一話 ボーイミーツガールズ
あの日、覚えているのは
たくさんの悲鳴、逃げる人、それを追いかけるたくさんの魔獣
たくさんの魔獣にこわされる街
たくさんの火、
そして私の目の前に現れた三つの頭を持つ魔獣
そして黒い巨人
十一年前 日本 東京 午後三時
破壊され火を上げる建築物、ひび割れところどころ陥没した道路、そこに散乱する男も女も老いも若いも関係なく無残に殺された死体や瓦礫。
かつて多くの人が賑わい歩いていたが、今、我が物顔で歩くのは破壊の限りを尽くす神話や伝説で語られる様々な怪物の姿をした人類の天敵である魔獣である。
幼い少女は走っていた。
瓦礫の街をただ一人で。
訳も分からず見知らぬ道を安全な場所を求めて走り、そして道の行く先を瓦礫で塞がれた行き止まりに着いてしまった。
来た道を引き返そうと振り返った少女の前に、まるで神話の中で語られる地獄の門番の如き魔獣が地の底から聞こえてきそうな唸り声と共にゆっくりと散歩でもするように迫る。
それは戦車よりも大きく
獰猛なドーベルマンのような頭が三つ
全身を筋肉で構成された巨体に、短毛だが紫の艶のある毛並み
それを支える四本の足は丸太のように太いが歩みは、獲物との距離を測る肉食獣のように一切の淀みなく体をゆっくりと確実に少女の元へと歩み寄らせる。
尻尾は自我を持つ鞭の様なうねる蛇が舌をチロチロと出している。
少女の前に現れたのはケルベロスと呼ばれる中型種に分類される魔獣だった。
恐怖に動けぬ少女と獲物に忍び寄る肉食獣のように歩み寄るケルベロスは息の当たる距離にまでになった。
肉食獣特有の臭いを放つ息が少女の顔を舐め、爛々と燃え盛る六つの目が品定めをするように少女を見る。
そして真ん中の頭が少女を食わんと大きく口を開ける。
奥行きのあるその中には、一本一本が人間の体など簡単に引き裂くことが出来る研ぎ澄まされた鋭いナイフの様な無数の牙が並び、少女を味わう為に動く大きなナメクジの様な赤い舌、そしてご馳走を前にした人間のようにあふれ出てくる強酸性の涎が滴り落ち、地面に小さく無数の穴を作る。
少女はただ茫然と見ていた。目の前のどこまでも続く深い闇に震えることも目を離すことも瞑ることも出来ずに、ただただ見ている。声も上げることもできずに。
だが一つ分かっている、自分は死ぬのだと、この目の前の魔獣によって、牙に引き裂かれ、舌で味合われ、飲み込まれ、胃袋に収まる。それで終わり。
今から食らう少女を先に少しでも味見しようと唾液塗れの舌が幼く白い肌の顔を舐めようとした――――
――――瞬間――――
ケルベロスが少女の視線の先のビルまで吹き飛ばされた。
叩き付けられ、その衝撃によって崩落するビルがケルベロスを飲み込み瓦礫の山となる
突然の事に少女の理解が追い付かない。
今さっきまでケルベロスのいた場所に
黒い巨人
がいた。
少女を見下ろす巨人。獣のような感情の読めない顔、紅く光る目、側頭部から生えたねじれた角、威圧感を放つ強靭な身体は足の先、指の先まで黒く刺々しく禍々しい全身鎧に身を包まれ、腰の辺りから生えた太く鎧に覆われた尻尾、折り畳まれた蝙蝠の様な翼、獣の顔をした悪魔のような姿をした異形の巨人。
瓦礫の山に埋もれていたケルベロスが自らを覆っていた瓦礫を押しのけ姿を現し、自らをこのような目に合わせた黒い巨人に三つの頭が吼えた。
オオオオォォォォンンン!!
