ネオマヤン
不穏な物々しい雰囲気は、街に一歩出たときから、激原は感じていた。
今日は、ミュージアムの、アーティストの発表記者会見だった。
水原に頼みこみ、記者会見場に入るためのパスを貰った。どうしても、その人間を一目見たいと思った。水原に無理を言った。激原は現場に出て、仕事をすることを、次第に控え始めた。体調がまだ本来のものに戻っていないという表向きの理由は立てたが、実際はほとんど問題がなかった。問題なのは、これからのビジョンの方だった。これまでのように、エネルギーのすべてを建設の作業に投入し、投入しつくした後で倒れてしまうといったそのパターンからは、抜け出す必要があることを自覚していた。次のステージに入ったことを、激原は自覚していた。自分の精神世界をコントロールする術を身につける必要があった。激しい感情の波に翻弄されてはいけなかった。そのあいだの穏やかな世界の中に、自分で設計した地図を、定める必要もあった。そこに自然と、エネルギーを流し込むようにすればいい。思いつきは簡単だが、実際にそういうシステムを作るのは、最初は難しいだろうなと思った。
激原は周りを見ても、自分のように過剰なエネルギーをもてあまし、自分自身までをも、その力で焼き切って身を滅ぼすような、そんな人間を見ることはほとんどなかった。ミュージアムのアーティストの応募に、激原は密かに参加していたのだった。けれども、応募するときからすでに、自分は通るような気がしてなかった。自分の道ではなかった。激原は、この選ばれた人間を、どうしても知りたかった。彼こそが、自分のように、いや、自分以上に、強烈なエネルギーを持っている人間だと確信した。彼はそのエネルギーをどのように手なづけ、どのように翻弄されることなく、疲弊することなく、逆に自分自身にさらなるパワーへと変換し、循環させているのか。彼の存在が、俺に教えてくれるに違いないと、激原は思った。
最終的には、自分で編み出さなければならないことはわかっている。しかし、あまりに、同類だと感じる人間がいない。自分だけが、この世界から切り離されているかのようだ。自分自身と繋ぐ方法。世界と繋ぐ方法を、彼なら、知っているに違いないと思った。知っていてマスターしているからこそ、選ばれた。そこに俺との決定的な違いがある。それを掴んでいれば、俺が選ばれる可能性だってあった。だが結局、俺の道ではないのだろう。アーティストという柄でもなかった。ただし、応募したことで、アクションを起こしたことで、自分の中の何かが変わっていた。
まだ、ミュージアムの完成には期間があるし、そのアーティストの作品を見る機会も、ずっと先になりそうだった。だが、本人を見ることで、何かを強烈に感じることはありそうだと思った。同じ空間にわずかであっても、一緒に居たいと思った。同じ時を共有するべきだと感じた。水原は、快く了解してくれた。激原は、会場となっているガルシア・リッツホテルへと向かった。
何人の警官と、すれ違ったことだろう。意識がそこに合うと、そこらじゅうにパトカーが徘徊している姿が目に入ってくる。物々しい厳戒態勢が引かれているのか。駅の傍の線路のあたりで、駅に進入してくる列車を見た。その列車の車掌席には、何と十人を超える警官が同乗していた。駅に着いた列車は、しばらく動くことはなかった。車両点検をするというアナウンスと共に、作業員が一斉に線路に降り、レールに密着している車輪の付近を、入念に目視していた。激原はタクシーを拾った。
入り口で券を見せ、首から下げるIDパスをもらう。中にはすでに取材カメラが多数入っている。記者の姿もたくさん見える。仕事でないのに入場する人間は、なぜか自分だけのような気がしてくる。激原はノートを広げ、質問項目をおもむろにメモした。激原は、手を挙げ、指名され、みなの前で質問をしている自分の姿を、想像していた。
すでに、予定時間を過ぎていた。数回の発砲音を聞いたのは、そのときだった。
