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時間の概念が体内からなくなり、もう魂から口からでるんじゃないのかというぐらいに好き勝手にいじくりまわされて、ほぼ放心状態である愛美は、自分が今、どうなったのかなんてわからない。
はじめは髪。
そのあとは、なぜか服。
靴も可愛いピンクのミュール!(あこがれていたけど、なんだかちっとも嬉しくない)
最後は店長と向き合って、顔になにかされた。
愛美はいったい自分がなにをされてしまったのかまるでわからなかった。ただ無性に自分が自分でないようなしっくりとこない気分があった。
お茶目っけある本田は仕上げまで愛美に鏡を見ることを禁止した。
「仕上がり見て驚かせたい」だそうだ。
いや、ただ、もう不安なんですけど。
「時間かかりましたね」
「まぁな。いろいろといじくりがいがあったよ。俺の力作だ。革命の王と呼んでもいいぞ。真澄っ」
「ええ。もちろん、そう呼ばせていただきますよ。可愛いよ、愛美ちゃん」
「当たり前だ。俺の力作だもんな。愛美」
店長がふんぞりかえるのに本田がにこにこと笑っている。
「俺だって力作ですもん」
一体、私は、どんな風にされてしまったのか。
今の姿を見れていない愛美は不安いっぱいだ。
「ああ、愛美ちゃんは鏡見てないんだよね。本田さん、意地悪いから……見せてあげてよ」
「よしよし、お姫様、目ぇとじろ。せっかくだ」
真澄の言葉に本田がにこにこと笑いながら頷いて巨大な鏡を持ってくるのに、店長のきれいな手が愛美の両目を塞ぐ。
見たいような、見たくないような
「さぁ目を開けていいぞ」
耳元で囁かれる店長の声に愛美は目をあけると、視界がゆっくりと広がった。
「これ、私」
愛美は声を漏らして、続いて眉を寄せたのにすぐに店長から叱咤の声が走る。
「こら、かわいくない。笑顔、笑顔」
いわれて愛美は慌てて寄せてしまった眉を両手で伸ばしながら、じっと鏡の中の自分を見た。
確かに力作だ。魔法を使ったとしか思えない。
化粧のおかげできらきらとして、ぱっちりとした目。唇だってピンクで潤っていて、きれいな色をしている。頬は少し赤いくらい。髪の毛はいつも結んでいるのをおろしていてこめかみに花の飾りがついている。
店長が選んだ白の服は愛美の体をすっぽりと包んで、色気もへったくれもない体を見事にごまかしている。
「すごい」
シンデレラという物語をふいに頭の中を掠めた。
「すごいっ」
愛美は自然と口元を綻ばせて笑った。
自分が今までこんな風になれるなんて思いもしなかった。
「おー、かわいいな。やっぱり女の子は笑った顔がいちばんだ」
店長は愛美の笑みに満足げに笑った。
この世で女の子の笑顔をなによりも好きな男である店長は、愛美の笑顔に満足し、ふふんっと意地の悪い笑みを真澄に向けた。店長がこの世で二番目に好きなものは、友人を茶化すことだ。
「食うなら今夜だぞ」
「ご忠告、どうも」
店長の意地の悪い性質を知っている真澄はさらっと受け流し、愛美に手を伸ばした。
「さて、いこうか」
「え、あの」
これのお金ってどうなるんだろう。
愛美の顔に浮かぶ不安を読み取って真澄は笑った。
「そういう野暮ったいことはいわないで、ねっ」
野暮ったいことなのか愛美にはわからないが、真澄がそういうならば、いいや。今日だけはいいや。
愛美はこっくんと頷いて、真澄の手をためらいなくとることができた。
真澄は、愛美が今まで知らなかったタイプだった。付き合ったともいえない自己中な男は愛美を寂しくさせたし、少しも恋をしている気持ちなんてなかった。
英田はいつも愛美の前を歩いていた。時々ふりかえっては愛美がついてくるのを待ってくれていた。だが、いまや英田は愛美をおいて先に先に歩いてしまって追いつけなくなってしまった。
真澄は愛美の手をとって歩いてくれる。
電話したとき、来てくれるなんかおもわなかった。どうして電話したのかなんて今だってはっきりとはわからない。
たぶん、寂しくて、誰でもいいから助けてほしかったんだ。
「すごい、真澄さん」
愛美は本当に感心した声をあげた。
真澄が連れてきてくれたお店は、景色がきれいな――きっと、十万ドルの夜景って言う、きらきらとしたネオンが見える窓際の席が素敵なお店だった。それもお店は肩をはることもない落ち着いた雰囲気に音楽が素敵な店であるが、食事は美味しかったし、少しだけ呑んだワインのおかげで愛美は緊張せずに気分を高揚させた。
「気に入った?」
「すごく」
愛美はワインをこくこくと飲んだ。