鼓膜をつんざく咆哮に蹲り耳を塞ぐ少女、そしてそれを守る様に巨人が覆いかぶさる。
ビリビリと周囲の空気を震わせ音波兵器のように建物や道路にいたるまでの人工物に無差別に破壊の爪を刻んでいく。
咆哮による破壊活動に満足げな顔を浮かべるケルベロス
自分の下で小さく怯える少女が生存していることを確認すると黒い巨人が何事もなかったかのように立ち上がりケルベロスの方へ数歩、歩いたところで突進した。
黒い巨人が起こした爆風にも近い強風が少女に襲う。
約50mの距離を一瞬で詰め、鋭く尖った右手を伸ばし、まずは真ん中の頭を完熟した軟らかいトマトのように
グチッ
潰した。
そして驚き吼える左右の首を掴み、まるで子供が紙を破くように簡単に身体を引き裂いた。
わずか数分にも満たない攻防は、黒い巨人の一方的な殺戮で終わり
黒い全身鎧は返り血を浴び、赤と黒のまだら模様になる。
巨人の一切の感情が読み取ることのできない紅い目が少女を見つめている。
おそらくは少女の無事を再度、確かめているのだろう。
濃密な血の匂いが少女の鼻に届くと、強烈な吐き気に襲われ
「うっ、ぉぼっぇ」
昼食として食べたものが胃液に塗れ半固形物として地面に吐き出された。
胃の中身をすべて戻しても、何度も、波のように吐き気が押し寄せてくる。
こうしていともたやすく少女は救われた。童話で語られるような白馬の王子ではなく、神話で語られる悪魔のような姿をした異形の巨人、魔獣を殺すために生み出された異形の兵器によって。
兵器の名は〈メサイア〉救世主の名を冠する最強の人型兵器
この日、東京は魔獣によって壊滅、また重度のマナ汚染によって人の住めぬ地になり、軍によって厳重に封鎖、第一級封印地として今後千年の人の踏み入りを禁止された。
人類は突如、中国大陸の内部に開いた巨大な次元の裂け目より現れた異世界からの侵略者、〈魔獣〉とこの世界の生存をかけて戦争をしていた。
後に生存戦争と呼ばれるこの戦争によって、人類は〈魔獣〉によって滅ぼされると思われたが、新たなる異世界よりの来訪者である〈エルフ〉に救われることとなった。
〈エルフ〉によってもたらされた〈マナ〉と呼称された自然エネルギーを使ったマナ技術は通常兵器の効かない〈魔獣〉に大きな戦果をもたらすことになり、これにより僅かだが反旗ののろしを上げ抵抗する人類だが生存の年数を伸ばしたに過ぎず、〈魔獣〉の攻勢により徐々にその次第に数を減らしていく人類であった。
戦争が30年経つかという時についに人類は一つの兵器を造ることに成功した。
長期に渡る〈魔獣〉の研究と〈エルフ〉のマナ技術、そして人類の機械技術によって生み出された
〈メサイア〉と呼称される対魔獣用人型兵器によって人類は〈魔獣〉と対等またはそれ以上の力を得ることになった。
そうして〈魔獣〉との戦争も次元の裂け目を閉じることにより約百年続いた戦争も一応の終結を迎えた。
十一年後 20XX年、戦争終結より11年後の5月、日本、国立神杖学園東北分校
「迷った・・・」
真新しい紺色の制服を着た転入生である黒髪の少年、海神=凪(ワダツミ=ナギ)は校門の守衛からもらった広大すぎる学園の校内地図を見ながらつぶやいた。
本人は困っているのだろうがしかしその整った顔立ちに困ったような様子はない。誰か他人がこの姿を見ればただ何か考えているだけなのだろうと考えるだろう、だがその他人が今はいない、誰かいれば道を聞きたいのだが、あいにく今日は休日、生徒はおろか教職員も見かけていない。
しかたないと地図に書いてある建物と実際の建物を見比べながら自分がどこに居るのか、そして目指す場所である正門前までのルートを頭の中で検索する。
「あの建物が・・・これか?・・・」
しかし、どの建物も見た目も間隔も同じように立っている。
そして何よりも凪を迷わせているのは学園の広大な敷地だ。
