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王女殿下の初陣  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第一部 レーヌス河事変編

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16 破局へ向けて

 五月十九日、ライガー戦闘団の野営地となっている農場は前日とは様変わりしていた。

 連隊指揮所となっていた農場主の家屋は、簡易の野戦病院として負傷者が収容されている。ライガー大佐ら連隊司令部は、天幕に指揮所を移していた。

 昨日の丘の攻防戦で、戦闘団に多数の負傷者が発生していたためである。

 昨夜、エルフリードと共に連隊指揮所に報告に訪れたリュシアンに対して、ライガー大佐は医療物資の転送を要請していた。その要請はリュシアンから西部方面軍司令部に伝えられ、オークウッド大佐に預けてあった転移魔法陣から大量の医療物資が送られている。

 さらに衛生班からは治癒魔法による治療の協力も要請されており、リュシアンは朝になるまでほとんど一睡も出来なかった。負傷者の数に対して、衛生兵の数が追いついていないのだ。

 冷静に考えれば、北ブルグンディアの宮廷魔導団の出現に備えて体力・魔力共に温存していなければならないのであるが、リュシアンはその要請を断ることが出来なかった。

 これまで数多の魔術師や敵兵を魔術で殺しておきながら、その魔術で人を救うことに深刻な疑問を覚えざるを得なかったが、それでも彼は軍衛生班の要請に応じて治癒魔法を使ったのだ。


「……これって、矛盾だよね」


「いや、私はお前らしいと思うがな」


 農場に張られた天幕の中で疲れて横になるリュシアンに、リボルバー式拳銃の分解清掃を行っているエルフリードが言った。


「負傷兵たちを救うことを、お前は拒否出来なかったんだろう? お前は、お人好しだからな。私みたいな根性のねじ曲がった女にすら、手を差し出してくるほどに」


「俺はお人好しじゃない」


 リュシアンの声は、ムキになった子供のようだった。


「何だ、根性がねじ曲がった女という部分は否定してくれんのか?」


「エルが捻くれた人間だってのは、初めて逢った時から判っていたから」


 からかうように問うたエルフリードに、リュシアンは普段の素っ気ない口調のままに返した。


「お前は本当に、良いも悪いもズケズケと言う奴だな」


 どこか微笑ましそうに、エルフリードは言う。リュシアンの言葉に、幼少期の思い出を見出していたのかもしれない。


「エルは、そっちの方がいいでしょ?」


「そうだな。王族だからと阿諛追従されるのも、王女だからと女性らしさを押し付けられるのも、どうにも私個人を無視されているようで気に喰わん」


「だったら、いいでしょ」


 疲れ故の投げやりな調子で、リュシアンは言う。


「だから、良いと思うのだ」エルフリードは少年を労るように続けた。「私が私でありたいと思うように、お前はお前でいればいい。お前のその葛藤は、お前自身の優しさ故のものなのだから。私はそれを好ましいと思う」


「……エルがそう思ってくれているなら、それでいい」


 自分の両手は、すでに数多の魔術師と将兵たちの血で汚れている。そんな人間を優しいと思うつもりはないが、エルフリードが好ましいと言ってくれるのならば、それで良しとしよう。

 少なくとも、彼女がそう言ってくれている内は、自分はまだ完全には壊れていないと実感出来るのだから。

 リュシアンはそう思い、目を瞑った。


「ちょっと、寝かせて」


「ああ、しばし休むとよい」


 こちらを気遣うエルフリードの穏やかな声を聞きながら、リュシアンの意識は微睡(まどろ)みの中に落ちていった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 ロンダリア参謀本部作戦課長アラン・オークウッド大佐の立案した作戦計画は、その発動の直前まで秘匿されていた。

 作戦参加部隊である第二、第四師団、騎兵第三旅団、独立混成第一旅団の輸送目的は、あくまでも潰走した第二十三師団の救援と戦線の維持が目的であると、北ブルグンディア側に誤認させようとしたのである。

 そしてそれを徹底するため、第二、第四師団の将兵に対してもそのような命令を下していた。オークウッド大佐による両翼包囲作戦において、第二、第四師団は単に敵軍を押しとどめる役割を負ってくれれば良いのであって、それ以上の情報を与える必要はないと彼は判断したのであろう。

