バロールの瞳じゃと・・・?
天界、中央大草原―――
様々な神話や宗教、世界の神々が集う天界でも中立地帯であるこの草原に、斉天大聖こと孫悟空が正座をして座っていた。しかも、その姿はあちこちボロボロで所々焦げていた。
その目前には、にこにこと笑顔の天照大御神が仁王立ちしている。・・・その顔は笑顔だが、額には青筋が浮かんでおり、背筋の凍る怒気を放っている。正直、その笑顔だけで人が殺せそうだと悟空は口元を引き攣らせた。
「大聖、私はまさかあんな辱めを受けるとは思いませんでした・・・」
「すみません、反省しています・・・」
天照の背後に太陽のフレアが揺らめく。怒気が更に強くなる。更に、悟空が縮こまる。
ちなみに、天照の言う辱めとは石英達の前で大岩に縛り付けられた事だ。・・・あと、その際に物のついでの如く、軽いセクハラを受けている。
主に、胸を揉まれたり尻を撫でられたりだ・・・。
「それに、客人に喧嘩を売るなんて一体何を考えているんですか?」
「・・・言葉も無いです、はい」
「大体貴方は・・・」
「うぅっ・・・」
くどくどと、天照の説教は続く。かれこれ一時間近くは説教が続いている。まさに怒髪天。
悟空の瞳が虚ろになってきた。
その間、石英達はのんびりと事のなりゆきを見ていたが、不意に石英が何かに気付き短刀を構えて虚空を睨み付ける。他の皆もその視線の先を見詰めている。
「石英」
「ああ、何かが来る・・・」
途方もなく膨大な神気が、空の一点に収束し始める。空間が歪み、やがて巨大な穴が開いた。
その穴から千を超える天使や神々が出現する。
聖書に記された天使達や拝火教の天使達、様々な神話や宗教の武神、軍神。果てには異世界の神々まで居る様である。その数、総数3,500にも及ぶ。
そんな光景にゼウスや天照は息を呑み、悟空は不敵な笑みを浮かべ、石英達は戦闘態勢に入った。
「コラン、一応聞いておくけど王軍と戦った時みたいに一気に片付ける事は出来るか?あの過程を省略する術だけど・・・」
「無理。人間が相手ならまだしも、神や天使、大悪魔くらいの高位の霊的存在が相手だとこの程度の術は効果が薄い」
「だろうね」
石英の問いに、サファイヤは首を横に振った。
神々の様な高位存在を相手に、あの様な術はあまり効果が無い。というよりも、効果はあってもあれ程の数の高位存在を相手に、あの手の術は効果が薄いのだ。
普通に抵抗されるだけだ。
石英もそれが解っていたからこそ、あまり期待はしていなかったのだが・・・。
「なら、やはりあれを遣うか」
「あれ?」
「コラン、くれぐれもこっちを見るなよ?」
そう言うと石英は魔力を高め、ある権能を行使した。
ゾクッ―――言い知れぬ悪寒を感じた神々の軍勢。瞬間、糸が切れた様に次々と神々が倒れていく。
それは天使達も同様だ。三千にも及ぶ神々の軍勢が、一瞬で全滅したのだ。
ありえない。一体どの様な力を行使すれば、この様な結果が起こりうるのか?