黒い覆面をした男たちが、一斉に会場になだれ込んできた。彼らは、奇声を発することなく、実に低音で、安定感のある響く声で、冷静に話始めた。何語で話しているのか、激原にはわからなかった。彼らは我々に狙いを定め、何かを要求しているようだった。スタッフは慌ただしく、電話で連絡をとっている。そんな彼らに対して、覆面男はいっさい銃を向けなかった。やがて通訳と思われる人間が呼ばれ、覆面男たちとスタッフの間に入る。何度かの往復のあとで、スタッフがまた慌ただしく動き出した。彼らは舞台裏へといっせいに引っ込んでしまった。次の瞬間だった。
一人の若い男を囲むように、スタッフたちが戻ってきた。そして、その一人の男に向かって、覆面男たちは近づいていった。数発の発砲がなされ、若い男は床にあっというまに倒れてしまった。何が起こったのか、激原にはわからなかった。ただその若い男が、そのアーティストであることだけは、一瞬でわかった。彼を取り巻く輝きが、まったく違った。倒れ込んだ男を、スタッフたちが取り囲み、しゃがみこみ、息の確認をした。黒い覆面男たちは、低音で安定的な声を崩さず、まるで、マイクを通してしゃべっているかのように、会場中に響き渡る声を送っている。部屋は彼らの声の震動で満たされていた。
やがて、警備の男たちに続いて、武装した警官が流れこんでくる。騒乱が瞬間的に、想像されたが、覆面男たちはあっけなく捕まってしまう。発砲することなく、何の身体的な抵抗も見せずに、床にうつ伏せにさせられてしまった。覆面は剥ぎ取られ、男たちは黒くて長い髪を、我々に晒した。顔立ちは、どう見ても日本人ではなかった。彼らはその後、二度と言葉を発することはなかった。あっけなく警官に退場させられてしまった。撃たれた男の周りには、血の海がすでにできていた。男の意識はなく、呼吸もすでに止まってしまっているかのように見えた。こんな光景を俺は見にきたのかと激原は思った。彼は死んでしまったのだろうか。覆面の男たちの目的は、この男の殺害だったようだ。目的を果たした後は、気力が抜き取られてしまったかのように、茫然と立ち、誰かと交信するかのように、そこにいるだけだった。しかし、警備の人間や警官たちは、一体なにをしていたのか。あれほど、街は厳重厳戒だったじゃないか。肝心の会場が、どうしてこんなにも緩いセキュリティだったのか。怒りが湧いてきた。本当に守るつもりがあったのか。グルだったんじゃないのか。警官もまた、武装勢力と利害が一致していたのではないか。良からぬ想像が掻き立てられてくる。
何か示し合わせたようなタイミングで事件は起こっていた。まるで舞台の裏でカウントしている演出家が、潜んでいるようだった。役者たちはそのタイミングに合わせているかのようだった。激原は冷静になった。いつもなら爆発しているはずの感情を、このときは見事に抑えこんだ。激しく疼いてくる怒りを、ずいぶんと遠くから見ている自分がいた。この会場全体を、そして裏の舞台全体を、全部見ている自分がいるような気がした。会場の中にいる、この自分の姿もまた見えた。激原は、この不可思議な感覚を失うことなく、保つことに専念した。
余計なことを考えてはいけない。勝手な解釈をしてはいけない。俺はいつもそうだった。
俺は勝手に熱くなり、マグマを噴出させ、その熱に自分もまた、巻きこまれていった。目の前に繰り広げられる不協和音と、同調しているだけだった。そこで、その世界で何が起きているのか。まるで知ることなく、激しい空間の中に、自らを閉じ込めてしまっていたのだ。そんな繰り返しは、もううんざりだった。
救急隊が到着し、タンカが会場に入れられる。血だらけの男の呼吸を確認し、気道を確保するようなしぐさをする。出血に対する、応急処置をしている。男はあっというまに、運ばれていってしまう。その間、まったく動く気配を見せなかった。完全に即死だと、激原は思った。とんだ記者会見になってしまった。記者会見は行われず、入場まもなく男は撃たれてしまった。その事実だけを、激原は受け止めた。感情はその後も、突然疼きだし、発火することはなかった。カメラのフラッシュに気づいたのは、まさにその時だった。