 また、ロンダリア軍の兵力展開が完了する前に北ブルグンディア軍が右岸への攻勢を仕掛けたことも、ロンダリア側にとっては有利に働いた。

 一歩間違えれば戦線が崩壊する危険性がロンダリア側にあったにも関わらず、オークウッド大佐は適切な頃合い(タイミング)で増援部隊を投入して戦線の崩壊を防ぎ、さらには部隊を後退させることにより敵軍をレーヌス河右岸にまで進出させることに成功していた。

 オークウッド大佐は後に、この攻勢計画の実行に際してもっとも障害となったのは輸送・兵站であったと証言する。攻勢のための準備期間があまりに短く、最初にチェスタートン大将が計画していた増援計画を流用しても、戦線を崩壊させることなく攻勢に転移出来るかは判断の難しいところだったのである。

 また、攻者三倍の原則から考えても、敵軍三個師団に対して、自軍も三個師団相当の戦力しか攻勢に投入出来ないことから、西部方面軍司令部の参謀の中には作戦計画そのものに懐疑的な意見を抱く者もいた。

 こうした問題に対応するために、オークウッド大佐は国境紛争の焦点がレナ高地にあるとの敵の判断を誘おうとしたのであるが、エスタークス勅任魔導官の爆裂術式が戦果を挙げすぎたことで、この目論見に若干の齟齬が生じた。

 十八日に戦線南翼が一時、危機的状況に陥ったことも、その影響の一つである。

 後世の歴史家たちは、この十八日がレーヌス河紛争地帯におけるその後の趨勢を決定づけたとの見解を示す。

 すなわち、北ブルグンディアの第六騎兵師団の中央・北翼への旋回機動が失敗しただけでなく、師団そのものが戦力を大きく喪失し、以後、北ブルグンディア側は機動的な作戦展開が不可能となってしまったからである。

 一方で、南翼の危機を救ったロンダリア側指揮官、アルフレッド・ライガー大佐にはレナ高地防衛戦での指揮と並び、当時から後世に至るまで多数の賞賛が送られている。

 彼の陣地防御戦と機動戦を組み合わせた南翼での奮闘、そしてエスタークス魔導官の翼竜を効率的に運用したその手腕は、後世の視点から見ても見事なものだったのである。

 また、ライガー大佐の南翼での奮戦は、北ブルグンディア側にオークウッド大佐が当初望んだ通りの効果をもたらした。

 後退するロンダリア軍中央と北翼に比べて南翼が頑強な抵抗を示したことで、ロンアダリア側にはレナ高地との連絡線を回復しようとする意図があるとジョルジュ中将が判断したのである。

 つまり、オークウッド大佐の立案した包囲作戦の発動直前になり、ジョルジュ中将はオークウッド大佐の望む反応を示したのであった。

 ジュルジュ中将はまた、前線からの報告により、レーヌス河から十キロほど後退したロンダリア軍はその地で防御陣地の強化を行っていると判断していた。これは、オークウッド大佐による偽装工作の成果であった。

 さらにジョルジュ中将の判断に影響を与えたのは、王都の陸軍総司令部からの命令であった。その命令では、北ブルグンディア側の主張する国境線を過度に越えて戦闘を行うことを戒めるものであった。

 十八日時点において、北ブルグンディア軍は自国の主張する国境線から十キロ以上もロンダリア側に侵入していた。

 北ブルグンディア政府側も、ロンダリアと同じく動員令が発動されていない(つまり、戦争準備の出来ていない)状況で、なし崩し的に全面戦争になることを恐れていたのである。国力差から見て北ブルグンディア単独ではロンダリアに対抗出来ず、現段階での全面対決は得策ではないと判断したのであった。

 ジョルジュ中将は停戦交渉において有利となるよう現占領地の維持を命令すると共に、敵南翼とレナ高地が繋がることのないよう、高地への包囲を継続することを第五軍隷下各部隊に指令を発していた。ある意味で、レナ高地のロンダリア将兵を人質に取ろうとしたのである。

