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王女殿下の初陣  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第二部 敵中横断編

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20 「孔雀は時間通りに来た」

 五月二十八日、特派使節団が北ブルグンディアへ出発する日の朝、エルフリードは目に見えて食欲がなかった。

 表情も必死に平静を装っているようだが、どこか憂鬱そうであった。


「エル、いい加減、慣れなよ」


「無茶を言うな、無茶を」


 高所恐怖症であるエルフリードにとって、翼竜に乗ることは憂鬱そのものであった。確かに、停戦交渉への出席は王族としての実績作りには良い機会であろうし、勉強の機会でもある。

 だが、翼竜に乗る機会だけはどうにかならないものかと思っているのだ。

 とはいえ、どうにもならないことはエルフリードも理解していた。だからこそ、数時間も空の上にいなければならないという恐怖と不安と緊張感で、食事が喉を通らないのだ。


「まあ、変に食べ過ぎて飛行中に吐かれるよりはマシだけど」


「……そんな無様は晒さん」


 強気に言いたかったのであろうが、エルフリードの言葉には力がなかった。


「……お前の言葉の所為で、もっと食欲がなくなった」


 はあ、とエルフリードは溜息と共に食べかけのパンを皿の上に置いた。


「出発の時刻まで、私は部屋で気持ちを落ち着けている。時間になったら呼んでくれ」


「判った」


 いささか億劫そうに立ち上がったエルフリードの背中に、リュシアンはそう声をかけた。


  ◇◇◇


 特派使節リチャード・クライヴ子爵に与えられた訓令は、概ね、次のようになっていた。


  リチャード・クライヴ特派使節ニ与ヘタル訓令

          大陸歴五三八年五月二十五日 閣議決定

第一 国境画定迄「レーヌス」附近繫争地域ヲ非武装地帯トス

第二 国境画定ニ至ル迄繫争地域内ニ於テハ両軍共停戦時ノ第一線ヲ越ヘサルコト

第三 国境ハ停戦時ニ両国カ実効支配セル地域ノ第一線ニ定ムルコト

第四 国境画定後両国政府ニ依ル共同宣言ヲ発表セシムル如ク努ムルコト


 内容はリュシアンの伯父であるモンフォート外相が最高統帥会議で述べた内容を踏襲しており、両国間における国境問題をこの機会に一挙に解決しようとするものであった。

 共同宣言の発出まで成功すれば、ブルグンディアが南北に分裂して以来、関係が断絶していた両国間における歴史的会談となるはずであった。


  ◇◇◇


 翼竜による飛行は、極めて順調に進んでいた。

 西部方面軍司令部の臨時司令部が置かれているロンダリア西部の街から出発した使節団と六騎の竜兵は、レーヌス河を越えて北ブルグンディアの領土へと踏み入れていた。

 レーヌス河流域のなだらかな丘陵地帯を抜けると、地上は濃い緑に覆われる。

 アルデュイナの森と呼ばれる、鬱蒼とした森林地帯であった。

 海抜三〇〇メートルから五〇〇メートルの丘陵地帯のほとんどが木に覆われ、所々森の開けた場所に集落や小さな街らしきものが見える。

 北ブルグンディアにとって、このアルデュイナの森は国土の東部を守る天然の要害であった。

 森の中は薄暗く、湿地もあるため、大軍の通過には適していない。

 八十年前の王位継承戦争で国が南北に分裂した際、南側の王朝を支援したロンダリア軍から北側の王朝が国土を守り抜くことが出来たのも、この広大な森のお陰であった。

 実際、参謀本部の対北ブルグンディア作戦計画では、軍を南ブルグンディアに集結させ、そこから北ブルグンディアへと侵攻するということになっていた。それほどまでに、アルデュイナの森は軍事的に大きな障害となっていたのである。