それまでは、全く気づかなかったのだ。記者たちは、みな、どこかに一斉に電話をかけていた。右に左に意味なく動いて、動揺を隠そうとしているように見えた。警官の姿は一斉になくなっている。会場を仕切るスタッフの姿もない。警備員の姿さえない。記者会見の関係者が一斉に消えていなくなっているようだった。あの撃たれた男が何故か、これまで生きてきた、この自分のように一瞬思えた。
鳳凰口が、記者会見場についた時、すでに救急車は現場を離れた後だった。入り乱れた気流の中を縫うように、鳳凰口は中へと進んでいった。座席には記者たちの姿がある。カメラ陣もまた、きちんと配備についている。まさに今から、アーティストがお披露目になる寸前のようだ。だがいつになっても、会見の司会を務める人間が出てこない。現場を取り仕切っている人間がいる様子もない。取材の記者たちがすでにパソコンに向かって、一心不乱にキーボードを押している姿が目につく。そんな様子に、鳳凰口はすでに、会見は終わってしまったかのような印象を受けた。画面を覗いてみると、テロ事件が発生という大きな文字が目に入った。公に現れた瞬間に、射殺されたという文字もある。ふと目を上げると、警官の姿が何人もある。現場検証のような情況がそこにはあった。この入り乱れた気流の原因は、そこだった。カメラマンたちは、鑑識の人間と思わしき人間を、撮影している。俺が来る前に、事件が起こったのだ。
鳳凰口は、並んだ座席の一番後ろのところで、会場全体を見ていた。近い過去に、いったい何が起こったのかを、視ようとしていた。ひどい血が流れでている世界がだんだんと見えてきた。発砲音が聞こえてくる。誰が撃ったのだろうと思う間もなく、黒い覆面姿の男たちが、ホログラフィック画像のように現れ出る。何かを言っている。しかし、うまく聞き取ることができない。発砲によって男が一人倒れた。会見場は鎮まり返っている。異様な光景だった。喧噪も、混乱も、その状況からは特に感じられない。非常に静かな気配だ。みなが見守っている。倒れた男ではなく、覆面の男を注視している。
「今、来たの?」
背後から女性の声がした。と同時に、甘い花の匂いがする。女は鳳凰口の左隣にきた。
「わたしもよ。何か、あったのかしら?」
女は馴れ馴れしく、鳳凰口に話かけてきた。鳳凰口が答えないでいると、女は先に話を続けた。
「死んじゃったのかしら」
「なんだって?」
鳳凰口は、女の方を振り返った。
「立花フレイヤ」
女は、固有名詞をいきなり口に出した。
「私の名前。あなたは取材の方じゃないわね。何をしに?私?私はほんの好奇心よ。何かおもしろいことが起こるような気がしたから。それで。でも間に合わなかった。見たくなかったのかしら。残像が、僅かに残ってるだけ。あなたは感じる?」
鳳凰口は、女の顔をじっと見た。横顔だけだったが、そこには圧倒的に整った輪郭があった。誰かが言っていた名前だった。この女には気をつけろと、誰かが言っていた。その誰かをすぐに思いだすことはできなかったが、女は確かに立花フレイヤと言った。言われた日から、妙に気になった鳳凰口は、ネットで何度かその女を調べた。モデルだった。このモデルは現在23で結婚していた。結婚しているのに他に男がいた。その男とも同棲をしていて、また別のボーイルレンドの存在もあった。ずいぶんと問題のありそうな女だった。確かに、こんな女に関わる謂れはない。言われなくても無視をする。どうせ出会うことはないと、高をくくっていた。しかし、こんなとところで、出会ってしまってた。
「立花、フレイヤさんでしたっけ」
「よく覚えたわね。まあ、けっこう、メディアには出てるからね。ふふっ。いつもは、撮られる方だから、たまには撮る側、書く側から、見てみたいってことで、来たんだけれど。なんだか大変なことが起こってしまった。大変な事態。私っていっつも、こうなのよ。行く先々で、事件が起きてしまう。この前も、そう。私が行こうとした所に、誰かがわざわざトラブルを持ってくるのか。それとも、トラブルが起こりそうなところを、私が前もって嗅ぎつけて、自ら選んで行っているのか。その、どちらかだとは思うんだけど」
