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王女殿下の初陣  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第一部 レーヌス河事変編

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11 後方攪乱

「やり過ぎだな、これは……」


 作戦室で、オークウッド大佐は溜息交じりに呟いた。


「一個大隊規模の歩兵部隊を吹き飛ばし、さらに敵砲兵の大部分も撃破。純粋な戦果としては手放しで喜べようが、我々の作戦計画からすれば、ありがた迷惑といったところか」


「……確かに、これは」


 通信魔導兵からの報告文を手にしたライアン少佐も、厳しい表情を文字に落としている。


「我々がレナ高地を重視しているということは、十分に北ブルグンディア側に伝わっただろう。連中が高地の攻略を諦めるほどに、な」


 そう、彼らが懸念しているのはその点なのだ。

 レナ高地の攻略が徒に損害を増やすだけだと北ブルグンディア側が判断すれば、彼らはこちらの野戦軍の撃滅を狙ってくるだろう。


 最終的な作戦計画からすれば、それは歓迎すべきことなのだが、第二、第四師団の展開は二十日にならないと完了しない。現状で中央と北翼への圧力が強まることは、決して歓迎出来ることではなかった。

 レーヌス河右岸で防衛戦闘に努めている部隊は、潰走した第二十三師団の残存兵力である。当然、敗走の過程で重装備などを失っている。レーヌス河という天然の要害によって辛うじて防御を成立たせている状況なのだ。

 だからこそ、中央、北翼にかかる圧力を低下させるためにも、オークウッドは戦闘の焦点がレナ高地にあると北ブルグンディア軍に判断させたかったのである。敵軍がレナ高地攻略のために兵力を集中させれば、それだけ他の戦線にかかる圧力が減るのだ。


「まあ、魔術師というものの力を見誤っていた私の失態でもある」


 組んだ手の上に顎を乗せて、オークウッドは嘆息した。


「それで、第二、第四師団の移動状況はどうなっている?」


「現在、鉄道ダイヤを調整して重装備の輸送を急がせています」


「師団の騎兵部隊は即時出撃可能か?」


 ロンダリアの師団編成においては、基本的に騎兵三個中隊が含まれている。これは戦力というよりも、偵察用として用いられることを主目的としている。


「第四師団の騎兵部隊は、すでに即応体制を整えています」


「よかろう。第四師団の騎兵部隊に対し、渡河した敵騎兵部隊の捜索と撃滅を命じるのだ。これ以上の我が軍後方地帯での活動を阻止しなければならん。索敵には、エスタークス魔導官の翼竜も動員しろ」

「はっ!」


「……まったく、戦場における魔術師がこれほどのものとはな」


 部屋の外に駆けていくライアン少佐の背中を見やりながら、オークウッドは改めて報告書に目を落とした。

 もし、エスタークス魔導官からの情報にあった北ブルグンディアの宮廷魔導団も戦場に投入されたとしたら、この国境紛争はどのような結末を迎えるか判らない。

 手早く戦線に空いた穴を塞ぎたいのならば、リュシアンに頼ればよい。だが、ここで安易にリュシアンの魔力を消耗させ、いざ敵魔導師が戦場に投入された時に彼が対応出来ないのでは、戦況はロンダリアに決定的に不利になる。

 だからこそ、エスタークス魔導官には後方攪乱を企図する敵騎兵部隊の索敵だけを要請したのだ。


「伝統的な魔術師たちが戦争に魔術が使われることを忌避するのは、ある意味で正しかったというわけか」


 皮肉げに、オークウッドは笑う。

 とはいえ、銃火器の性能は時と共に進歩している。魔術師たちの認識がどうであれ、いずれ戦争には魔術師の広域破壊魔法以上の破壊力を持つ兵器が登場することになるだろう。

 そうなった時、その兵器は戦争を抑止する力となり得るのか、あるいは単に戦争をさらに悲惨なものとするだけなのか。

 恐らく後者だろうな、とオークウッドはほとんど直感的にそう思ったのだった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 大陸歴五三八年五月十七日、この日、レーヌス河周辺で発生した国境紛争は新たな段階に突入した。

 レナ高地への強襲を繰り返していた北ブルグンディアの第十一師団所属の第二十一旅団は早朝に行われた強襲によってついに戦力を喪失、増援として組み込まれた二個連隊と共に戦力の再編が必要になるほどの損耗を受けてしまった。

 これに加えて、第五軍直轄砲兵部隊が壊滅的打撃を受けたことも、北ブルグンディア軍によって大きな衝撃となった。

 ロンダリア軍南翼を撃破してレーヌス河の渡河に成功した第六騎兵師団の一部も、第二十一旅団に呼応して行われたレナ高地背面への強襲によって戦力を喪失している。

 第五軍司令官・ピエール・ド・ジョルジュ中将は、このままレナ高地の攻略を続けることは戦力の逐次投入となると判断。それは指揮官が最も忌むべきものであり、軍の損耗はそのまま停戦交渉での弱点となり得た。

