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王女殿下の初陣  作者: 三笠 陣@第5回一二三書房WEB小説大賞銀賞受賞
第一部 レーヌス河事変編

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9 偽善者たちの丘

 リュシアンの乗った翼竜は、レナ高地の陣地背面、傾斜地の中腹あたりに慎重に着陸した。

 下手な場所に着陸すれば敵の侵入を妨害するために設置された有刺鉄線や木の杭などに接触しかねず、着陸速度が速すぎれば着陸地点の狭さ故にやはり陣地の構造物に激突してしまうだろう。

 翼竜の翼を羽ばたかせ、ほとんど垂直着陸するように、リュシアンは竜を地面に降ろした。


「ほぅ」


 その様子を見ていたライガー大佐が感嘆の声を上げる。騎兵科出身の彼から見ても、搭乗員の手綱捌きから並みの技量の持ち主ではないと判ったのだ。

 リュシアンは翼竜を手近なところにあった杭に繋げると、斜めに掛けた大きめの布鞄から油紙に包まれた肉を取り出して竜の前に置いた。頭を軽く撫でると、竜は肉に食いついた。

 それを見届けたリュシアンは着陸の様子を見ていた軍人たちの中から、大佐の階級章を付けた人物を見つけ出す。リュシアンが彼に向かって歩き出すと、大佐の方もリュシアンに歩み寄ってきた。


「エルフリード・ティリエル・ラ・ベイリオル王女殿下専属、リュシアン・エスタークス勅任魔導官」


「騎兵第十一連隊連隊長、アルフレッド・ライガー大佐だ。救援、感謝する、エスタークス勅任魔導官」


 ライガー大佐はリュシアンに対して敬礼した。

 勅任官は、武官でいえば少将、中将に該当する官吏区分である。文官では、州知事や中央官庁の局長級などが勅任官であった。それ故、軍人でないが故に階級を持たないリュシアンであっても、ロンダリアの国家制度上はライガーよりも立場が上なのだ(とはいえ、軍人ではないのだから、ライガーに対する命令権などは持たない)。

 リュシアンはぎこちない動作で手を動かし、答礼する。少年のその動作に、ライガーはかすかなおかしみを覚えた。兵隊ごっこをする子供を連想したのだ。

 彼は改めて、リュシアンという少年の全身を確認する。

上下とも黒で統一した服装。拍車のついた編み上げの革長靴。小柄な体を覆う、ぶかぶかともいえるフード付き大外套。

 それだけならば、御伽噺の中に登場しそうな魔法使いを連想させるだろう。

 だが、素っ気ない口調、白い髪、赤い目、そしていささか血色の悪い白い顔は、魔法使いというよりも死神を連想させた。大鎌を持たせれば、その印象はさらに強まるだろう。

 とはいえ、自分たちにとってではなく、敵にとっての死神であるならば大歓迎である。ただし、一つだけ気になることがあった。


「貴官は王女殿下の身柄を引き取りにきたのかね?」


 これまで、あの王女はそれなりに部隊の士気維持に役立ってくれている。戦闘が始まる前ならばいざ知らず、現状で王女のみが後退されると、士気に悪影響を及ぼすだろう。

 それを、ライガーは懸念していた。


「いえ、姫自身が望んだ戦場ならば、俺からは何も。心配ではありますが、それが彼女の意志ならば」


「特に負傷したとの報告は受けていない。安心したまえ」


 そうか、とリュシアンは表情には出さず安堵した。エルフリードには守護の術式を組み込んだお守りを渡していたが、それでも心配なものは心配だったのだ。


「俺が来たのは、参謀本部からの支援要請があったのと、命令の伝達のためです」


「命令?」


「そちらの魔導兵は健在ですか?」


「残念だが、疲労で通信に支障を生じている状況だ」


「ああ、やっぱり」リュシアンは一人、納得した。「道理で参謀本部からの通信に反応がなかったわけです」


 そう言って、リュシアンは鞄から封筒を取り出した。ライガー大佐に差し出す。


「参謀本部からの命令書です。俺が口頭で伝えるよりも、正式な書類の方が安心するでしょうから」


「確かに受領した」


 ライガーはちらりと周囲を確認した。手空きの兵士たちが、現れた翼竜を見ようと遠巻きに見守っているのだ。援軍を自分自身の目で確認したいという彼らの心境も判るので、ライガーはあえて咎めていない。

