いや、何処だよ此処?
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
呆然。石英は森の中にある開けた場所、湖の前で只呆然と立ち尽くしていた。
携帯を見ると、画面には12:35と表示されていた。アプリを開き、地図を見てみるが異世界で電波が届く筈がない。
もちろん、異世界なので時間も違うかもしれないが、太陽の位置からほぼ間違いは無いだろう。それくらいの技能は持っている。
しかし、それにしても・・・。
「いや、何処だよ此処?」
一人、ぽつりと呟く。
手元に在るのはレジ袋に入ったコンビニ弁当と缶コーヒー、携帯電話にコートの裏にひっそりと隠してある×××ぐらいだろう。
え?×××が何かって?まあ、あれだ!気にするな!!
取り敢えず、食事だけでも取るか――
そう結論付けて、石英は雨のせいで湿りに湿った弁当を食べる。
「・・・・・・・・・」
空は快晴、森の中の澄んだ湖の前で食べる弁当はとても清々しい気分にさせてくれる。
・・・・・・・・・当然の如く、水に湿った弁当はかなり不味かった。
もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ―――
水浸し弁当(仮)を何とか完食した石英は最後に缶コーヒーを飲む。
「・・・・・・・・・けぷっ」
食べた後のゴミを土に埋め(良い子は決して真似をしないでね)、食後の運動ついでに森の中を軽く散策する事にした。
・・・・・・・・・
森の中を歩く事一時間――
石英は周囲を細かく観察しつつ、さくさくと進む。
鳥のさえずる声。
木々のざわめき。
澄んだ森の空気。
神域にでも迷い込んだ様なその神々しい雰囲気に、石英は心を奪われた様な錯覚に陥った。
途中、背後から突然十数匹の猿の群れの奇襲を受け、少しの間遊ぶはめになった。
え?大丈夫かだって?無論問題無い。
結局、石英は猿の群れ全てを無傷であしらった。
そのまま、死屍累々の山を越え(死んでないよ)森の中を歩き続ける。
「・・・・・・・・・ん?」
ふと――
石英の耳に何か聞こえた様な気がした。取り敢えず、その場所へと向かってみる。
のんびりと歩く事数分――
其処には、石英にとって予想外の光景が広がっていた。
「・・・うわあっ」
石英は思わず声を漏らす。
『ギイイヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーッッ!!!』
其処には名状しがたき怪物が居た。
怪物は黒いモヤモヤした不定形の姿をしており、耳をつんざく様な不快な絶叫を上げていた。
「超帰りてえ・・・」
ぼそりとぼやく石英。そのまま後ずさる様に半歩後退した、その時。
パキリッ
「あっ」
その瞬間、不定形の怪物と石英の目が合った、様な気がした。石英の頬を冷や汗が伝う。
『ギイイイイイヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!』
「うおっ!」
絶叫を上げ、突っ込んでくる怪物。その突進を石英は寸での所で躱す。
突撃を躱された怪物は身体を膨張させ、無数の触手を生やした。
「・・・・・・・・・うわあっ」
無数の触手が石英に襲い掛かる。幾つもの大木を砕き、石英に迫るそれはかなりの脅威だ。
「・・・・・・・・・」
触手を躱しつつ、石英はコートの裏にあるソレを抜いた。
それは大振りのナイフだった。それは只のサバイバルナイフだったが、それを握った途端石英の放つ雰囲気が激変する。
目付きは鋭くなり、石英の背後に死神の姿が見える程の殺気が放たれる。
其処に居るのは先程までの只の人間では無く、殺人鬼という名の人を殺す鬼である。
怪物は絶叫を上げ、再度突っ込んでくる。石英はそれをするりと最低限の動きで避け、そのまま怪物を切り裂いた。
