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王女殿下の初陣  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第一部 レーヌス河事変編

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10 王女の不満

「……そんな怖い顔しないでよ」


「しておらん」


 レナ高地背面でリュシアンは弱った表情を浮かべていた。


「エルが不満なのは判るけど、今は君の個人的感情を満たすような状況じゃないでしょ」


「……」


 エルフリードは険しい顔でリュシアンを睨み付けている。先ほどから、ずっとこの調子なのだ。

 彼女は彼女で、出撃準備があるはずなのだ。それなのに、わざわざ翼竜の調子を確かめていたリュシアンの元にやってきた。

 リュシアンに掛けられた第一声は、「お前、こんなところで何をしている」という詰問口調の声だった。

 ただ、彼女の感情も理解出来るだけに、リュシアンとしては何とも言葉に困るところだった。というよりも、彼女がどのような反応をするか、リュシアンには始めから判っていた。

 エルフリードにとってリュシアンが人殺しを重ねることは、ある種の負い目となっているのだ。

 だから、エルフリードが士官学校を卒業し、実際に部隊に配属されることになった時、彼女はリュシアンの同行を拒否していた。


「……他の魔術師どもはどうした?」


「王室魔導院のこと?」


「そうだ」


「誰も。彼らはこういう荒事に魔術が使われることを嫌うから」


「それで、お前というわけか」


 憤りを隠せなかったのか、エルフリードの声は震えていた。リュシアンを睨み付ける瞳に、苛烈な色が宿る。


「連中は王室の禄を()んでいながら、国家のための義務を果たすことすら厭うのか」


「魔術を神聖視する魔術師っていうのは、そういうものだからね。姫は、俺が近くにいるからそれを実感出来ていないだけで」


 実際のところ、リュシアンは王室魔導院の魔術師たちの伝統的魔術観は、ある意味で抑止力として役立っているのではないかと実感している。

 自分のような広域破壊魔術が使える魔術師が次々と戦場に投入されれば、おそらく戦争の形態はより苛烈なものとなるだろう。今だって、銃火器の発達によって徐々に戦争の形態がより悲惨な方向に傾きつつあるのだ。

 魔術師たちが戦争に魔術が使われることを厭うのは、そうした意味では間違っていない。


「連中はきっと、すべてが終わった後、お前を批難するだろう。自分たちは国家に何一つ貢献しなかった癖に、ただ自分たちの価値観にそぐわなかったという理由だけで、国家のために為したお前の行為を否定するのだ」


 だが、エルフリードからしてみれば、リュシアンにのみ、汚れ仕事を押し付けているように見えるのだろう。


「お前は、都合良く使われているだけだ。父上に、参謀本部に、王室機密情報局に、そして……この私に」


 エルフリードは自分の名をそこに付け加えた。それが、彼女の背負っている業なのだ。そしてリュシアンは、彼女の言葉を否定しなかった。

 自分と彼女は、もはや罪と罰の共有者なのだ。十一歳の時、エルフリードを襲撃しようとした共和主義者たちを、魔力を暴走させて鏖殺してしまったあの時から。


「かもしれない。でも、それを言ったらエルも同じだよ。“王女”として、君は国家から、陛下から、軍部から、そして民衆から利用される立場だ」


「……はぐらかされているようで、気に喰わぬ」


「でも事実だよ」


「……」


 きっぱりと言い切ったリュシアンを睨み付けたまま、エルフリードは黙り込んだ。自分もまたその出自故に利用される側の人間であることは否定出来ないのだ。

 だが、エルフリードには野心がある。自分を利用する者たちすべてを逆に利用して、至尊の座に即くという野心が。しかしエルフリードの目の前にいる少年にはそうしたものがない。ただ自分の野心を遂げるための行動に、手を貸してくれているだけだ。

 自分は、リュシアンを利用する側なのだ。

 完全に、自分とリュシアンは同じではない。

 それを指摘しようにも、それはまだ自分とリュシアンだけの胸の内に秘めておくべきものだという思いから口に出せなかった。


「姫が籠の鳥として扱われることを嫌うように、俺もただ君に庇護されるような存在になるのは嫌だ。別に騎士様を気取るつもりはないけど、俺は俺なりのやり方で君の隣に立ち続けるつもりだよ」


