お前じゃ、僕に勝てないよ
石英は現在、樹海の中を駆け抜けていた。
出来るだけ速く。
出来るだけ疾く。
樹海を風の如く疾駆する。
封魔の山、洞窟―――
遥か昔、悪魔を封じ込めた伝説の残る神山の麓にある洞窟だ。その洞窟に向け、石英は速く、疾く駆け抜ける。
人間の出せる速度の限界を超えて、石英は尚走り抜ける。
途中、石英の前に大勢の兵士達が立ち塞がった。どうやら、簡単に行かせる気は無い様だ。
しかし、石英は速度を落とす事なく突っ込んでいく。
最も前に立っていた兵士の一人が、石英に切り掛かる。・・・が、その手に持っていた剣が半ばから折れて何時の間にか兵士は斬られていた。何をされたのか、理解出来ない。・・・短刀を抜いた様子も全く無いのに気付けば斬られていたのだ。
石英は目の前の兵士達を次々と斬っていく。そんな彼を兵士達は何とか討たんとするが、剣や槍が届く前に何時の間にか斬られている。
石英からすれば、目の前に立ち塞がる敵に意識を向けただけ。それだけで、兵士達は次々と切り倒されたのである。
そうして兵士達は石英に一切触れる事も出来ず、そのまま石英を通してしまう。
この間、たったの数秒足らずの出来事である。
・・・・・・・・・
洞窟、最奥部―――
小さな祠の前で、ルビは荒縄に縛られて横たわっていた。その側には十二名程の騎士達を従えたタイガの姿があった。
「どうやら、石英が兵士達を突破した様です」
「ふむ、かなり速いな」
タイガが無感情な声音で呟く。
どうやら、石英が此処に向かっている様だ。その事に、嬉しさと同時に少しの不安が湧いてくる。
「何故?どうして其処までして争い合わなきゃいけないの!?」
思わずルビはそう問い詰める。
何故、争い合わなければいけないのか?何故、憎しみ合わなければいけないのか?・・・ルビには解らなかったのだ。
タイガの瞳がルビの方を向く。その瞳は憎悪と狂気に満ちていた。
「それは、あの男のせいで俺と父さんの人生が狂ったからだ。・・・そうだ、あの男が、あの男さえいなければっ、父さんが死なずに済んだのに・・・!!!」
「そんなっ!」
滅茶苦茶だ―――
そんなのは只の八つ当たりでしか無い。結局の所、ラピスが死んだのはラピスが戦争を仕掛けたのが原因なのだから。
しかし、ルビにはそれが言えなかった。人のせいにせずにいられなかったタイガの気持ちも充分理解出来たからだ。
「だからこそ殺す。俺達の人生を狂わせたあの男、石英を―――」
「やめて!これ以上憎しみに身を任せないでっ!!」
必死にタイガを止めるルビだが、その言葉によって逆にルビに憎悪の目が向く。
「お前に何が解るっ!!」
ルビに向けて、剣を振り上げる。ルビはぎゅっと目を瞑る。
その瞬間―――
「やめろ!!」
洞窟の中を大きな声が響く。見ると、其処には石英が立っていた。
その姿を捕らえた瞬間、騎士達が石英に切り掛かる。しかし、その刃が届く前に認識出来ない斬撃によって一瞬で全員が切り倒された。
「石英!!」
「ルビ、待っていろ。すぐにお前を助けるから」
そう言って、石英はルビに笑みを向けた。
「石英ぃっ・・・」
思わず、ルビは涙ぐむ。その笑顔だけで、胸が苦しくなる。その笑顔だけで、胸が切なくなる。
「大丈夫だ、すぐにルビを助けてみせる」
そう言って、石英はタイガの方を向いた。その瞳は黄金に光り輝いていた。
対するタイガは瞳に暗い闇を宿し、石英を睨み付ける。
「貴様が・・・、貴様さえ居なければっ!」
「だったら、無駄口なんか叩かずにさっさと来いよ」
指をクイッと動かし挑発する石英に、タイガの姿がふっと消える。刹那、反射的に背後からの斬撃を短刀で受け流す。
しかし、続いて繰り出された蹴りを腹部に食らい、吹っ飛ばされて壁にぶつかった。
「石英っ!!」
洞窟の中をルビの悲鳴が響く。しかし、石英が平然と砂埃を手で払いながら立ちあがったのを見てほっとした。
対照的に、タイガの方は「チッ」と舌打ちする。
「空間転移、か」
「そうだ、お前は俺を認識する事すら出来ずに無様に死ぬんだ」
そう言い、剣を向けるタイガ。
「やめて!お願い、石英を殺さないで!!」
ルビは悲鳴にも似た絶叫を上げる。しかし、石英はそんなルビに笑顔を向けた。
何処までも優しく、温かい笑顔。
「大丈夫だよ、ルビ。僕は負けないから」
・・・その言葉に、タイガはイラつく。そんなタイガに、石英はまたもや指をクイックイッと動かし挑発をする。