 とはいえ、衆目のある場所で命令書を確認するわけにもいかない。命令の内容によっては、やはり士気に悪影響を及ぼしてしまうからだ。


「取りあえず、連隊司令部に来てもらいたい。構わんか?」


「先に、軍医か衛生兵の詰め所にでも案内してもらえませんか? 医療物資も持ってきましたので」


 その言葉に、ライガーは一瞬だけ怪訝そうな表情を見せた。少年の荷物の量からは、どう見ても大量の物資を持ってきているようには思えない。

 しかし、相手はライガーとしても理解の乏しい魔術師である。純粋な興味もあり、ライガー自身が案内することになった。それに、負傷者を指揮官自ら見舞うことも士気の上では大切なことであった。

 陣地背面の地面を掘り、そこに天幕を被せただけの簡素な医務室は、すでに満員に近かった。

 塹壕にも人体由来の悪臭が漂っているが、この医務室として設けられた壕も決して清潔とは言えなかった。薄汚れた包帯に血を滲ませた兵士たちが、ほとんど無造作に横たえられている。


「……」


 リュシアンはちょっとだけ目を細めたが、それ以上、この負傷者で溢れかえった壕に対して表情を動かすことはなかった。その様子を見たライガー大佐は、わずかばかりの悪寒を少年に覚えた。

 死に慣れすぎている。

 そんな印象を受けてしまったのだ。自分が抱いた死神という印象は、間違いではなかったということか。


「大佐殿」


 衛生兵たちを指揮する軍医が、ライガーがやって来たことに気付いて敬礼する。


「ああ、私のことは気にしないでくれて構わん。他の者たちも、楽にしてくれていていい」


 慌てて起き上がろうとした負傷兵もいることに気付き、この騎兵連隊指揮官は軽く手を振った。


「そちらは?」


 軍医は、黒ずくめの恰好をした白髪の少年に怪訝そうな視線を向ける。


「……」


 リュシアンはその視線を無視するように、大外套の内側から筒状に丸められた紙を取り出した。壕内の空いている空間に、その大きめの紙を広げていく。

 そこには、幾何学模様の魔法陣が描かれていた。


「……」


「……」


「……」


 負傷者も含めて、好奇の視線がリュシアンと魔法陣に向けられているが、相変わらず少年魔術師はそれを無視して魔法陣に指を触れた。

 途端、魔法陣が淡く輝き出し、それが収まったと思えば、魔法陣の上に大量の医療物資が積み上がっていた。

 壕内に感嘆の声が漏れる。


「取りあえず、当面の医療物資」


 リュシアンはさらに大外套の内側から、呪符の束を取り出した。医療物資の上に、それも置く。


「それと、治癒の護符。重症患者に使ってあげるといい」


 周囲が向ける感情に対して、リュシアンの声には心底どうでもよさそうな素っ気なさが宿っていた。


「じゃあ、連隊司令部に案内して下さい」


 己の行いにすら無関心な様子で、リュシアンはライガーに向き直った。どことなく、急かすような口調であった。

 人を大勢殺した直後に、医療物資を届ける。その矛盾と偽善に対して、己の行為を誇ることなど、リュシアンには到底、出来そうもなかった。






「しかし驚いたな。あれは何なのだ?」


 指揮壕に案内されたリュシアンに対して、ライガー大佐が訊く。


「転移魔法」リュシアンは端的に答えた。「魔法陣を通して、物体を瞬間移動させる魔術です」


「ほう、では相応の魔力量を持つ魔術師が複数いれば、軍の兵站は安泰ではないか」


 幕僚の一人の発言に、リュシアンの瞳が呆れたような光を宿した。


「……魔術師は御伽噺の魔法使いじゃない。魔術を神聖視する魔術師も困るけど、魔術を万能視する一般人も困る」


「どういうことかね?」


 司令部の人間を代表して、ライガーが尋ねた。


「……」リュシアンはちょっとだけ目を逸らし、頭をガリガリと書いた。「まどろっこしいから、口調はこれでいい?」


 どこか取り繕うような丁寧な発音を改めて、リュシアンは声の抑揚と同じく、素っ気ない言葉遣いに改めた。


「ああ、構わんよ。貴官は私の部下ではないのだからな」


「じゃあ、説明するけど、単純に魔力消費の問題。常人(ただびと)だって、重い荷物を遠くまで運べば疲れるでしょ? それと同じこと。魔術師に兵站を任せるよりも、鉄道網を始めとした交通網を整備したりする方が現実的だね。あと、治癒魔法のことについても万能視してそうな奴がいると困るから言っておくけど、これも万能じゃない。治癒魔法は、簡単にいえば魔術師が患者に魔力を注ぎ込むことによって、肉体の持つ自然治癒能力を異常に活性化させる術式。肉体の自然治癒能力そのものにも限界があるし、長時間の連続使用はやっぱり疲れる。まあ、高位術式になると他の生命や大地の生命力なんかを肉体に注ぎ込むものもあるから一概には言えないけど」