 そうした森の上を飛ぶリュシアンは、他の翼竜との羽ばたきを調整して速度を合わせつつ、眼下の光景を見ていた。


「……」


 しかし、飛行前に想像していた程の感慨は湧いてこなかった。異国の森ということで何かしらの感慨を抱くだろうと期待していたのに、リュシアンの心は弾まない。

 ただ、モノクロに見える森が連なっているだけだ。

 ああ、やはり自分には最早世界の美しさを理解する資格などないのだな。

 自身の心から失われたものがあると判っていながら、リュシアンはさほど惜しいという感情が湧いてこない。

 自らの世界から色を失った代償に得た魔術師の力があるからだろうか。

 それとも、まだ自分の掌の中にエルフリードという少女が零れずに残っているからだろうか。

 それを考えるのは、ひどく億劫であった。

 ただ、背中に感じるエルフリードの体温だけが、ひどく心に染みるような気がした。

 どこまでも続くかに見えた鬱蒼とした森林地帯も、やがて途切れる時が来る。針路上に、森の切れ目が見えた。

 その先は、田園地帯になっているようだった。

 森を抜けた辺りで、北ブルグンディアの派遣した翼竜と合流することになっていた。こちらは地理不案内のため、ラウリカまで誘導するとのことらしい。

 自分一人であれば、おおよその座標が判っていれば天測航法でラウリカまで到着出来るのだが、護衛に付いている竜兵は陸軍のものだ。海軍と違い、陸軍の竜兵は地上の目印を確認しながら飛行する。

 その陸軍竜兵が嚮導騎となっているので、必然的に地上目標を確認しながらの飛行とならざるを得なかった。

 リュシアンは双眼鏡を取り出して、さっと周囲を確認する。北部の空に、翼竜らしきごま粒が見えた。

 若干、合流地点と定めた空域からずれたらしい。


「……」


 リュシアンは、己の目に映った光景に違和感を覚えた。

 出迎えの竜兵は六騎。

 それは別に構わない。だが、相手は長槍で武装していた。

 両国間の事前の取り決めでは、万が一の事故を防ぐために相互の竜兵は長槍で武装しないことが定められていたのだ。

 そのため、ロンダリア側の護衛の竜兵も長槍で武装せず、携行しているのは地上で要人を護衛するために必要な拳銃と短剣程度である。

 護衛の戦闘騎隊長を務める竜兵も気付いたのだろう。


『各騎、警戒態勢を取れ』


 リュシアンが事前に配布した通信用水晶球を、竜兵全員が身に付けている。これにより、それまでは手信号などで遣り取りしていた竜兵同士の連携が、格段にしやすくなったのだ。

