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王女殿下の初陣  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第二部 敵中横断編

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24 死線交錯

 エルフリードの手には、銃剣が相手の肉に柔らかく沈み込む感覚が伝わっていた。

 今さら、気持ち悪さは覚えない。


「エル、何してんの!?」


 リュシアンの叫びが聞こえる。だが、今は気にならない。

 相手の魔導師が反射的に銃剣の刀身を掴んだ。腹部に刺さった銃剣を引き抜こうとしているらしい。指が切れて血が滲み出す。それでも、若い魔導師は必死の形相だった。

 人間の生存本能からの行為なのだろう。

 銃声を発したことで、リュシアンがかけてくれた認識阻害の魔術は解けてしまっているはずだ。

 ぐっとエルフリードは足を踏ん張った。

 銃剣がさらに深く食い込む。相手の口から、血が噴き出す。

 突然、腹部に衝撃。蹴り飛ばされたのだ。

 エルフリードの体が弾き飛ばされた。だが、少女は猫のようなしなやかな動作で手足を使って着地。

 即座にエッカートG38を確認する。

 銃剣が抜けていたが、銃そのものには問題はなさそうだった。

 相手は口から血を垂らしたまま膝を付き、銃剣の刺さったままの腹部を押さえながらこちらを見ている。


(わたくし)たちの果たし合いを邪魔するとは、この()れ者がっ! 恥を知りなさい!」


 リュシアンに向けて剣を向けていた少女が、怒りの形相のままにエルフリードに向けて剣を突き出そうとした。

 だが、リュシアンがそれを許さなかった。双剣使いの少年魔術師は一瞬で距離を詰め、交差させた剣で少女の剣を受け止める。

 金属同士がぶつかり合う、剣戟の音。

 魔力の波動を放とうとした魔導剣は、〈ベガルタ〉と触れただけでその魔力を消滅させてしまう。


「くっ……!」


 押されているのは、剣士の少女の方だった。エルフリードは、彼女の左肩を撃ち抜いていたのだ。

 完全に押し切られる前に、少女は自ら身を引いた。リュシアンはそれを追撃せず、背後に跳んでエルフリードを背中に庇うように着地した。


「エル、どうして戻ってきた?」


 双剣を構えたまま、リュシアンは問うた。


「今は、問答をしている時なのか?」


 それは、自分でも卑怯な言い方だとエルフリードは判っていた。自分がリュシアンの言いつけを破っている自覚はある。リュシアンの追及を避けようとしている自覚もある。

 それでも、リュシアンにとって自分が重荷でないことを証明したかったのだ。

 少女剣士の肩を撃ち抜き、若い魔導師の腹部に銃剣を突き刺した。リュシアンは金髪の魔術師を負傷させたようだから、これで相手側の魔術師は三人とも何かしらの手傷を負ったことになる。

 エルフリードは口元が愉悦に歪むのを必死で堪えていた。

 二人。

 二人だ。

 常人(ただびと)である自分が、二人の魔術師に手傷を負わせたのだ。若い魔術師の蹴りは喰らったものの、リュシアンのくれた守護の術式を刻んだお守りのお陰で、腹部への打撃も防護術式が守ってくれていた。

 リュシアンは魔術師としてかなり例外な部類に入るが、大抵の魔術師は魔術の発動に際して呪文を詠唱しなければならない。だとすれば、その呪文を詠唱するわずかな時間に隙が生まれる。