鳳凰口は女を無視して、離れようとしたが、この情況だった。誰かと話がしたくて仕方がない自分もいた。このまま現場を後にするのは、もったいないとも思った。まだ、何かが起こりそうな予感もする。あるいは、会見は、この後で始まるのではないだろうかとも思えた。
「あなたは、どなた?」
「不法侵入者だよ」
「そうには、見えないわね」
「あなたと、一緒。何の関係もない人間だよ。ただの好奇心で来たのさ」
「気が合うじゃないの。これから、暇?」
「暇じゃない。会見は、これから始まるんだから」
「死んだのよ。襲われて」
「ああ。誰かが、な。でも別の誰かが出てくる」
「どういうこと?」
「俺には、会見がすぐに行われている絵を、ここに見ることができる」
「あなたの願望じゃないの?」
「いいや、確かに、始まっている」
「どのみち、私も帰らないけど。名前を教えて?」
妙に面倒くさくなってきたので、鳳凰口は、自分の名前を言ってしまった。
連絡先まで渡してしまった。
「これ、本名?」
「まあね」
「そう。いい名前ね」
「だろ?」
「鳳凰口フレイヤか。ちょっと合わないかな」
「何?」
「私が、あなたと一緒になったらの話。旦那とは、別れる気はないんだけど」
「それは、よかったね」
「でも、色々な苗字が、欲しいのよ。その都度、その日の気分で苗字を変えたいのよ。そういうのって、面白そうじゃない?一つの名前に縛られるなんて、つまらない。下の名前はこれでいい。これがいいの。これ以外には考えられないし、変えたらきっと、運気がすごーく、下がるような気がする。それなら、上を自在に変えたい。ねえ、一妻多夫制に、ならないかしらね。そしたら夢は叶うのに」
「俺も、結婚していてね」
「ちょうど、いいじゃない」
何がちょうどいいのか、全然わからなかった。この女はイカレているのだなと思った。モデルっていうのは、こんなのが多いのだろうか。しゃべり方には知性がなく、視覚的にも、おそらくすっぴんは平凡で、ただ飾り付けが上手いだけ。そんな気がする。メイクの重ね方が、絶妙な多層構造を、生んでいるのだろう。その層同士の接合にも、磨かれたセンスが投入されている。彼女を視る角度によっては、その固有名詞は呆気なく、変化していく。しかし悔しいことに、そのどれもが美しい。
「いつ、結婚したの?私はもう、だいぶん前よ。五年とか、それくらい前のこと。デビューする前にね。ずっと隠してたんだけど、芸能誌に抜かれて」
「三か月前」
会見場の気流が、僅かに変化したのを、鳳凰口は見逃さなかった。
「いい人そうね。でも、私の入る余地はありそう」
「ちょっと、静かにしてくれよ」
「一対一っていう関係が、向いている人もいれば、そうでない人もいる。みんな、それぞれが一番、ぴったりなバランスを見つけて、それを永続していけばいいと思うの」
マイクの位置を確認しにくる人間の姿があった。
「私の場合は、まだベストなバランスに、なっていないの。あなたが来れば、ちょうどいいと思うんだけど」
やはり今から、会見が始まるのだ。いや、事件の顛末に関する、報告だろうか。だが、そのような負のエネルギーが、少しも感じられなかった。
「子供もいるの。実は。旦那が主に面倒をみてるんだけど」
司会の男が現れた。
『今からアーティスト、ケイロ・スギサキ氏の、記者会見を、始めさせていただきます。ちなみに、先ほどの不手際を、我々、運営スタッフ一同、大変申し訳なく思っております。しかし、ケイロ・スギサキ氏は無事です』
「もともと、宇宙って二つの陽と、一つの陰によって、中庸の神が出来たって話よ。一人の女に、二人の男が当たり前のようにいても、全然、変なことではないのよ」
『狙われ、狙撃されたのは、スギサキ氏だと、我々も思ってしまいました。しかし違いました。まったくの別の人物だった。犯人たちは、確かにスギサキ氏を狙っていましたが、プロデューサーの一人が、この事件を事前に察知し、スギサキ氏を、安全な場所へと移動させたとのことです。したがって、あの撃たれた人物は、別の人間です。身代わりを置いたのです。しかし、防弾チョッキを着ています。偽物の血を用意して、それを床に垂れ流しました。犯人たちはそれで満足しました。事は達成できたのだと、勘違いしました。スギサキ氏は無事です。ご安心ください。間もなく登場です。お待ちください』
