人間の成れの果てのただの怪物
データとして鏡に焼き付けられ肉体を失ったことで、石脇佑香は寝る必要がなくなっていた。焼き付けられた当初は寝るようにしていたものの、しかしそれはまったく無意味な行為でしかなかった。寝ることで休ませるべき肉体がないのだから、意味がないのだ。アニメの視聴に夢中になり何日も寝なかったのに全く平気だったことで、寝る必要がないことに彼女は気付いてしまった。そのこともまた、自分が既に人間ではないという認識に拍車をかけていた。それが更に、自分は人間ではないのだから、人間に対して共感したり同情したりする必要がないという感覚を大きく育てた。
それでも、かつては人間だったことから<知識として>他人に気を遣ったり共感したりということが必要だということは記憶していた為にそう振る舞おうとする部分も初めのうちは多少は残っていた。しかしそれも自身の感情に飲み込まれ押し流され、見る間に消えていったのである。
そこにいたのはもう、人間ではなかった。かつて石脇佑香と呼ばれた人間の成れの果てのただの怪物だった。
「くっそ~、忌々しい。どうしてくれよう…?」
いかにしてナイター中継を無くすかということに執着する彼女はもはや、手段と目的が逆転しつつあった。ナイター中継を無くすというのは、その放送が延長したりしてその後のアニメの放送時間がズレたりするのを防ぐという目的の為の<手段>でしかなかった筈にも拘わらず、いつしかナイター中継を無くすことそのものが<目的>となってしまっていたのだった。
こうなるともう、歯止めが効かなくなっていく。自分の行おうとしていることがどんな結果を招くのかということを考えるのすら面倒になってくる。それでも彼女は思案した。思案して思案して、しかし思案すればするほど、これまでの十四年の人生の中で溜め込んできた様々な不平不満が鮮明に思い起こされてきてしまったのだった。
幼い頃、家にテレビがまだ一台しかなく、その一台のテレビをナイター中継を見ている父親が独占していたことで見たかった番組が見られなかったことや、そのことで不服そうな顔をしていただけで父親に叱責されたことや、ナイター中継の為に見たかった番組がなかったことや、プロ野球だけでなく高校野球の中継の為にやはり見たかった番組がなくなったこと等々が思い出され、その鬱屈した恨みがきっかけとなってそれ以外の様々な過去の嫌な記憶が呼び覚まされてしまったのである。
保育園の頃にイジメられたことや、小学校の低学年の頃に学校帰りに見知らぬ男に呼び止められ強引に人気のないところに連れ込まれ下着を下ろされそれを写真に撮られたことや、そのことを話そうとした母親は『今忙しいから』と自分の話に耳を傾けようとさえしてくれなかったことや、服が古くなって汚れていたのに親は新しい服を買ってくれなくてそれが原因で同級生から『汚い』とか『バイキン』とか言われてからかわれたことや、それを親に話したら『言い返せないあんたが悪い』と逆に怒られてしまったこと等々が、他者への共感性を大きく欠いた石脇佑香の精神を強く揺さぶったのであった。