 エルフリードはそう考えた。相手への接近は、リュシアンの施してくれた認識阻害の術式が助けてくれる。

 後は、奇襲効果を狙って一気に接近して銃剣を突き立てればよい。

 今を以て、北ブルグンディアの魔術師どもは治癒魔法を使おうとしていない。使おうとすれば、それはリュシアンに対する隙になると判っているからだろう。

 エルフリードは、己の読みが当たっていたことに満足していた。

 三名とも負傷した向こう側に比して、リュシアンは一切、傷を負っていないようだ。

 このまま、押し切れるかもしれない。


「リュシアン、ここで一気に片を付けよう」エルフリードは槓杆を引き、空薬莢を排出。「そうすれば、逃走が楽になる」


 彼女は新たな弾丸を薬室に装填した。


「……そうだね」


 魔剣〈ベガルタ〉、〈モラルタ〉を構えたままの白髪の魔術師は、固い声で同意した。そして、ちらりエルフリードの方を見る。


「誰を狙えばいい?」


 再びエッカート銃を構えるエルフリード。


水気(すいき)よ―――」


 銃剣を腹に突き刺したまま魔術師が、ブルグンディア語で何かを呟いた。エルフリードは咄嗟に銃口を向けた。引き金に手をかける。


「駄目だエル、跳び退け!」


「―――地を()みて泥濘と化せ」


 リュシアンの鋭い警告と相手の詠唱が終わるのは同時だった。


「ぐっ……」


 咄嗟に言われた通りにしようとして、エルフリードはそれが出来ないことに気付く。足が、泥に沈んでいく。


「ちっ」


 リュシアンの舌打ちが耳に届き、自分の体が持ち上げられる。腹部に感じる圧迫感。泥から靴が抜け出す際のかすかな重みを足が感じた。

 跳躍するリュシアンの肩に担がれる恰好となったエルフリード。


「覚悟!」


 そして、着地という体勢が不安定になる瞬間を狙って二人に斬りかかってくる少女剣士。

 エルフリードは体に風を感じた。リュシアンが風魔法を使い空中で姿勢を調整。回転蹴りで己へ突き立てられようとする剣の軌道を逸らす。そして、着地。


「いい加減、尋常に立ち合いなさいな!」


 少女剣士は苛立ったように声を上げている。


「ロタリンギア魔導師、相手を間違えるな! 我々の目標は、あくまでロンダリアの王女だ!」


「ええ、判っていますわ! ですが、この男はここで討たねばなりません! 我が王国のためにも! 死んでいった者たちの無念を晴らすためにも!」


 剣を構えている少女は、燃えるような瞳でリュシアンを睨んでいた。その理由は、エルフリードには判然としない。だが、この少女がリュシアンを標的にしていることだけは判った。


「降ろせ、リュシアン」


 抱えられたままでは、彼の片手を塞いでしまう。リュシアンの重荷になってしまう。それは嫌だった。


「私を木の上にでも降ろしてくれ。そうすれば……」


 足場崩しの魔術は効かない。エルフリードはそう続けようとした。


「黙ってないと、舌、噛むよ」


 だが、リュシアンはその言葉を遮った。一切の感情を込めぬ平坦な声で、エルフリードに警告する。


「ぐっ……」


 再び、腹部への圧迫感。

 リュシアンが跳んだのだ。

 地面や幹に何かが刺さる音。首を捻って見れば、氷で出来た槍が今まで自分とリュシアンがいた場所に刺さっていた。


「もう一度警告する、ロンダリアの少年。武器を捨て、投降しろ」


 片手で血の滴る腹部を押さえたまま、もう片方の手を掲げて若い魔術師が言った。だが、その言語をエルフリードは理解することが出来なかった。上古高位語だったからだ。


「その抱え方では、君も激しい動きは出来まい」


「……」


 リュシアンは無言。肩の上に後ろ向きに抱えられている所為で、エルフリードは彼の表情を確認することは出来なかった。


  ◇◇◇


 不意打ちによる精神的動揺と、呪文詠唱の隙を突くという戦術。

 考えとしては悪くない。

 これまでにも魔術師が常人(ただびと)に討たれてきた事例はあるが、どれもそうした手段によってなされてきた。もちろん同じ魔術師が相手であっても、精神的動揺は魔術の発動を妨げるし、呪文詠唱の隙を突かれるということもある。

