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生活

作者: monochroart

 子育てを放棄した親から引き剥がされるように別れて、施設に放り込まれ、そこで半年間過ごした。僕はまだ子供だった。

 施設の狭い庭にやせ細った桜の木が一本植えられていて、二、三滴絵の具をこぼしたような感じにその枝にピンクが増えてきた頃、見た事のない女の人が、いつも僕たちの世話をしてくれている佐藤さんと一緒にやってきた。僕は友達と一緒に庭を駆け回っていた。強すぎない日差しが気持ちよくて、鬼ごっこをしているわけでもないのだけれど、とにかく僕たちは全速力で庭を駆け回っていた。

 「次郎。ちょっとこっちにおいで。」

 佐藤さんが僕を呼んだ。まだご飯の時間でもないのになんだろう。もうちょっと走っていたかったけれど、僕は佐藤さんのところへ向かった。佐藤さんは施設の玄関から少し庭に踏み込んだところに、女の人と並んで立っていた。

 「なんですか?」

 僕が二人を交互に見ていると、佐藤さんはしゃがんで視線を僕と同じ高さにして一度女の人を見た後言った。

 「良かったな次郎。おまえを引き取ってくれるってさ。俺とも今日でお別れだ。綺麗なお姉さんに可愛がってもらえ。うらやましいぞこのー。」

 佐藤さんは僕の頭をくしゃくしゃした。となりのお姉さんがやだぁと笑った。そして佐藤さんの隣にしゃがんで目の高さを合わせてこんにちはとお辞儀をした。僕も真似してこくんと頭を下げてみた。可愛いーとお姉さんが悲鳴のような声を上げて佐藤さんと同じように僕の頭をくしゃくしゃした。

 「次郎君、よろしくね。あたしも急に一人で暮らすことになっちゃって、寂しかったの。一人者同士中良くしようぜー。」

 佐藤さんが、お姉さんに、次郎をよろしくお願いしますと言った。そして再び僕に向き直って、元気でな、と別れの言葉を言った。

 他の子達と少し話して、お別れをして、お姉さんと施設を出た。佐藤さん以外の人と施設の外を歩くのは何ヶ月ぶりだろう。そしてもうここには戻ってこない。寂しいけれどなんかわくわくもしてる。お姉さんは僕よりもずっと背が高い。でも立ち止まって見上げるとお姉さんは必ず姿勢を低くして僕の頭を撫でてくれた。

歩いて二十分くらい、一人で暮らしていると言っていたのにものすごい大きな一軒家にお姉さんは入っていった。僕もついていく。道路から家の敷地に入ると施設のよりもずっと広い庭が広がっていて、玄関が遠かった。僕はまたダッシュしたくなった。

 重そうな玄関の扉を開けて、中に入る。誰もいないようだ。お姉さんは廊下を歩いて奥の方の部屋に向かった。僕もとりあえず後をくっついていく。

 仏壇があった。男の人の写真がある。お姉さんは線香を上げて仏壇の前に正座している。僕も隣に座った。それを見てお姉さんがくすっと笑うのがわかった。

 「お父さん。こんな広い家私一人じゃ寂しいから、家族を増やしたよ。いいよね。可愛いでしょこの子。次郎君っていうの。これで生きている家族がやっとできた。しっかり見守っててね。」

 お姉さんは両手を合わせて目を閉じた。僕はトイレはどこだろうとか、おなか減ったなぁとかそんな事を考えていた。


 基本的にお姉さんは家にいた。働いているわけではないようだ。きっとお父さんのお金がたくさん残っているのだろう。それから、直接聞いたわけではないけれど、お母さんはもともといないようだった。仏壇に写真もないし、リビングにある写真にもお姉さんとお父さんしか映っていないし、きっと僕にはわからない大人の間のいろんな事が絡んでくるんだろう。

僕たちはたまに買い物に出かけて食べ物を買ってきたりしたけど、だいたいはいつもリビングでテレビを見ていて、トーク番組でげらげら笑ったり、ドラマでほろほろ泣いたりしていた。

 僕は夕方のニュース番組でよくやっている特集が好きだった。夕方の六時ごろによくやっているやつで、都会のゴミ屋敷を直撃とか、不正請求をしている出会い系サイトの実態とか、そういうの。熱のこもったナレーションや、マイクを向けると怒りだすモザイクの人たちなんかは、事実だけを淡々と伝えるニュースにはない臨場感を、家にいながら味わう事ができた。内容は難しくてよくわからない事が多かったけれど、なんとなく危険な雰囲気が伝わってきて、見ているとぞくぞくした。

