図書室にて。
いつもの放課後。
静かな図書室にて、俺は今日も、読書をしている彼女に、安住千夏に声をかける。
「そういえば」
という、話題提起にはまさしくもってこいのこの便利な言葉とともに、俺は彼女にこんな事を話し始めた。
「安住さんは勉強得意なんだっけ? 今度俺にも教えてよ」
すると安住はロングの髪を掻き揚げ、俺の方を見る。その無表情には笑顔すら張り付かず、そしてその顔のまま、
「愚問です。勉強など、一人でなし得てこそ価値があり、且つその方が最も理解力を向上させるものです。一人で出来ないのは、その意志が弱いからですか? あるいは、問題を解く意欲が無いせいですか?」
そう言ってまくし立て、その後すぐに、読書に集中した。いや、それじゃ話終わっちゃうよ……。
仕方がないので、何か別の話題は無いかと模索していると、
「ところで、因幡さんは勉強が苦手なのですか?」
俺が始めに持ち出した勉強の話題を、今度は俺に振った。まあ、そうだよな。普通に考えれば、次は俺の番だ。
「いや、別に苦手って訳じゃないけど、得意というほどでもないかな」
「……なるほど。では質問を変えましょう。教科としては、何が得意ですか?」
ふむ。教科ね。
高校に上がってからは、教科数もそれなりに増え、難しくなってきている。だから、特別何が得意と、改めて言われると答えにくいものだ。
「そうだな……。英語、とかは、まあ好きかな。点数も案外採れるし」
「前回は何点でした?」
「いやそこ、かなりプライベートな質問だと思うんだけど……」
別に、言ってしまっても良いけどさ。けれど、自慢出来るほどの点でもないし、きっと反応にも困るだろう。それを懸念し、俺は彼女に質問を投げ返した。
「そう言う安住さんは、前回のテスト、一番良かったのはどんな教科なの?」
安住は、しばし沈黙を貫く。科目ごとに点数の比較でもしているのだろう、と思う。単なる暇つぶしだから、そんなに真剣でなくても良いのに。本まで置いてさ。
やがて、安住は口を開いた。
「数学、でしょうか」
「へえ、数学かぁ。俺は全然出来なかったよ。で、何点?」
すると、彼女は俺の方に手を向け、数字を表した。1、0、0、と。
え、いや、ちょっと待て。嘘だろ?
「ええっと、俺の目に狂いが無ければ良いが、いや、出来れば狂っていてほしいが。……それは100点で合ってるのか?」
「それ以外に何が?」
…………、うん、ですよね。三桁だもんね。当然ですよね。
しかし、まさか100点とは。俺なんか76点ぐらいしか採れなかった。
「凄いな。正直驚いた。そういえば先生も、『この中間考査の最高点は100点だ。この中に、一人だけその人物が……いるかもしれんぞ?』とやけに疑問系だったけど、そんな事を言ってたな」
「それが私。と少し自慢げに言ってみたり」
一瞬、某ライトノベルの有機生命体なんたらのようでいて、しかし妙に、別の某ライトノベルの幼女系電波娘のような言葉を述べた安住。……うん、自分で言っててアレだが、超分かり難い。特に後者。
テストの点数に関しては、どうにも分が悪くなったので、俺は話題を転換する事にした。英語で言うならシフトチェンジって感じ。何かのルビで使えそうだなこれ。
「そうそう、話は変わるんだが、」
今度は話を切り出すのではなく、転換するので、上手く軌道に乗せなければならなかったが、いかんせん俺はコミュニケーション能力が低かったようだ。不自然な形での切り替えになってしまった。
しかし後悔しても始まらない。俺は頭をフル回転させ、何とか話題を作り出す事に成功した。
「テストが終わった後の休日は、何してる?」
「いやに限定的ですね。しかも、テストのその後の過程ですので、大して話を変えているとは思えませんが」
「良いから。そういう俺の心を抉るようなコメントはいらないから。言語力低くてごめんなさい」
最後はついに謝ってしまった。メンタル弱いなぁ、俺。安住はと言うと、前に垂れ下がりかけた長髪を掻き揚げながら、
「休日は基本的に、読書をしていますが、テスト終了後となればそれなりに、気分も昂揚しますし、」
「うん」
「昼寝してますかね」
「気分昂揚してるのに!?」
感情の持ち腐れ、とでも形容しようか、彼女はそんな突拍子もないことを言った。
