救われても良いんだよ
―――12:50―――
ステラ大図書館―――
魔王の城の地下に広がる、広大な図書館である。ステラとは、星という意味だ。
その名の通り、星の英知を思わせる情報量、蔵書が収められている。魔導書からこの世界の歴史書、地図まで様々な本が収められている。
ちなみに、気温や湿度などを魔術によって管理している為、保存状態はかなり良好だ。
その大図書館の奥、厳重に鍵と封印魔術が掛けられた鉄扉の向こうに、サファイヤとルビが居た。
"重要機密保管庫"―――
情報の町、"龍の瞳"で集められた情報の一部が保管された書庫である。もちろん重要機密なので、サファイヤの許可が無ければ入る事は出来ないが。
その情報量は膨大であり、しっかり整理されてはいる物の辺り一面書類や書物の山、山、山。
その山の中で、サファイヤは書類の山を漁っていた。
「うーん・・・、これでもない。これも、違う・・・」
「あの・・・、何を探してるの?」
書類の山に半分程埋もれるサファイヤに、ルビが問い掛ける。
サファイヤは書類を睨み付けながら、少し考える素振りをして答える。
「うーん、ある人物の情報?・・・・・・・・・って、あった!」
サファイヤは一枚の用紙を手に、書類の山から出て来た。ルビはその用紙を覗き込む。
「えーっと、コ、ハク・・・?」
用紙にはある人物のプロフィールが書かれていた。
名前:コハク
性別:男
種族:覚
職業:精神医
詳細:不明
ルビはある一点に目を留め、驚いた。
「えっ、覚!?」
「ああ、そう言えば貴女達、アルマに会ったんだっけ?」
ルビはこくりと頷く。
アルマ―――
心を読む覚の妖怪。山奥に棲み、人の思考を読み、言い当てると言う。
石英とルビが出合ったアルマは辻占い師をしていた。
「アルマとコハクは実の姉弟だよ。何でも昔、姉弟揃って異世界から迷い込んだとか」
今度こそルビは目を見開いて驚いた。同時に納得もした。
ルビは、サファイヤが何処からか取り出してきたもう一枚の用紙を見る。その用紙には、中性的な男の人相が描かれていた。
くすんだ黄色の短髪と瞳、鋭い目付きをした青年だ。
このヒトが―――
「このヒトが、石英を救ってくれるんだね?」
「うん、コハクは精神を司る医者で、何でも不思議な術で過去を再体験させるらしいよ」
過去の再体験。その不思議な術によって、己自身と向き合わせ、心の傷を癒すらしい。
かなりの荒療治だが、同時に効果的な方法でもあるだろう。
このヒトなら石英を救える。ルビは真剣な顔で二枚の用紙を見詰め、強く握り締めた。
・・・・・・・・・
「・・・で、その精神医とやらに会えば良いのか?」
時刻は14:10。玉座の間に石英、ルビ、サファイヤの三人は居た。
石英はかなり訝しげな顔をしている。それと、石英はあまりこの話には乗り気では無い様だ。
自分の心の傷が治ると言われても、あまり信じられないのだろう。
そんな石英を、ルビは悲しげに見詰める。
「石英は心の傷を治したくないの?」
「いや、どっちかと言うと信じられないだけかな?」
石英はそう言って、肩を竦める。
長い間向き合ってきた心の傷、痛み。今更治そうとも思わなければ、治せるとも思わない。そもそも治したくないと言うのが、石英の本心だ。
石英は過去を振り返る。
化物と呼ばれた。殴られた。蹴られた。様々な罵詈雑言を浴びせられた。
両親を失い、全てを失った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
いや、それだけでは無い。そんな物は言い訳にならない。
石英はこれまで多くの命を殺した。それはこの世界に来る前の事も含まれる。
石英は殺した。多くの命を。正義の為や誰かを守る為では無い、己の衝動のままに・・・。
そんな自分が救われるのは、何だか都合が良すぎる気がしたのだ。
「少し・・・、考えさせてくれ・・・」
そう言って、玉座の間を後にしようとする。その石英の背中に、サファイヤが声を掛ける。
「石英」
ぴたりと足を止める石英。サファイヤはその背中に、微笑みながら言った。
「貴方はもう充分苦しんだ。もう救われても良いんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
石英は答えない。只黙って立ち尽くしている。
「これ以上苦しまなくても良い。もう一人で抱え込まなくても良いの」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・ごめん」
長い沈黙の後、石英はそれだけ言って玉座の間を出て行く。その場に残されたルビとサファイヤ。
「石英・・・」
ルビはぽつりと呟くと、顔を手で覆い泣き出す。サファイヤはその背を優しく撫で、慰めた。
・・・・・・・・・
―――22:30―――
薄暗い部屋の中で、石英はベッドに横になっていた。
別に寝ている訳ではない。天井を眺めながら、石英は一時間半程思考を巡らせていた。
考えているのは、もちろんサファイヤとの話の事だ。
本当に救われても良いのだろうか?もう一人で抱え込む必要など無いのか?