『ガアッ!!』
怪物から血が噴出する。モヤモヤとした不定形の身体をしているが、どうやら実体はあるらしい。
『グルルルルルルルル』
怪物は先程斬られた為か、石英の事を警戒している様だ。
タンッ
石英はそんな怪物に向かって突進していく。
それを迎え撃つかの様に怪物は触手を伸ばす。
石英は襲い来る触手を避け、斬り、受け流しつつ怪物に迫る。
そしてそのまま怪物の脇を擦り抜け様にナイフを奔らせた。
一呼吸で何十閃もの斬激が奔る。
不定形の怪物は何十にも分割され、血飛沫と共に地に堕ちた。
石英は返り血の全く付いていないナイフをコートの裏に仕舞った。
その瞬間、先程まで殺意に満ちた殺人鬼だった石英は怪物と戦う前の雰囲気に戻っていた。
「・・・・・・・・・またやっちまったよ」
石英は思わず溜息を吐いた。
その身体には返り血は付いていなかった。
・・・・・・・・・
真っ暗な空間で神、ミカドは腹を抱えて爆笑していた。その目前には怪物を倒した石英の姿が映っている。
この神は怪物と石英の戦いの一部始終を見て大笑いしていたのである。
・・・実に悪趣味な。
「あっはははははっ、何あれ完全に人格変わってるよ!」
どうやら殺人鬼状態の石英がツボだった様だ。本当に悪趣味だ。石英に見付かったら、問答無用で叩き斬られるだろう。
と、その時ミカドの背後の空間が歪み、筋肉質な白衣の老人が現れた。
「何をやっとるんじゃ、おんしは・・・?」
「やあ、ゼウスじゃないか」
天空神ゼウス――
ギリシャ神話の主神であり、天空と秩序を司る神々の王。
雷霆を操り、あらゆる敵を砕くという。かつて、怪物の王テューポーンとの戦いは全宇宙を崩壊させる規模の物だったという。
ローマ神話のジュピターに相当する。
そのゼウスと呼ばれた老人は呆れた様に溜息を吐く。
「おんし、わし等の管理する世界から勝手に人間を連れ去ったじゃろう」
じとっとした目で睨むゼウスにミカドはやれやれと肩を竦めた。
「別に良いだろう?一人くらい。それにあの少年、石英はあの世界に置いておくには異端過ぎる」
ぐぬっとゼウスが唸る。
「し、しかしだからと言っていきなり世界の境界を越えさせるのはやりすぎじゃろう!その影響で都市伝説にまで発展しておるぞ」
雨のせいで視界が多少悪かったとはいえ、往来で人がいきなり消えたのだ。
この大事件は都市伝説にまで発展し、多くの人々の間で広まっていった。それを聞いたミカドは今度は一転、バツが悪そうに頬を掻いた。
「その件は悪かったよ。だけどそれでも石英は返さないよ。あの少年の、言うなれば殺人鬼の仮面にしても、石英そのものの精神性にしてもあの世界に返すには異端過ぎるからね」
ゼウスはまたもぐぬぬっと唸る。
「更に言うとあの少年、名を呼ぶのも忌まわしい奴に魅入られている可能性がある」
「何じゃと?」
其処で初めてゼウスの表情が大きく変化した。
名を呼ぶのも忌まわしい奴――
その単語を聞いた途端、ゼウスの警戒心は最高潮に達した。
「それは本当なのか?」
「まだ確証は無いけどな」
二柱の間に沈黙が流れる。
やがて、その沈黙をゼウスが破った。
「・・・なら、せめて石英の事はおんしが見守っておくのじゃぞ」
「解っているよ」
ミカドは手をひらひらとさせ、そう答えた。
対するゼウスはやれやれと一息吐く。
「では、わしはそろそろ帰るでの、またの世界を司る神ミカドよ」
そう言ってゼウスは元の世界へと帰って行った。
世界神ミカド――
彼は一柱、にやにやと笑いながら石英を見る。
「まあ、僕が石英の事を面白いと思ったのも確かだけどね・・・」
ミカドの瞳には石英の姿が映っている。そしてぽつりと一言呟いた。
「石英、彼は何れ神殺しにまで成長するかもしれんな・・・」
その言葉は誰に聞かれる事もなく、虚空に消えた。