初等部から大学相当の校舎、軍の研究施設、訓練用のグラウンド、その他様々な施設が学園内の敷地内にあり、敷地内の移動に大型バスが走っている。
あまりの広さに通いなれている生徒ですら油断すれば遭難する。それほどまでに広大な敷地面積を誇る学園で迷子になることは仕方がないともいえるが、軍の施設もある場所で一人で行動できるはずがない。
「・・・動くべきじゃなかったか・・・」
案内人との待ち合わせまでの間に少しだけ見て回ろうとしたのがいけなかった。
チラリと左腕の腕時計を見ると約束の時間である10時まであと10分というところだった。
困ったと周囲を見回すと、ちょうどこちらに向かって走ってくる少女がいる。
これは良かったと思っていると、どうも様子がおかしい。
ただ急いでいるのではなく必死の形相で走っているのだ。
腰まである長い黒髪をなびかせる全力疾走の少女、姫神=櫛那(ヒメガミ=クシナ)は焦っていた。
なぜ私がこのような目に合わなければならないのだろうか、と
答えは単純、自分が悪いのだ。
だがそんなことは分かっている。
分かりきっている。
原因を挙げればいくつも出てくる。
例えば今日のメサイアの補習戦闘訓練に備えて風呂から上がってそのまま睡眠をとれば良かったとか
新しいマナ技術の論文を読んでふと気づけば夜中の三時になっていたとか
これならいっそのこと眠らずにいたほうが良いと思って、朝の五時まで読み続け、やはり少しだけ仮眠を取ろうと思って眠ってしまい
友人からの電話で起きてみればまさかの9時半であったとか。
それゆえの現在の全力疾走
チラリと腕時計を見てみると10時になろうかという所、櫛那は安堵した。
これならギリギリ間に合うと、だが一瞬の安堵が目の前に立っていた少年の発見を遅らせてしまった。
「すいません―――」「えっ!?」
櫛那と凪はあわや正面衝突というところであったが、すんでのところで凪が身をかわし衝突は防がれたがかわされた櫛那は
「とっ!あっ!えっ!?あーーーー!!」
身をかわされた驚きと間に合わなかった。
急ブレーキでよろけ垣根に突っ込む形になってしまった。
「大丈夫ですか?申し訳ありません」
「いたた、いえ、私も不注意で」
櫛那が差し出された手を取り、凪が引っ張り起こす。
見たところ肘や膝などを擦りむいているが、特別大きな怪我をした様子はない。
普段から生傷の絶えない生活をしている為、この程度で済んでよかったとほっとした。
だが、手を引かれ立ち上がろうとしたが
「あいたたたっ、あ、ごめんなさ、いっ!」
右足の鈍い痛みに体勢を崩してしまった。
「おっと・・・」
とっさに凪が櫛那を抱き止める。
どうやら櫛那は右の足首を挫いたようだ。
これでは今日の補修戦闘訓練には参加出来そうにない。
だが今それは櫛那の頭の中にはない。
今、頭の中にあるのは少年に抱き止められているこの状況のことだった。
普段接することのある同級生の男子はいつも汗臭くて、むさくるしくて、などと思っていると凪が櫛那を持ち上げ、いわゆるお姫様抱っこをした。
「え!?あの!?」
痛みも忘れそうな衝撃と気恥ずかしさに櫛那は凪の腕の中でバタバタと暴れる。
「暴れないで、嫌でしょうけど挫いた足のためです。医務室まで辛抱してください」
凪の真剣な顔に暴れる力も抜けていき、そして小さな声で
「・・・はい・・・」
と返事をするのが精いっぱいだった。
きっと自分の顔は今、真っ赤になっていることだろう、そう櫛那は思った。
「申し訳ないのですが、医務室はどこでしょうか?何分ここに来たのは今日が初めてでして、見学もまだこれからしてもらう手はずでして、あー待ち合わせの人にも合わなくてはいけないのですが」
少し困っている凪を見て、櫛那は少しだけ笑った
「?何か可笑しかったですか?」