「でも、私は、ほんとうに、色んなパターンがあって、いいと思うの。女性が四人で、男性が一人ということもある。色んなパターンがあっていいと思うの。それが文化によって、その一つに固定されてしまうのって、おかしいと思わない?混在したままで、誰もがどのパターンを選択するのかを、自由に決められるっていう雰囲気が、とても大切なんだと思うの。人によって、うまくいくパターンが違うから」
鳳凰口は、ケイロ・スギサキの登場を待った。しかし、誰が何の目的で彼を狙ったのだろう。あとで水原に電話をしよう。もしかすると、あいつが察知して、機転をきかせたのかもしれなかった。
「あなたにも私が必要よ。引き合ってるんだから」
その女の声はずっと、耳元で聞こえ続けていた。
ケイロの会見を聞き、その記事を執筆している私だったが、今読み返してみても、彼が何を言おうとしていたのか。全然理解することができなかった。確かに彼は、自作の絵のことについてしゃべっていたのだろうし、初めての展覧会についての告知を、していたのだろうとは思う。けれども、これはどうやって記事にしたらいいものか。新聞社の記者などは、これをどうやってまとめるのだろうか。
記者会見が行われた、その事実を列挙して、あとは写真でも載っけておけば、いいのかもしれなかった。長々とした文章もいらない。彼は、宇宙の成り立ちについて力説していた。無から有が生まれる、その瞬間。有が、別の有にとって代わる瞬間。
そういった話を、延々としていた。彼が画家としてどんなキャリアがあり、またどんな経歴の元に、今に至っているのか。年齢はいくつなのか。誰も質問すらしなかった。
ケイロは記者に質問させる暇を与えず、ずっとしゃべり続けていた。
気づけば彼はマイクの前からいなくなっていた。いつのまにか、会見を終わらせていたのだ。その場にいた人たちは、彼がいないのを知って、お互い目配せをした。いなくなった瞬間を、誰も目撃してなかったようだ。新聞社やテレビ局は、その前に起こった身代わりのテロ事件の話を、大々的に報道することだろう。ケイロの話の内容に、切り込む人たちはあまりいないのかもしれなかった。
エネルギーの話から始まり、そのエネルギーがどのように分岐し、分岐した二つの真反対のエネルギー同士が、どんな第三のエネルギーを生みだし、この三つのエネルギーが、共存することで、世界が誕生する準備を宿した。ケイロは力説していた。
これまでの絵を、僕はすでに、書き終えていると彼は語った。
その後、三つのエネルギーは、二つの両極の神を生みだし、両極の二種類の人間を、産み落とすことになった。また宇宙とは無数にあることにも触れていた。四つの宇宙が一組となり、その集団が無数に拡がっている。四つの宇宙はそれぞれ一つずつ、順番に経験していくことが決まりで、その四つすべてを体験し終えたときに、その宇宙からは、解放される。縛られることはなくなる。また別の、四つの組み合わさった宇宙へと、移行していく。
こんなことを、僕は、この会見で語る必要はなかったと、ケイロは自省し始めた。
しゃべりすぎたと、彼は言った。しゃべりすぎたし、いくら話しても、しゃべり足りないとも彼は言った。どっちにしろ、僕の欲求は、満たされることはない。したがって、絵を描く以外に手段はないのです。絵でなくとも、別の表現形態で、外の世界に伝えていかなくてはならない。この世にヒントとなるようなものを、設置しなければならないのだとも、彼は語った。今度の、建設予定のミュージアム。そこがある一つの、宇宙観の提示場所として、人々に認知されることになるであろう。我々が今、自分が今ここに確かに存在するための叡智が、失われてしまった現代において、自分を世界を取り戻していくためのきっかけを、ヒントを、人々は、切に必要としているのです。ほんの入り口すら、公の場には与えられていないのが現状なのです。
