何故居る?
フェイの聖泉―――
"龍の尾"、東の外れに位置する泉。非常に透明度が高く、妖精の住み処となっている。
巨人の町である"龍の尾"では聖域とされており、めったに立ち入る者は居ない。・・・その泉に、珍しくも人影があった。
黒いローブを身に纏い、フードを目深に被っている。そのフードの隙間から、黄金の瞳が覗く。
石英だ。石英は地面に腰を下ろし、静かに泉を眺めている。泉の周りを薄い、透明の羽を生やした妖精達が無邪気に飛んでいる。
とても幻想的な光景だ。しかし、石英の顔は少し暗かった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ルビの前から去って数日が過ぎた。飲まず食わずで放浪してみたが、餓死するどころか衰弱する気配すら全く無い。
どうも異能に目覚める際、生物の限界を大幅に超えたらしい。楽に死ぬ事も出来ない様だ。
憂鬱だ。全く、嫌になる。
・・・ルビは今、どうしているだろうか?元気にしているだろうか?まだ泣いているのだろうか?
頭に浮かぶのは、ルビの事ばかりだ。
ルビの前から去る時、ルビはとても泣いていた。その悲痛な泣き声が耳にこびり付いて離れない。
大好きだと、愛していると言っていた。石英もそうだ。ルビの事が大好きだし、愛している。
だからこそ、許せなかった。愛する者を守れず、傷付けてしまった事が・・・。
「・・・・・・・・・そうか。僕は怖いんだ、ルビを失うのが」
石英は怖いのだ。ルビを守れず、両親の様に失うのが。失うのが怖いからこそ、その前に自分から逃げ出した。
奪われる事が怖かったからこそ、その前に捨てたのだ。逃げ出したのだ。
「・・・何て戯言だ。だから何も守れないんだよ」
石英は吐き捨てる様に言った。・・・守ると言いながら守れず、失うのが怖くて結局は逃げ出す。
何て滑稽なんだ。まるで道化だ。
石英は深く溜息を吐く。自分自身が嫌になる。死にたくなる程に。
「女々しいな、僕・・・」
一人、石英は呟き俯く。背後でざりっと足音が聞こえた。
「・・・此処に居たか、石英」
「ショールか・・・」
ちらりと背後を振り返ると、其処には巨人の長、ショールが居た。・・・ショールは呆れた顔で石英をじっと見ている。
「何やってんだよ、お前」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ショールの問いに石英は答えない。ショールは溜息一つ吐き、石英の隣に腰掛けた。
石英の視線の先では妖精達が泉で遊んでいる。その姿はとても微笑ましい物がある。しかし、石英の表情は全く晴れない。
「・・・・・・・・・解らないんだ、何も。どうすれば良かったのか・・・何が正しかったのか」
しばらく黙り込んでいた石英が、呟く様に言った。
ルビを守りたかった。傷付いて欲しくなかった。ルビの事が大好きだから。愛しているから。
けど、それでもルビは傷ついた。石英が居ない間にルビは連れ去られた。
助け出せたから良かった。・・・けど、もし助け出せなかったら?
石英の脳裏に、血塗れのルビが過る。もし、ルビを守り切れずに死なせてしまえば、今度こそ石英は生きていられない。
・・・なら、どうすれば良かったんだ?何が最善だった?一体何が正しいんだ?
そればかりが頭の中で堂々巡りして、全く答えが出ない。
「・・・・・・・・・ちくしょうっ」
石英は絞り出す様な声で毒づく。
解らない。もう、何もかもが解らないのだ。これはもはや、袋小路だ。
この黄金の瞳は総てを見通す事が出来る。過去、現在、未来、全ての時間と空間も霊魂も、望めばヒトの心すらも見通せるだろう。
だが、それでも解らない。もはや何も理解出来ない。
初めてだったのだ。これほど誰かを好きになったのは、誰かを心の底から愛したのは。
だからこそ、悔しいのだ。ルビを守り切れず、むざむざと連れ去られた事が。
・・・あれほど守ると誓った筈なのに。それなのに―――
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ショールは黙り込む。サファイヤから石英を捜して欲しいと頼まれていたが、まさか此処までとは思っていなかったのだ。
此処まで深く、落ち込んでいるとは―――
「さて、どうした物か・・・」
ショールは思わず、溜息を吐きたくなる。・・・というか、どうすれば良いと言うのだ。
痛い頭を押さえ、ショールは溜息を吐く。
「お前はよ、結局どうしたいんだ?お前はそのルビって娘を、どう思ってるんだ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
石英は答えない。只、黙り込んで顔を俯ける。
自分はルビをどう思っているのか。自分は何処に居たいのか。どうしたいのか。
自分は何を望むのか?
