殺シタイ・・・
「ぐすっ、ひっぐ・・・、うぐうっ・・・」
「頼むから、もう泣き止んでくれよ」
石英は泣きじゃくるルビを必死で慰める。しかし、ルビは泣き止まずに石英の胸に顔を埋めて更に泣き続ける。
石英とヘリオドールの決闘からかれこれ一時間程が過ぎた。一向に泣き止まないルビに石英達は困り果てる。
「いやあ、すまんね!まさかこれほど大泣きするとは思わなかったよ、カッカッカッ!」
「お前なあ、もう少し反省するとか・・・、いや、もう良いよ」
全く反省した様子の無いヘリオドールに、石英は頭痛を堪える。
「私は好きだよ、そんな石英君の事が」
「ひっぐ、うわーーーーーーーーーーーーーーーんっっ!!!」
ルビが更に大声を上げて泣きじゃくる。石英に抱き付く力が更に強くなる。
石英は苦笑してルビを宥める。そして内心溜息を吐いた。
どうした物か・・・。疲れ切った表情で石英はルビを抱き締め、頭を撫で続けるのだった。
本当に御苦労な事である。
・・・・・・・・・
暗い暗い闇の中、ぽつんっと石英は一人、虚空の中に立っていた。
否、一人ではない。石英の前にぼんやりと血色の仮面が浮かんでいた。
仮面からは絶えず唄が流れている。
殺せ、殺せ、血を流せ―――
血を浴び、血を呑み、肉を喰らえ―――
殺せ、殺せ、殺戮しろ、殺害しろ、殺傷しろ―――
唄え、唄え、殺戮讃歌を―――
嗤え、嗤え、嗤って殺し、殺し続けろ―――
嗚呼、殺シタイ―――
・・・・・・・・・
次の瞬間、石英は目を覚ました。
薄暗い部屋の中、石英の荒い息遣いの音だけが聞こえる。
「・・・・・・・・・夢か」
あの後、何とかルビを泣き止ませた時には既に夕刻になっていた。其処で、ヘリオドールは城にある客室をそれぞれに用意したのだ。
窓の外を眺めてみると、まだ外は暗い。
「嗚呼、殺シタイ・・・」
呟いて、石英ははっとした。
そして気付いた。自身の殺人衝動が暴走し掛けている事に。
殺シタイ、殺シタイ、殺シタイ―――
嗚呼、殺シタイ―――
「っ!!」
石英はよろよろと立ち上がり、部屋から出た。
このままではマズイ。下手をすれば、ルビやコランを殺しかねない。
何とか此処を去らなければ。此処から消えなければ。
自分さえ死ねば、誰も殺さずに済む―――そう思い至り、天空都市の外にある断崖へ向かう。
殺人衝動や破壊衝動などを堪えながら、何とか城の中を進んで行く。
すると―――
「よお、こんな所で奇遇だな」
城の玄関口広場で、ヘリオドールに声を掛けられる。
ヘリオドールだけではない。其処にはルビとサファイヤも居た。
「石英・・・」
ルビが心配そうに石英の名を呟く。サファイヤも悲しげな目で石英を見ている。
「殺シタイ、殺シタイ、殺シタイ、殺シタイ、殺シタイ、殺シタイ、殺シタイ、殺シタイ―――」
「・・・・・・・・・やはり、殺人衝動に憑かれていたか」
うわ言の様に呟き続ける石英に、ヘリオドールは苦々しい顔で舌打ちした。
その間にも石英の殺気は膨れ上がってゆく。既に殺気だけで空気が重苦しくなっている。
「ぐっ、う・・・」
「石英!?」
苦悶の声を上げ、蹲る石英にルビが駆け寄る。しかし―――
「っ!?危ない!!」
ヘリオドールが叫び、咄嗟にルビと石英の間に割って入る。瞬間、銀の閃光が閃いた。
飛び散る血潮。ルビの顔が驚愕に染まる。
ヘリオドールの腕から血が滴る。ルビを庇ったのだ。
なら、誰が攻撃したのか?
言うまでもない、石英だ。石英の手には血の滴るナイフが握られている。
「石英、どうして・・・?」
ルビの顔は悲しげに歪んでいる。その心は絶望に染まって行く。
しかし、石英は何も言わずに只、ナイフを構える。相変わらず石英からは重苦しい殺気が漂い、全く油断できない。
その様子にヘリオドールは舌打ちする。
「無駄だ。今の石英君は殺人衝動に支配されている。もはやそいつは殺人鬼そのものだ」
「そ、そんな・・・」
ルビの瞳に涙が滲む。目の前にはナイフを構え、殺気を放つ石英。
もうどうしょうもないのか?もはや殺し合うしかないのか?