意図的に隠している時代は終わりました。これからはよりオープンに、世の中で分かり合う必要がある。そういった活動の始まりの象徴としても、このミュージアムは非常に重要な役割を果たすと思います。色んな意味で時代が変遷していく、その変り目の象徴として、屹立することになると思います。僕はその重要な役割を担う。
ミュージアムの中に、その叡智の片鱗を置き、時に強調的に飾り立てることを、僕は生涯の仕事とすることでしょう。僕もまた、みなさんと同じで、この叡智を掴みとり、より拡大させていくために一緒に歩んでいく、そんな人間の一人です。みなさんの中に、僕はいます。僕はみなさんでもあります。絵は別の何かに、だんだんと変わっていくかもしれません。どういった形態をとっていくかは、正直わかりません。しかし、僕の活動に終わりはありません。今が始まりなのです。一度、回路が開かれてしまえば、あとはいつまでも、閉じることはありません。命が潰えるときまで。本日はお集まりいただいて、有難うございました。まさか自分がこのような場で、こういった発言をするとは、数か月前には夢にも思いませんでした。応募をしたときでさえ、そうでした。選ばれたときもそうでした。
僕は元々、絵描きを目指していたわけではなかった。描いたこともほとんどなかった。
何故、応募したのかも正直わかりません。当選の通知をもらったときも、実感がわきませんでした。どんな画家になればいいのか。構想すら思いつきませんでした。彫刻がいいのか、建造物がいいのか。今もわかりません。しかし絵を描くことから始まるのは、実際に描いてみて、確信しました。すべてはここから始まるのです。
原画のスケッチが、創造すべての、根源であり、唯一の設計図なのです。
ここを極めずに、物をつくる人間として、生きていくことはできません。存在意義もありません。僕はこの作業を、今度の展覧会をきっかけに、さらに加速させていこうと考えています。ここに、十数年のときを費やしてしまっても、構わないとさえ思っています。これさえ極められれば、怖いものは何もなくなる。この上に、いずれ何かが建っていくはずです。そうです。ここで初めて、本当の真の創造物が、この世に、この街に、出現するのです。そして、その原画は、すべて、ミュージアムの中に所蔵される。つまりは、ミュージアムには今後、僕が制作していく原画ばかりが、集積されていくことになります。収納されていくことになります。絵であっても、別の形態であっても、それは原画のファイルということになるでしょう。その原画が、次なる世界の創造に加担し、ミュージアム全体を埋める頃には、それと同時に、新しい世界の構造もまた、完成していくことでしょう。すべては連動しています。ミュージアムの外と中は、完全に連動しています。繋がっています。中で起きたことが、外の世界に反映し、その逆もまたそうです。そうした連動性の中で、あらたに別のエネルギーも、発生することでしょう。そのエネルギーを巧みに扱い、別の目的で、有効に使う、そんな人たちもまた、出現してくるように思います。
今日は、このくらいにしておきます。もちろんこれから、こういった会見を開くこともないでしょうけど。どうぞ僕の風貌を、覚えておいてください。写真もたくさん撮ってくれてかまいません。今日くらい、みなさんの目に、はっきりとした姿で現れることは、今後はないでしょうから。
そう言い放ったケイロの姿を、私はじっと見つめていた。
ふと、彼を狙ったあの武装勢力とは、いったい誰だったのかと思った。
この、ほとんど一度きりしか表に晒さないと自称する男を、消そうとした勢力、組織とはいったい・・・。黒い覆面をして、発砲したという男たちの姿に、いつの間にか、意識を集中していた。
すぐに第三の勢力という言葉が頭に浮かんだ。彼らが第三の勢力の一員だということか。雇い主がその第三の勢力なのか。いや、彼らが、そうではなさそうだ。じゃあ、第三の勢力とは何なのか。ケイロだ。彼が第三の勢力なのか。第三の勢力を消そうとした人間は、一体、誰なのか。どこにいるのか。私は目をつぶり、息を深く吐いた。