「来いよ下っ端。お前じゃ、僕に勝てないよ」
「っ!?そんなに死にたきゃ殺してやるよ!!」
タイガはまたもや石英の背後に転移する。が、転移した瞬間には既に、首の一ミリ近くに短刀の刃が迫っていた。
「っ!?」
咄嗟にタイガは後方に転移し、それを避ける。しかし、それすらも見越していたかの様にすぐ目と鼻の先に投擲用ナイフが迫っていた。
「ぐっ、くそっ!!」
それを身体を仰け反らせて避けるが、無理な体勢で避けた為にそのまま倒れてしまう。その隙に石英はタイガを取り押さえ、首元に短刀を振り下ろす。
・・・だが、その刃は空を斬って地面を穿った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
石英はゆっくり立ち上がり、洞窟の外に目を向ける。其処にはタイガが息を切らせて立っていた。
「何故だ!?何故、俺の転移先を尽く見破る事が出来た!!もしや、未来視の異能か!?」
もはや喚き散らす様なその問い掛けに、石英は答えない。
まるで、つまらない物でも見る様な目で見ている。・・・まるで、全てを見透かす様な目で。
「くっ!!」
タイガは石英達に片手を向け、叫んだ。
『天雷よ!!』
瞬間、洞窟を激しい雷光が満たした。・・・同時に、石英の短刀が閃く。
一閃。
たったの一閃で、数億ボルトにもなる天雷を石英は搔き消したのだ。まず、有り得ない。
流石のタイガも開いた口が塞がらない。・・・その決定的な隙を石英が見逃す筈もなく。
一瞬で石英は距離を詰めた。
「空間転移!?しまっ―――」
石英は全力を籠めて、タイガを殴り飛ばした。盛大に吹っ飛んだタイガは、大木の幹に強かに背中を打ち付けて気絶した。
そのタイガに、短刀を構えながらゆっくりと近付く石英。そして、逆手に構えた短刀をタイガに向けて勢い良く振り下ろす。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・誰だ、お前?」
白銀色の髪に青白い瞳の男が、ぎりぎりの所で石英を止めた。・・・よく見ると、その隣には瞳に涙を滲ませたルビが居た。
「初めまして、石英君。俺の名はメフィストフェレスだ」
「・・・・・・・・・戯曲の悪魔か」
メフィストフェレス―――
戯曲『ファウスト』に登場する悪魔。錬金術師であり、降霊術師でもあるゲオルク=ファウストの召喚した悪魔。
大悪魔ルシファーの代行であり、神と賭け事をする程の強大な悪魔である。
「そうだ。そして、コランの父親でもある・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
コラン―――サファイヤは神と悪魔と人間の間に生まれた混血児だ。その一角が大悪魔、メフィストフェレスである。
「で、そのメフィストフェレスが何故僕を止める?」
「お前が堕ちたら、コランが悲しむだろう?」
ニヒルな笑みを浮かべ、メフィストフェレスは言った。そんな彼を、石英は何処までも無感情な瞳で見詰める。
「ふんっ、悪魔らしくないな。"光を愛さない者"の名が泣くぞ」
メフィストフェレスの名には諸説ある。その一つが"光を愛さない者"である。
石英は二人に背を向けると、そのまま立ち去ろうとする。それをルビが慌てて止める。
「待って!!何処へ行くの!?」
「・・・僕はルビを守れなかった。たくさん危険な目に合わせ、怖い思いをさせた。そんな僕にルビの傍に居る意味など無いよ―――」
そう言って石英は去ろうとする。そんな石英に、ルビは縋り付く。
「そんな事はないよ・・・。石英は私の事を守ってくれた。私の事を助けてくれた。・・・そんな石英の事が私は・・・私は大好きだよ」
一瞬、石英の肩がびくっと震える。・・・しかし、石英は縋り付くルビの手を振り解き、そのまま立ち去って行った。
「さよなら、ルビ―――」
・・・・・・・・・
それから数時間後―――
「ルビ!?」
・・・洞窟の前に駆け付けたサファイヤとムーン。其処にはルビが一人、顔を両手で覆い泣きじゃくっていた。
その側に石英の姿はない。・・・嫌な予感にかられる二人。
「ルビ、石英は何処?」
サファイヤが問い掛けると、ルビは一瞬サファイヤの方を見て、再び泣きじゃくる。
「石英が・・・、石英が私を置いて行っちゃった・・・」