 護衛の竜兵二個小隊が三騎ずつの編隊に分かれ、護衛対象である四騎の翼竜に先行し始めた。


「……」


 リュシアンは念のため、ぐるりと首を回して周辺の空を確認した。特に、上空からの奇襲に最適な太陽を……。


「っ!?」


 それは、ほとんど反射的な行動だった。

 太陽光の中に小さな違和感を覚えた瞬間、リュシアンは直進していた翼竜を旋回させた。同時に、通信用水晶に向かって叫ぶ。


「敵騎、直上! 急降下!」


 狙われたのは、リュシアンの翼竜ではなかった。

先行し始めた護衛戦闘騎隊。そこに向かって、突如として上空から現れた敵騎が急降下をかける。

 すべては一瞬のことだった。

 相手の槍に翼を切り裂かれた二騎の竜兵が、翼竜の絶叫と共に撃墜された。


『我、敵騎ノ攻撃ヲ受ク!』


 無事だったらしい戦闘騎隊長が、水晶に向かって怒鳴っていた。


「何なのだ、一体!?」


 それまでリュシアンの背中に顔を押し付けるままであったエルフリードは、翼竜の急旋回から異常を悟ったのだろう。


『我々はロンダリア使節団です! 即座に攻撃を中止されたい!』


 翼竜に乗る通訳官が、ブルグンディア語で怒鳴る声が水晶に流れていた。

 向こうがこちらを領空侵犯してきた竜兵だと認識しているとでも思っているのだろう。だが、合流地点で待ち構えていたことを考えれば、その可能性は低い。

 最初から、こちらを撃墜する肚だったと考えるべきだろう。


「エル、しっかり掴まってて」


「う、うむ」


 エルフリードはリュシアンの腹に回していた腕に力を込め、さらに体を密着させた。






「孔雀は時間通りに来た」


 それは、北ブルグンディア側の竜兵隊指揮官の発した通信文であった。

 この瞬間、北ブルグンディアによるエルフリード王女撃墜作戦は開始されたのである。

 アルデュイナの森の西端付近で発生した空戦は、即座に彼我の入り交じる混戦となった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 北ブルグンディア側によるエルフリード王女撃墜計画は、ロンダリア外務省が詳細な飛行計画を北王国側に事前通告していたため、極めて容易に策定された。

 作戦に参加するのは、精鋭の竜兵を集めた十八騎。

 内、六騎はロンダリア側編隊との合流地点で待機し、針路の前方を妨害する。

 さらに六騎は太陽を背にして上空に隠れ、敵の護衛戦闘騎を撃墜する。

 残りの六騎は三騎ずつの小隊に分かれ、左右から敵編隊を挟撃する。

 護衛をすべて排除し、王女の乗る翼竜を取り囲んで田園地帯に着陸を強要し、彼女を捕虜とする。やむを得ざる場合は撃墜し、宮廷魔導団が身柄の確保に当たる。

 すべては、奇襲効果を狙って数瞬の内に済ませることが求められた。

 問題は、使節団が同乗するどの翼竜にエルフリード王女が乗っているかであった。これを見極められなければ、最悪、逃走を許してしまう。

 一撃でどれだけ護衛を排除出来るか、そして素早く王女の乗る翼竜を特定出来るか。

 この二つに、作戦の成否はかかっていた。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 五月二十八日のアルデュイナ上空の天候は、快晴であった。

 使節団の乗る四騎の翼竜の周囲に、すでに護衛の翼竜は存在していなかった。彼らは空戦に巻き込まれ、すでに護衛どころではなかったのだ。


「……」


 リュシアンは、低空から挟撃するように現れた計六騎の翼竜と対峙することになった。


「……あいつら、多分、エルを狙っている」


 敵騎は即座に攻撃を仕掛けてこようとせず、こちらを窺うように距離を取りつつ包囲しようとしていた。

 停戦交渉を行おうとする使節団を襲撃するという、ある種の暴挙まで冒して、クライヴ子爵を捕らえようとは思わないだろう。

 エルフリードが存在するからこそ、北ブルグンディアは使節団襲撃に踏み切ったといえる。

 こちらの飛行経路が軍のどの地位の人間にまで伝達されていたかは判らないが、使節団の受け入れに応じた政府の意向を無視してまで現地の部隊が襲撃を強行したとは考えにくい。

 恐らく、背後には北ブルグンディア国王か政府が存在するだろう。

 とはいえ、公式にはあくまで停戦交渉に不満を抱いた現地軍の暴走ということにされるのだろう。

 もっとも、リュシアンにとってはどうでもいいことであったが。


「子爵を乗せている竜兵、さっさと逃げて。他の竜兵も」


 リュシアンは一方的に、そう通信を送った。


『しかしエスタークス魔導官、それでは姫殿下が』


「姫の安全については俺が全責任を取る。あんたらは、子爵を逃がすことに集中して」


『ですが』


「はっきり言って、邪魔。どっか行って」


 リュシアンは素っ気なく言う。

 エルフリードを守りながら、残りの使節団を守るなどリュシアンには不可能である。例え可能であっても、リュシアンはエルフリード以外を守ろうとは思わないだろう。他者の安全に余計な努力を割いている余裕はない。


「で、エル。どうする?」


「どうする、とは?」


「身の安全だけを考えるなら、このまま連中に包囲されたまま着陸して捕虜になればいい。君は女の子だから捕虜になるのは危険が伴うけど、流石に向こうも王族を手荒には扱わないでしょ」