しかし、神王であるゼウスには一つだけこの権能の正体に心当たりがあった。
「バロールの瞳じゃと・・・?」
「バロール?あのケルト最強最悪の巨人ですか?」
「うむ・・・」
天照は怪訝な瞳で問い返す。ゼウスは苦々しい顔で頷いた。
「石英、バロールって?」
「ああ、フォモールという巨人族の王だよ」
小首を傾げ、問い掛けるサファイヤに石英は説明を始める。
巨人バロール―――
ケルト神話に登場する巨人族、フォモールの王。視界内に入った全ての生命、例え神々であろうと殺す魔眼を所持する魔神。魔眼のバロール。
アイルランドの先住民族フォモールの王で、トーリー島に住んでいた。幼少期に父親の行った毒の魔術の儀式の副産物である煙を目に浴び、魔眼を開眼したという。
あらゆる武器を弾く無敵の防御と神々すら殺す最強の魔眼を兼ね備え、魔術にも精通していた。
その気になれば、魔力で嵐を起こし、大海を火の海に変える事すら可能だった様だ。
ペストを操り、侵略戦争を仕掛けた民族を支配していた。最後は自らの孫である太陽と光の神、ルーにより唯一の弱点である魔眼を打ち抜かれて死亡した。
この結末は予言により既に知っていたらしく、娘に孫を産ませまいと塔に幽閉していたらしい。
しかし、結果として塔に侵入したダーナ神族の男と結ばれ、三人の子供が生まれる。バロールは部下に命じて三人の孫を海へ投げ入れさせ、見せしめにダーナ神族の男を殺す。
しかし、その結果ルーだけが生き残り予言は的中する事となる。
「・・・そんな人が居たの?」
「ああ・・・彼等フォモールはアイルランドの先住民族という記述もあるし、そもそもケルト民族は先祖の霊を神として祭る風習があった・・・。その事から実在した可能性が高い・・・な・・・」
「石英・・・?」
サファイヤが異変に気付き、石英の顔を覗き込む。見ると、石英の顔色が悪い。
「ぐっ、がはっ!!!」
「っ!?石英!!」
石英が盛大に喀血し、地に膝を着いた。サファイヤが慌てて駆け寄る。
他の皆もそれぞれ、愕然とした表情で見詰めている。
「大丈夫、これは魔眼の反動だ。それよりコラン・・・」
「・・・えっ?」
石英はサファイヤの腕を引き、抱き寄せた。一瞬で彼女は顔を紅潮させる。
しかし、次の瞬間その行動の意味を理解した。全てを焼き焦がす天雷が周囲の空間を満たした。
この天雷、タイガの物とは比較にならない程強力だ。一体、何者なのか?
他の皆はどうやら無事らしい。ミカドが結界を張った様だ。
上空を見上げると、其処には黄金の短髪に瞳、戦装束に身を包み如何にも武人という風体の男が此方を見下ろしていた。
雷雲を纏った像に騎乗し、手には金剛杵を握っている。
「帝釈天、インドラか・・・」
だとすると、あの像は聖獣アイラーヴァタか。
帝釈天、インドラ―――
仏法の守護神である天部の一柱。天主帝釈。
梵天と一対とされ、両者で梵釈という。
仏法においては善神とされているが、拝火教においては悪神とされる。善と悪の神霊。
雷霆神、天候神、軍神、英雄神としての神格を持つ。かつてはギリシャの主神や北欧の雷神にも比肩する強大な神霊だったが、時代の流れと共にその神威は下がっていった。
聖仙ダディーチャの骨で造られた武器、金剛杵を操り悪竜ヴリトラを退治した功績を持つ。
・・・その帝釈天が今、石英達に立ちはだかっているのだ。
「馬鹿なっ!?帝釈天ともあろう者まで人類の敵に回ろうと言うのか!!!」
ゼウスは糾弾する様に叫ぶ。しかし、帝釈天は静かに首を横に振った。それは違うと・・・。
「俺も最初は計画に反対していたさ・・・。しかし、神殺しが居るなら話は別だ。神殺しの運命を宿す者が天界に踏み入るなら、俺も容赦はしない」
そう言い、帝釈天は静かに闘争心を燃やす。こうなったら、もはや戦うしか無いだろう。
石英は立ち上がろうと足に力を入れる。しかし、身体が言う事を聞かない。
・・・これは、死の魔眼の反動だ。バロールの瞳は強力な反面、使用者にもある種の反動がある。
バロールは老齢と共に瞼が重く垂れ下がり、最後は自力で開く事が不可能となった。
これは、魔眼の力により自身の瞼に死の呪いが適応された為だ。・・・つまり、魔眼を使えば使う程使用者は死の呪いに苦しめられる事となる。
石英の場合もそうだ。石英には現在、死が身体を蝕んでいるのだ。
「ぐっ、あ・・・」
石英は自身を蝕む死の苦痛に呻く。そんな石英に、帝釈天は静かに掌を向ける。バチッ、その掌に青白い稲妻が奔る。その瞳に容赦は無い。
此処まで―――そう思った石英の前に、サファイヤが立った。
「コラン・・・?」
「退け、退かねば例え、神の血を引く者であろうと容赦はしない」
帝釈天はその目を鋭く細め、サファイヤを睨む。しかし、サファイヤは動じない。
むしろ、その瞳は強い覚悟を宿していた。石英を絶対に守るという覚悟だ。
「退かないよ。この人は、石英は私の大切な人だもの・・・」
「そうか・・・なら、死ぬが良い」
サファイヤと帝釈天の戦いが今、此処に幕を開いた。