 そのニュースの特集は毎日欠かさず見ていたのだけれど、不覚にもお昼ごはんを食べ過ぎてしまって、三時ごろからうとうとし始め、気づいたら七時を過ぎていたという日があった。目を覚まして時計を見たとき、あまりのショックで僕は泣いた。

「次郎君今起きたの?残念だったね、大好きな特集終わっちゃったよ。」

 お姉さんはテーブルで夜ご飯を食べていた。僕の分もちゃんと用意してあった。良い匂いがして僕の気持ちを温かくした。涙を拭いて僕も食べる。一口食べるとどんどんおなかが減ってきて、特集一回くらいどうでもいいかという気分になってきた。

 「今日の特集ね、ペットの家の中での放し飼いについてだったんだよ。」

 僕ほどではないけど、お姉さんも特集は結構好きだった。台所で晩御飯を作っているときに、特集が始まると、今日のは何?誰を懲らしめるの?とテレビの前に座っている僕の横によくやってくる。お姉さんは誰かが懲らしめられる系が好きらしい。スカッとするわ、と前に言っていた。それは僕も同感だった。けれど僕は越前クラゲの大量発生とか、カラスによるゴミ荒らしの被害とかそういう動物系の方が好きだった。動物は本気を出すと結構強いんだという恐怖のような不安のようなもの、あるいは逆に希望や勇気のようなものを感じると、体を丸めてできるだけ僕を小さくしてしまいたくなる。その感じが好きだった。変かな。

 「ペットの放し飼い?」

 「なんかね、犬とか猫とかも放し飼いにして人間と同じように扱っていると、自分の事を人間だと思い込んじゃうんだって。だから放し飼いはしないほうがいいんだってさ。なんか変だよね。」

 自分の事を人間だと思っている犬。それはかなり変だよお姉さん。

  座布団に座ってお茶を飲みながら、あぁ肩がこったとか言ってだらだら過ごしている犬を想像してみた。面白いけれどやっぱり変だ。気持ち悪い。

  ごちそうさまをすると僕たちはまたリビングに戻り二人でテレビを見た。今日はお姉さんの好きなバラエティ番組ばっかりだ。でも九時から違うテレビ局でマジックショーがある。僕はほんとはそっちが見たかったけれど、お姉さんにはかなわない。まぁバラエティも面白いからいいけれど。

僕たちは毎日夕方に外をゆっくりぐるっと歩くことにしていた。

「いい?大切なのは続けることよ。やってることがたいしたことじゃなくても、それを続けることによって価値がどんどん上がっていくんだから。続けるそれはつまり勝利よ。次郎君。」

 僕にというより自分に言い聞かせるようにそう宣言したお姉さんは誰と勝負するわけでもないのだろうけど、とにかく僕たちは一日に一回は外をに歩くようになった。

 けど実は勝利もへったくれもない。散歩の目的はすぐにわかった。お姉さんは恋をしていたのだ。残念だけど。

 この「残念だけど」というのは、てっきりお姉さんは僕の事が好きで、だから一緒に暮らすことになったんだと深く考えずになんとなくそう思っていたから。だけど実際は違って、結局僕はまだまだまだ全然子供で、一人でいるときの寂しさを癒すためだけに連れてこられた百円ショップに売ってるヒーリングCDのような存在だったわけ。ってこんな言い方しちゃうのはやっぱり嫉妬なのかな。お姉さんがあの人の前で嬉しそうに話しているとき、僕はやっぱり気持ちが暗くなるよ。

 散歩の途中で立ち寄るコンビニ。ペットボトルのお茶を買うだけなのに、そんなにレジの人と長話をしないでよ。そう思っていてもお姉さんには言えない。

 レジの人はお姉さんより少し若い。まだ子供っぽさが残っている感じの男の子で、お姉さんは僕に接するときと同じような感じでレジの人にも笑顔を向けていた。レジの人は恥ずかしいのか顔を赤らめたりしていた。レジの人が冗談を言って、お姉さんがもう何よそれーと笑顔で怒ってつっこむという場面が多かった。

