ついに、始まったか・・・
石英は現在、サファイヤの城へと向かっていた。その瞳は真剣そのものだ。
時刻は午前08:05。自然と石英の足は速くなる。冷静を取り繕ってはいるが、石英は焦っている。
事態は一刻を争うのだ。焦るのも仕方の無い事だ。石英の足が更に速くなる。
速く、速く、速く。石英の心は焦りで満ちている。もう時間はあまり無い。
速くせねばルビの身がもたない。もう、ルビは限界が近いのだ。
この時、石英は焦りのあまり冷静な判断が出来ていなかった。城へ行くのにわざわざ歩いて行く必要など何処にも無いというのに、自身が空間転移で移動出来る事を失念していた。
・・・焦りはつのるばかり。速く、速く、速く。急がねば。既に、石英は駆け足になっていた。
そして、石英の前にサファイヤが姿を現す。その表情は何時になく険しい。
「・・・・・・コラン」
「事情は既に察しているよ・・・、ルビの事だね?」
「・・・・・・・・・・・・」
石英は無言で頷く。その顔はかなり険しい。いっそ余裕が無いとすら言える。
これほど余裕の無い石英も珍しい。しかし、今回はそれほどの緊急事態なのだ。
サファイヤは悲しげに顔を伏せた。サファイヤはルビに対し、深い友情を感じていた。
もっと言えば、ルビの事を家族の様に愛してすらいたのだ。
石英に深く愛されているルビに、軽い嫉妬を覚える事もあった。しかし、それでもサファイヤはルビの事を深く深く信頼していたのだ。友情を抱いていたのだ。
だから・・・。
「来て・・・、既に準備は出来ているから」
そう言って、サファイヤは石英を城へと招く。大切な友を救う為に。大切な家族を守る為に。
・・・・・・・・・
魔王城地下、魔術工房———
其処は魔術的環境を調える事で、霊的磁場が非常に高い。まるで高位の霊場に居るかの様だ。
星々の魔力を集める為の疑似的な天球や実験の為の大釜、そして特殊な魔力の籠った様々な物品。
それ等が反発する事無く調和し合い、高度な霊的環境を生み出しているのだ。
・・・そして、その中央で石英は深く瞑想し、精神を集中させる。
「・・・・・・・・・・・・ふーーーーーっ」
深く息を吐くと、石英は心の奥深く、大賢者に接続した。大賢者"王権"が起動する。
———大賢者、次元座標の計算と距離、境界線の割り出しを頼む。
『了解しました、我が主』
そうして、石英は行動を開始する。ルビを救う為。そして、世界の滅びを回避する為に・・・。
石英は超高速並列演算を脳内で起動する。
「・・・・・・っっ」
脳が奥深くからオーバーヒートする感覚と、膨大過ぎる情報量に名状しがたい頭痛に襲われる。
「・・・・・・・・・・・・」
サファイヤはそんな石英を心配そうに見ていた。
此処で何も手伝う事が出来ない、自身を歯がゆく思いながら・・・。
・・・・・・・・・
それから三日後———石英達の家では・・・。
黒曜は必死にルビの看病をしていた。昨夜、ついにルビが倒れたのだ。
ルビはベッドに横になり、うなされていた。高熱の為か、大量の発汗と全身を襲う極度のだるさ、そして筋肉のけいれんが見られる。
「ぜひゅー・・・ぜひゅー・・・」
意識がもうろうとしているのか、ルビの焦点が定まっていない。呼吸するだけで辛そうだ。
あまりに苦しそうな母の姿に、黒曜は表情を曇らす。その苦しげな母の姿を、黒曜は初めて見た。
何だかんだで、ルビは何時だって黒曜の前では強かったのだ。
「・・・・・・・・・・・・母さん」
黒曜はルビの掌を握り、辛そうに唇を噛み締める。もう、感覚がほとんど無いのか、ルビはその掌を握り返してはこない。その瞳も虚ろだ。
もう、周りの音も聞こえてはいないだろう。黒曜の声も、きっと届かない。黒曜は歯嚙みする。
どうしてこうなったのか?何故、母がこんな目に会わねばならないのか?