「それが、例え人を殺すことになっても、か」


「今さらだね」


 素っ気なく、本当に素っ気なく、リュシアンは答えた。

 人を殺したという事実は消えない以上、それを踏まえた上で自分はエルフリードを守るために必要な行動を取るだろうと、魔術師の少年は思う。


「それに、君は軍人になった。そして実戦も済ませた」


「ふん、つまり、私がお前に追いついたというわけか。国家のための殺人者に」


 エルフリードは嘲りの笑みを浮かべた。


「まったく、ままならんなぁ、この世界は……」


 そして、その笑みを浮かべたまま、嘆くように言うのだ。

 二人が初めて出逢ったのは、お互いが六歳の時。その間、楽しかった時もあれば、喧嘩をした時もあった。

 それでも、自分たちは今のような殺伐とした関係ではなかった。

 十一歳の時に、すべては変わってしまった。

 そしてその変化は、自分が望んだものであったというのに、どこかであの日だまりのような時間に帰りたいと思う自分もいるのだ。

 リュシアンを自身の野心のための道具として使うこと。確かに自分は、彼と出会った当初は幼心にそう考えていたのだ。

 諦観にも似た納得を以て、エルフリードは重い息をついた。

 そして、顔を俯けたまま、拳でリュシアンの胸をトンと叩く。ほとんど力も入っていない拳。


「……ならばエルフリード・ティリエル・ラ・ベイリオルとして汝に命じる、魔術師(ウィザード)。我々を、勝たせろ」


はい、姫殿下イエス・ユア・ハイネス


 それは、罪を共有するための一つの儀式だった。






 翼竜の発進は、着陸よりも困難だと思われた。

 滑走距離が、陣地に築かれた障害物の所為で非常に短くなってしまっているのだ。一瞬でも離陸の瞬間が遅れれば、有刺鉄線などに胴体や足が引っかかり、地面に激突してしまうだろう。

 偵察のために、リュシアンの翼竜は騎兵部隊よりも先行して出撃することになった。

 一方、馬の方もすでに鞍などを取り付け、足や蹄鉄の調子などの確認も終わり、あとは号令を待つだけの状態となっていた。

 ライガー大佐や一部の将校が翼竜の発進を見守るために、リュシアンの傍らに来ていた。


「貴官にこのようなことを言うのは軍人として忸怩たるものがあるが、解囲作戦の成否は君にかかっているといってもいい。頼むぞ」


「もう、頼まれているよ」


 ライガー大佐の言葉に、リュシアンは気負いなく返した。相変わらずどこか距離感のある素っ気ない口調に乏しい表情だが、少しばかり晴れ晴れとした様子。何故だろうと思い彼の視線を追うと、そこにはエルフリード王女がいた。

 なるほど、とライガーは納得する。

 軍人たる王女と魔術師たる少年の関係性は気になるところだが、二人の間には確固たる信頼関係があるのだろう。

 少年と少女のそうした関係を見るのは、大人として微笑ましい。ここが戦場でなければ、からかいの一言でも入れたくなるほどだ。


「じゃあ、行ってくるよ」


 そう言って、リュシアンは竜の首の根元に巻き付けられた鞍に跨がり、体に巻き付けた安全索の金具を鞍に固定する。

 少年が手綱を引くと、翼竜は首を上げて甲高い鳴き声を発し、翼を大きく広げた。首の根元に拍車をかけると、タッタッと翼竜は滑走を始めた。

 レナ高地の傾斜面を利用して、一気に加速を付けようとする。

 刹那、ふわりと翼竜の体が浮いた。


「……っ!」


 だが、上昇はしない。そのまま、足を有刺鉄線に引っかけそうになるほどの低空で、レーヌス河の川面に向かって滑空していく。

 帽振れで見守る者たちが、一瞬息を呑んだ。

 このままでは、水面に激突する。

 誰もがそう思った瞬間、翼竜は力強く羽ばたき、上昇を開始した。レーヌス河の水面に、翼竜が飛び去った衝撃による波紋が広がった。

 安堵の息が伝播する。


「……あいつは、翼竜の扱いは子供の頃から上手かったですから。貴族の癖に、馬の方はからっきしでしたが」


 一人、平然と解説したのはエルフリードだった。


「なるほど。それを事前にいってくれていたら助かった」ライガーが苦笑と共に言う。「流石に気が気でなかったぞ。あんな事故で魔術師殿を失ったとしたら、笑い話にもならん」