と、その時―――
「・・・げろ」
「石英?」
「に・・・げろ、早く・・・、もう・・・誰も、殺し、たく・・・ない」
途切れ途切れに、それでもはっきりと石英は殺したくないと言う。その言葉にルビははっとする。
嘗て石英は辻占い師に空虚であると言われた事がある。虚無が仮面を被っている様な男だと。
しかし、これは明らかに本心からの言葉である。そう、心あっての言葉である。
決して仮面なんかでは無い。石英は心の底から殺したい訳ではないのだ。
「・・・・・・・・・」
ヘリオドールは黙り込んだまま、じっと石英を見る。
石英は先程から頭を抱えて蹲っている。
「嫌だ、殺したくない。殺し・・・、たく・・・」
「もう良い、石英君。もう我慢するな」
唐突にヘリオドールが語り掛ける。石英ははっとして俯いていた頭を上げる。
ルビとサファイヤも驚いた顔でヘリオドールを見ている。
「私がお前の衝動を受け止めてやる。安心しろ、私は簡単には死んではやらん!」
「ちょっ!何を言ってるの!?」
笑って石英を挑発するヘリオドールにルビが驚いて止めに入る。しかし、そんなルビの肩に手を置いてサファイヤが止める。
慌てるルビにサファイヤはゆっくりと首を横に振った。
「今はヘリオに任せましょう。大丈夫、彼女なら何とかしてくれる」
「・・・・・・・・・」
その言葉にルビは黙り込む。そして、不安そうに石英とヘリオドールが対峙するのを見る。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
石英はじっと黙してヘリオドールを見る。重苦しい殺気はまだ溢れ出ている物の、その表情に先程までの苦悶は無い。
どうやらヘリオドールの意図を探ろうとしている様だ。
それを見て、ヘリオドールは不敵に笑う。
「来いよ、それとも私じゃ役不足かい?」
「あああああああああああああああああああああああああああ!!!」
その言葉に発破をかけられ、石英は飛び掛かる。
一瞬の内に距離を詰めてナイフを一閃。その必断の威力を秘めた斬撃を、ヘリオドールは石英の懐に潜り込む事によって躱す。
お返しとばかりに、ヘリオドールは石英の水月に掌底を叩き込む。
・・・が、その掌底は虚しく空を切った。
背後からの殺気にヘリオドールは振り返る。刹那、反射的に上体を後方に仰け反らす。
目と鼻のすぐ先をナイフが通り過ぎる。ヘリオドールは思わず冷や汗をかいた。
石英の動きが、先程の決闘の比では無い。動きのキレが違う。
が、のんびりしている程余裕は無い。ヘリオドールはすぐに後方に飛び退き、距離を取る。
当然、簡単に逃す程石英は甘くない。すぐに追撃を仕掛ける。
一閃。二閃。三閃。一気に増加して二十三閃。
その斬撃、一つ一つが必断の威力を持っている。
当たれば鋼すら容易く切り裂くだろう。否、その斬撃はもはや竜種の鱗すら断つだろう。ヘリオドールは何とか斬撃を避け、受け流した。
「ちいっ!しゃら、くさいっ!!」
ドラゴンブレス―――ヘリオドールの口から放たれた閃光は万物を打ち砕く破壊力がある。
閃光は瞬く間に石英を呑み込んだ。
一閃。
万物を打ち砕く閃光は必断の一閃によって切り裂かれた。
「なっ!?」
絶句。流石のヘリオドールもこれには愕然とした。
石英はドラゴンブレスを、否、事象を斬って見せたのだ。
すなわち、閃光そのものを斬るのではなく、ドラゴンブレスという事象を斬る事で閃光を斬ったのである。
まず、人間技では無い。
解りやすく説明すると、紙に描かれた絵を斬る様な物だ。まず、次元が違う。
・・・この場合、ドラゴンブレスが絵でそれをナイフで斬る様な感じか。
「ヘリオ!!」
「っ!?」
一瞬。ほんの一瞬、ヘリオドールが呆然としていた隙に、石英は距離を詰めた。
交差する石英のナイフとヘリオドールの爪。
飛び散る鮮血。折れたナイフ。
ヘリオドールの爪は石英の胸に深く突き刺さり、貫通していた。
石英は力なくヘリオドールにもたれ掛り、その瞳は闇よりも虚ろだ。
「イ、イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
ルビの悲鳴がその場に響き渡った。




