幕間、帰ってきて・・・石英・・・
待って!!!
暗闇の中、ルビは石英の背を追い掛ける。しかし、追えども追えどもその背中は近付くどころか更に遠ざかるばかりだ。ルビは泣きたくなる。ルビの表情が、悲しみに歪む。
待ってよ、石英!!!
此処は何処なのか?何故、自分は石英を必死に追い掛けているのか?それは解らない。それでも、尚も必死に追い掛け続ける。何故?
しかし、このままだと石英と二度と会えない気がした。永遠に会えなくなる気がしたのである。
だから、必死に追い掛け、その背に縋ろうとする。必死に、その背に手を伸ばす。
けど、その背は遠く、遠く、尚も遠ざかるばかり。もう、ルビの手は永遠に石英に届かない。そんな気がして思わず泣きたくなってくる。
待って!!お願い、待ってよ!!!
そして、石英はそのままルビの目の前で暗闇に溶けて消えていった。
・・・・・・・・・
「待って!!!」
勢い良く起き上がる。荒い息を整え、周りを見渡すと其処は、サファイヤの城の一室だった。
気を落ち着かせ、記憶を整理する。さっきまで自分は一体何をしていたのか?何故、自分は此処で眠っていたのだろうか?
徐々に記憶が整理されると共に、表情が強張っていく。そうだ、自分は―――
「っ、石英!!石英は!?」
呼べども返事は無い。ルビはこれまで以上に動揺する。ルビが眠る前の、最後の記憶を思い出す。
赤い瞳の純白の魔王。ルビに口付けした時、石英が見せた悲しげな覚悟の表情。
ルビは思い出す―――あの鮮血に染まった夢を。石英が殺され、消え去る夢を。あの純白の魔王を。
夢と現実が重なる。ルビは急いで身支度を整える。その時―――
コンッコンッ・・・。扉を叩く音が聞こえ、そのすぐ後にメイドが一人、入ってくる。そのメイドの姿には見覚えがあった。
以前、異形の怪物からルビを庇ったあのメイドだ。ルビの姿を見て、さっと顔色を変える。
「ルビ様、何を!?」
「今から天界に行ってくる。ムーンは何処?」
ルビは比較的、冷静を装って言った。しかし、その顔を見れば焦っているのは明白だ。
そして、その言葉にメイドは更に慌てる。何とか宥め、必死にルビを止めようとする。
「だっ、駄目です!!今、天界に行くのは危険すぎます!!!」
「でも、このままじゃ石英が死んじゃう!!石英が居なくなるなんて、私は嫌だよ!!」
「しかし、それで貴女まで居なくなっては!!それこそ石英様が悲しまれます!!」
「でも・・・でもっ!!うあっ・・・・・・ああああああぁぁぁっ!!」
ついにルビは膝から崩れ落ち、泣きじゃくる。メイドも悲しげな顔で、ルビを抱き締める。
正直な話、ルビの気持ちは痛い程良く解る。
このメイドだって、好きな人が死ぬかも知れない恐怖や不安は理解出来る。自分を置いて、愛する人に先立たれるのはとても悲しい事だ。自分だって、きっと泣くだろう。もしかすると、泣くだけでは済まないかも知れない。
しかし、だからと言ってルビを行かせ、むざむざ死なせるのも嫌だ。このメイドにとって、ルビも同じくらいに大切な人なのだ。だからこそ、必死に止める。ルビを死なせたくないが為に。
其処へ、一人の騎士が入って来た。同じく、異形の怪物からルビを庇った騎士だ。確か、この騎士は石英に弟子入りしていた筈だ。
「マリン、これは一体!?」
「ベリル!!ルビ様が天界へ行くと!!」
どうやらメイドの名はマリン、騎士の名はベリルというらしい。この二人、石英とルビが結婚した同時期に付き合い始めた恋人なのだ。
聞いた話によれば、幼い頃から二人ともサファイヤの城に勤めていたらしい。つまり、二人は幼馴染という事になるだろう。幼少の頃から、とても仲が良かったと聞いている。
ベリルはマリンから話しの詳細を聞くと、悲しげに目を伏せてルビに言った。
