悪くない
天界での騒動から一年の時が過ぎた。石英とルビの子供も無事に産まれ、黒曜と名付けられた。
黒曜が産まれた時、石英は大泣きに泣いた。ルビも泣いた。何故かサファイヤも泣いていた。
産まれたばかりの赤子の黒曜の手を握り、弱々しくも握り返してきたその掌に感動し、石英は涙をぼろぼろと流した。きっと、この感動は何時までも忘れないだろう。そう思った。そう感じた。
その日、石英は初めて世界の全てに深く感謝した。そして・・・。
龍の尾、フェイの聖泉―――
石英とルビは妖精達の戯れる泉の前で並んで腰掛けていた。黒曜はルビに抱かれ、すやすやと安らかに寝息を立てている。そんなルビと黒曜を、石英は微笑みながら見詰めていた。
以前、この泉に一人で来た時とは違う。とても幸せな気分。安らかな気持ち。
そう、石英は今、幸せだった。とても満ち足りていたのだ。だから・・・。
「ありがとう」
「うん?どうしたの?石英」
きょとんっと小首を傾げて石英を見詰めるルビ。そんな彼女に、石英は柔らかな笑みを向けた。
「ありがとう、ルビ。僕が今、こうして幸せを手に出来たのはルビのお陰だ」
「っ!?う、うん・・・・・・」
唐突な感謝の言葉。半ば不意打ちに近い言葉に、ルビは頬を赤く染めた。
そして、その後はにかむ様にルビは笑う。嬉しそうに。照れた様に。花が咲く様な笑顔。
そんな二人の周りを、妖精達がきゃーっと楽しそうにくるくると回る。その妖精達を見て、黒曜も楽しそうに笑った。和やかな空気だ。
刹那、異変が起こった。泉の周囲の空間が純化され、聖域の様な空気が泉を漂い始める。余りに神聖な雰囲気に妖精達が散る。
しゃんっ。
鈴の音と共に、泉の周囲を光の粒子が舞う。空気が純化され、澄んでゆく。
「「!!?」」
しゃんっ・・・しゃんっ・・・。
神聖な空気に包まれる中、泉の中央に光の粒子が集まり、人の姿になった。
ゆったりとした蒼白の衣を纏った、蒼白の長髪に瞳の女性。その整った顔には柔和な笑み。手には二つの鈴が付いた黄金の杖が握られている。
しゃんっ・・・。
鈴の音が鳴る。女性は石英達の傍にそっと近寄ると、柔和な笑みで頭を下げた。
「初めまして、私は大精霊フェイ。惑星、"神の方舟"を司る主精霊です」
大精霊―――それも星を司る主精霊。精霊とは自然霊の一種で、妖精とは区別される。その力はピンからキリまであり、星の主精霊ともなれば神にも匹敵するだろう。
石英はルビと黒曜を守る様に身構え、フェイに問う。その頬には冷や汗が伝う。
「ふむ、その大精霊が僕達に何か用か?」
「・・・・・・そうですね。私の用事は二つ。一つはその赤子、黒曜に祝福を与える事。もう一つは、貴方達二人にこの世界の真実を伝える事です」
「・・・何だって?」
怪訝な顔でフェイを見る石英。フェイはそんな彼に微笑み掛け、黄金の杖を鳴らした。
しゃんっ。
鈴の音が鳴る。その音が、脳の奥底まで響き渡る。視界が突如として歪む。
瞬間、二人の頭の中に大量の情報と共に一つの映像が浮かび上がる。余りの情報量に、石英もルビも酷い頭痛に襲われた。しかし、問題は其処では無かった。
頭に浮かび上がった映像には、炎に包まれる都市が映っていた。崩壊した都市。何処も彼処も炎に包まれ無残にも崩れていく。滅びゆく世界。
崩壊し炎に包まれた都市で只独り、嗤う少年の姿があった。石英もルビもこの少年を知っている。
そもそも、この少年とは天界で最近再会したばかりだ。その少年は―――
「これは・・・・・・」
「其れは遥か昔、今の形になる前のこの世界の姿。石化の王によって滅ぼされた文明の記憶」
そうだ。かつて、この世界は石英の住んでいた世界と同じ形をしていた。
可能性によって枝分かれした、別の世界。それがこの世界だ。元は同じ世界だった。
しかし、ある日其処に一柱の悪魔が現れた。それが石化の王、イシ。世界そのものを石化させる絶大な力を持った大悪魔だ。