 このため、ジョルジュ中将は作戦計画を敵野戦軍の撃滅に絞り込むことに決意した。

 レーヌス河右岸に存在する敵兵力は、壊走した敵部隊であり、撃破は容易であると判断したのである。一方でレナ高地が敵の前進拠点となることも恐れており、一部兵力は高地の包囲に振り向ける必要があった。

 問題は、すでにレーヌス河右岸に進出している部隊が、第六騎兵師団であることだった。騎兵部隊は迅速な機動と突撃衝力によって最大限の戦力を発揮出来るものであり、機動戦になる余地の少ない攻囲戦には向かない。

 第五軍の貴重な騎兵戦力を、レナ高地のための拘束されるわけにはいかなかった。

 もちろん、師団の全兵力が騎兵で構成されているわけではなく、北ブルグンディア陸軍の騎兵師団は概ね騎兵三個旅団、騎兵砲二個中隊、歩兵一個大隊などを中核としている。そのため、随伴する歩兵大隊を攻囲戦に投入することも出来ないでもなかったのだが、それも今朝の強襲によって消滅している。

 第六騎兵師団そのものも兵力・物資の渡河に手間取っている状況であり、騎兵砲二個中隊は未だ河を渡っていない。

 先行渡河して敵南翼を撃破した騎兵一個旅団(二個連隊より成る)のみが、第六騎兵師団において即座に作戦行動の取れる兵力のすべてであった。

 この部隊は渡河に成功した十六日の時点で、騎兵二個中隊をレナ高地の背後を扼する位置に配置して高地の守備隊を牽制すると共に、主隊は南翼を守備していたロンダリア軍部隊の追撃を行っていた。

 しかし、夜の訪れとともに旅団長は追撃を切り上げ、部隊は後続部隊のための周辺地域の捜索へとその作戦行動を切り替えた。

 捜索部隊が発見した物資集積所を襲撃したのも、そうした作戦行動の一環であった。

 問題は、周辺地域に放った捜索隊の一つが、進軍中の敵歩兵部隊を発見したことであった。連隊規模のこの敵部隊は、恐らくは増援と判断出来たが、これを襲撃するには旅団は戦力を分散させ過ぎていた。

 まず、二個中隊はレナ高地の敵陣地背面を扼するために分離し、さらに二個中隊を周辺地域の索敵に割いていた。

 結果、旅団本部に残されたのは騎兵一個連隊(計四個中隊)であり、敵歩兵部隊への襲撃を敢行すれば相応の被害を蒙ることになると判断された。敵が農家の荷車改造の戦闘馬車(ウォーワゴン)らしきものを備えていることも、旅団長の判断を慎重なものにした。

 そのため旅団長はあえてこの敵部隊を見逃し、部隊に引き続き敵後方地帯の遮断を命じたのである。

 弱い敵から積極的に叩く。戦争の基本であった。

 リュシアンがこの騎兵旅団を発見出来ず、逆にロンダリア陸軍歩兵第七十五連隊を先に発見したのは、こうした事情があった。

 一方、レナ高地の攻略を諦めたジョルジュ中将は、第六騎兵師団の全軍に早期にレーヌス河の渡河を命じていた。

 渡河の完了後、第六騎兵師団はその全力を以て敵軍中央の側背を襲撃、左岸から敵中央を圧迫している第十一師団第二十二旅団と共に敵軍中央を撃破。そのまま第六騎兵師団は北上して敵北翼を第十二師団と共に挟撃、撃滅する。

 ジョルジュ第五軍司令官はそうした作戦構想を抱いていたのであった。

 紛争地帯となっているレーヌス河湾曲部は幅三十キロに及ぶ地帯であり、輜重段列の渡河が遅れている現状では騎兵部隊の負担が大きくなるが、ジョルジュはそれはやむを得ないことと許容した。恐らく作戦終了後、馬匹の疲労によって第六騎兵師団は当面、戦力として使用出来なくなるだろうが、敵野戦軍の撃滅という作戦目的さえ達成してしまえば問題はない。

 そして敵野戦軍を撃滅してレーヌス河右岸地域占領し、停戦交渉の過程で右岸の北ブルグンディア軍とレナ高地のロンダリア軍を撤兵させるという合意を形成出来れば、今回の事変における政治的目標を達成することが出来よう。

 ジョルジュ司令官は第六騎兵師団のレーヌス河渡河を急がせると共に、第十一、第十二師団に対して、レーヌス河右岸の敵部隊の撃滅を改めて命じたのであった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 襲撃を受けた物資集積地というのは、すぐに判った。

 敵は建物や物資に火を掛けたらしく、煙の立ち上る集落を発見したからだ。


「……」


 リュシアンは双眼鏡で火災を起こしている村を見た。農場を囲う柵が破壊されて、守備隊の兵士たちと思しき死体、それに軍に徴用された村人らしき姿の死体も見える。その間で、救護班らしき少数の兵士が(せわ)しなく行き交っている。