真澄は女性を楽しませる術というものを心得ている。愛美は今までこんなロマンチックなデートなんかしたことなかった。
真澄は本当に魔法使いみたいに自分のことを変えてしまった。
涙が瞳からこぼれだす。
心にじんわりと広がる、安心しているけど、心が寂しいと思うのはなんでだろう。こんなにも素敵で、すごく満たされているのに。
愛美は自分の瞳からあふれ出す涙に気がついて、慌てて頬に手をあてた。
「愛美ちゃん」
「ここじゃだめ」
「えっ」
「ここだと、星がみえないから」
愛美は慌てて立ち上がろうとして、履きなれない靴にへたりこんだ。
「愛美ちゃん」
慌てて真澄が立ち上がるのに愛美は靴に手をかけて、脱いだ。素足だと、足の裏にひんゆりと冷たさがくる。
「星が見えるところにいかなくちゃ」
「どうして」
「英田さんの星、見つけないと、私のことを見つけられないから」
涙がこぼれだすのに愛美は笑った。
「英田さんが遠すぎて」
「……とりあえず、ここから出ようか」
真澄は優しくいってくれたのに愛美は小さく頷いた。
店から出るとき、涙はようやく止まった。けど折角してもらったお化粧がきっとひどいありまさになっているとおもうと、せっかくいろいろとしてくれた店長さんに申し訳がないと愛美はおもった。けど涙をとめることができない。
星が見えない。
真澄は愛美の手をとって、タクシーを拾うと何かしら運転手に告げた。どこにいくのか当の愛美にはわからない。
ようやくタクシーが停まったとき、そこはマンションだった。
どこか、ということを愛美が尋ねる前に真澄はタクシーに金を払って、無言で愛美の手をとって中にはいってしまった。
「あの」
声を震わせるが、真澄は何も言わずにエレベーターにのりこむと、そのままやはり無言でなにも応えてはくれなかった。
エレベーターがただ動く音だけで二人を包み込んだのに、目的地についた、チンッという音が沈黙を破り、真澄は愛美の手をとってエレベーターを出ると、左端にある階段をのぼり、行き止まりの扉まできて、外へと出た。
「ここなら星が見える」
真澄の言葉に愛美は目を瞬かせた。
空を見る。
少しだけ見えずらいけど、ちゃんと星がある。
「英田さん」
今の愛美にとって、きっと今の英田はこんなかんじ。
元から英田は見えない存在だった。それをどこかで間違って、一緒にいて、すごく近いものだと錯覚していたのだ。
田舎では、いつも星がきらきらと輝いているのが当然で、大学のために出てきたここのあんまりにも星の遠さにはじめて気がついた。
「英田さん、わたし」
愛美が言葉をつむぐ前に唇が重ねられ、封じられた。
お酒と少しだけ苦い煙草のキス。
愛美は肩を震わせた。
逃れようと両手で真澄の胸をおすと、真澄は肩を掴み、強引に唇を重ねさせて、離れてくれない。
いや。違う。こんなのじゃない。
はじめてしたキスは、とっても優しかった。英田とのキスは本当に心がほかほかして、満たされた。愛美は涙がこぼれるのにとめられなかった。自分も同じように英田を裏切った。
ようやく唇が離れて愛美は呆然と真澄を見つめた。
「こんなことも予想しなかった?」
撫でられる髪に愛美は小刻みに震えた。いまようやく真澄が一人の男として自分の目の前にいるのだと愛美は悟った。
「ごめんなさい」
「愛美ちゃん」
「ごめんなさいっ」
あふれ出す涙を止められず愛美は言葉を漏らした。
自分はなんて最低なんだろう。
「……謝らないでほしいな」
真澄の手が震える愛美の肉体を優しく抱きしめた。
愛美にとって、英田は本当に星だった。遠いのに、近いと思わせてくれる。謎がいっぱいで、その謎を知ろうとすると、自分が容易く傷ついてしまう。自分が傷つきたくないから、愛美はあえて逃げた。
きっと真澄は優しいとわかっていたのだ。そして真澄に優しくしてもらっていい気になっていた。
真澄は男だ。
男というものを自分はまるでわかっていなかった。
ひどいことをしたのだ。
最低だ。
こんなことをしてもまだもしかしたら英田は自分のことを追ってくれるんじゃないかっておもっていた。人の心を簡単に傷つけても、それでもいい。英田が自分のことみてくれたら、他人なんか傷つけてもいい。
汚い。
すごく、すごく汚い。
でも、会いたい。すごく、すごく会いたい。英田さんに
頭ががんがんと石をおいているような痛みがする。
起きた愛美は腫れた目で周りを見ながら、ここはどこだろうと考える。
「おはよう、愛美ちゃん」
真澄がキッチンから声をかけてくるのに愛美は目を瞬かせた。
キッチンなんて私の部屋はにない。それにこんな部屋じゃないでしょう、私の部屋は!
