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短編小説集

職人の悩み

作者: 大西洋子

 ご飯を炊き上がる時にする匂いと同じものが店の中に広がった。

「大智、少し離れてろ。火傷するぞ」

 今は亡き父が火を止め、せいろをおろし布巾をめくる。俺は背伸びし中を見る。と、俺の腹の虫が泣き、親父が笑いながら、出来立ての団子を皿にのせ、俺に食べるようにうながした。


 ……ああ、またあの日の出来事を夢見ているな。俺はそう思いながら、何度も繰り返し見る夢を見ていた。

 ――わかっている。この夢を見るときは決まって、仕事のことで何か悩んでいる時だ。


「大智くん、いる?」

 本部からの通達に頭を抱えていたら、斜め向かいの呉服屋の若旦那が、ふらりとやって来た。この人は俺の作る和菓子を高く評価してくれており、時々、特注の品を注文してくれるお得意様だ。

「この前、君に作ってもらった豆餅、とても好評だったよ。でね、今度の茶会の品も君に頼もうと思ってね」

「ありがとうございます。で、何時、どのような物を?」

「そうだね……」

 俺は若旦那の注文を聞き、メモを取りながら、その注文にそえる和菓子を幾つか思い浮かべていく。

「で、試作品ができたら、ぼくのところに見せに来てね。それから、どれを作ってもらうか決めるから。じゃあ頼んだよ」

 店を去る彼の背中に、俺は深々と頭を下げた。若旦那の注文は事細かいが、和菓子職人としてやりがいがあるものばかりだ。まるで明日が遠足のようなウキウキする気持ちで、その夜は床に着いた。そうして、俺は例の夢を見ることになる。


 ご飯が炊き上がる匂い、父が火傷の危険を告げる。だが、もうすぐ出来上がる団子にワクワクしている幼い俺。

 そう、あのワクワクと、俺が初めて作った団子を食べる父の横顔をドキドキしながら盗み見した記憶。

 そして、俺が初めて作った団子を食べ終わった後の父の溢れんばかりの顔。その顔が、若旦那の笑顔と重なった。


 翌週、試作品をいくつか携え、若旦那の店を訪ねた。待ち構える若旦那の前に一つ一つ

試作品を並べていく。と、その一つを置いた途端、若旦那の奥方の明るい声が溢れた。若旦那がそれを手に取り、口に運んだ。俺はどぎまぎしなから、若旦那の言葉を待つ。

「うん、やはり君に頼んで正解だったよ。妻が気に入ったこれとこれでお願いするね」

 俺は姿勢をただし、深く頭を下げ、心の中でガッツポーズをした。


「あのう、この商品、ありませんか? 呉服屋の若旦那に、ここで作っていただいたと伺ったのですが……」

 若旦那の特別注文の品を届けてから数日後に、店に訪れてた若い女性が見せた画像には、若旦那の注文品があった。

「ああ、これは確かにこの店で作った物ですが、若旦那の注文でお作りした品なので店頭にないのですよ」

「あら、残念。またいただきたいと思ったのですが……」

 その言葉を聞いて、俺は思わず口にした。

「あの、よろしければ、次の週に予約という形で用意できますが」

「あら、まあ、うれしい!」

 そして、そのやりとりをきっかけに、若旦那の特別注文品として、少しずつ広まり、やがて店頭でも売ることになった。

 

 本部から、売上向上の金一封が届けられ、同時に他の店舗でも同じ物を作ることになったと通達があった。だが…… 

「材料が違う? ああ、それでいいんだよ。じゃあ、ばんばん作って、売ってくれよ」

 一方的に切られた受話器を持ったまま、俺は本部から届いた大量の冷凍の団子と餡を呆然と見た。

 その夜、やはり例の夢を見た。


 しゅうしゅうと沸き上がる湯気と同時に満ち溢れる米の匂い。出来上がるその瞬間を待ち構える心。

 なあ、親父、こんなとき、俺はどうすればいいのだ?

 

 それから数週間後、街の清掃当番が回ってきた。ごみ袋拾いのペアを組んだのは、呉服屋の若旦那だった。

「君、こっちの方もしておこう」 

 俺は若旦那の言われるままに、入り組んだ裏道の小さな広場に向かった。その広場には、いくつものごみが散らばっていた。

「君、耳にしているかい? ここ最近、これが街のあちこちに捨てられていることが多いそうだけど……」

 若旦那は、それを手に取り、俺の目の前に突きつけた。

「……残念だねぇ。実に残念だねぇ」

 それは、紛れもなく俺が悩みながら作り、売った団子で、しかも、ほとんど手付かずの状態だった。


 

 




 

 

 

 

 

 

 

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