貴方の未来に光あれ
それは石英が異世界、"神の方舟"に行く少し前の話。桜の咲き乱れる季節の事。
殺人鬼とシスターの物語―――
四月の半ば、とある小さな町に石英は来ていた。これといった特産品も観光名所も無い静かな町。
しかし、桜の綺麗な町だった。桜並木の道を、石英はのんびりと歩く。別に、目的地など無い。
当てのない気ままな小旅行。気の向くまま、思うがまま放浪する旅。只それだけだ。
桜並木の道を歩き、丘を登っていく。丘の上には小さな教会があった。小さいながらも、そこそこ立派な教会だ。
その教会の入口前、色とりどりの花が咲き乱れる花園に、一人のシスターが居た。純白の修道服を着た長い黒髪に黒い瞳、年の頃は石英と同じか、あるいは少し若いくらいだろう。
シスターは花に水をやっている様だ。とても優しげな微笑みを浮かべるその姿は、色とりどりの花と良く似合っている。
思わず、少しの間見入ってしまった。すると、向こうも石英に気付いたらしい。視線が合う。
「あ、礼拝ですか?」
「いえ、僕は只此処を通り掛かっただけで・・・、小旅行ですかね」
「そうですか・・・。よろしければ少し中で休んでいかれませんか?紅茶でよろしければ、すぐにお出ししますので・・・」
「ふむ・・・」
石英は少し考え込む素振りをする。別に断る理由など何一つ無い。それに、恐らく彼女も純粋な好意で言っているのだろう。彼女の微笑みには何一つ下心が見えなかった。
「・・・そう、ですね。じゃあ、少しだけ休んでいきます」
そう言うと、シスターは嬉しそうに笑みを浮かべ、教会の中へと石英を案内した。
・・・・・・・・・
石英は教会の中にある小さな応接室に案内された。・・・応接室はちょっとした悩みの相談にも使われているらしく、普段はそこそこの頻度で利用されている様だ。
シスターは丸テーブルの上に二つのティーカップを置き、その中に紅茶を注いだ。
「申し遅れましたが、私の名前はアリアと言います。貴方の名前を窺っても宜しいですか?」
「僕の名前は石英と言います」
アリアは名を名乗ると、カップの紅茶を優雅な仕種で飲む。石英もそれに倣って紅茶を飲む。
「美味しい」
「ふふっ、ありがとうございます」
アリアはとても嬉しそうに笑む。その笑みを見ていると、何故だか石英の胸の奥まで温かくなる。
知らず、石英の表情も緩んだ。その顔を見て、アリアは更に嬉しそうに微笑む。
「良かった―――」
「うん?何が?」
石英は思わず首を傾げる。アリアは嬉しそうに笑んだまま答えた。
「先程まで、貴方は何処か虚しそうな顔をしていたので。その様に笑っていただけて嬉しいです」
「・・・・・・・・・そうか」
苦笑。しかし、すぐに石英は何処か悲しげな顔をした。
「けど、僕はダメだ。僕は誰より罪深いから、救いなんて求めちゃいけないんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
・・・そんな石英の顔をじっと見詰め、アリアは唐突に椅子から立ち上がった。怪訝な顔をする石英にアリアはゆっくりと歩み寄り―――
石英の頭を、ふわりと優しく抱き締めた。
「!?」
石英は目を見開き驚愕した。柔らかい胸の感触と体温、ふわりと鼻孔をくすぐる甘い香りに石英は思わずドキリとする。
「えっと、あの?」
「大丈夫です、石英。誰にも皆、等しく幸せになる権利はあります。貴方の未来に光あれ。・・・貴方もきっと幸せになれますよ」
優しく、祝福する様にアリアは言った。石英の頭を撫でる、優しい手。
石英は思わず涙ぐむ。腕をアリアの背に回し、石英はアリアの胸元で静かに泣いた。
アリアはそんな石英を優しく抱き締めた。
「大丈夫、きっと貴方も救われる。だから、今は存分に泣いて下さい」
その優しい言葉が、石英の胸に沁み渡った。
大丈夫だから、貴方もきっと救われるから、だから今は泣いても良いと―――それだけで何だか、心の底から救われた気がした。
・・・・・・・・・
アリアは一言で言えば、敬虔なシスターだった。毎日の祈りを欠かさず、人々に分け隔てなく愛を注ぐとても信心深い女性だった。
近隣では、町で最も清らかで美しいと評判だった。そんな彼女と一緒に居るだけで、石英は本当に救われても良いのでは、幸せになっても良いのではないかと思えた。
「石英、最近よく笑う様になりましたね」
「うん?そうかな」
「ふふっ、とても良い事です。今の石英、とても素敵ですよ」
言われて石英は若干頬を染める。解ってる。自分が只、アリアに依存しているだけだという事を。