 そう言って、彼は将校用制帽を被り直した。そして、翼竜の発進を見守っていた者たちに向き直る。


「さて、我々も出撃するぞ。総員、かかれ!」






 大陸歴五三八年五月十七日一四〇〇時、四個騎兵中隊がレナ高地を進発した。

 陣地背面を利用して、レーヌス河左岸の北ブルグンディア軍からは上手く出撃を遮蔽するようにしての出撃であった。

 さらに、三〇〇騎以上の出撃となるため、その騒音を隠蔽するためにマッケンジー少佐率いる砲兵部隊が陣地前面の敵部隊に向けて擾乱射撃を行っている。

 その砲声を背後に残しつつ、ライガー大佐直率の騎兵部隊はレナ高地を後にした。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 大外套のフードを風になびかせながら、リュシアンは翼竜の鞍上から地上を観察していた。

 陣地背面に近いレーヌス河右岸は、今朝のリュシアンの爆裂術式で完全に緑を失い、地面が剥き出しになっている。

 昨夜までは存在していたらしい渡河した敵部隊の橋頭堡となるべき野営地の姿は、すでにない。

 歩兵第七十二連隊を潰走させた敵戦力は、種々の報告やレナ高地からの観測により、一個騎兵旅団と一個歩兵大隊と推定されている。

 内、歩兵部隊の方はリュシアンの爆裂術式によって吹き飛ばされている。しかし、この部隊と同様に渡河を果たしたはずの敵騎兵部隊の行方が判っていない。

 ライガー大佐の話によれば、一部はレナ高地背面を扼する位置に野営していたという。レナ高地の守備隊が脱出した場合に追撃を実施するためだろう。

 この部隊は爆裂術式に巻き込まれているはずなので、特にリュシアンとしては意識する必要はなかった。

 問題は、残余の敵騎兵部隊である。昨日の時点では、潰走した歩兵第七十二連隊に対する追撃を行っていたとの報告が入っているが、それも昨日の日暮れ前までだ。夜戦は部隊の統制が乱れるため、よほどのことがなければ行われることがない。つまり、昨夜以降の動向が不明であるのだ。

 あるいは、敵捜索騎兵部隊が歩兵第七十五連隊と接触したことから考えて、後続の部隊のために右岸の索敵を行っているのかもしれない。

 渡河した敵騎兵部隊の本隊を早急に捕捉しなければ、歩兵第七十五連隊が危険に晒される。だからこそ、ライガー大佐も出撃を急いだのだろう。

 一方、レナ高地南方のレーヌス河上流地点では、北ブルグンディア軍の輜重段列らしき隊列が渡河に手間取って渋滞を引き起こしているのが見えた。騎兵砲を始めとする重装備の渡河は間に合っていないようである。

 つまり、右岸の敵部隊に重装備は存在しない(あれば、今朝の陣地背面への強襲の時点で使用していただろう)。

となれば、例え騎兵第十一連隊が接敵したとしても、純粋な騎兵同士の戦闘となるはずだ。

 そこに自分が加わっていることは、両軍の決定的な違いであろうが。


「……」


 リュシアンは視線を地上から周囲に向ける。敵の竜兵も確認されているため、周辺警戒を怠るわけにはいかない。

 ぐるりと頭を巡らせる。

 基本的に、竜兵は槍騎兵が使うような長槍を装備している。翼を少しでも傷つけられれば、翼竜は撃墜されてしまう。

 竜兵は銃も装備しているが、迅速な連射が不可能であるため、高速で飛び回る翼竜に対してはあまり有効な武器ではない。

 警戒すべきは、後方上空からの一撃離脱戦法。特に雲や太陽に隠れての奇襲攻撃は、搭乗員にとって最も警戒すべきものの一つだった。

 一方で、地上からの対空射撃はあまり脅威にはならない。よほど低空を飛行して斉発砲に狙われれば話は別であろうが、例え歩兵が方陣を組んだとしても上空を高速で飛び回る竜兵の撃墜は至難である。やはり、迅速な連射出来ないことが最大の障害になっているのだ。