 ある意味で、魔術師が呪文詠唱だけに頼らず、杖に代表される霊装を生み出してきたのは、そうした弱点を克服するためであったともいえるだろう。

 だから、エルフリードの行為は常人が魔術師に挑むという点で見れば、間違ったものではない。

 問題は、それを可能とするだけの状況であったか否かという点である。

 確かに、不意打ちによる銃撃、奇襲による精神的動揺が醒めない内の銃剣突撃は成功した。だが、リュシアンに言わせれば、それだけなのだ。

 エルフリードを守ることを目的とするリュシアンにとって、この場に彼女がいることは、逆に彼自身の精神的動揺を誘うことになりかねなかった。

 俺の失態だな、とリュシアンは思う。

 エルフリードが魔術師である自分の力になれないことに対して、鬱屈とした思いを抱いていることには気付いていた。

翼竜が墜とされたことも自分が気絶した所為だと捉え、相当な負い目も感じていたエルフリード。

 あるいは、それ以前から降り積もっていたエルフリードのリュシアンに対する自責の念。

 それらの感情が、敵地に二人だけで取り残されたという極限状態の中で暴発してしまったのだろう。

 エルフリードは決して馬鹿ではない。

 馬鹿ではないが故に、自分に出来ることに気付いてしまう。気付いてしまった以上、彼女はリュシアンの言葉に従ってただ逃げるという選択肢を取ることが出来なかったのだろう。

 この少女の理解者たろうと努めていたのに、このザマだ。

 その所為で、自分もエルフリードも危険に晒す羽目に陥っている。


「もう一度警告する、ロンダリアの少年。武器を捨て、投降しろ。その抱え方では、君も激しい動きは出来まい」


 まったくもって、オリヴィエ・ベルトランの言う通りだった。相手を肩に担ぐという抱え方は、軍隊などで負傷者を運ぶ際に多用される抱え方だが、運ばれる側の腹部に負担がかかるので注意が必要であった。

 ただ、だからといって向こう側が完全に有利であるというわけでもない。


「あんただって、そのまま治癒魔法を掛けずにいたら失血死するでしょ?」


 リュシアンは腹部を押さえたままのベルトランに言う。下手に手をどければ、腹腔から内臓が漏れ出しかねないのかもしれない。痛覚自体は体内の魔力循環を変化させて遮断するにしても、出血まではどうしようもない。


「……」


 不意に、左側に気配を感じて体を捻る。

 ギィン、という金属の激突する音。

 いつの間にかリュシアンの死角になる左側に回り込んでいたリリアーヌという少女剣士が、魔導剣を振り下ろしていた。それを、リュシアンは右手に持つ赤剣〈ベガルタ〉で防ぐ。


(わたくし)は、あなたの降伏だけは絶対に認めませんわ!」


 一体、何がこの少女をそこまで駆り立てているのだろう。リュシアンには理解不能であった。

 互いが腕に身体強化(エンチャント)の術式を掛けている状態での剣戟は、ひどく重かった。


「ロタリンギア魔導師!」


 ベルトランの叱責の声が飛ぶ。ベルトランは降伏勧告をしながら、リリアーヌはそれを認めないという。

 これでは、相手が決して降伏を決意しないと思ったのだろう。

 “哲学者”などという号を持っているから、てっきり理屈っぽい人間かと想像していたが、どちらかといえば理性的な人間というわけか。

 むしろ、極端に傾きすぎているアルベール魔導師とロタリンギア魔導師の調整役として派遣されたと見るべきだろうな。ご苦労なことだ。

 頭の片隅でそのようなことをリュシアンが考えていると、埒が明かないと感じたのか、リリアーヌが剣を引いて跳び退く。

 リュシアンも後ろに跳び、距離を取る。


「おい、連中は何と言っているのだ?」


 担がれたままの恰好で、エルフリードが急かすように問うた。


「降伏勧告」


 リュシアンは端的に答える。


「……」


 エルフリードは黙り込んでしまった。恐らく、そういう状況を自分が作り出してしまったとでも思っているのだろう。

 実は、単純にこの状況を切り抜けるだけなら比較的簡単だ。だが、追われる立場であることを考えると、あまり北ブルグンディア側を刺激したくないというのが、リュシアンの本音である。