「馬鹿を言うな。誰が捕虜になどなるものか」


 エルフリードの声には、騙し討ちをされたこと以外に、リュシアンの発言に対する怒りも込められていた。


「だろうね。俺も賛成しない。例え無事に送還されたとしても、君には政治的汚点が付くことになる」


 リュシアンとしても、エルフリードが捕らえられるような光景は見たくない。

 二人の意見は、最初から合致していた。


「じゃあ、行きますか!」


 リュシアンは己とエルフリードを奮い立たせるように大声を出すと、自分たちの様子を窺っていた翼竜の編隊に突っ込んでいった。

 バサリとリュシアンの操る翼竜が大きく翼を羽ばたかせ、相手の翼竜を威嚇するように鋭く鳴いた。

 まさか逃走もせず自ら向かってくるとは思っていなかったのか、三騎の翼竜の搭乗員たちは狼狽の表情を見せていた。

 交差は一瞬。

 敵搭乗員が咄嗟に振るった長槍を避け、リュシアンの翼竜は相手の背後に出る。

 手綱を引き、左急旋回。

 強烈な遠心力に耐えながら、リュシアンは霊装〈フェイルノート〉を召喚。手綱を口に咥え、即座に弦を絞る。

 己の魔力を矢の形に生成し、狙うべき目標を定める。

 発射。

 放たれた魔力の矢は途中で三本に分かれ、先ほどの敵騎を追いかけていく。

 空中に、三つの爆発。

 〈フェイルノート〉―――「外れずの弓」と呼ばれるこの霊装は、狙いを定めた標的を矢の魔力尽きるまで追いかけ続ける。


「リュシアン、左後方に敵騎だ!」


 だが、新たな目標を狙う時間は与えられなかった。

 リュシアンは即座に〈フェイルノート〉を掌の魔法陣の中に戻し、再び手綱を握る。

 新たに現れた敵騎が背後に付こうとする。

 リュシアンは手綱を操り、翼竜を右に半横転させ―――。






「左だ、騙されるな!」


 北ブルグンディアの小隊長は咄嗟に怒鳴った。

 だが、魔導通信用の装備を持たない彼の声は部下には届かなかった。北ブルグンディアの編隊長には魔導通信用に呪符が渡されていたが、それ以外の搭乗員は手信号にて連携を取っていたのだ。

 相手の翼竜は右に旋回するように体を大きく右に傾けたかと思うと、そのままくるりと回転して左へと逃れていった。

 右へと追尾しようとしていた部下の二騎が引き離される。


「くそっ、あの白髪頭(しらがあたま)の搭乗員、かなりの練度だぞ」


 それだけではない。奴は何か魔術らしきものを使って一瞬で一個小隊を壊滅させている。

 だが、そのためには弓を使わなければならないらしい。

 ならば、その隙を与えなければいいだけのこと。多数騎で波状攻撃を仕掛け、敵翼竜の消耗を狙う。

 彼は、白髪頭の搭乗員の操る二人乗りの翼竜を執拗に追尾していった。






「一騎、追ってくるぞ! その後ろにさらに二騎だ!」


「判ってる! 前からも来ている!」


 この時、リュシアンとエルフリードの翼竜は、六騎の敵翼竜に取り囲まれつつあった。

 白髪頭の搭乗員の翼竜が執拗に追尾されているため、他の竜兵もそれが標的であるロンダリア王女の乗る翼竜であると認識していたのだ。

 何せ、エルフリードは長い黒髪を風になびかせている。北ブルグンディア側にとっては、何とも見つけやすい目標だった。

 一方、四騎にまで数を減らした護衛の戦闘騎は、北ブルグンディア側の六騎の竜兵と空戦に陥り、王女の乗る翼竜への援護を妨害されていた。

 さらに、クライヴ子爵と書記官、通訳官の乗る翼竜も三騎の北ブルグンディア竜兵による追尾を受けていた。だが、彼らに関しては標的ではないと判断されたらしく、途中で追尾は打ち切られている。