それは―――
其処まで考えて、石英は膝を抱え込む。だから何だと言うんだ。結局は、何も守れない自分に何の価値も無いじゃないか。全くの無価値だ。
結局、石英は何も答えられずに黙り込んだまま、項垂れる。
「・・・・・・・・・はぁっ。じゃあな、俺はもう帰るわ」
ショールは盛大に溜息を吐くと、頭をガシガシと搔きつつ立ち上がり、そのまま帰って行った。
石英は一人、澄み渡った泉を見詰める。
自分はルビをどう思っているのか。何処に居たいのか。どうしたいのか。
・・・そんなの解り切っている。
石英はルビを愛している。ルビの隣に居たい。ルビと共に在り続けたい。・・・只、それだけだ。
それだけ、なのに・・・。傷付けた、泣かせた、自分が一緒に居たから。
ルビを守ると言った。守り続けると誓った。その結末がこれだ。実に下らない。
そう思い、深く深く溜息を吐く。瞬間、何かを感じ取り、石英は弾かれた様に空を見上げる。
何か、魔力の様なモノが空に集まっていく。全てを包み込む七色の魔力光。
その光が空の一点に集中しているのだ。
同時に空の一点が歪んだ。ぐにゃりと捩じれる様に歪んでいき、最後は黒い穴が空に開いた。
「・・・何だ、あれ?」
ぽつりと石英は呟く。と、その刹那の後に空の穴から二つ、何かが落ちてくる。
良く見ると、それはどちらも人の姿をしていた。ただし、片方は石英の良く知る人物だった。
天狗の翁である。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・何故居る?」
二つの人影はそのまま落下していく。このままだと、泉に落ちるだろう。
泉で遊んでいた妖精達は皆、呆然としている。このままでは大惨事だ。
流石にこれはマズイ。そう思い、石英は落ちてくる二人にその掌を向けた。輝く黄金の魔力光。
『グラビト』
それは、重力操作の魔術。落ちてくる二人の重力を操り、空中に滞空させる。
「うおっ!?」
「ぬっ」
そして、ゆっくりと二人を地上に下ろす。空の穴は、何時の間にか塞がっていた。魔力の様なモノも感じられない。
「・・・ありえねえ、流石にこれは非常識すぎるだろう」
そう言ったのは、黒に染めたぼさぼさの髪に深緑の瞳の中年男性だ。若干、混乱した様な顔で只ありえないと呟いている。
「何を今更・・・」
溜息混じりにそう呟いたのは翁だ。何だか少し、疲れてないか?
「で、結局お前等何故居る?」
石英が呟く様に言うと、二人が此方を向いた。中年男性は怪訝な顔で、翁は目を見開いて、それぞれが石英を見ている。
「お、おおっ!?石英か!!久しいな」
「あ、ああっ・・・」
翁のテンションが若干ハイだ。石英は少しばかり引く。
「おい」
中年男性が唐突に話し掛けてきた。その表情は真剣そのものだ。・・・石英も表情を引き締める。
「何か用か?・・・えーっと?」
「京都府警の天河リュウスイだ。石英・・・いや、殺人鬼"断頭の死神"だな?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
断頭の死神―――
そう呼ばれて石英は黙り込んだ。石英の顔から、表情が消える。・・・リュウスイは黙って石英が答えるのを待つ。
やがて、石英はその口を開いた。
「・・・そうだ、僕が"断頭の死神"だ」