 後方地域であったため、小隊か分隊規模の兵力しか置いていなかったのだろう。

 レーヌス河正面での敵の圧力が強まっている現状では、後方警備に兵力を割くだけの余裕が第二十三師団にはなかったに違いない。

 すでに襲撃を行ったと思しき敵騎兵の姿はない。流石に敵も敵地のど真ん中で一箇所に長時間居座るということはしなかったようだ。

 と、風に乗って銃声が聞こえた。地上から、発砲を示す白い煙が細く上がっている。


「……味方なのに」


 ぼそりとリュシアンは呟き、翼竜の翼を左右に振った。味方騎であることを示す、バンクと呼ばれる機動である。

 生き残った守備隊は、恐慌状態に陥っているようだ。

 リュシアンは手綱を引いて、翼竜を大きく羽ばたかせた。念のため、翼竜を上昇させる。


「まあ、そう遠くへは行っていないと思うけど」


 リュシアンは上空でぐるりと双眼鏡で周辺を確認した。

 翼竜の速度と馬の速度は段違いである。馬を全力疾走させれば多少話は変わってくるが、馬の体力的に不可能だろう。

 村の魔導兵が襲撃を報告し、それが第二十三師団司令部を通してオークウッド大佐に伝わり、さらにリュシアンの元に伝達されるまで、一、二時間程度しか経っていないはずである。

 だから、それほど離れた位置まで敵騎兵部隊が退避出来たとは考えられない。


「……一日目にして、思考が軍人っぽくなっている。エルに毒されたかな」


 だからといって別に魔術師であろうとするほど、魔術師としての矜持は高くないのだが、何となく釈然としないものを感じている。やはり、自分はどれだけ伝統的魔術観から乖離していようと、根っ子のところでは魔術師なのだろう。

 襲撃を受けた村の周囲を三十分ほど、竜に負担をかけない速度で飛行していると、地上に黒いごま粒のようなものを発見した。四〇〇騎近い、騎兵の隊列であった。二列縦隊にて北上している模様であった。

 念のため軍装を確認すると、北ブルグンディア兵のもの。

 第二十三師団の物資集積地を片端から襲撃するつもりなのだろう。

 北ブルグンディア軍にも竜兵は存在しているらしいので、後方地帯の偵察は予め済ませてあったに違いない。

 オークウッド大佐からは友軍騎兵部隊の誘導を要請されていたので、発見した位置を魔導通信で報告する。とはいえ、即座に友軍騎兵部隊が駆けつけられるわけではないだろう。


「……真名(しんめい)解放、〈フェイルノート〉」


 指貫手袋に描かれた魔法陣から、黒弓を召喚する。

 オークウッド大佐が誘導の要請に留めたということは、陸軍部隊にも功績を立てさせろという意味だとリュシアンは解釈していた。あまり手出しをするのも拙いだろう。

 しかし、このまま友軍騎兵部隊が到着するまで接敵を続けていてもいいが、友軍の到着より早く敵が物資集積地点に到達してしまう可能性もある。


「まあ、仕方ないか」


 敵の隊列後方から接近したリュシアンは、翼竜の鞍上で〈フェイルノート〉の弦を絞る。

 敵騎兵も、後方から接近する自分と翼竜に気付いたのだろう。咄嗟に散開して馬を散らばらせると、騎兵たちが下馬して方陣を組み始めた。対騎兵用隊列を組むことで、弾幕の密度を上げてこちらを迎撃しようとしているのだろう。

 だが、リュシアンは方陣が組み上がる前に魔力で編み上げた矢を敵陣列に打ち込んだ。地上付近でいくつかに分離した魔矢は、地面を抉りながら爆発を連続させる。

 敵兵が宙を舞い、爆発に驚いた馬があらぬ方向へと走り出す。リュシアンは一航過で攻撃を終わらせた。


「……」


 後方を確認して、地上の様子を窺う。敵の隊列は混乱し、将校らしき人物が声を上げて部下の統制を回復しようとしているようであった。

 高位魔術師を翼竜に乗せて戦闘に参加させるのは反則に近いな、とリュシアンは思う。


「……」


 そして何となく、自分自身の挙げた戦果に気に喰わないものを覚える。これまで自身が手を汚してきた殺しとは、根本的に何かが違うような気がしているのだ。

 エルフリードに危害を加えようとしている奴だとか、魔導の探求のために人命を消費することを厭わない魔術師だとか、“個人的に気に喰わない相手”は、殺すことに対して忌避感を抱きつつも感情の折合いをつけることが出来る。殺しの手段がどれほど卑怯であろうとも、リュシアンは構わなかった。

 だが、今、地上で爆破した連中の殺しを感情的に正当化するためには、国家という概念を持ち出さなければならない。国家なんかどうでもいいと考えているから、自らの行為と感情に齟齬が生じているのだろう。

 本来であれば、戦争に個人的感情を持ち込むことの方が間違っているのであろうが。

 今朝会ったばかりだというのに、リュシアンは無性にエルフリードに会いたくなった。

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