・・・否。この苦しみは己の物だ。己だけの物だ。己が抱えずして、誰が抱えるのか。
それに、今更救われて良い程自身の罪は軽くない。業が深すぎるのだ。底が見えない程に。
「・・・・・・・・・」
やはり、自分は今のままで良い―――
そう結論を出そうとした時、ドアをノックする音が響いた。
「・・・誰だ?」
「私だ」
ドアの向こうから聞こえてきたのはムーンの声だった。はて、こんな時間に何の用だ?
そう思いドアを開けると、やはり其処にはムーンが立っていた。
燕尾服を綺麗に着こなし、所作の一つ一つも見事な物。執事の手本の様な男だ。
「何か用か?」
「いや、少し話をしようと思ってね・・・」
最近、ムーンは石英に対して砕けた口調で話し掛ける様になった。今では、互いに親しい友人の様に接している。中々慣れた物だ。
その事に石英は苦笑しつつ、ムーンを部屋の中へ招く。そして、部屋に備え付けてある魔法の照明に灯りをともす。
「で、話って何だ?」
ベッドの縁に腰掛け、ムーンに椅子に座るよう促し、用件を問う。
ムーンは優雅に椅子に座り、本題に入る。
「石英は自分が救われたいと思わないのか?ルビだってそれを望んでいる筈だろう?」
「その事か・・・」
石英は思わず溜息を吐く。大方サファイヤから聞いたのであろう。
それに―――
「僕はルビの想いに応えられない、応える訳にはいかない」
「・・・・・・・・・理由を聞いても?」
ムーンは目付きを鋭くして問う。・・・まあ、その反応ももっともだろう。
ようは人の好意に応えられないと言っているのだ。問答無用で殴り飛ばされてもおかしくはない。
それをしないのは、応える訳にはいかないという部分に、何か引っ掛かりを覚えたからだ。
「僕の犯した罪が重すぎる。僕はな、ヒトゴロシなんだよ・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ムーンは黙り込む。石英の言っている事に、思い当たる部分はある。
竜女王の城で、殺人衝動を暴走させた事は聞いている。彼の過去に何かあったのだろうか?
「僕は殺した。大勢の人を。正義の為や誰かを守る為では無い、衝動のままに・・・。僕は誰よりもクズなんだよ」
石英は忌々しげに、吐き捨てる様に言う。それは、何よりも明確な自己嫌悪だった。
自分は幸せになってはいけない。永遠の地獄こそ、自分に相応しい罰だ。
そう言いたいのだ、石英は。
そんな石英の悲しげな顔を見て、ムーンは溜息を一つ吐く。
「少し、昔話をしようか・・・」
「?」
この状況で昔話とは、一体何なのか?石英は首を傾げ、怪訝な顔をする。
ムーンは其処でふっと柔らかい笑みを浮かべた。
「私はな、捨て子だったんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
何と返して良いか解らずに、石英は沈黙する。
難しい顔をする石英。ムーンは思わず苦笑した。苦笑して、話を続ける。
「当時は異能も持たない普通の子供だった。けど、生まれた家が貧乏だった故に口減らしとして捨てられたよ」
今でも親に捨てられたのが辛いのか、その表情は険しい。石英は黙って話を聞く。
「その後の生活は本当に酷い物だったと思う。生きる為なら盗みだってやったし、見知らぬ誰かを殺しもしたよ。木の根を齧って泥水も啜った」
本当に酷い生活だった。いつも死に掛けていた。それでも必死に生きた。
生きて、生き抜いた。
「そんな時に出会ったのが、サファイヤ様だ」
サファイヤは彼にムーンという名と共に、空間転移の異能を与え、自らの側近として雇った。
"貴方の名はムーン、貴方を私の側近として雇いましょう"―――
「それ以来、私は恩に報いる為に執事として、あの方に忠誠を誓ったんだ」
「・・・・・・・・・そうか」
ムーンはサファイヤに対し、とても強い忠誠心を抱いていた。それも、そんな過去があったのならば納得もする。サファイヤが国の民衆に慕われるのも、恐らくは似た様な理由だろう。
「だから―――」
「ん?」
「だから石英、お前も幸せになっても良いんだ」
救われても良いんだ―――
その言葉は石英の胸の奥にすとんと落ちて、深く染み渡っていった。
「・・・・・・・・・そうか」
其処で、ようやく石英は笑った。その笑みは何処か悲しみの様な、僅かな寂しさの様な物も混じっている気がした。
・・・・・・・・・
次の日、時刻は08:00―――
ルビは朝食を済ませた後、城の中を散歩していた。すると、曲がり角の所できょろきょろと、何かを探している様子の石英が居た。
「石英?」
「ん?ああ、其処に居たのか、ルビ。捜したんだ」
どうやら石英はルビを捜していたいた様だ。ルビは思わずきょとんっとする。
その反応が可笑しいのか、石英はくつくつと笑う。
「コハクって医者の所に行くんだろ?」
「っ!?そ、それじゃあ!!」
「ほら、早く準備をして行くぞ」
その言葉に、ルビはぱあっと花が咲いた様な笑顔を見せる。その嬉しそうな笑顔に、石英は再びくつくつと笑う。
「行くぞ」
「うんっ!!」
そう言って、ルビは石英の側に駆け寄った。