「では、先ほどの治癒の護符は何なのだ?」


「あれは、予め俺が術式を書いて、魔力を込めておいたもの。あれを使われたところで、今の俺の魔力量が勝手に消費されることはないから」


「ふむ、なるほど」


 爆裂魔法を見たときに抱いた印象が、再びライガーの頭の中に蘇っていた。

 確かに、一人で野砲数百門に匹敵する爆発を叩き付け、一人で大量の物資を輸送でき、一人で多数の患者を治癒出来る魔術師は、優れた人的資源といえるのだろう。

 しかし所詮は、それも別の技術で代替可能なものなのだ。

 この少年の言う通り、魔術を万能視する一部の人間は、確かに困りものだろう。魔術師に出来る限界以上のことを、魔術師に要求しようとするだろうから。


「さて、では命令書を読ませてもらおう」


 魔術師に関しては、研究を重ねれば水晶通信のように軍事的利用が出来そうな技術がありそうではあるが、今はそれを考える時間ではない。

 リュシアン・エスタークスという魔術師の能力を把握したところで、彼は渡された参謀本部からの命令書に目を通した。

 命令書には、レナ高地に援軍として歩兵第七十五連隊を派遣する旨、そして同連隊到着後は高地の守備を彼ら第七十五連隊とマッケンジー少佐率いる連隊砲兵部隊などに任せ、連隊の基幹兵力である騎兵四個中隊は後退し、戦力の再編に努めるべき旨が書かれていた。


「……肝心の、第七十五連隊はいつ到着するのだ?」


「多分、順調に進軍出来ていれば今日の夕刻までには。順調じゃないなら、俺が出ることになっている」


「ふむ」


 右岸には、まだ敵の騎兵部隊がいるはずであった。命令書には「可能であれば」という枕詞付きではあったが、歩兵第七十五連隊に呼応して右岸に進出した敵部隊への襲撃も命ぜられている。

 つまり、包囲下にあるレナ高地を救援すべく派遣された第七十五連隊と共に、包囲網の解囲を試みるよう、命ぜられているのである。

 問題は、右岸への逆襲を敢行する戦力的余裕があるのかということと、一歩間違えればレナ高地そのものを失いかねないという点である。

 高地の兵力を右岸攻撃のために引き抜いた隙を突かれ、高地が陥落しては元も子もない。

 高地の放棄が前提ならばともかく、高地の保持と解囲作戦の実施は、現状では連隊への負担が大きい。

 戦力的余裕がなければ、先ほどの言葉通り、目の前の少年魔術師が爆裂魔法などで対応することになるのだろう。

 とはいえ、子供に戦争を任せるほど自分たちは落ちぶれていないという矜持がライガーの中にはある。また、魔導兵の疲労を知る身からすれば、あれだけの術式を連続して使用した少年の魔力消費と疲弊も気になるところである。


「エスタークス魔導官、貴官は先ほどのような爆裂術式を、あと何発撃てる?」


「今日だけならばあと三発かな? 明日以降の疲労を無視していいなら、五発くらいはいけると思うけど。あと、威力を低下させるなら、もっといける」


「ふむ、なるほど」


 ライガーは思案顔になる。右岸の敵騎兵部隊を撃退するのであれば、先ほどと同威力の爆裂術式を一発、放って貰えれば十分だろう。その混乱に乗じて騎兵四個中隊を突っ込ませるのであれば、十分に解囲作戦の勝算はある。