「ちっ……」


 リュシアンは軽く舌打ちをした。前方から接近する敵騎との相対速度が速すぎて、〈フェイルノート〉を召喚して打つ時間がない。


「……」


 リュシアンは前方から迫る敵竜兵小隊の隊長騎らしき翼竜に狙いを定めた。靴の拍車で翼竜を更に羽ばたかせ、速度を上げる。

 そのまま、敵騎との衝突針路を取らせ続ける。

 危険を察知した互いの翼竜が、悲鳴に近い鳴き声を上げた。

 その瞬間、リュシアンは手綱を引いた。

 翼竜は翼を羽ばたかせ、敵騎の頭上すれすれを航過する

 と、同時に翼竜の尻尾が何かを叩く衝撃が伝わってきた。


「上手いぞ! 一騎撃墜だ!」


 エルフリードが興奮の叫びを上げる。

 成功するかは賭けだったが、翼竜の尻尾は上手く敵搭乗員か翼竜を直撃したらしい。


「残り二騎が旋回して追ってくるぞ! さっきの三騎もまだ()いてくる!」


「しっかり掴まってて!」


 言葉と同時に、リュシアンは翼竜に新たな指示を下していた。目の前が、空だけになる。


「うわぁぁぁ!」


 急激な機動にエルフリードが思わず悲鳴を上げた。

 翼竜は首を上げて翼を力強く羽ばたかせ、宙返り姿勢に入る。その頂点で、リュシアンは手綱を操った。

 突然、翼竜は失速したようになる。リュシアンはなおも手綱を捌くと共に、かすかに体の重心を左にずらした。

 視界は激しく上から下へと、右から左へと流れ、天地が回転して元の姿勢に戻る。

 そして、まるで瞬間移動でもしたかのように敵騎の姿が目の前にあった。

 リュシアンは即座に〈フェイルノート〉を召喚。

 五騎の敵翼竜を視界の中に捉え、魔矢を放つ。

 一瞬の早業。

 リュシアンの目の前で五騎の翼竜が翼をもぎ取られ、搭乗員諸共アルデュイナの森へと落下していった。


「……エル?」


 だが、その瞬間、リュシアンは己の失敗を悟った。

 今までしっかりとリュシアンの腹に回されていた腕が解けかけている。


「……ぁ……う……」


 呼びかけても、かすかな呻き声しか返ってこない。

 急激な機動と遠心力によって、竜兵としての耐性訓練をしていないエルフリードは失神寸前になっているのだ。これ以上、彼女の体に遠心力による負荷をかけると、最悪、呼吸が止まってしまう。

 もう、急激な機動は出来なかった。

 そして、翼竜の方も体力の消耗が激しい。羽ばたきに、力がなくなりつつある。


「……」


 リュシアンは周囲の空を見回す。

 彼はすでに九騎の敵翼竜を撃墜していたが、未だ敵には同数の翼竜がいた。護衛の戦闘騎隊との空戦を行っていた二個小隊六騎の内一個小隊三騎も、標的をこちらに変えつつあった。こちらの竜兵は長槍を持っていない。脅威たり得ないと判断されたのだろう。

 さらに、クライヴ子爵たちを追尾していた竜兵も引き返してきていた。

 状況は、確実に悪化していた。

 リュシアンは徐々に翼竜の高度を低下させていく。

 森の木に接触するギリギリの高度まで下げる。あまりに高度を下げられると、敵も上空からの一撃離脱戦法がとれないのだ。

 このまま諦めてくれないか、という淡い期待がリュシアンの脳裏に過ぎる。

 向こうは王女を生け捕りにしたいはずだ。無理に撃墜すれば、エルフリードが死にかねない。

 だが、自分はあまりに敵騎を撃墜し過ぎた。敵の搭乗員は、こちらを撃墜しないと自分たちが撃墜されかねないと考えるだろう。

 北ブルグンディアの竜兵がどこまで情報を得ているかは判らないが、翼竜の搭乗員が王女の専属魔導官であることを知っていれば、撃墜しても王女が死なないようにその専属魔導官が守るだろうと考えるかもしれない。

