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しゃくろくほうこう

作者: ゆきさめ


謎語画題『爵禄封侯』


雀、鹿、蜂、猿を描く。

雀は爵、鹿は禄、蜂は封、猿猴は侯に音が通じるので、立身出世を祝ったものである。



 

 あるところに旅人がいた。


 彼女はその足をとめることがなかった。

目標があったのだろうか、到着点が見えていたのだろうか。それは彼女にしか分からないだろう。なんにせよ、彼女はただただ旅人として歩き続けていた。

 雨が降れば頼りない傘を傾け、歩いた。ぬかるみに足を取られることは少なくない、つまずいて転ぶ事だってあった。だが、彼女はその身が汚れることも厭わずに前へと進み続けた。ひどい道中であったが、旅人は進み続けた。暗闇の恐怖にも打ち勝ったし、己よりも恐ろしい相手を前にすることもあったが彼女の歩みに迷いなどなかった。

 彼女の後ろには道があったし、彼女の前には道があった。言い換えるとするならば彼女の後ろには彼女の進んだ道があり、彼女の前には切り開くべき道があったのだ。


 旅人は、歩き続ける。

 太陽がどれほど昇っただろうか。月がどれほど輝いただろうか。道は果たしてどれほど伸び、今彼女はどのあたりにいるのだろうか。そもそも彼女の到着するべきところは、いったいどこにあるというのか。