 斉発砲の性能が向上し取り回しが容易になれば、流石の翼竜も危ないだろうが、現状ではそうした兵器の出現報告はない。

 警戒すべきは、やはり同じ翼竜に乗る竜兵だろう。


「……」


 だが現在の所、周囲に敵騎の姿はない。

 もう一度、視線を地上に戻す。レーヌス河両岸の周辺は緩やかな丘陵地帯になっている。地上からでは丘の稜線に隠れられると発見が困難であろうが、竜兵ならば問題はない。

 河から十キロも離れると、農場らしき建物の姿が見え始める。住居に厩舎、それに柵で囲われた農地。

 恐らく、国境紛争の発生で住民たちは軒並み逃げ出しているだろう。

 リュシアンは上空を警戒しつつ、地上を観察していく。

 敵騎兵部隊らしき姿が、どこにもない。

 リュシアンは喉元に括り付けた水晶球を片手で押さえた。


「こちらリュシアン、今のところ、敵影なし」


 魔導通信でライガー大佐に現状の索敵結果を報告する。リュシアンにはまた、騎兵第十一連隊を敵部隊まで誘導するという役目もあるのだ。


『了解。そのまま索敵を続けてくれ』


 応答はすぐにあった。


「判った」


 リュシアンは喉元の水晶球から手を離す。喉頭式通信水晶球は、喉の震えを感知して相手に音声を伝えるものだ。周囲が騒音に満たされていても音を拾えるため、戦場においては便利な魔導具であった。

 しかし、そのまま歩兵第七十五連隊が進軍しているであろう東方に飛行しても、敵騎兵部隊の本隊は発見出来なかった。

 逆に、リュシアンの翼竜はレナ高地に向けて進軍中の歩兵第七十五連隊を発見することになった。連隊旗を掲げながら、隊列を組んで進んでいる。


「……」


 その隊列を見て、リュシアンは一瞬だけ己の目を疑った。


「……戦闘馬車(ウォーワゴン)って、また古風な」


 眼下で隊列を形成している友軍は、隊列の左右を馬車で囲みながら進軍しているのであった。明らかに、騎兵対策であった。

 戦闘馬車(ウォーワゴン)とは、中世期の戦争において敵の矢や銃弾を防ぐために作成された箱形の馬車である。側面に設けた銃眼から槍や銃を突き出して、敵の攻撃を防ぐための兵器であった。

 しかし地上に見える戦闘馬車は、箱形とは言い難いものだった。恐らく周辺の農家からありったけの荷馬車を徴発したのだろう。干し草などを摘むための荷車の上に、何と車輪を外した斉発砲を搭載している。


「オークウッド大佐が増援部隊に選ぶわけだよ」


 妙に納得した気分になりながら、リュシアンは下に見える戦闘馬車に囲まれた隊列に対して呟いた。

 エルフリードが配属された騎兵第十一連隊のアルフレッド・ライガー大佐は騎兵科の改革と今後の戦争における騎兵戦術の変化を唱えている人物だというが、歩兵第七十五連隊の連隊長も相当に独創的な人物らしい(本人が独創的なのか、部下の独創性を受け入れるだけの度量がある人物なのかは知らないが)。

 もっとも、そうした人物でなければレナ高地の“異常”に対応出来ないだろう。

 軍人志望のエルフリードに付き合わされて、リュシアンは戦史の研究書などを読まされたことがある。どう考えても、ライガー大佐の構築した野戦陣地、そして聞かされた弾薬消費量はこれまでの戦争とは一線を画している。


「……俺が出張ってこなくても、魔術師が魔術を神聖視して戦争に使われることを厭おうと、戦争はどんどん凄惨な方向に進んでいるってことか」


 あるいはそれが、人間というものの持つ業なのかもしれない。


『……エスタークス魔導官、聞こえるかね?』


 突然、リュシアンの水晶球にオークウッド大佐の声が流れた。


「どうしたの、大佐、唐突に」


 喉元を抑えながら、リュシアンは応答する。


『渡河した敵騎兵と思われる部隊が23D(第二十三師団)の物資の集積地となっている村を襲撃した。守備隊は壊滅、中央の歩兵第七十一連隊の後方が遮断されつつある』


 その声には、どこかリュシアンを責めるような調子が混じっていた。

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