 こうして両軍はレーヌス河から東へ十キロほど進んだ地点において対峙し、戦線は膠着状態に陥ったかに見えた。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 体を揺らされる刺激に、リュシアンは目を覚ました。


「……ぅん、なに?」


 意識がはっきりしないままに出した声は、だいぶ弱々しかった。


「何か、水晶球が光っているぞ」


 エルフリードが、リュシアンの通信用水晶球を示して言う。未だ倦怠感の残る体を動かして、リュシアンは水晶球を手にする。


「はい、こちらエスタークス勅任魔導官」


『オークウッド大佐だ』水晶球から響いてきたのは、参謀本部作戦課長の声だった。『貴官に頼みたいことがある』


「別に、まだ向こうの宮廷魔導団は出てきていないでしょ?」


 高魔力反応があれば、リュシアンは寝ていても気付ける。寝ていても危機に対して即座に反応出来るよう、師匠のクラリスから叩き込まれていたのだ。


『ああ、その件ではない。ちなみに、そこには貴官以外に誰か居るのかね?』


「姫がいるけど」


『……姫殿下には申し訳ございませんが、少し席を外していただけますかな?』


 オークウッド大佐は少し考える間を入れた後、そう言った。


「これは、私のモノだ」


 だが、エルフリードの態度は最初から頑なだった。


「私の魔術師(ウィザード)を、勝手に兵器として利用することは罷りならぬ」


 相手が自分を王女として扱ってきたからか、エルフリードの口調は王族らしい高圧的なものだった。


『ライガー大佐も、彼を利用したはずですが?』


「連隊長殿は、いざという時しか頼ろうとしなかった。最初から戦力として当てにしていたわけではない」


『しかし困りますな。エスタークス魔導官には、重要な役割を担っていただくつもりだったのですが』


「ならば、私の前で話せ。それが、我が専属魔導官に要請を出す上での筋であろうが」


『……では、機密保持を徹底するように、ベイリオル少尉』


「了解であります、オークウッド大佐殿」


 オークウッド大佐は王女としてのエルフリードに対して折れた一方、軍人としての立場で彼女に機密保持の徹底を命じたのである。エルフリードの方も、彼がそうした立場の使い分けを行ったことを理解していた。

 もちろん、エルフリードの中には気に喰わないという感情がある。あれだけリュシアンに人殺しをさせておいて、まだ足りないのかという思いがあった。

 軍人ではないリュシアンに頼りすぎるのは、軍人としての怠慢ではないか。

 もっとも、自分があまり他者のことをとやかく言える立場ではないことも、エルフリードには判っていた。彼女も彼女で、リュシアンに頼る側、利用する側の人間なのだ。それを忘れたことはない。

 それでも不愉快な気分になるのは、自分のリュシアンに対する独占欲故か、あるいは彼の心の負担を慮るが故か。

 恐らく前者が七割、後者が三割。いや、後者の割合は自覚していないだけでもっと低いのかもしれない。


「すまんな、リュシアン。お前には、負担ばかりかける」


 自分自身にすら納得出来ないものを感じて、エルフリードはぽつりとそう口にした。


「エルに頼られるのは、俺にとって苦じゃないから」


 リュシアンの声には、気負いが感じられなかった。それだけ、彼の中では自然なことなのかもしれない。

 エルフリードとしては嬉しいような、気が楽になるような、それでいて一抹の罪悪感を拭い去れない言葉であった。


「で、大佐。俺に何の用?」


『魔術師である貴官なればこそ、頼みたいことだ』


 それは、これからもたらされようとする破局に、さらに一押しを加えようとするものだった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 大陸歴五三八年五月二十日。

 ロンダリア陸軍参謀本部作戦課長アラン・オークウッド大佐の機密保持は徹底していた。

 兵士たちが自分たちの行動の意図と作戦の発動時刻を知らされたのは、攻撃発起の三時間前のことであった。

 両翼包囲の主役となるべき騎兵第三、独立混成第一旅団の主力が攻撃発起地点に配置されたのも、十九日から二十日に日付が変わる直前であった。

 この日、レーヌス河湾曲部を巡る最後の戦闘が開始されたのである。

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