「ルビ様、石英様はルビ様を守る為に戦っておられるのです。なら、ルビ様はきっと石英様が帰ってくるのを待つべきだと、私は思うのです」
「でも、石英が・・・・・・石英が・・・」
ルビの目から、涙が止め処なく溢れる。両手で顔を覆い、声を上げて泣きじゃくる。その顔はあまりにも悲痛で、物悲しかった。
マリンはそんなルビを抱き締め、涙をハンカチで拭う。ベリルは泣き崩れるルビに視線を合わせる様にしゃがみ込み、話を続ける。
「ルビ様、今は石英様を信じましょう。大丈夫です、きっとあの方なら帰って来ますよ」
「でも・・・」
「大丈夫です。石英様はとても強いですから、きっと生きて帰ってきます。大丈夫です」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ベリルの力強い励ましの言葉に、ルビは黙り込む。まだ若干納得は出来ていないが、どうやら少しは話を聞く気になったらしい。まだ、泣き腫らした顔でしゃくり上げてはいるが・・・。
マリンは少し困った顔をし、ルビに問い掛けた。
「何か、気になる事でもあるのですか?私達で良ければ、話して貰えないでしょうか・・・?」
「・・・・・・・・・それは」
少しの間を空け、ルビは話し始める。鮮血に彩られた、純白の魔王の悪夢を。そして、夢に出てきた魔王アザトースが先程現実に現れた事を。
ルビは恐れているのだ。石英があの悪夢の様に無残に殺される事を。ルビの許から消え去る事を。
こんな話、普通なら只の夢と一笑に付す所だ。しかし、この世界は魔法が実在する世界だ。魔力が夢に干渉して予知夢を見せる事など、さほど珍しくもない。
そう、魔力が予知夢を見せる話はこの世界ではよくある話なのだ。
魔力は精神や生命を司るエネルギーだ。魔力性質など、状況が整えば予知夢を見る事もありうる。
更に、ルビは膨大な病原菌の影響で魔力が歪に変質している。異常な進化を遂げた魔力が、夢に何らかの影響を与えたとしてもおかしくはない。
話し終えたルビは暗い表情で項垂れる。もはや、半分絶望と諦観が混じっている。
しかし、それでも諦めない者が居た。
「大丈夫です!!!」
「・・・・・・え?」
突然、マリンがルビの両肩を摑み、大きな声で叫んだ。ルビは思わず、目を丸くする。
そんなルビの瞳を真っ直ぐ見据え、マリンは力強く言った。
「石英様は、あの方はとても強い方です!きっとルビ様の許に帰って来ます!!信じましょう!!!」
「・・・・・・・・・あっ」
マリンのその温かな励ましの言葉に、ルビは胸が熱くなった。ルビは思わず、涙が出そうになる。
大丈夫。きっと、石英は帰ってくる。きっとルビの許に戻ってくる。きっと、きっと―――
そう信じて待つ事が、今のルビには必要な事では無いのか?マリンの瞳には、そう思わせるだけの力強さがあったのだ。
その瞳を見て、ルビは自然と落ち着いた。その時―――
『ルビ・・・聞こえるか、ルビ・・・』
「っ!?石英!!!」
突如、石英の声が頭の中に直接響いた。他の二人も同じらしく、驚いた顔をしている。
テレパス。念話能力の一種で、思念波を直接相手の脳に送る超能力だ。テレパシーとも言う。
『この念話は一方的な物だ。だから、会話は出来ないと心得てくれ』
「っ!?」
『僕は大丈夫。必ず帰ってくるから、だから待っていてくれ・・・必ず・・・帰るから・・・。君の事を愛しているよ・・・ルビ・・・・・・』
「っ、待って!!石英、待って!!!」
しかし、そのまま石英の声は聞こえなくなった。ルビの瞳に涙が滲む。
しかし、ルビはきゅっと表情を引き締め、涙を拭う。必ず帰ってくる。石英はそう言った。愛しているとも言った。なら、きっと帰ってくる。
ルビはそれを信じて待つだけだ。
(帰ってきて・・・石英・・・)
目を閉じ、両手を組んで、ルビは静かに祈った。必ず石英が帰って来ると信じて。
きっと、戻ってくると願って・・・。