 悔しいけれど、レジの人はなかなか良いやつっぽかった。

アルバイト君がねと、とうとうお姉さんが言いだしたのは、僕がお姉さんの家に来て一ヶ月くらい経った頃、コンビニに立ち寄った後の散歩の帰り道だった。

 「今度スパゲッティを食べに行かないかだって。どうしよう。」

 どうしようって言いながら、ふんふんと鼻歌を歌うお姉さん。僕はそれからスパゲッティとミスチルのシーソーゲームがちょっと嫌いになった。



五日後、午前中。

 いってくるね、そう言ってお姉さんは僕を残して家を出た。いつの間に買ったのか、新しい服に身を包んだお姉さんはいつもよりもずっと綺麗だった。そんな格好して出かけないでよと思いながら楽しんできてねと笑って僕はお姉さんを見送った。

 はがきを読んで、内容を再現VTRで紹介する番組を見ていた。一人でテレビを見ることは別に嫌いじゃなかったけれど、今お姉さんはあの男の子とスパゲッティを食べているんだと考えると僕は再現VTRをやっているテレビをぶっ壊したくなった。何が再現VTRだ。結局僕にはお姉さんに対して何もできやしないじゃないか。


 夕方、お姉さんが帰ってきた。声が聞こえたから僕を呼んだんだと思って玄関に向かうと、お姉さんの横にレジの人がいた。

 「あ、次郎君この人、いつも行くコンビニのヨシ君ね。怖がらないで大丈夫だから、ほらこっちおいで。」

 別に怖がっていたわけじゃないけど、なんとなくヨシ君と呼ばれているその人のそばには行きたくなかった。

 それは立場として?スタンスとして?だって僕はお姉さんの事が好きで、そのお姉さんはヨシ君の事が好きで、そして僕はヨシ君に嫉妬していて、だからヨシ君には近づきたくなかった、論理はあってるよね。

でも別に、僕ヨシ君のこと自体は嫌いじゃないんだよなぁ。

 「おお可愛いっすね。へぇ、この子が次郎君って言うんすか。よろしくー。」

 僕がそんなこと考えているなんてヨシ君はわからない。あっという間に距離をつめてヨシ君に頭をごしごしされた。分厚い手だった。お姉さんに撫でられているときとは全然違った。あまり気持ちよくはなかったけれど、まぁいいか。

 「ちょっと晩御飯の準備してるからそこらへんでくつろいでてね。」

 お姉さんはそう言って台所へ行ってしまった。ヨシ君は、おじゃましまーすと小さく言いながら玄関を上がってすぐの廊下で立ち尽くしていた。広い家だ。部屋もいっぱいある。僕もそうだったけど、最初はどこにいてじっとしてればいいのかわからない。

 だから僕は案内するつもりで僕たちのいつもいるリビングへ先に歩いた。ヨシ君もとりあえずついてきた。

 リビングの中央には長方形のテーブルがあって、椅子が二つずつ並んでいる。ヨシ君は椅子に座る。そして僕を手招きした。僕が近寄ると、おりゃおりゃおりゃとかいって僕をくすぐってくる。うぎゃあと僕が本気で逃げると、うそうそごめんごめんとヨシ君が笑って謝って、もうしないからと再び僕を手招きする。こっちおいで。基本的に人類を信用している僕は再びヨシ君に近寄る。でも約束は裏切られて再びおりゃおりゃとヨシ君は僕をくるぐってくる。殺してやろうかヨシ君、と僕は乾いた温かい殺意を覚える。

深まった、そう感じた。この一瞬のやりとりで僕とヨシ君は深まったんだ。大丈夫。もう大丈夫だ。

 その間、台所からは、とんとんとんとまな板を鳴らす音が聞こえてきていた。それはヨシ君が僕をくすぐるリズム。そして僕が本気で逃げるリズム。さらにヨシ君が僕の信用を粉々に砕いたリズム。最後に乾いた温かい殺意。とんとんとん。とんとんとん。


 とんとんとん、と、


 それがふいに途切れた。リズムがつまずいて転んだみたいに中途半端なところでまな板の音が切れた。

 「痛っ。」

 お姉さんの声、あとの二秒は誰かに盗まれた。


 ドタドタと音を立てて、僕とヨシ君は急いで台所へ向かった。

 「もしかしてやっちゃった?」

 ヨシ君がお姉さんの手を取って傷の状態を確かめた。左手の人差し指の先の方を切ったみたいだ。ヨシ君は血がこぼれそうなお姉さんの指にティッシュを押し当てながら、あーとか痛そうだなあとか、こりゃ深いなーとかぶつぶつと言っている。僕は二人の回りをあたふたしているばっかりで何も役に立てなかった。