 それを知るのは、彼女しかいない。

 旅人は歩き続ける。


■     ■


 よく晴れたある日。旅人は歩いていた。

 雀がちらりと姿を見せた。

 小さな雀である。太っているわけでもないただの小鳥は、彼女を呼び止めた。


「もし、旅人さん」

「やぁ。雀の君は一体なんの用だろうか」

「この道は貴女が?」

「あぁ、わたしの後ろにあるのだからきっとそうだろうね」

「まあ。なんと素晴らしい道でしょう!」「素晴らしい?」

「途切れぬこの道は、きっと後ろのものが迷うこともありませんでしょうに!」

「迷うも何も、照らされたここでは真っ直ぐ歩いてゆけるだろうに」

「またご冗談を。真っ暗なここを照らして歩くぼんぼりをお持ちなのは貴女!」


 雀がさえずり、旅人の周りをくるりと回る。祝福でもしているのだろうか。

 果たして、雀は小さなくちばしをぱちぱちさせて、彼女にこう言った。


「わたくしのさえずりは金糸雀ではありませんけれど、それでもどうか、貴女に感謝とお祝いとをさせて頂きたく思いますわ」


 旅人には感謝や祝福されることに覚えはなかったが、それでも雀が必死にさえずるものだから小さく微笑み、そして雀と別れてまた先を歩き始めた。

 彼女の後ろには雀が迷うこともなく、羽ばたいている。


■     ■


 よく晴れたある日。旅人は歩いていた。


 鹿が恐る恐る姿を見せた。

 立派な角の鹿は、しかしひどく怯えた様子で恐る恐るといったように彼女を呼び止めた。


「もし、旅人さん」

「やぁ。鹿の君は一体なんの用だろうか」

「なんと、不浄と忌まれもするこの身にさえも、変わることなくそう呼びかけてくれるとは!」

「君のどこが不浄だろうか」

「不浄であると、神の使いが言い渡した。そのために、この身は疎まれるべき穢れとなったのだ」

「他が不浄といえども、少なくともわたしの目にはそうは見えないのだよ」

「……」

「不浄とは何か、君はわたしに穢れでも移すのか?」

「まさかそんな!」

「そらみたことか。君は穢れでもなんでもない。不浄と神の使いが言ったからなんだというのだ、君の本質とは神の一言に左右されるものではないだろう」

「その心に、その考えに、どれだけのものが救われることか!」


 鹿は深深と頭を垂れ、彼女を敬うような仕草をみせる。そして実際に心の底から敬っているようで、彼女にこう言うのだ。


「どうかどうか、この不浄と忌まれる身ではあるものの、それでもどうか、祈らせて欲しい。貴女のご無事を、そしてこの先の道が照らされてあることを」


 旅人は今まで無事であったし、この道は己の足元が明るいのであるから何の心配もなかった。しかし鹿の敬愛の言葉はしかと胸にして、また歩みを進めた。

 彼女の後ろには、認められた鹿が静静と佇んでいる。


■     ■


 よく晴れたある日。旅人は歩いていた。

 蜂が恐ろしい羽音をさせて姿を見せた。

 威嚇をしているかのような恐ろしげな風貌をした蜂である。その蜂が丁寧な口調で彼女を呼び止めた。


「もし、旅人さん」

「やぁ。蜂の君は一体なんの用だろうか」

「そんな風に声をかけられて声を返して、おれが怖くはないのか?」

「君はわたしを刺そうとして声を?」

「いいや、そうじゃないが……」

「それならば何を怖がれというのだろう。君の見てくれか、その羽音か。だが君がわたしを刺さないのならば、わたしが君を恐れる必要はないだろう」

「……」

「あぁもちろん叩き潰しだってしない。君はやられる前にやれというようにわたしを刺さないのだろう、だったらなおさらだ」


 蜂は面食らったようにその目をきょろきょろさせると、彼女からすっと距離を取って優しく柔らかく微笑んで見せた。その見てくれからは想像も出来ない様子だ。


「感謝をしてもし足りない。おれでよければ全てを代表して謝罪と感謝を。心からの感謝と、そして謝罪を」


 彼女は謝られるようなことなどされた記憶などなかった。だが蜂の礼儀正しい姿に、同じように深い礼を返して歩き始めた。

 彼女の後ろにはきっちりと受け止められた蜂が、美しく舞っている。


■     ■


 よく晴れたある日。旅人は歩いていた。

 猿がふらふらと姿を見せた。

 弱弱しい足取りでよろよろしながら倒れこむと、掠れた声で彼女を呼び止めた。


「もし、旅人さん」

「やぁ。猿の君は一体なんの用だい」

「今にも死にそうなのです、空腹で死んでしまいそうなのです」

「それは困った……手持ちは今、この果実が一つきり……」

「無理を承知で、お願いいたします。その最後の実を、恵んではいただけませんか?」

「あぁもちろんだよ、さぁ。早くお食べなさい」

「……」


 猿は賢い猿だった。

 つぶらな瞳で彼女を見返す。


「……。疑いやしないのでしょうか」

「疑う? 何を?」

「貴女の果実を、最後の果実を奪ってやろうと。そんな疑いは? 貴女にとってそれは最後の食料。この果てない道の、いつ終わるか分からない旅の最後の食料」

「そうだね」

「それを、やすやすと?」

「助けを求めて差し出された手を、誰が無視してゆけるというのだろうね」


 猿はふらふらだった身をぐっと起こして立ち上がると、しゃんと背筋を伸ばして深く頭を下げた。


「大変失礼いたしました、すみません、すみません。わたくし嘘を言いました、この口で嘘を言いました。腹など減ってはいません、死ぬなんて嘘です。ただ貴女が困ればいいと、最後をなくしてしまえと、あぁなんということをしてしまったのでしょう。この愚かな猿を、貴女はどうしてそのように優しく見つめてくださるのか!」

「嘘か、それならいいんだ。こんな実一つじゃ腹は膨れなかったろうからね」

「その、優しさに。わたくし、わたくし、あぁもう二度とこの口は嘘を言いません。もう二度と、嘘を言いません」


 賢い猿は、ふるふると頭を振る。

 旅人相手に幾度となく繰り返してきたらしい芝居。それに彼女は唯一、素直に向き合ったという。

 猿は涙ながらに言うが、それは芝居ではなかった。涙を流して許しを請い、そして旅人の心にただただ感動するばかり。

 猿が落ち着くまで旅人はそこに立ち止まっていたが、やがて落ち着いた猿がそっと旅人の手を取った。


「貴女はきっと、立派になることでしょう。今よりもずっと、この先どのようなことがあってもきっと立派になってゆくのですね。わたくしのようなものにも、どんなものにも手を差し伸べ、貴女のその道を歩いてゆくのですね。どうか、どうか、祈らせてください。貴女に、貴女のこの先を」


 彼女は困惑しながらも、あまりに猿が言うものだから猿の無事を猿に祈っておいた。猿と別れ、彼女の歩みは進む。

 彼女の後ろには、全てを許された猿が彼女の無事を祈っている。


■     ■


 旅人は雀に出会った。どれほど小さなものでも歩める道を照らしていた。

 旅人は鹿に出会った。あるところでは不浄と忌まれていても、彼女はそれに倣わなかった。

 旅人は蜂と出会った。恐ろしくも心優しい内側を、彼女は知っていた。

 旅人は猿と出会った。損得勘定などではなく差し出す自愛の手は、救いであった。


 旅人の歩む先はまだまだこれからだろうか。だがしかし、己の照らす道の先には、広大な景色が広がっていることは確かだった。見たこともない植物や生き物がいるかもしれない、光の反射で二度と現れない海や空の色を見ることが出来るかもしれない。

 美しいそれらに心を奪われ、彼女はまだまだ旅人のままで進んでいくのだ。痛みも苦しみも耐え忍び、そして進んでゆくのだ。


 四つの祝福で、いつまでも。

 どうか、どうかこの先も。


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