そんな石英を、アリアは本気で愛してくれているという事を。全て、理解している。
理解して、甘えているのだ。
実に情けないと自分でも思う。解っている。けど、甘えてしまうのだ。
「今の石英の方が、私は大好きです」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
解っている。自分がアリアに依存しているだけだという事を。そんな自分が、アリアに愛される資格など無いという事を。
けど、それでもアリアの側が心地良い。彼女の側に居たいと思ったのだ。
だから、だけど―――
「今日はもう、帰るよ・・・」
「そうですか。では、外まで送りましょう」
「いや、良いよ」
そう言って、石英は教会を出て行った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
一人、残されたアリアは寂しそうに微笑む。その瞳は只、石英の出て行った方をじっと見ていた。
丘を下りていく石英。日はもうすぐ暮れる頃。そろそろ旅館に戻らなければならない時間だ。
桜並木の道を歩いている石英に、ふいに声を掛ける者が居た。
「おい、そこの兄ちゃん。最近よく教会に来るな」
振り返ると其処には白髪に褐色肌のおじいさんが居た。おじいさんは険しい顔で石英を見ている。
「・・・あの、僕に何か?」
「あの教会には気を付けた方が良い。シスターは良い、けど神父には気を付けろ。・・・あの神父は人間のクズだ」
何でも、あの教会の神父は強欲な男らしい。人々の信仰心を利用し、自らの利を得て酒色に溺れ、気に入った女は強引に己の物にする。そんな男だとか・・・。
アリアはそんな神父の事も、同じ神の信者であると、何れ解り合える日が来ると言った。
けれど―――
「けど、あの神父は本当に最低だ!あのシスターの優しさまで付け込もうとしている!」
「・・・・・・・・・それ、どういう事だ?」
石英は表情を消し、おじいさんに問う。おじいさんは更に、表情を険しくして答えた。
・・・・・・・・・
日が沈み、空が薄暗くなる時刻。アリアは礼拝堂の掃除をしていた。
「・・・・・・・・・石英」
ふと、アリアの口から石英の名が漏れる。途端、胸の奥が温かくなった様に感じた。
頬を朱に染め、アリアは薄っすらと笑みを浮かべる。
アリアは気付いていた。自身のこの感情が何なのか。自身が石英をどう思っているのか。
アリアはきっと、石英の事を―――
・・・そんなアリアに、ふいに歩み寄る者が居た。金髪に染めたオールバックに取って付けた様な笑みを張り付けた、二十歳前後の神父だ。
神父に気付いたアリアは笑みを浮かべ、彼に軽く頭を下げた。
「あっ、神父様。どうかしましたか?」
「いえ、そろそろ頃合いかと思いましてね・・・」
「はい?一体何を―――きゃっ!?」
突然、神父はアリアを押し倒し、床に組み伏せた。神父は凶悪な笑顔でアリアに迫る。
「私はね、前々から貴女の事を手籠めにしたいと思っていたんですよ!貴女を私の物にしたいと!」
「いっ、嫌・・・誰か、誰か助けて・・・誰かっ・・・!!!」
アリアは恐怖に声を引き攣らせながら、助けを求めた。その顔に、神父は更に笑みを深くする。
「こんな時間だ!誰も来ねえよ!!」
と、その時―――
ドガアアン!!
派手な音と共に、礼拝堂の扉が開いた。その向こうには、殺意と殺気を滲ませた石英が居た。
鍵の掛かった扉を、無理矢理蹴り飛ばしたのだ。
「せ、石英・・・」
「誰ですか、貴方は?」
神父は不快感を滲ませながら誰何する。しかし、石英は答えない。ゆっくりと神父に近付いていく。
その手にはサバイバルナイフが握られている。
「くっ!!」
神父はアリアを人質にしようと、アリアに手を伸ばす。しかし、その前に神父の腕に投擲用のナイフが刺さった。
「ぐあっ!!」
神父が怯んだ、その瞬間———
一閃。
神父の身体から、首が落ちた。本当に一瞬の事だった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
アリアは状況を上手く理解出来ずに、呆然としている。そんな彼女に、石英は手を差し伸べる。
「ひっ!」
途端、アリアは小さな悲鳴を上げる。人をあっさりと殺した石英を恐怖したのだ。
一瞬、ほんの一瞬だが石英は悲しげな顔をした。
「あっ・・・」
後悔。アリアが何か言う前に、そのまま石英は立ち去って行った。・・・その後、アリアは警察に無事保護された。
しかし、それから石英はアリアの前に姿を現す事は無かった。