この世界は一度、石化の王によって滅ぼされた。しかし、それでも諦めなかった一部の人間の勇気と神々の奮戦により、石化の王は退けられた。
その後、ミカドという生まれたての神の力により、世界は形を変えて復活した。
それが惑星"神の方舟"。そしてこの宇宙の誕生だった。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「今の光景がこの世界の真実です」
そう、これが世界の真実―――この世界の真相だ。
天界で神々が、ミカドが、石化の王に激しい憎悪を向けていた理由がようやく理解出来た。石化の王は無限に分岐した様々な世界を、文字通り滅ぼしてきたのだ。恐らく、他にも自身の世界を滅ぼされた神々も多いだろう。無念にも滅ぼされた神々も多い筈。
だから―――しかし。
「それを僕達に教えて、大精霊は何をして欲しいんだ?」
フェイの言いたい事は既に理解している。先程、頭の中に膨大な情報と共に流れてきた。
しかし、それを認められるほど石英もルビも素直では無かった。何故なら。何故なら・・・。
「黒曜を正しく導いてあげて欲しい。その子は何れ、石化の王を討つ星辰を背負う者」
「・・・・・・・・・・・・」
黒曜も星辰を宿して産まれていたからだ。その事実に、石英もルビも悲しげに目を伏せる。
英雄の星辰、それが黒曜の宿す星辰だ。
人類を悪意の業から救う運命を宿す者。救世の英雄。それが黒曜である。
出来れば、我が子には運命などに縛られずに自由に過ごして欲しい。そう思うのが親心だろう。
それを察したフェイは柔和な笑みで微笑む。
「別に、貴方達の思う様にしても良いのですよ。未来に正しい形など無いのですから」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・ああ、そうだな」
そう答えて、石英も笑った。その笑みは、ほんの少し悲しげな笑みだった。
・・・・・・・・・
「では、当初の予定通り黒曜に祝福を授けます」
現在、黒曜は簡易の台座に寝かされ、その前にフェイが立っている。石英とルビは少し離れてその様子をじっと見ていた。
しゃんっ・・・。
しゃんっ・・・しゃんっ・・・。
鈴の音が響き、空間が純化されてゆく。そして、周囲に光の粒子が漂い始める。泉の水が渦巻く。
しゃんっ・・・しゃんっ・・・。
しゃんっ。
光の粒子が黒曜に集まってゆき、やがて七色の極光へと変わる。暖かな輝きだ。
しゃんっ・・・。
「・・・・・・・・・」
石英とルビは祝福を受ける黒曜の姿を黙って見ている。その顔は何処か複雑そうだ。
悲しげ、でもある。
「ねえ、石英・・・・・・?」
「うん?」
ルビは石英の方を向く事なく、問い掛ける。石英も振り返らずに返事をする。二人とも、視線は黒曜の方を見たままだ。
祝福はまだ続いている。鈴の音が鳴る。厳かに、雅に。
しゃんっ・・・しゃんっ・・・。
「今まで、いろいろあったよね・・・」
「そうだな」
「石英はこの世界に来て、良かったと思ってる?」
「・・・・・・悪くない」
「そう」
ルビは静かに微笑んだ。その笑みは、何処か寂しげだった。
「けど・・・」
「?」
その言葉に、ルビは思わず振り返る。
相変わらず、石英は振り返らない。振り返らないまま言った。
「ルビと出会えて、黒曜が産まれて、本当に良かったと思っている」
「・・・・・・・・・・・・っ」
「ルビと出会えた、その事には感謝している。・・・ありがとう」
石英は相変わらず振り返らない。淡々とした声だ。けど、その想いは心の奥深くにまで届いた。
だから―――
「うんっ・・・私の、私の・・・方こそっ・・・っ、ありがとうっ」
そうして、石英とルビは静かに寄り添いあった。石英は静かに、安らかな笑みで呟く。
「うん、悪くない・・・」




