【第三回・文章×絵企画】【東京悪魔と知恵の実】
牧田紗矢乃さま主催【第三回・文章×絵企画】参加作品です。牧田紗矢乃さま(http://12498.mitemin.net/)のイラスト『ちっこいの』に文をつけさせていただきました。
「番号札666番でお待ちのお客様」
「番号札666番はこの青山ヴェ……」
「6番窓口にお越しください」
「よかろう」
生物は生まれ持ったもので生きていけるように生まれついている。よほどのことがない限り、生物はその生物の格にあった機能を不足せずに持つ。生物として生まれた瞬間死ぬような種の生物はいない。かつてはいたのかもしれないがそれらは進化に淘汰されたため現在は生き残ってはいない。悪魔の父と人間の母を持ち、人間を基とした肉体で生まれた俺も、悪魔としても人間としても格も知も肉も欠けてはいない。むしろ人間というものは進化の過程で不要となったものさえも生に組み込まれて生まれてくる。盲腸などいい例だ。そしてもし俺が母から多く受け継いだ人間の体で、人間として生きていくのなら、悪魔の父から受け継いだ弱点は不要である。
悪魔の苦手なもの。十字架、聖水、お祈り、銀の銃弾。この辺りは定番だろう。しかし、意外と知られていないものがある。そう、鉄によって作られた輪である。
父から受け継いだ悪魔の弱点の幾つかを持つ俺は、母が俺を産んだ場所により、巨大な鉄の輪により描かれた聖なる結界、即ちJR山手線の線路に生まれながらに囲まれ、東京の中心部にぐるりと輪をかくこの範囲から外に出ることができない。つまり俺は東京から一歩も外に出たことがない東京悪魔なのだ。母と他一人を例外とする愚かで哀れな種、人間にはない弱点だがこの弱点こそが俺が悪魔である証左であり、結界が破れれば俺は悪魔である父、それも天使から悪魔に転職した地獄創業者にして地獄取締役・大魔王ルシファーより継いだ力が目を覚まし、俺を30年にも及ぶ年月封印した東京、そして地上を蹂躙できるとそう信じて生きてきた。
だが悪魔の誇りを持つ人間として生きている今は、悪魔の格でも人間の丈で生きるしかない。
「今日はどうされました」
「どうしたもこうしたもない。鳴らぬ、動かぬ、そもそも点かぬ」
「故障ですね。拝見します」
今や携帯電話及びスマートフォンは人間、いや、知性を持つ存在にほぼ必須の存在である。地獄で働く父ルシファー、神の教えを紙媒体で下界に布教すべく天国新聞ヘヴンタイムズの拡張員をやっている下っ端天使カマエルも念波の他に電話を持つ。天界のナンバー2である大天使ミカエル叔父上などはありとあらゆる電子遊戯が「いずれ人間を堕落させる禁忌になる可能性がある」の建前で電子遊戯にうつつを抜かし骨抜きにされており、人間の電波が届かない天界から度々地上に降りてきては電子遊戯の危険性を検証している。地図上に設置された化け物に赤と白の礫を投げつけて下僕とする遊戯が流行った際には「めざせ! ポケモンマスター」のグループLINEを設置し、俺とカマエルと母上から化け物目撃情報を募りつつ、スマートフォンの電池と予備バッテリーを使い果たしては俺の家で充電し、下僕を探して次の町へと向かっていった。
今やスマートフォンは必要不可欠なものなのだ。同じ通信手段でも矢文や伝書鳩や手紙とは違う。スマートフォンは電話、メール、匿名非匿名の各種SNS、カメラ、さらには無限に広がる知識の宝庫インターネットを簡単に開く鍵で娯楽でもあり、知的な存在が時間を余すところなく有意義に使うためには必需の複合的な存在なのだ。故に、もし人間が必要なものを全て親と進化の過程から受け継いで生まれてくるならば、この先の進化ではスマートフォンを生まれ持たねばならないのだが、世の中にはネットリテラシーという概念が存在しこれを生まれ持たない人間という種は後天的にそれを観につける必要があり、やはり人間如きにスマートフォンは文明の利器ではなく過ぎた玩具である。だがしかし人間の上に立つ我ら悪魔、そして俺が人間を名乗る場合の「齢30」は、十分にスマートフォンを持つに値する存在である。齢30の我々は蒸気機関による産業革命などゴミのように蹴散らせるほど大きなIT革命が直撃した世代の後期にあたる。既にそこにはネットがあって当たり前の世代であり、俺の勤め先も社長が十代の頃にネットで集めた仲間と共にはたちそこそこの小娘の分際で始めた会社である。
くどいようだがスマートフォンがない生活は知的な生活とは呼べない。故に知的な存在はスマートフォンを先天的に持つべきなのだが未熟な人間のせいでその進化にはまだ至れていない。叔父上曰くは叔父上のスマートフォンがほんの数分でも動作不良を起こせばその連絡の遅れで世界が滅ぶ場合もあるという。俺の仕事にそれほどの影響力はないがなければ困ることに変わりはない。そして近年普及した最も手軽且つ素早い通信手段LINEには既読スルーというマナー違反があり、俺はとある人物からの連絡に既読をつけたまま、後で返事をしようと思っていたのだがこの様である。鳴らぬ、動かぬ、そもそも点かぬ。
「かなり長い間使われていたようですね」
「4年ほどだ。だが何もしていないのに鳴らぬ、動かぬ、そもそも点かぬ」
「なるほどですね」
「保証は効かぬか」
「保証期間も終わってしまっておりますね。4年となると機種もだいぶ進歩しておりますので、この機種はもう取り扱いもありませんし、ほぼほぼのお客様が修理ではなく機種変更されます」
「機種……変更……だと?」
スマートフォンの進歩と俺の知性の調和による明るい展望のパビリオンが俺をいざなう。機会なき故にその看板すら想像できなかった機種変更という我が知性のしもべの新たな次元。大人げなく俺は口角を上げた。
「カタログを持てい」
「今はiPhoneにされるお客様が多いですし割引価格でタブレットも」
「iPhone、知恵の実か。俺にふさわしい。持てい」
「今は日本の7割がiPhoneですから。家族割りなどのプランは」
「いらぬ」
俺の三人しかいない肉親のうち、父上と叔父上の二人は電波と念波の二刀流である。俺が知らぬだけで母上すらも既にその次元にいる可能性すらある。
「かしこまりました。少々お待ちください」
愚かなり、俺!