「いえ、すみません。そうだ私、高等2年の姫神櫛那っていいます。あなたのお名前は?」
「海神凪です。高等2年ですが明後日から通うので先輩って呼んだほうがいいですか?」
「同学年だし、普通に呼んでよ」
「そうですか、では―――姫神さんで」
「約束の時間はとうに過ぎていますよ。海神凪さん」
振り返ると一人の櫛那と同じ白い制服に身を包んだ
太陽光に煌めく金色の髪、整った顔立ちに氷の様な透明感のある青い瞳、滲み一つない雪のように白い肌、長くスラリとした手足、などまるで女性の理想を詰め込んだような背の高い女生徒がいた。
「ソニア会長!?どうしてここに?」
ソニア=エイヴリング
繰主科三年の生徒会会長
文武両道を地で行く才女であり
学園内でも五本の指に入る繰主としてもトップクラスの腕を持つ
「約束の場所にいつまでも来ない、あなたを抱えている海神凪さんを迎えに来たんです。ところでどうしてこんなことになっているのか、理由を説明していただけますか?」
決して表には出さないがソニアの言葉には静かな怒りが込められていた。
「私のせいで姫神さんが足を挫いてしまいまして、失礼ではありますがこのような事になってしまった。ということなんですよ」
凪の説明に、櫛那がうなずく。それにソニアが一応のうなずきを得ることが出来た。
「そうですか、ではまず姫神さんを医務室に連れて行ってから、あなたの案内をしましょう」
「そうしていただけるとありがたいです」
「では行きましょうか、付いてきてください」
そう言ってソニアが案内の為に歩き出す。
それに凪が付いて行く様に歩き始めた。
ソニアと凪の間にまったく会話が無い、そのまま数分が過ぎたところで櫛那が恐る恐るソニアに話し掛ける。
「あの、会長、一つ聞いていいですか?」
「なんですか?」
「会長が海神さんの案内をするんですよね?」
「そうですが何か?」
「いえ、でも海神さん、普通科ですよね?繰主科でもないのになんでかなと思いまして」
神杖学園はメサイアに関する学科がメインであるため、フレームに関係のない普通科は蔑ろとはいかないまでも重要度は低くなっている。
「そのことですか、私にも分かりません。普通科の生徒は軍施設を利用できませんから案内は不要なのですが、何故か、軍からの依頼でして」
ソニアの氷の様な瞳が凪を見る。
突き刺すような視線に櫛那は背筋が凍る思いだが、当の凪は表情を一切変える事無く疑問に答えた。
「申し訳ありません。どうも姉が無理を言ったようでして、私も普通の学校生活を送るだけならいらないと言ったんですが」
「姉?あなたの身元調査表にはそのようなことは書いてありませんでしたが?」
軍の重要施設や研究も敷地内にあるため、学園に入学するには身元調査が入る。
その調査に漏れがあるなど聞いたことがない。
「あぁ、姉といっても本当の姉ではありません。小さい頃からお世話になっている人でミラベル=グレシャムという人です」
「ミラベル=グレシャム!?もしかして炎獄の竜姫の!?」
櫛那は驚きの声を上げる。
ミラベル=グレシャムといえばあのゼロ号門封印の戦いをわずか14歳で戦い抜いた英雄の一人でメサイアの中でも最強の部類に入るドラグーンの繰主、強力な火炎を使用した戦い方から炎獄の竜姫の二つ名を持ち、またその優れた容姿から軍の広報ポスターになったその年の入隊希望が例年の3倍近くにもなったという逸話の持ち主でもある。
「そう呼ばれてもいますね。もっとも本人は嫌がっていますけどね」
「では貴方、繰主の才能があるのではないですか?それほどの有名人とお知り合いなら」
「私は学生としてこの学園に来たんです。繰主科なんてとても、それに役には立ちませんから」
そう言って凪は会話を切ってしまった。
何だか話し掛けにくい状況のまま、櫛那は保健室に送り届けられ、あらためてソニアが凪を学園内を最低限の会話すら無く案内した。