「特に、昼を過ぎた夕方よりの時間がちょうど良いです。両手を広げて、窓から差し込む暖かな西日を浴び、うとうとと、あるいはうつらうつらと、微睡んでしまうあの一時は、非常に心地良く、また気持ちの良いものです。瞼を閉じ、まるで大自然の中にいるような光景を想像すれば、一層気持ちが安らいでいくのです……」
ふわふわふわー、と彼女の想像が目に浮かんだ。と言うよりか、彼女のそんな姿が。……うん、シュールだ。果てしなく。この上なく。
ふと、彼女が喋らなくなった事に気付いた。見れば、彼女は目を閉じ、眠そうな様子でいた。……可愛いな。
それにしても、寝顔ってどうしてこう可愛く見えるのだろう。普段見られない表情だから、余計その感が強いだけかもしれないが。
「おーい、目を覚まそうよー。今はまだ現実の中だぞー」
「……はっ!? ……すみません、つい」
恥ずかしそうに頬を赤らめる安住。
「妄想で寝られるとは……、安住さんって、色んな意味で凄いな……」
正直、この瞬間で安住を見る目が変わった気がする。
「ところで因幡さん」
「何?」
「因幡さんの英語のテストは何点ですか?」
「あ、そこに戻っちゃうんだ……」
というか、覚えてたんだ。記憶力良いな。
「いや、言っても良いけど、面白くもなんともないよ?」
「私には構わず、さあ言ってしまって下さい」
そう言って急かす安住さん。……無表情だから、全く感情が読み取れないけど、なんか楽しんでない? この子。Sなの?
「……えっと、ね…………。……………………84点」
割と良い方の点だが、それまでだ、大して凄くもない。平たく言えば――
「まあまあですね」
「ムカつくなぁその言い方!」
だけど正解。その程度でしかない。
「では、最低点は」
「勘弁して下さい」
ついに謝った。本日二度目の謝罪である。嗚呼、心が折れそうだ、プラスチック並みの強度の。脆いなぁおい。
「それはそうと因幡さん」
「これだけ傷を抉っといて、何食わぬ顔で会話を進めるとか……」
どんだけ大物だよ、という言葉は、胸の内だけに留めておく事にした。なんとなく。
安住は一呼吸置いて、
「今回のテストの平均点を教えて下さい」
「どんだけテストネタ引きずるんですか安住さん!?」
「失礼。間違えました。因幡さんの休日の過ごし方を教えて下さい」
「まず俺は何をどう間違えたらそうなるのかを教えてもらいたいね!」
「因幡さん、静かに。しー」
「あんたがそうさせてんのに!」
とはいえ、ここは図書室なので静かにしておかなければならない。一度冷静になり、落ち着きを取り戻そう。
「ふぅ…………それで、何だっけ?」
「因幡さんの休日の過ごし方はどのようなものですか? という質問でしたよ」
「そっか、そうだったな。俺はゲームしたり、漫画読んだり、遊びに行ったり…………基本的にダラダラしてるな」
自分で言っててなんだが、少し改めないといけないな、この生活。
「なんだか楽しそうですね」
「そうかな? 姉貴からは『だらけすぎだーっ!』って怒られてばっかなんだけど」
「因幡さんには、お姉さんがいるのですか」
安住さんはそこに食い付いてきた。そういえば、その事は言っていなかったっけ、クラスの誰にも。
俺は少し渋りながら、安住にその事を告白する。
「……ああ。いるよ。義理の、って代名詞が付くけど」
「従姉ですか?」
「それとは、また違うんだ。……でも、……うん。その認識でも間違いじゃない、というより……、」
そうであって欲しかった。その方が、幾らかマシなように思えるから。……元々、家庭の事情でそうなったのであり、俺らが気負う事でも無いのだけれど。
「言えないのですか?」
「出来れば、言いたくはないかな」
「なら良いです」
安住は空気を読んで、そこでその話題を終わらせてくれた。代わりに、今度は俺から彼女に質問した。
「安住さんは、兄弟とか姉妹とかはいるの?」
「生憎、私は一人っ子です。独り身なのです」
「いや、そのジョークはどうなんだろう……」
いまいち上手いとは言い難い。それにしても、安住は一人っ子なのか。
「そこは因幡さん、それじゃ意味変わってくるだろーとツッコミを入れるぐらいの余裕を見せてほしかったです」
「なんか変なとこ指摘された!」
まさかそこで話を繋げるとは。というか、話題を拾うのが上手い……のかな?