 そうでなくとも、自分はあからさまに魔術を使ってしまった。

 敵がこちらを撃墜するという心理的障壁(ハードル)を、著しく下げてしまったのだ。

 敵の一小隊が、こちらの針路を塞ぐように前方に回り込んだ。

 さっと後ろを確認すると、残りの一個小隊三騎が追尾してきていた。霊装を使う素振りを見せたならば、即座に襲いかかってくるだろう。

 こちらの針路前方に回り込んだ敵小隊の小隊長騎らしき翼竜が翼を振る。相手機の針路上で翼を振るという機動は、「我ニ続ケ」を意味した。

 つまり、連中はまだこちらを撃墜する決意はついていないということだ。

 〈フェイルノート〉は使えない。ならば、直に魔法を叩き付けるしかないだろう。

 だが、リュシアンの最も得意とする火焔魔法を使うのは拙い。北ブルグンディア東部の天然の要害たるアルデュイナの森を焼き払われる危険性があると知れば、北王国は総力を挙げて自分を抹殺しに来るだろう。

 そうなれば、エルフリードも危険に晒すことになる。

 人生初の空戦に、冷静な判断力を失っていたらしい。自分が嫌になる。

 パッと手綱を放し、体を捻って後ろを向いて両手を掲げた。


「……」


 無詠唱で風魔法を放つ。

 気流を乱された敵翼竜が途端に暴れ始めた。恐慌状態に陥った竜の悲鳴が空に響く。

 本当は風刃などを形成して向こうの翼竜の首や翼を刈り取ってしまいたいが、上手く命中させられる自信がリュシアンにはなかった。

 双方が高速で不規則に移動しているので、敵の未来針路まで計算に入れて術式を放つのはかなり神経を使う。それに、単に気流を乱す程度の風魔法であれば、周囲への警戒が疎かになるほどの精神集中を必要としない。

 前を向けば、敵小隊は散開していた。対応が早い。

 ブワリ、と再び掌底から風魔法を発現させる。だが、一騎の動きを乱すことが出来ただけであった。

 手綱を再び握れば、翼竜の反応は明らかに鈍くなっていた。


「……っ!」


 後ろからは、何とか暴れる翼竜を押さえつけられたらしい一騎が迫っていた。

 片手で手綱を握り、もう一方の手を掲げる。途端に、敵騎は警戒するように針路を変えた。


「くそっ!」


 乱された気流の外に、敵騎は離脱していく。翼竜を沈静化させた技量といい、相手は手練れだ。


「ぐっ……!」


 そして、襲ってくる目眩。

 慣れない風系統の魔法使用、翼竜の操縦、周囲への警戒、それらの肉体的・精神的負担は確実にリュシアンの体に影響を及ぼしていた。

 不意に、リュシアンの翼竜が甲高く鳴いた。同時に、敵翼竜の絶叫も。近い。


「っ……!」


 咄嗟に、白髪の少年は手綱を引いた。

 だが、疲労した翼竜の反応は鈍かった。

 ぐわん、とリュシアンの視界を黒い影が過ぎる。そして、衝撃と自らの翼竜の絶叫。

 赤い血が、リュシアンの顔にかかる。

 ああ、さっき俺がやったことをやり返されたなと思った時にはもう、翼竜の姿勢は立て直しが不可能なほどに崩れていた。

 視界いっぱいにアルデュイナの森を構成する木々が広がるのと、その枝が折れる音が響いたのはほぼ同時であった。

  本稿における参考文献

外務省編纂『日本外交文書 昭和期Ⅲ』第一巻(外務省、二〇一四年)

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