 問題は、陣地の保持である。

 騎兵四個中隊を引き抜けば、高地に残る兵力は千名を切るだろう。連隊指揮下の歩兵一個大隊と砲兵一個大隊、それに臨時で組み込まれた他部隊の兵士たち。

 敵の砲兵部隊は大損害を受けていると思いたいが、北ブルグンディア軍の白兵決戦主義を思えば、砲兵を潰したところで、彼らの決断を消極的なものとすることは難しいだろう。

 結局、この少年を人間砲台として用いるしかないというわけか。


「幕僚長」


「はっ!」


「各騎兵中隊の状況をただちに確認してくれ。部隊の状況や戦況を総合的に判断し、可能であれば本日、一五〇〇に出撃、レーヌス河右岸に展開する敵騎兵部隊を叩く」


「はっ! ただちに!」


 幕僚長が司令部掩体壕から駆けていく。増援部隊という光明が見えたためか、その足取りは軽いようであった。

 とはいえ、これまでの攻防戦で各騎兵中隊の人員も消耗しているはずである。四個騎兵中隊がどれほど戦力として換算出来るかは、実際に報告を聞いてみなければ判らない。

 また、連隊には解決しなければならない問題が、他にも存在していた。


「エスタークス魔導官、貴官に爆裂術式以外で支援を求めたいことがあるが、よいか?」


「何?」


「我が連隊の通信状況の改善について、協力を要請したい。どの魔導兵も疲弊しており、掩体壕や塹壕同士の相互支援にも支障が生じかねない状況なのだ」


「ああ、それは予想していた」


 リュシアンは斜めに下げた鞄から、複数の水晶球を取り出した。連隊の魔導兵が使用している水晶球のような濁りはなく、透明感のある水晶球であった。


「魔術師同士が水晶球で念話しているとまどろっこしいと思って、通信相手と直接会話出来るように術式を調整して、魔力を込めてある。各部隊に配ってくれれば、指揮官同士が直接会話出来るはず。水晶球が濁ってきたら、俺に言って。また魔力を注ぎ込むから」


「何とも、用意のいいことだな」感心半分、呆れ半分という口調でライガーは言う。「だがまあ助かる。ありがたく使わせてもらうとしよう」


 どう考えても、少年が気を回したわけではないだろう。参謀本部がこの魔術師の少年にそうした要請を出したに違いない。

 少年を人間兵器として扱うことにライガーは良心の呵責を覚えないでもなかったが、戦場でそうした感情を抱くのは贅沢であることも自覚していた。

 すでに自分は、王女という立場にあるとはいえ一人の少女を戦場に立たせてしまっている。今更、そのような感情を抱くことは偽善に過ぎなかった。


  ◇◇◇


 残存騎兵部隊の集計は、一時間ほどで完了した。

 無事な馬、疲労の少ない騎兵用の馬は、連隊本部と四個騎兵中隊合わせて、三六三頭。

 一個騎兵中隊の定員は約二〇〇名であるが、当然ながらその全員が騎兵というわけではない。中隊には騎兵砲小隊、通信小隊、衛生班などが組み込まれており、純粋な騎兵は部隊の充足率によって異なるものの、一個中隊につき約一三〇名から一四〇名程度でしかない。

 その意味では、使用可能な馬が三六三頭というのは、戦力の二割ほどが失われている計算になる。

 これで解囲作戦に打って出るのは判断が難しいところではあったが、ライガー大佐は出撃を決意した。もちろん、リュシアンの爆裂術式を勘案したからこその、判断であった。

 十分な火力が存在する部隊が、それを持たない数倍の敵兵力を撃退出来ることは、二日にわたるレナ高地攻防戦で証明済みである。

 そうした中、レナ高地に向けて進軍中の歩兵第七十五連隊から騎兵第十一連隊へ通信があったのは、一三二六時のことであった。

 部隊はレナ高地まで十七キロの地点にまで進出したものの、敵の捜索騎兵部隊の接触を受けたとのことであった。


「……だって。どうする?」


 司令部壕の中で、疲弊した魔導兵に代わって連隊の通信を一手に引き受けているリュシアンは、ライガーに尋ねた。


「マッケンジー少佐、陣地前面の敵の動きに変化はないか?」


『こちらマッケンジー少佐。特段、陣地前面の敵部隊に動きはありません』


 水晶球を通して、ライガーは砲兵観測所にいるマッケンジー少佐と直接、言葉を交わす。


「了解した」


 敵兵は早朝の強襲が失敗して以降、動きを見せていない。砲兵隊が壊滅的被害を受けたからか、それともレナ高地への強襲の代償があまりに高くつくことを悟ったからか、とにかく高地周辺では小康状態が続いている。

 あるいは敵はレナ高地の攻略を諦め、レーヌス河湾曲部中央や北翼に展開する第二十三師団の残存兵力の撃滅を目指そうとしているのかもしれない。


「……出撃時刻を、一四〇〇に繰り上げ、第七十五連隊との合流を急ぐ。各隊に馬と装具の確認と、出撃準備を急がせるように伝達しろ」


 様々な可能性を数瞬で考え終えたライガーは、躊躇わず決断した。

 レナ高地に拠る騎兵第十一連隊は、自分たちが生き残るための積極的行動を開始したのであった。

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