 とりあえず傷口を水道の水で軽く洗って、三人でリビングに戻った。お姉さんは椅子ではなく床に座った。くたくたーといった感じでそのまま解けてしまいそうな座り方だった。

 新しいティッシュで傷口を押さえているお姉さん。じっと下を向いて黙っている。うつむいているから髪の毛が顔の前に垂れ下がっていて、お姉さんの顔がよく見えない。そんなに痛むのかな。

 ヨシ君が引き出しをガサゴソやりながら、絆創膏はどこー?と聞いた。それにお姉さんが答えた。それにヨシ君が了解した。

ヤンガラホーイ ヤンガラホーイ

 絆創膏を見つけたとき、ヨシ君は回復の呪文を唱えた。いや、そのとき僕はヨシ君が何と言ったんだかわからなかったんだけど、あとで聞いたら、あれは回復の呪文なんだよーと教えてくれた。

 ヨシ君を指差すみたいにティッシュに包まれた左手をにゅっと突き出したお姉さん。あまりぎゅっと巻かないでねと弱くか細い声でお願いをした。もしかしてお姉さんは今死にそうなんじゃないかと僕はとんでもなく心配になった。ヨシ君がお姉さんの左手人差し指の先に絆創膏を巻く。あまりぎゅっと巻かないでね、と僕もヨシ君にお願いした。

 まな板のとんとんは転びっぱなしだから、部屋を明るくするリズムは聞こえてこない。最後に聞いた音はヨシ君が絆創膏についている紙をぺりぺりとはがす、音にすらなっていないような音だった。

 嘘みたいに広い家で、僕たち三人は同じ部屋の、しかも互いに触れ合いそうな距離で集まっている。僕は今行われている作業がなんだか神聖な儀式のような気持ちになった。

 それは二人も感じたのだろうか。絆創膏を張り終わっても、僕たちは三人で最小の円を作るようにして床に座ったままだった。胸がどきどきする。もしかして今ここは世界の中心で、僕の、お姉さんの、そしてヨシ君の一挙一動に世界の皆が注目しているんじゃないかと思った。


 すー、はー。


 すー、はー。


 呼吸、呼吸、


 呼吸。


世界は、幸福のリズムを待っている。

一発でぶわっと災いが吹っ飛ぶような、銃や戦車がふわっとケーキやイチゴに変化してしまうような、そんな、幸福のリズムを待っている。


 「    」 


 そして鳴らしたのはヨシ君だった。

文字じゃない、言葉じゃない、意味じゃない、それは、心意気のような、決心のような、そんな、世界最高の愛の告白。

 「うん。」

 指に巻かれた絆創膏を撫でながら、お姉さんはじっくり味わうようにうなずいた。

絆創膏からはがした紙が二枚、ヨシ君の前に落ちていた。僕は、落ちている二枚の紙の距離はだいたい三センチくらいかなとかそんなことを真剣に考えていた。本当はそんなことどうでもいいのに。それが今やらなきゃいけない最重要項目だと思い込もうとしていた。

 じゃないと、泣いちゃいそうだったから。

 

 散歩に行こうか。

 夕飯を食べ終わって、三人でテレビを見てだらだらしていると、急にお姉さんが立ち上がった。

 玄関を抜けて長い庭を歩いて道路に出た。街頭が等間隔で地面を照らしている。他は真っ暗、何も見えない。お姉さんもヨシ君も音や雰囲気でどこにいるのかはわかったけど、姿は見えなかった。

 ふいにわき腹をつつかれた。ぎゃっと僕は悲鳴をあげた。お姉さんがきゃははと笑った。そしてその息のまま、今度はぎゃっと叫んだ。そしてヨシ君がはははーと笑った。


 ずーっと、かくれんぼ。


 そうだ、今、僕らはいるけどいないんだ。

 街灯で照らされた部分だけしか道路は存在しない、つまり、この世には存在しないところに今僕らはいる、だから目には見えない。

 あーいいぞ、なんだか楽しくなってきた。

 あるのにない場所にいる、いるのにいない僕ら。これって最強の自由じゃないか。何にも固定されていない、どこにでもいける自由、力強さとさわやかな未来だ。一歩先に待っているのはそんなさわやかな未来なんだ。

 「ほんじゃ、行こうか。」

 僕らは三人で、そう、初めて三人で同じ方向へ歩く。生まれたり死んだりを繰り返しながら。現れたり消えたりしながら、同じ方向へ、歩く、歩く。


 夜の街を、犬を連れた仲の良さそうなカップルが、歩く、歩く。


おわり。


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