、案ずるように問いかけてきた。

 徹夜の強行軍はそれだけ体に大きな負荷をかけていたのだ。


「結構、疲れてる」


 強がっても仕方がないので、リュシアンは正直に答えた。


「でも、それはエルだって同じでしょ」


「私は……」エルフリードは一瞬、言い淀んだ。「……私のことは、気にしなくていい。私は、お前に頼ることしか出来ない無力な小娘なのだから」


 ひどい自虐の混じった言葉だった。逃走の過程で、エルフリードはほとんどリュシアンの力になれていない。ただ彼の進む方向に付いて行き、ただ彼の言う通りにしているだけだ。

 それが、エルフリードにとっては辛いのだ。


「俺は、エルに頼られて嬉しいけどね。だから、気にしなくていい」


 そう言っても、エルフリードは気にしてしまうのだろうなと、リュシアンは思う。


「……少し、寝よう。俺も君も疲れてる」


 余計なことを悶々と考え続けるくらいならば、寝てしまった方がいい。それだけ、自分もエルフリードも疲れているはずなのだ。


「ああ、そうだな」


 リュシアンを早く休ませたいと思ったのだろう、王女たる少女はすぐに頷いた。

 リュシアンはばさりと大外套を広げる。木の根に背中を預けている二人。互いに肩を合わせて大外套を毛布がわりに体に引っ掛けた。


「おやすみ、リュシアン」


「おやすみ、エル」


 意外にも、先に寝息を立て始めたのはエルフリードだった。やはり、相当疲れていたのだろう。寝る姿勢を取ってしまえば、思い悩む暇もなかったに違いない。

 肩にエルフリードの重みを感じながら、リュシアンもいつしか意識を落としていた。

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