安住はそんな俺の怪訝を見抜く事なく、自由奔放に話を進める。
「ツッコミ力というのは大事なんですよ」
「……どういう時に?」
「なんせコミュニケーション能力と深い関わりを持ちますから」
「確かにコミュ力無ければツッコミは出来ないけどもね」
「そして、コミュニケーション能力があったとしても、その力をツッコミ力に活かすのは困難なのです」
「意外だなぁツッコミにそんな深さがあったなんて!」
そんな訳あるかい。
「ですが、ツッコミとはボケがあって初めて成立するものです。……そこで因幡さん、はいどうぞ!」
「前振りヘタクソか! そしてそんなんでボケに入れるほど上手くねえよ!」
「いえ、前振りボケです」
「ツッコミづらいな!」
と、俺がツッコんだところで会話が一段落し、一つため息を吐く。
「……なんて言うか、安住さんと話してると、ホント楽しいなぁ」
「…………。……………………それはある種の、告白ですか?」
「うん、その自意識過剰ぶりには正直引くね。割とマジで」
一気に楽しさが半減した気がする。何でわざわざツッコまれるような事言うかなぁこの子。M? な訳ないか。
「告白では無いならば、何なのですか?」
「え、いや、別に単にそう思っただけで、特に意味は込めたつもり無いけど……」
「そうですか」
そう淡白に言い放つ安住。ふと俺は、咄嗟に思い付いた事を言ってみる。
「安住さんは彼氏とかいるの?」
すると、何故だか少しムッと顔をしかめ、但し声は冷淡にこう言う。
「独り身なのです、と言いましたけれど」
「本当だったんだそれ……」
「嘘を吐く必要性がどこに? というか、別に彼氏がいないからといって不思議な事ではないでしょう」
「……、ああ、うん、そうだね」
これ以上感情のメーターを上げると面倒そうだと判断し、俺は妥協し、引き下がった。しかし、そうなると根本的に話題が無くなってしまった。
そろそろ帰ろうかな……、そう思い始めた辺りで「あっ」と安住が声を挙げる。
「どうしたの?」
質問し、安住はこくりと頷き、こう返答する。
「ところで今回のテストの平均点は何点ですか?」
「またそこに戻るのかよ!」
気付けば今日一の声を張り上げてしまっていた。周囲にいた生徒達は俺に視線を向け、迷惑そうな顔をする。うわあ、しまった。
「テストネタはもう尽きたと思っていましたか?」
「ああ、もう、うんざりだよ……」
「残念でしたね。ネタを遅延させてぶり返す、という技術はまだ発揮していませんでしたよ?」
「てゆーか安住さん、単なるお笑い好きじゃん!」
俺の言葉に微笑し、人差し指を尽きだしてくる。
「甘いです。単なるお笑い好きではなく、超絶なるお笑い好きなのです」
「どうでもいいわそんな情報!」
もう、なんか、疲れたよ…………。……現実にパトラッシュはいないか、残念。
俺は近く置いていた鞄を掴んで肩に担ぐ。その様子を見た安住が、
「帰るのですか?」と問う。
「ああ、なんか、妙に疲弊したってゆーか、無性に帰りたくなったよ」
「そうですか」
相変わらず、淡白で冷淡な声で安住は言い放つ。その間、安住は本を片手に持った。
「それじゃ、また明日な」
俺は安住を横目に、図書室を後にする。
「因幡さん」
不意に呼び止められる。立ち止まって顔だけ振り返ってみると、安住が立ち上がって、
「明日。よければ、またツッコミ談義をしましょうね」
とそう言って、その後すぐに着席し、読書を再開していた。
俺は、敢えて返事をせず静かに図書室を出る。彼女の読書の邪魔をしては悪いと感じたからだ。それにしても、ツッコミ談義だなんて、本当にお笑い好きなんだなぁ、安住さん。
明日もきっと、彼女はあそこで本を読んでいるに違いない。俺が来るまで。 そう思い、俺は家に帰るまでの間、彼女との話題を想像するのだった。
さて、明日はどんな話をしようか。