「ボタンが……一つだと……?」
一気に操作の変わった我が知性のしもべ、さらに以前のしもべからの引き継ぎ業務が万全ではなく一部の機能が不全であり俺はかつての自分が仕掛けた高度な暗号を解くことが出来なかった。あまりにも賢すぎる在りし日の俺を呪いさえした。俺の知性はしばし渋滞した。違う、違うのだ松田よ。違うのだ。俺は読んだ上で無視を決め込んだのではない。読んだ上で返事を考えているうちに我が愛機が獄に召されたのだ。貴様を置いてけぼりにしているのではない。俺は返事をしないのではなく、返事が出来ないのだ。
しかしいくら頭を抱えても何も変わらない。いくらスマートフォンが必需品でもあちらが我らに歩み寄ることはないのだ。所詮彼奴らは機械である。やはり我々はスマートフォンを生まれ持つべきではないのだ。この便利さを知らねば失った時に窮地に陥ることもない。こんなに苦しいのならば、こんなに不便ならば、スマホなどいらぬ! せめて前の機種を返してほしい。知恵の実如きにうつつを抜かした俺が悪かった。
「叔父上か?」
「神より賜った我が名はミカエルだ」
「叔父上はiPhoneに詳しいか?」
プレイステーションのボイスチャットにて叔父上に助けを求めたがすぐに我が城までやってきてくれた叔父上はおそらく今日も下界のどこかに借りた電子遊戯部屋で禁忌の検証をしていたのだろう。俺には使い道がないであろうタブレットを謝礼に渡そうとしたが叔父上は不要だとそれを断った。
「私にそれは必要ない。だがお前がiPhoneを手足のように操り、我が子のように愛せるようになった時、お前はそれを必要とするだろう。その時お前は限りなく、ジョブズが夢見たような万能に近い存在になる。人間がその域に達するのはまだ早い。まずは我ら天使が手本とならねばならない。まだ若いお前はそのiPhoneのように白紙だ」
「俺の履歴書のことを白いと言っているのなら叔父上だろうと俺は戦うぞ。それにこれを扱いこなせる自信は今はまだないな。そして叔父上よ、俺は天使ではない。悪魔だ」
「自信がないだと? ならばお前は何のため悪魔を名乗る! 人間の作り出したモノ如きを扱えない、人間に後れを取るような悪魔に何の意味がある! そんな悪魔なら必要ない、辞めてしまえ!」
「すまぬ……」
「……少々熱くなってしまったな。こちらこそすまなかった。だがこの試練を乗り越えられぬようでは、悪魔としても、天使としても、人間としても底が知れるだろう」
叔父上は大天使を任されているために非常に正義感が強く厳粛な天使である。言い換えれば短気である。そして感情が高ぶった叔父上の聖臭さは悪魔である俺には心地が良いものではなく激高した叔父上は恐怖の対象以外の何物でもない。しかし叔父上は激高してもすぐに冷静さを取り戻すため聖死ぬことはない。火傷しない程度の熱湯を一瞬かけられた程度だ。しかし何ゆえに俺はここまで言われねばならぬのか。
「さぁ、汝のiPhoneを愛せ」
「仲良くやろうではないか、iPhoneよ」
「その心がけだ」
「悪魔のしての立場上はひれ伏せ! とも言わねばならぬのだが」
「構わん。私はお前と兄上の立場を理解している」
「俺の前にひれ伏せiPhoneよ!」
「さぁ、これでこのiPhoneはお前の友人となった。パスワード再発行も後はお前でも出来るだろう。私はここらで失礼しよう。しあわせタマゴは30分しか効果がない」
「ああ叔父上。助かった。倍返しが叔父上の流儀であったな。どう返そうか」
「気にすることはない。それは私が返す時のみの流儀だ。私の行いは全て無償の愛のもの」
「忝い」
「仲良くやれよ、我が甥よ」
「ああ」
叔父上が手続きを進めてくれた各種パスワードの再発行の手続きを済ませ、俺はすぐに松田にスマホの故障による機種変更のために返事が遅れた旨を書いた。しばしiPhoneをいじくり存外こやつも悪い奴ではないのではと思い始めた頃に松田からの返事があった。
「iPhoneからメールくるとiPhoneから送信って出るのなんかあれですよね」
おのれ……
「たかが食いかけの腐りかけた果実が! 己が名を勇名と信じて疑わずむやみやたらと名乗ることが滑稽な虚勢だとも気づかず! 気取りと知性を混同するとは何たる無知! 恥を知れ!」
だが、今俺を世界と繋いでいるのはこの食いかけの知恵の実のみなのだ。
「日本の7割はiPhoneだそうだぞ、iPhoneから送信」