「エル、左……ああ、君から見たら右か……の監視を頼める?」


「あ、ああ、判った」


 一瞬だけ当惑したようにしながら、エルフリードは返事をした。リュシアンは彼女を左肩に担いでいる所為で左側に死角が出来てしまっているのだ。

 それに、エルフリードには何かしらの役割を与えておいた方が逆に安心するだろう。


「……」


 ちらりと、ベルトランの方を確認する。

 空中に浮かぶ無数の氷の槍は、未だ自分たちを狙っている。しかし、その浮かぶ姿勢はいささか不安定だった。恐らく、失血が魔力操作に悪影響を与えているのだろう。


「いい加減、観念なさい!」


 刹那、少女魔剣士が叫んだ。剣を引いて腰を落とし、刺突のように剣を勢いよく前に突き出す。

 刀身に流れた魔力が波動となり、薄赤の魔力光線が森を駆け抜ける。

 リュシアンの視界に、黒い緞帳が広がった。

 〈黒の法衣(ブラック・ローブ)〉が展開して、魔導剣の放つ波動を受け止める。

 一瞬、リュシアンの視界が閉ざされる。この自動防御霊装の、唯一といってもいい欠点であった。

 〈黒の法衣〉に弾かれて拡散した魔力波動が、周囲の木々を薙ぎ倒し、地面を抉っていく。


「止めろ、ロタリンギア魔導師!」


 流石にアルデュイナの森を破壊するのは拙いと感じたのか、ベルトランの制止の声がリュシアンの耳に届く。


「左だ、リュシアン!」


 〈黒の法衣〉が元に戻った瞬間、エルフリードが切迫した声を上げた。

 咄嗟に後ろに跳んだリュシアンのいた場所に、剣が振り下ろされる。リリアーヌの魔導剣ではない。


「ちっ、もう一体、復活させたのか」


 剣を持っていたのは、アルベールの自動人形(オートマタ)