黒曜はルビの過去を石英から聞いている。その話を聞き、子供心に憤慨したものだ。
何故、母ばかりがこんな目に会わねばならないのか?何も悪い事などしていない筈の母が。
黒曜には解らなかった。
「・・・・・・黒、曜」
「っ、母さん!?」
見れば、ルビは焦点の定まらない瞳で何かを呟いていた。黒曜はそっと耳を近付ける。
「石英・・・黒曜・・・・・・貴方達二人の事を・・・、愛して、います・・・・・・」
「っ!!?」
其れは、まるで今際の言葉の様に思えて・・・。黒曜は思わず涙が出そうになった。
胸が締め付けられたように痛い。思わず、声を上げて泣き出してしまいそうだ。
悔しい。何も出来ない自分自身が悔しい。黒曜はぎゅっと唇を噛み締めた。唇から血が流れた。
———けど、だからこそ黒曜は自分に出来る最善の事をやり遂げる。
「・・・・・・父さんが居ない間、母さんを俺が守る」
黒曜は覚悟を決めた。父が居ない間、母を守るのは子の役目。そう思ったから。
石英は今は居ない。それは、ルビを救う為だと黒曜も理解している。
ならば、黒曜はその意思を汲んでルビを守るだけ。そう思い、黒曜はぬるくなったタオルを冷水で冷やしてルビの頭にそっと乗せた。そして、その時黒曜はある物に気付いた。
・・・ルビの頬から首にかけて、黒い斑点が浮かんでいた。
・・・・・・・・・
その時、魔王城地下———魔術工房では石英が寝る間も惜しみ、飲まず食わずで作業を続けていた。
超高速並列演算により、目標の世界への次元座標と距離、境界線を割り出す。
今回の目的地は単純な距離や座標の計算で向かえる場所では無い。次元が圧倒的に違う。
恐らく、全知全能の神ですら辿り着く事は不可能だろう。
次元が違う。世界が違う。今回向かうのは無限の可能性を遥か超越した世界だ。
その世界を知ったのは、石英が大賢者と対話をした時だ。
無限の可能性から外れた世界。真なる神とその同格者のみ、立ち入る事を許される禁断の地。
・・・その名も、無の世界。
その地には一本の世界樹が生えており、その巨大さは北欧神話のユグドラシルをも軽く凌駕する。
その大樹には黄金に輝く林檎が生り、それを食せばあらゆる病は癒え、永遠の命を授かる。
その果実を食せば、恐らくはルビの病も癒えるだろう。
それ故、今までその世界を探し続けていた。大賢者からその存在を聞かされてからずっと。
その世界を探し続けていたのだ。
・・・そして、ようやくその世界の次元座標を見付け出した。その瞬間———石英の背を悪寒が奔った。
「ついに、始まったか・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
唐突に石英が呟いた言葉に、サファイヤは何がとは聞かない。サファイヤもそれを感じ取っていた。
———終末の始まりだ。
もう、ルビはそれほど永くはもたないだろう。それを石英は直感した。
急がねば。最悪の事態になる前に・・・。
「じゃあ、コラン・・・ルビの事は頼んだ」
「うん、任せて!!」
サファイヤは力強く頷いた。石英は一瞬サファイヤに微笑みを向けると、真剣な顔で虚空を睨んだ。
虚空に掌をかざすと、石英は黄金の魔力を高めた。しかし———
「っっ!!?」
バチィッ!!!石英の掌が、あたかも拒絶されたかの様に弾かれた。その掌には血が滲んでいる。
「石英っ!!!」
サファイヤが思わず駆け寄ろうとする。しかし、石英はそれを片手で制する。
その表情は苦しげで、大量の汗を流していた。
「面白い、僕の侵入を拒むか・・・」
そう言って、石英は笑った。笑って再び掌をかざした。
再び高まる黄金魔力。今度は拒絶されるのもお構いなしに魔力を高め続ける。更に、更に、更に。
「ああああああああああああああっっ!!!」
そうして、ついに。
ビキッ!!!空間に皹が入った。そして、その皹はやがて大きくなってゆき・・・。
空間がガラスの様に砕け散った。