昨日のことを思い出して見る見る血の気がひいていく。
「わたし、わたしぃ」
「あんまりうるさくしないでね。俺も軽く二日酔いだから」
頭がまた痛くなってきた。
「はい。二日酔いにきく野菜ジュース」
真澄は緑の液体がはいったコップを差し出す。色からして飲みたくないが、愛美は無言で受け取ってジュースを飲んだ。
「昨日、あのまま君寝ちゃってね」
「あ、あははは」
「無断外泊になっちゃったね。そういうの君の寮は厳しいほうかな。なんならついていっていいわけの手伝いぐらいはするけど」
にこりと笑う真澄に愛美はとんでもないとばかりに首を横にふった。とんでもないことだ。
「あの、昨日」
「酔っ払いを襲う趣味はないよ」
愛美の言わんとすることをさえぎる真澄に、安心したような気持ちが訪れて慌てて愛美は首を横にふった。
「すいません」
「いいよ。とりあえず、送っていこうか? そろそろ、帰らないと、たぶん、あの人がきちゃうから」
「あの人?」
愛美が尋ねたと共に鉄のドアを人の足が蹴っているという音がした。それも容赦なく、連続で
「着ちゃったね」
頭を抱える真澄に二日酔いがたたっている愛美も頭をかかえる。
「とりあえず、ここにいて。怒り狂ったあの人の相手はなれてるから」
「あの、真澄さん」
数分もたたないうちに何かの壊れるような音がした。音の大きさに愛美は恐怖に震えて、慌てて立ち上がって音のするほうにいった。
「あっ」
真澄が頬をおさえてしゃがんでいる前に英田が立っていた。
目があった。
怖い。
愛美は慌てて逃げようとするのに手がとられた。
「逃げるな、愛美」
「だ、だってぇ」
「もしもお前の身が天使の羽のように真っ白なら俺の目をみろ」
いわれて愛美は英田を睨んだ。
「真っ白ですよ」
「よし、孕まされてはないな」
「はらまっ」
とんでもないことを言われて愛美は絶句した。
「とりあえず、ぐーパンチで今回は許してやる。真澄」
「ひどいな、これでも顔も商売道具なんですよ」
苦笑いを浮かべながら顔をあげる真澄の右頬は赤く腫れ、口は切ったのか血が出ている。
「うるさい。貴様なんぞが愛美に触れたら、穢れる、孕むっ、この色ボケがっ!」
まくしたてる英田に愛美は拳を握り締めた。真澄は何も悪くはない。いいや、キスは、されたかもしれない。けど、それは自分のせいだ。
英田の言葉は自分に向けられている叱咤のようで愛美の心の中でくすぶっている反感を植えつけた。
「そ、そういう英田さんだって」
「愛美?」
「英田さんだって、女の人とキスしたくせにぃ!」
愛美のおもいのほかにでかい声にはパンチがきいていた。英田は愛美の腕をとっていた手を離し、よろめいた。
真澄は二日酔いがきいていたのか軽く呻いた。
だが愛美はとまらなかった。
英田は、なんて我侭で勝手なんだろう。
「英田さんが、わるいだもん。ぜんぶ、ぜんぶ」
もう出ないとおもっていた涙がまた溢れ出してきた。
泣きすぎて目が痛いのに、涙はぼろぼろと溢れ出してくる。
「愛美、お前、昨日……あの荷物と弁当はやはりお前のものなのか」
もう泣く以外になにもできない愛美に英田は困り果てるのに真澄はため息をついた。
「ひどいな、昨日はただあなたの愚痴を聞いていただけですよ。英田さん」
「なに? 愛美、泣くな。頼むから」
頼まれても涙は止まらないのに愛美はじくじくと涙を流したまま頷いた。泣いてもしかたない。
英田のことを自分は何も知らない。知りたくない。
けど、知らないままだと、もっと傷ついてしまう。
「とりあえず、愛美、帰るぞ」
「はい」
俯いて愛美は頷いた。
今、心がやっぱりぐちゃぐちゃではっきりと言葉を口にすることができない。
「まって愛美ちゃん」
玄関で昨日のピンクのミュールを履くのに真澄が一度家の中にいってから、戻ってきた。手を差し出してくると、愛美の手をとって鍵を握らせた。
「君の服とか、あるから……とりにおいで」
「けど、あの」
「鍵はポストの中にいれるか、直接かえしてくれればいいから」
真澄の言葉に英田は苦虫を潰したように顔をするのに愛美は慌てて鍵をポケットにいれて、英田の背を押して外に出た。もし、このままほっておいたら、また英田が怒り出すかもしれない。
真澄はにやにやと笑っているのは、英田を怒らせて楽しんでいる。
真澄は、意地が悪いひとかもしれない。