「小僧め、逃しはせんぞ!」


 木々の合間から、血の流れ出る右腕を押さえたアルベール魔導師が姿を現す。

 ベルトランと少女魔剣士にばかり注意が向き過ぎていた。腕に深手を負わせた所為で、アルベールを脱落させたと無意識の内に判断してしまっていたのだろう。

 ロンダリアの勅任魔導官に匹敵するだろう北王国の宮廷魔導師を舐めていたとしか思えない。

 これじゃあ、帰ったら師匠のクラリスにしばかれるな。

 リュシアンは心の中で罵声を漏らした。


「エル、腹に力を入れてて」


「う、うむ」


 リュシアンの苛立ちを感じたのか、エルフリードの声にはわずかな怯えが混じっていた。だが、今はそれに頓着している場合ではない。

 全身に身体強化(エンチャント)の魔術を施し、跳躍。

 一気に距離を詰め、破魔の魔剣〈ベガルタ〉を振るう。自動人形が剣で防ごうとし、響き渡る金属音。


「はっ!」


 裂帛の声と共に、リュシアンは右腕に流す魔力を増大させた。

 自動人形の体が揺らぐ。

 体を捻り、上段回り蹴りを自動人形の首に叩き込む。首の機構が折れる感触。

 そのまま、姿勢の回復が出来ずに倒れるかと思われた刹那。

 脇腹から、新たな腕が生えた。


「っ!?」


 瞬間的に拙いと悟ったリュシアンが咄嗟に足を引こうとするが、間に合わない。

 がっしりと、己の足を掴まれる。


「ふん、やはり若造だな」アルベールの嘲るような声。「我が自動人形(オートマタ)を甘く見た報いよ」


「くそっ……!」


「リュシアン!」


 リュシアンは自動人形の手を振りほどこうと身体強化(エンチャント)の術式を強化するが―――。


「がぁあああああ―――!」


 足を捻られ、その握力で骨を砕かれる。メリメリという音と共に、脳天を突き抜けるような激痛がリュシアンを襲う。

 激痛に意識を失う前に、痛覚を遮断。

 そのまま、リュシアンは物のように自動人形に投げ捨てられた。


「うっ……」


 エルフリードの短い呻き。

 リュシアンが投げられた瞬間、彼女も地面に投げ出されたのだ。

 完全に、右足の膝から下の感覚がなかった。


「ふん、身の程を知ったか、小僧?」


 流れ出る血をそのままに、脂汗の浮かぶ顔に勝ち誇った笑みを浮かべて、一歩一歩、アルベールが近付いてくる。


「待て!」


 刹那、エルフリードの叫びが森の中に響いた。

「そいつに指一本でも触れてみろ! 貴様らの目的を永遠に達せられなくしてやるぞ!」


「―――っ!」


 リュシアンは、己の血液が凍り付くような感覚を覚えた。

 上半身を起こしたエルフリードは、エッカートG38の銃口を己の下顎に当てていた。指は、引き金に掛かっている。

 己の命を盾にした脅迫。


「よせ、エルフリード王女!」


 ベルトランが焦りの滲んだ声で怒鳴る。彼はロンダリア語が判っているのか……リュシアンと同じような理由で、ロンダリア語の魔導書を読んだ経験があるのだろう……エルフリードが何をしようとしているのか判ったのだ。

 森の中に、これまでとは違った緊張感が走る。


「小娘が……!」


 アルベールが己の勝利を阻もうとする忌々しげな目でエルフリードを睨んでいた。


「―――っ!」


 その瞬間、リュシアンは動いた。

 倒れた体を回転させ、腕を伸ばす。

 斬、と一閃。

 アルベールの足から血が噴き出す。相手の体勢が崩れた。


「ぐっ、貴様っ!」


 アルベールの怒りの叫びを無視し、リュシアンは彼の足に組み付き、引き倒す。


「ぐぁっ!」


 金髪の魔術師は、背中から地面に倒れた。

 ひゅん、とリュシアンは右手の中で〈ベガルタ〉を回転。逆手に持った破魔の魔剣を“人形師”の心臓に過たず突き立てる。

 すべては、一瞬の早業であった。

 怒りと無念と苦悶の表情のまま、北ブルグンディアの誇る自動人形(オートマタ)使いは息絶えていた。


「……」


「……」


「……」


 周囲の者たちは、一瞬の自失に陥っていた。

 だが、リュシアンには殺人や勝利の余韻に浸る時間などない。即座に赤剣を引き抜き、残った左足で地を蹴る。

 エルフリードの横に着地。だが、片足故に踏ん張れずに姿勢を崩す。


「くっ……」


 膝を折り、両手を地面に突く。


「リュシアン!」


 己の下顎に銃口を突きつけたまま、エルフリードが叫んだ。

 だが無視する。


「―――っ!」


 リュシアンは歯を食いしばって右手を振るった。

 ぼう、と二人の前面に炎の壁が現れた。熱波が頬を焼く。木の幹が割れる音がする。炎は瞬く間に森の中に広がっていた。

 炎の向こう側で、ベルトランかリリアーヌかは判らないが、叫び声が上がっている。

 そうしてようやく、リュシアンは銃口を自らに突きつける少女に意識を向けた。


「……エル、引き金から手を離して」


「あ、ああ、そうだな」


 リュシアンが指摘すると、(こわ)ばった動作で彼女は引き金から指を離した。そこに少女の本気を見て取って、少年は空恐ろしい思いを抱く。

 エルフリードは本気で、自決する寸前にまで自分を追い込んでいたのだ。

 リュシアンは今さらながらに息を呑んだ。


「……とりあえず、逃げるよ」


 出来れば、この手は使いたくなかった。アルデュイナの森を焼くという手は。

 これをやれば、北王国は絶対にリュシアンの討伐に乗り出すことだろう。北王国にとって、国防上重要なこの森が焼かれることは、何としても阻止しなければならないからだ。


「足は……」


「肩、貸して」


「う、うむ、判った」


 エルフリードはエッカート銃を肩に掛けると、リュシアンの腕を己の肩に回した。そして立ち上がる。


「行くぞ、辛くなったら言ってくれ」


「大丈夫、治癒魔法を掛けながら歩くから」


 自己に治癒魔法をかけるのであれば、それほど体外に魔力を放出しないので逆探知の危険性は低い。それに当分、あの二人の魔導師は森の消火にかかりきりになるだろう。

 それなりの距離は稼げるはずであった。


「では、行くぞ」


 そう言って、エルフリードは森の奥へと一歩、踏み出した。

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