この記者会見場の全体を、包み込むように私は見ていた。感じていた。第一の勢力と第二の勢力は同じ仲間であった。同一人物でもあった。この会場にいるすべての人間が、そうだ。はっと我に返った。自分もまた、その勢力だったのかもしれない・・・。
檀上のケイロのみが違っていた。いったい誰が殺意を抱いたのか。私はその事実を、これ以上探究するのを恐れた。私もまた加害者だったことに気づくのに、時間はかからなかった。私を含めた、この場にいたすべての人間が、ケイロの殺害を望んでいたのかもしれなかった。身代わりの血が流されたことで初めて我に返った。みな無意識に、あの男が死んでくれることを望んでいたのかもしれなかった。何故だろう。何故、ケイロはそんなふうに思われたのだろう。危険人物なのだろうか。彼がアーティストとして世に出ることによって、重大な不都合が起こってしまうのだろうか。
ミュージアムに意識を移す。
ミュージアムの建設をバックアップしているのは、いったい誰なのか。公募を企画したのはいったい誰なのか。第三の勢力に違いなかった。彼らが表に出ていく、表でパワーを解放する、そのきっかけが、欲しくなり始めていた。パワーの出口が必要だった。ケイロは、その出口なのだろうか。そうに違いなかった。彼は出口なのだ。彼だけに、元々特別な力が備わっているわけではなさそうだった。彼が出口役として選出された瞬間、地下からマグマのように吹き上がってくるエネルギーを、あの男は感じた。そしてエネルギーは、彼と同化し始めた。彼も言っていたではないか。応募したときも自分の仕事に対する自覚は、全くなかったのだと。そんな男がしゃべるような、今日の会見内容ではなかった。彼の元にどんどんと第三の勢力のパワーが流れ込んでいるのだ。今も。加速度的に。彼の元で増幅し、ミュージアムへと流れ込む。ここに回路が出来る。完成予定のミュージアムに意識を移す。
ミュージアムもまた、そのパワーを拡散させるシステムを内包している。絵をただ、所属しておくだけのスペースではない。絵から生まれるパワーを取り込み、増幅し、目的に合わせた変換をして、拡散させていく巨大な装置なのだ。だんだんと、実体が見えてきたと、私は思った。面白くなり始めてきた。この仕事を本業にしたいくらいに、私の中の何かが目覚めていることに気づいた。
私は帰国後、やっと日本の空気に慣れ始めていることも知った。
そろそろ本業も再開させないといけない時期だった。ギャンブラーとして、日本のカジノでも荒稼ぎをする、本来の役目を果たしていく準備を、する必要があった。私はまだ不自由であった。外国で道を踏み外し、闇の組織が運営するギャンブルに、紛れこんでしまい、そこで、大損してしまったのだ。その埋め合わせをするため、私は日本への帰国を禁じられた。シンガポールや韓国などで、ギャンブラーとして金を稼ぐことが義務付けられたのだ。彼らはギャンブルを徹底的に私に教え込ませた。色んなカジノなどの場に派遣された。そこで、システムを滅茶苦茶に破壊するまで、勝ち、そのあとで、出国するということを、繰り替えしさせられた。もちろん、逃亡にはバックにいる組織が、私を最大限に守った。私は一度も危ない目に合わずに、今日という日を迎えていた。組織への借金はすべて返済し、私は日本へ戻ることが許された。そしてこれが最後の仕事だった。
これが終われば、彼らは、私を解放することが決まっている。私は日本人として、本名のアキラとして、この世界に復帰することができる。これでやっと、戸川兼にも会える。無言で、彼との友情を終わらせ、姿を消したことはあまりに辛かった。彼の活躍は、日本にいなくても随時チェックしていた。彼に自分が元気でいることを早く知らせたかった。これまでのことはもちろん、守秘義務の契約を結ばされている。戸川には嘘をつくことになるが、それも仕方のないことだった。その嘘から、事実を察してくれたらと思う。戸川は鋭い男だった。
それでは、ライターの仕事は名残り惜しいが、ここで本来の現実へと戻ることにする。
すべてが在るべき場所に、戻ることを祈って。